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8.きっと朝から肉を焼かされる。

 

 ミソギ君が帰って来ない。


 こんな日はなかった。鮫島さんが言うように帰宅しないなんて日はなかったのにどうしたんだろう。何かあったのだろうか。

 ケータイを握り、その中の液晶に映る時刻を確認する。

 もうやがて深夜一時になろうとしているところだった。


 警察に連絡?

 それとも先に鮫島さんに連絡すべき?


 でも鮫島さんは一週間は帰らない事もあるって言ってたし、余計な心配をかけるだけだろうか。逆に過保護だと諭されやしないか。どうしたらいいんだろう。

 我が子が連絡もなしに初めて外泊でもする日はこんな気持ちなのだろうか。親でもないのにこんなに気持ちが掻き乱されるのだから世の親御さんはどれだけ心労が絶えないだろう。預かっている子供を待つ身でさえ気が休まらないんだから。

 ホントにホントにミソギ君どうしちゃったの!

 せっかく用意した夕飯はメインのステーキを焼くだけでいいようになっているけど、プレートに盛り付けた副菜などは蓋をしたまますっかり冷めていた。冷蔵庫にはデザートのムースが冷えて固まってもいるのに。

 喧嘩に夢中なのだろうか。苦戦しているとか? て、そんな理由を考えている自分がなんかおかしい。でも笑えない。

 ミソギ君、今日の……もう日付が変わっちゃったけど夕飯を楽しみにしてくれていた。いつも遅くても夕飯の時間までには帰って来てくれた。


「やっぱり何かあったんだ」


 事故かな。喧嘩でやられたとか考えたくないけど、鎖鎌を振り回すような人を相手にすらする彼の事だから今まで何もなかった方が奇跡に近い。


「どうしよう……。もうミソギ君、どうしちゃったの……」


 何度目かのコールをミソギ君に向けて発信するけど、梨の礫。電波の届かない場所にいるか、電源が入っていないと定型のアナウンスが流れるばかり。

 不安だけがどんどん募る。悪い想像しか思い浮かばない。

 やっぱり鮫島さんに連絡を取ろう。悩み過ぎてこんな時間になってしまったけど、やはり言うべきだ。

 今度は鮫島さんに向けて電話を掛け直す。コールが一回、二回。

 コールを続けるけど留守番サービスに繋がった。めげずにもう一回かけ直す。

 こんな時間だから寝ているのかも知れない。それでも早く出てと願いながらケータイを握り締めると玄関先で何かが外からドアにぶつかる音が響いた。

 それを耳に私はケータイを放り投げ外に飛び出す。鮫島さんにはあとで話そう。

 物騒な世の中だとかそんな警戒は一切なかった。ただ、もう勢いに任せた。そして案の定というか、願い通りというかそこにいた人影に向かって、夜中だと言うのに迷惑も省みずに声を荒げる。


「ミソギ君っ、こんな時間まで何してたのっ!!」

「スバル……起きてたんだ」

「当然よっ! 一体何時だと……」


 言い掛けてやっとミソギ君の異常に気付く。動揺して気付くのが遅れた。何処か息も切れ切れで少し喘いでいて、更に言えば、


「ミソギ君、目が赤いっ」

「ん、ちょっと油断した……」


 見られたくないのか、ばつが悪そうに真っ赤な目を隠しながらそう言うとミソギ君はフラフラと立ち上がる。慌てて彼を支えるとツンとした弱い刺激臭が鼻を刺す。


「触らないで」


 差し出した手を振り払われ、呆然としているとミソギ君は覚束ない足で歩き出す。玄関の僅かな段差にさえ爪先をぶつけては苦々しく舌打ちをした。


「もしかして、見えてないの? 声もなんか少し掠れてるみたい」

「全く見えてない訳じゃないよ」


 それでもフラフラと支えなしでは辛そうなミソギ君。彼がシャワーと言ったので、玄関入ってすぐ右手の脱衣所のドアを開ける。そこまで案内するとミソギ君は浴室まですり足に行き、風呂場のタイルに着衣のまま腰を下ろすとそのままシャワーの水を頭から被り出した。


「ミソギ君!?」


 おかしくなっちゃった!?

 びっくりしてこの水業を止めた方がいいか否か迷っていたら、ミソギ君の方からシャワーのコックを下げて水を止めた。


「……悪いけど着替えとバスタオル用意してくれない? それからそのままシャワー浴びたいからドア閉めて」


 それとも一緒に入る? などとからかわれて、私はパッと浴室のドアを閉めた。

 可愛くない! こっちはあんなに心配したのに涼しい顔しちゃって、可愛くないったらありゃしない。

 ああでも、目、本当に大丈夫なのだろうか。あんなに赤くして、視界も悪そうだったし。あの状態で家まで帰って来るって、どれだけ大変だっただろう。

 病院、今から救急にでも連れて行った方がいいのかな。

 悩みつつ、私はミソギ君の着替えとバスタオルを用意して脱衣所に戻る。中のミソギ君に声を掛けると、生返事と脱衣所に脱ぎ捨てられたびしょ濡れの服一式を頂いた。

 着たままシャワーなんて浴びるから水を吸って重たくなった衣服を手に私は溜息。


「私が洗うと思っての嫌がらせ?」


 しかも白いワイシャツに黒のパンツって本来色物と分けなくちゃいけないのだけど、水を吸って面倒なのでまとめて洗濯機に放り込む。――つもりが、ふと手にしたワイシャツがあちこちほつれている事に気付いた。

 ミソギ君は世間とズレた所はあるけれどあれで結構身形に気を使う方だ。服装はシンプルだけどシャツはきっちりアイロンのかかったものを着たがる。第一、今は私がミソギ君の衣服を扱っているのだから、こんなほつれがあるなら気付かない訳がない。つまり、これはその日に傷んだ事となる。

 そんなに傷付いてまでミソギ君は何をしたいのだろう。

 ほつれて所々泥で汚れたシャツを握り締め、私は力なく今度こそそれを洗濯機に放ってリビングに出た。

 そこで用意した食卓を思い出す。

 ステーキの方はどうしよう。ミソギ君、お腹を空かせているだろうか。夕飯の支度、した方がいいと思うのに、どうにも動き出そうにも気力が湧かなくて、私はミソギ君のソファベッドに体をもたせてぼんやりと宙を仰いだ。

 それから具合でどれだけの時間が経ったのだろう。あまり長くはなかった筈だけど気が付くとシャワーを浴び終えたミソギ君がタオルを首にかけ、上半身裸のまま出て来てこちらを見ていた。


「……何で上着てないの?」

「仕方ないでしょ。シャツ、スバルのだったんだから」


 ぶすっと投げて返されたのは、確かに私のシャツ。色もミソギ君カラーの黒に、デザインも中間的だから片付けの時に間違えたのかも。


「これ、今度はちゃんとミソギ君の」


 改めて差し出したシャツを手渡すけど、ミソギ君はそれを受け取り損ねた。


「……あ、ごめん」


 よく見ればミソギ君の目はまだ赤い。きっとはっきりと視力が戻っていないのだろう。そしてそれが気に食わないミソギ君は顔をしかめると、足下のシャツも拾わずに縺れ込むようにソファベッドに体を沈めた。


「大丈夫?」

「大丈夫じゃない。不覚だよ。催涙スプレーなんてちゃちなおもちゃ浴びるなんて」


 それは相手にも自分にも腹を立てた口調だった。それよりも私はミソギ君が受けたダメージに息を飲む。


「催涙スプレーって、視力は大丈夫なの? 今からでも病院行こ?」

「放っておいてよ。僕は抵抗あるし、洗浄すればこんなの直に良くなるんだから。下手に騒ぎを大きくしないで。僕を見くびってるの?」

「見くびってるとか、こんなのって……」


 人の心配を迷惑そうにするミソギ君に、私は次第に何だかだんだんむかっ腹が立って来た。

 こんなのってなんだ。こんなのって。

 私がどれだけ心配したのかこの子は全く考えようともしないんだ。気にするのは自分がダメージを受けて傷んだプライドだけ。

 大体、どんな争いをしたら催涙スプレーなんて吹き掛けられるのよ。

 よく見たらミソギ君の体、細かい傷跡がいくつもある。

 鍛えた体は無駄がなく、しなやかで綺麗なのかも知れないけど、こんなの痛々し過ぎる。それでも心配する私が馬鹿なのだろうか。

 木刀とか鎖鎌とか釘バットとか。ともすれば死んでしまうんじゃないかって、私の考え過ぎだとでも言うのか。

 心配で心配で不安になるのは私の心が弱いとでも言いたいのか。


「……どうしてスバルが泣いてるの」


 目を丸くしたミソギ君に言われて気付いた。自分が泣いてる事に気付けなかった私は、悔し紛れに彼の向きだしの背中を平手でペチンと叩く。


「うっさい。ミソギ君が悪いんだから」


 ペチンペチンと繰り返し叩く。手に吸い付くような瑞々しい肌がより恨めしい。


「どれだけ人が心配したとか君は考えた事ないの? 好き勝手危険な事ばかり首をつっこんで、自分の体をなんだと思ってるの!」


 ペチペチペチペチ。掌が痛くなるまで叩いて叩いて、泣いて鼻啜ってまた叩いて。掌が熱くなる、そして感覚がなくなって来た所で私の手首はミソギ君によって制された。


「いい加減僕だって痛いんだけど」

「ミソギ君に痛みってあったんだ」


 嫌味を返せばまだうっすら赤い目が私を睨む。でもきっとその赤さなら今の私だって負けてない。


「痛いのは君じゃない、私よ。心配し過ぎで胸がしくしく痛んだんだから」

「心配してとは頼んでない」

「そうよ。勝手よ、私の勝手。でも、同じ家に住んで、一緒にご飯食べてる人を他人とは言わないの。心配して何が悪いのよ」

「その心配が僕への侮辱だって言ってるんだ」

「知らないわよそんなの。心配されるのが嫌なら夕飯までに帰って来なさいよっ。メールくらい寄越しなさいよっ」

「どさくさに壊れたのにどうやって」

「公衆でも奪った電話からでも自宅経由で私に知らせるでしょ!」


 無茶苦茶だ。自分で何を言ってんだって思う。不測の事態だからこうなってるのに、連絡寄越せだとか屁理屈だよ。大人のくせに全然説教が出来てない自分が情けない。

 きっとそれについてまたミソギ君に憎まれ口叩かれるのね。ほら言いなさいよ。

 受けて立つつもりでミソギ君を睨め付けたら、視線は別の所を向いていた。


「ステーキ……本当に用意してくれたんだ」

「――だって、約束したから。肉はまだ焼いてないけど……」


 今初めて食卓に気付いた(そうか、よく見えてなかったんだ)ミソギ君が、急に棘を取ったような声音になる。私は涙を拭って、頑張ったんだからとこれみよがしに言う。大人気ないとかこの際なしだ。


「冷めてる?」

「とっくに」

「そうか……」


 そう言って、ミソギ君の頭がこてんと私の肩に乗っかった。

 まだ湿った髪が頬に吸い付き、また、あまりの接近に私は心臓が止まりそうな勢いでドクンと跳ねる。


「――ごめん」


 またびっくりして心臓が跳ねた。

 空耳?

 初めて彼の口から聞く言葉に私が黙っていると、顔を上げたミソギ君の顔は怒っていた。


「聞いてた?」

「聞いてたよ。だけど……」


 もう一度。

 せがむとミソギ君はそっぽ向いてしまった。その代わりに「もう遅くならないようにするから」と小さく約束してくれた。

 喧嘩をやめるとは言ってくれないのが残念だったけど、ミソギ君らしかったから私も拍子抜けなくらい許せてしまった。

 何となく分かってる。

 ミソギ君にとって戦うって、ホオジロザメが泳ぎ続けないと死んでしまうのに似ているって。本能で欲してるものを私は取り上げられない。

 取り上げられないから「怪我だけはしないで」と無茶なお願いをしたら、それだけははっきりとミソギ君は頷いた。

 どれだけ自信家なのだろう。

 笑っちゃうけど嘘には聞こえないから嬉しい。


「ミソギ君、ありがとうね」


 ちょっとでも私の気持、分かってくれて。

 そんな意味を込めてお礼を言えば、ミソギ君は意味が分からないと不思議そうな顔をするからまた笑えたんだ。

 それからほっと安心した私は急に睡魔に襲われて、洗濯物も料理も何もかも投げ出した状態で眠りに落ちた――。


 

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