表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
かぎろひの立つ  作者: 桂式部
第一章 まつとし聞かば 今帰り来む
5/109

 京士郎は驚愕を隠さなかった。

 鬼。そう呼ばれる存在。

 目の前にいる異形。京士郎は知っている。坂東の地から迫り、無差別に人を襲い、食い、畏れられている者。

 お伽話として聞かされ、しかし現実に現れる脅威。

 それが、京士郎の前に姿を現したのだ。


「小僧、そこをどけ」


 鬼がその口を開く。

 低く、腹に響く声。地の底から聴こえてくるような、耳障りな音。

 京士郎は顔をしかめた。


「その娘に用がある」


 複雑なことは言えないのか、鬼は短くしか言わない。

 そうだ。それはわかりきったことだ。

 自分の後ろにいる少女。どこの誰ともわからない、上品な女。


「お前は見逃してやってもいい」

「信じると思うか?」


 京士郎はそう言った。鬼は少し、驚いた顔を見せる。


「自分の命が惜しくはないのか」

「こいつがどこの誰かは知らん。だけど、俺がここで死ぬのも、俺がこいつを見捨てるのも、この先の里の人間を見捨てるのも、違いはない。だったらこの女を助ける」


 この先には里がある。京士郎の背中にいるのは、少女だけではない。

 ここで退けば、少女は、里はどうなるのか。

 だとすれば、ここで退くのも、命を落とすのも、差はない。この鬼をここでどうにかしなければならない。


「くっ、はははははは!」


 鬼は笑う。何が愉快なのか、滑稽なのか。

 そして斧を担ぎ直すと、京士郎を見た。


「ああ、そうだ。違いはない。だが、自分は生きることができる。それは大事なことだ」

「鬼はそう考えるみたいだな」


 吐き捨てるように京士郎は言った。

 人ならざる身であるが、どうやら鬼に身をやつしてはいないようだと、京士郎は場違いな安心をする。

 身構える。ろくに喧嘩などはしたことないし、ましてや戦の作法がわかるわけでもないが、戦う姿勢だけは見せておこうという、せめてもの心がけでもあった。


「ちょっと、逃げなさいよ!」


 だが、そんな決心を知ってか知らずか、女はそう言った。


「私のことはいいから、逃げなさい!」

「俺の話は聞いてなかったのかよ」

「聞いてたわよ! でも人が一人で鬼をどうこうできると思ったら大間違いよ。この先に里があるんでしょ? だったら先に行って、逃げるように言って。それが一番なんだから!」


 女はそう言う。言っていることは正しいだろうが、それは自分を見捨てろと言っていることと変わらない。

 京士郎にはそれは、とても受け入れがたいものだった。

 影が伸びる。鬼が腕を振り上げていた。

 京士郎は女を抱えて、後ずさる。

 腕が振り下ろされた。大きな音を立てて、斧が突き立てられる。地面が揺れるような衝撃があった。

 斧であるがゆえに単調な動きだが、当たったら一溜ひとたまりもないだろう。


「ちょっと、何勝手に触ってんの!」

「うるせえ! ちっとは黙ってろ!」


 続いて、鬼が追って斧を振り回す。

 相手の体が大きいからいくらか潜り抜ける余裕もあるが、女を抱えたままではいずれ追い込まれる。

 京士郎は地面を蹴って、大きく距離をとった。

 鬼から目を外さず、女を下ろす。


「貴方……一体何者なの。あんな動きって」

「いいから。その荷物置いてけ。重えんだよ」

「だめよ、だってこれは!」


 京士郎は強引に、女から荷物を奪った。

 そして、察する。この包みの中にあるものを、直感的に。

 布を解いた。するりと、地面に落ちる。


「これは……刀?」


 現れたのは、一振りの刀。

 鞘は赤く、中に眠る刃が上物であることをうかがわせる。

 京士郎は刀を抜いた。

 それは、まごうことなき業物。

 輝きは銀。艶めきすらを感じさせ、ただそこに在るだけで人目を惹くであろう。斬ること、ただそのためだけの物にすぎないはずなのに。自らも刺してしまいそうな危うさには、美しさが秘められていた。

 京士郎は刀を構えた。

 身体を鍛えるためだけに身につけていた、棒振りの術。

 それがどれほど通用するか、わからないが。


(戦える)


 その確信が、京士郎の手に力をこめさせた。

 スッと、目を細める。


「得物を手にしたくらいで、思い上がるなよ、人よ!」


 鬼が迫る。斧が大きく振り上げられた。

 京士郎と女をまとめて潰すつもりだろう。京士郎の目はゆっくりとその動きを見ていた。


急急如律令きゅうきゅうにょりつりょう!」


 女の叫び。その文言は何を示すのか、京士郎にはわからない。

 次の瞬間には、鬼の目前に火があった。

 火は鬼の動きを鈍らせる。京士郎にはあずかり知らぬ技だった。

 その隙を突いて、京士郎は鬼の懐に潜り込んだ。

 刀が煌めく。下段からのすくい上げ。それは鬼の胸を捉えた。

 そこに術はないが、理はあった。

 しかし、その一撃は致命には程遠い。

 

(浅い!? けど、まだ!)


 鬼が再び、斧を振り下ろす。

 京士郎は悟る。己の方が早く、刀を返せる。

 再び閃く刃。今度は振り下ろされる斧、その持っている手を狙った。

 振り抜く。手応えはあった。鬼の腕とともに、斧が落ちる。

 それは京士郎と鬼の体格差が産み出した大きな隙だった。確かに遠くへ届けるその腕は厄介だったが、懐に潜り込んでしまえば、京士郎の方が早い。

 踏鞴たたらを踏む鬼。京士郎は体当たりをするように間合いを詰めた。


「これで……!」

「ぬ、ううううっ!?」


 刀を大きく振り被る。

 そして振り下ろされるまでは、一瞬だった。

 縦に一閃。

 股下まで振り抜いて、そこで止まる。

 京士郎は顔を上げる。鬼と目が合った。ニヤリと笑う鬼。冷や汗が京士郎の頬を伝う。

 次には、鬼はゆっくりと倒れた。

 どすん、と響く音。鬼の巨体が地面に横たわる。

 不思議なことに、鬼の体は黒いもやとなって消えていく。

 京士郎はそれを眺めて、ようやく自分は勝ったのだと理解した。

 手から力が抜けそうになるのを堪えて、刀を鞘へと収めた。

 軽い金属の音と共に、刃が収まる。戦いは終わったのだと告げるような感覚がした。


「ふう、何とかなったな」

「……貴方、めちゃくちゃよ」


 女はそう言って、京士郎の元へと歩み寄っていく。

 その表情は怒りとも呆れともとれる曖昧なものであるが、窮地を脱したにしてはよくない表情だ。

 いや、よくないのは表情ではない。顔色も青白く、病人のそれだ。


「あの動きもそうだし、それに鬼に立ち向かっていくなんて、無謀が過ぎるわ。その刀だって、どうして貴方なんかが……」


 そう言いかけて、急に女は動きを止めた。

 かと思えば、力が抜けたようにその場で倒れかける。京士郎は抱きかかえて女を支えた。


「熱い……こいつ、もしかして」


 その体は発熱しており、とても正常とは言い難い。

 こんな状態で山を歩いていたのか、それとも鬼と戦っていたときに使った術の反動なのか。

 わからないが、このまま放っておけばこの女の身が危ないことだけは確かだ。


「ちっ、世話の焼ける」


 そう言いながらも京士郎は刀が当たらぬように、女を担ぐ。

 目指すは一路、我が家へ。京士郎はいままでにない急ぎようで、山を降りていった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ