参
京士郎の家は、よくある藁葺き屋根の家だった。
居間が一つ、囲炉裏を囲むようにして人が座るように作られている。
そこで、女は寝かしつけられていた。
京士郎は寝ている女を眺めている。
家に担ぎ込んでから三日が経った。
汗の止まらない様子で、熱も収まる気配もなかったが、養母の看病が功を奏し、肌の色は落ち着きを取り戻していた。
もうじき目がさめるだろう、と養母は言っていた。それから日がな一日、京士郎は女の様子を見ている。
「んっ……」
女の口が開いた。声にならない音が、その喉から漏れる。
京士郎は思わず身を乗り出し、女に近づいた。
「大丈夫か? 気はあるか?」
「……うるさいわね」
女はそう言って、京士郎を手で払いのけた。
上半身を起こすのでさえかなり苦痛のようで、顔をしかめている。
そして周りを見渡すと、ぽかんと口を開ける。
「ここは?」
「……俺の家だ」
「そう」
女は素っ気なくそう言った。
京士郎はその態度に少しムッとする。
しかし、女が立ち上がろうとしているところを見て、京士郎は慌てて押しとどめる。
「おい、無理はするな」
「そうは行かないわよ。助けてもらったのには礼を言うわ。でも、私は急がないといけないの」
「馬鹿野郎、そんな身体で何ができるって言うんだ」
京士郎の一喝。女は渋々と言った様子で落ち着いた。
その叫びが聞こえたのか、養母と養父の老夫婦が家へと戻ってくる。
女が起きた様子を見ると、養父母はともに安堵の表情を浮かべる。
「ああ、よかった。目が覚めてなによりです」
「……ご心配をおかけしました」
そこでようやく、女はいかに自分が多くの人の世話になったかを理解したようだ。
口調も改めており、その表情も引き締まったものになる。
それもまた、京士郎にとっては面白くなかった。
「おい、お前はどうしてこんなところにいる? 鬼に追われていた?」
「京士郎!」
京士郎の不躾な質問に、養母は大きな声で諌めた。
しかし、京士郎は女から視線を外さない。
その様子を見て、養母と養父もまた、女に頭を下げる。
「私からも、お願いできませんでしょうか。恐れ多いですが、貴女様の身に何があったのか、気になるところでございます」
「……わかりました。貴方がたには、命を救っていただいたご恩もあります」
そう言って、女は自分の荷物はあるかと聞いた。
京士郎が持ち帰った女の荷物は、刀だけではない。あとからもう一度、女と鬼と会ったところを訪れれば他にも幾つかの小包があった。見慣れない上等な布だったから、間違いなく女のものであるだろうと京士郎は思い、持ち帰ったのだ。
その小包を女に渡すと、そのうちの一つから、手紙を取り出した。
「これは私が仕えているある姫君からの書状。これを、さる御方へと届けることが私の使命です」
「さる御方とは?」
「高名な僧であられる精山という方です。かつては京の寺院にて修行を重ねておられた方で、その知は若くとも天下で一つしかないと言われるほどでした。多くの殿上人が彼を当てにしましたが、彼は政や争いを嫌っていたらしく、ついには出奔してしまいました。しかし、彼は……この天下で起こっている出来事を、誰よりも理解できています。鬼により京が、世が脅かされている今、一度、彼の知を請わなければなりません。そして最中、何匹かの鬼に見つかり……どうにか逃れたのですが、一匹がしつこく追ってきまして」
わかっていただけましたでしょうか、と女は言った。
正直に言ってしまえば、京士郎は女の話を半ばも理解できなかった。
しかし、山で戦った鬼があちこちに現れ、人々を襲っていることを知る。そして鬼により、京もまた危機にあることを。
養父母は女の話を聞いて、しきりに頷いてみせた。
そして、顔を見合わせると、二人は床に手をつき、深々と頭を下げる。
「お願いがあります。この子を、京士郎を共に連れて行ってくれないでしょうか」
その申し出は、京士郎にとって瞠目に値するものであった。
「二人とも、それは」
「訳を聞かせてもらってもよろしいでしょうか?」
京士郎が口を挟もうとするが、女が遮った。
「失礼だと思いながらも申し上げますが、貴女様一人ではこの先の道も心許なく思います。京より離れるほどに道は険しく、また鬼や賊の噂も絶えません」
「それは……」
「それに、ここにいる京士郎は……まさに神懸りとも言うべき業を持っています。腕は岩をやすやすと持ち上げ、脚は駿馬と並ぶほど。目は数里先まで届き、耳や鼻は獣のように鋭い。この力を持ってたくさんの苦労をしましたが、貴女様の役に立つためだったとすれば、この日が来るのも何かの定めだったように思います」
「京士郎が共すれば、必ずやこの先の苦難も越えられましょう」
どうかお願いします。そう言って老夫婦は揃って頭を下げた。
女は思案顔を浮かべる。京士郎の顔をじっと見ると、真剣に考えているようだった。
どうしてか、京士郎はその顔に惹かれるものを感じた。
眩しくて、手を伸ばしたくなるような。
そんな感覚を覚えてしまう。
「わかりました」
女は短く、そう言った。老夫婦は揃って顔を綻ばせる。
それを見た京士郎は、この家を去ると言うのに、落ち着いた気持ちでいた。
「ですが、それを決めるのはそこの方です」
女は京士郎を指差して、そう言った。
(俺がここを離れる……?)
自分はどう思っているのだろうか。
京士郎の心は決まらない。ここで自分を育ててくれた老夫婦を看取るものだとばかり、思っていたから。
しかし、二人の提案と、女が受け入れたことから、決心が揺らいでいるのも確かだった。
いや、もうすでにその秤は傾いている。
「すまん、少し考えさせてくれ」
どうにかして言葉を絞り出し、京士郎はそう言った。
この言葉が、何よりの答えであることは、誰よりも自分がわかっていた。