7.鮫島さんと子育て論。
焦らなくていいんだよ。
真希にそんな風に言って貰えた事は随分と私を楽にした。
恋愛体質な彼女だけど、人にまで気持ちを押し付けず私のペースで心をほぐしていいのだと教えられて嬉しかった。
実の所、私は恋をした事がない自分を後ろめたく思っていたんだ。
中学、高校の時に当たり前のように出る好きな人、彼氏の話題。私はいつだって聞いているだけの側だった。
恋愛の何たるかはこの情報の氾濫時代、ドラマや映画、漫画などで知っている。それなりに恋人の理想像だってうすらぼんやりとはある。それでも生身で覚えた感情がないから具体的に愛を述べられず、私は何処か引け目に感じてしまうんだ。
どうしたら恋とか出来るのだろう。
真希はミソギ君で慣らせなんて冗談ぽく言っていたけど、私は彼をそんな対象にどう足掻いても見られない。そもそも道徳的にどうなのよ、的な。
「君が恋をさせろ」なんて言い出した私がそもそも悪いんだけど、実際行動に起こしてみてもいまいち一緒に暮らしていてそう意識する事もないから全然ビジョンが湧かないんだよね。
ミソギ君に恋する私。
……顔はいいのよね、顔は。
いくら恋はしなくとも顔の好みくらい私だってあるし、好きな芸能人だっている。そんなミーハー心を持ってしてならミソギ君なんて凄いときめきの範囲の美少年なのよ。たまにミソギ君をスーパーの買い物に付き合わせたりして、二人で外に出た時だってミソギ君の容姿が一般的にも人目を引くものだとも知っている。
観察対象としては申し分のない素材なんだけどね。
それでもミソギ君が恋愛対象にならないのは、ひとえに彼の内面にあると思うのだ――……。
「ちょっとミソギ君、何なのかなこの物騒な物は!」
「知らない? 釘バットって言うんだ。バットに釘を打つだけでかくも禍々しくなる今や懐かしい凶器だね」
しれっと答える彼に私はそうじゃないと怒鳴る。問題は何故、それが家の中に持ち込まれているのかって点だ。
「もう! 凶器は家には持ち込まないでって言ってるのにっ」
「殴り倒した相手の気に入った獲物を収集するのが僕の趣味だって言ったでしょ」
「だからそれは実家に納めてって何度もお願いしてるでしょっ」
嘆いて私はソファベッドに立て掛けられている釘バットをチラリと見やる。
ヤンキー漫画系でなら見た事はあるけど、実際に目にするとなかなか戦慄する造形だ。あの釘がエノキ茸なら微笑ましかったのに、とか現実逃避。
――ミソギ君には困った趣味がある。それは倒した相手の使用武器の中で気に入った物なら自分のコレクションにする事だ。
うん、百歩譲って観賞用ならまだいいよ、使う訳でないし。でもさ、それをさも捕らえたネズミを自慢する猫の如く家に持ち込むのは勘弁ね。一介のOLの部屋には露骨に浮いたインテリア過ぎる。
そういえば前回は鎖鎌だったな。ふと遠い目で思い出す。
どうして鎖鎌。ミソギ君は江戸時代に行って宍戸梅軒とでも戦ったのだろうか。明らかにヤクザでも使わない凶器に首を傾げる。
ミソギ君はどうやらよく家業を手伝っているらしいのだけど、その内容は表向きの警備会社とは違うみたいだから何をしているのか怖くて未だに聞けないでいる。取り敢えず今はミソギ君が怪我をしてる様子もないから深く口を挟まずにいるのだけど。
「また鮫島さんに引き取って貰わなくちゃなぁ」
嘆息してケータイから鮫島さん宛てにメールを送る。実は最近、この鮫島さんとはメル友な関係だったりするのだ。話題は九割決まったようなものだけど……。
「――最近、鮫島とのメール増えたよね」
送信から暫く後、仁義なき戦いのテーマ曲の着信音を耳にミソギ君が言う。既にこの曲が鮫島さんテーマとして彼にも定着して久しいのが二人の時間を物語っていて何だか微笑ましい。
「鮫島さん、ホントにミソギ君が大事なのね。いつもミソギ君の事ばかり聞いてくるよ」
教えてあげればミソギ君は露骨に嫌そうな顔をした。照れ隠し。では、ないよね。多分素直な感情だ。年頃の男の子にはありがちな反応。
「それで、スバルは何を答えてるの?」
「普通だよ。今日は何を食べて貰ったとか、怪我はしてませんよ、元気ですよとか、小説は相変わらずミステリーがメインですよ。それから鎖鎌を持ち帰ったとか」
最後は明らかに普通でない内容だけど、まとめれば本当に他愛ない世間話のようなものだ。
「鮫島とのメールってそんなに大事?」
「大事でしょ。ミソギ君を預かる大人としては報連相は必須だよ。ミソギ君の好き嫌いとかも教えてくれたし」
「僕がピーマン嫌いって言っても入れるくせに」
「それはミソギ君が野菜全般嫌いだから。でもミソギ君、好き嫌いが多いだけでアレルギーは特にないらしいから遠慮しない事にしたのよ」
そう言ったら途端にミソギ君は不機嫌面。それでも出された物は残さないからミソギ君は偉いと思う。ある意味で食事を残すのは彼なりの勝負の一つなのかも知れない。
残したら負け。
それが子供っぽい自分ルールだとしても、そういう負けん気は何処か誇り高く見えるんだよね。
「明日はミソギ君の好きな物作ってあげるから、ね?」
「それならステーキ」
値段よりも重量重視の霜降り肉なんて注文に苦笑した。国産じゃなくていいよなんて言い添えてくれたけど言われなくともそのつもりだ。
そのかわり明日は休日だしデザートも付けたコース風にして少し凝ってみようかな、とか、私は明日のレシピを考えながら密かに胸を踊らせていた。
* * *
気付けばミソギ君との同居も一ヶ月。あれから真希にちょくちょくミソギ君との事を聞かれるけど別に特に進展はない。なくてもいいと私は思っている。
帰ったら「おかえり」と言ってくれる人がいて、ご飯をせがまれて、はいはいと答えながらも二人分の料理は一人の時より格別に美味しく感じるし倍増した洗濯物だって一人分よりやり甲斐がある。
気儘な一人暮らしもいいけれど、ミソギ君といる緊張感と安らぎが同居したこの生活も存外悪くない。
私はミソギ君との生活はそんな平穏だけで満足している。ミソギ君だって恋愛絡みの事は望んではないように見えるしね。
詰まる所、私達は今のままで十分足りているという事だ。
海を隔てた遠い故郷を懐かしむ私と、特異な環境育ちのミソギ君。
多分、私達「家庭」に飢えていたんじゃないかと思うんだ。
「――するってぇと、つまりお二人に何の艶めいた進展はなしで?」
「ご期待に添えず申し訳ないですけど、そんな感じです」
翌日、近所のカフェで鮫島さんと例の釘バット引渡しの待ち合わせの際に私はミソギ君との近況を話す。それから私の考えも。
鮫島さんはあからさまに残念そうだけど、期待されても困るってものだ。そもそも一七歳の男の子に二十四の女をあてがう方がおかしいのに。
「それよりもこれ、引き取ってくれますか? 家には置いておけないし、かと言って棄てるのも悪いので」
傍目には分からぬように、ビニール袋でぐるぐるに巻いて紙袋に収めた釘バットを渡し、鮫島さんは若い頃を思い出しますなぁと、軽く怖い過去を口走った。
そうだよね。つい中身の温和さで見た目の怖さを忘れがちになるけど、この人はこの人で十分曰くありそうな方でした。眉間の傷とか色んな伝説を持ってそうだもん。
ふと気付けば私達を囲む席も空席が目立つ。
――鮫島さん、見た目完璧ヤクザだからそりゃあ遠巻きにもなるか。だとしたら私は鮫島さんの何に見えるのかは怖くて考えないようにした。
だけどそんな人よりもミソギ君って強いんだよね。あくまで本人の言い分でしかないけれど釘バット持ちとか鎖鎌持ちとかに勝っちゃうんでしょ。これで総合格闘技なんかに出ちゃったらたちまちスターになるだろうに。
「ところで若は今日は一緒でないんですかい?」
コーヒーを飲む手を休めた鮫島さんが、ふと、気になったみたいに尋ねた。鮫島さんはミソギ君の昔からの世話役だそうだからきっと会いたかったんだろうな。そう思うと私は残念な答えしか出せないのが申し訳なかった。
「ミソギ君は朝から出かけてますよ。ケータイにも出ないから例の仕事かなって思ったんですけど、鮫島さんも行き先知らないんですか?」
「若の行動なんてボスだってしっかり掴んでないですよ。若ぁ興味のある方にすぅぐふらついてしまいますんで。喧嘩に夢中になると一週間くらい平気で連絡も寄越さねぇですから」
「一週間って。誰も怒らないんですか?」
「あの方を叱れる人なんていませんよ」
「だって親御さんがいるでしょう?」
「ボスは若の潰した組織の手土産に喜ぶばかりでして……」
情けねぇですと、鮫島さんが頭を掻く。私も呆れて開いた口が塞がらない。
「若のご実家は……大河の家は特殊でして、強さだけで裏の世界を暗躍した一族なんです。歴史の影に大河有りと密かに謳われる中で、若は大河の血を色濃く継いだ大事なお方なんですよ」
鮫島さんがミソギ君の家がいかに凄いか特別か説明してくれるけど、それは言い訳にしか聞こえない。
「鮫島さん、それでも私、子供が子供として育てられる時間って大事だと思うんです」
いくら立派な家だろうが、ミソギ君が凄かろうがまだ子供の彼をそのまま放任して良い訳がない。
「体は黙ってたって大人になります。でも、大人が力を貸さなきゃ中身は大人になりっこないんです。子供を叱るのは大人の義務ですよ」
言い切って、我ながら生意気だなぁと思う。余所様の家庭に口出す程私は偉くないし、何より子育てすら経験のないたかだか社会人二年目。
子育ての何たるかなんてとやかく言えないけど、最近まで子供だった身としては、社会に出て親の教育の大事さに有り難みは感じるもの。
さすがの鮫島さんも怒るかな。付合いが長いだろう鮫島さんがミソギ君の事をより知っているのは当たり前だ。事情もよく知らない年下の女に生意気に説教されても腹立つだろうに。
怖々と鮫島さんを窺い見る。すると意外にも鮫島さんは細い目を丸くして驚いた顔をしていた。怒気は感じられない。
「ど、どうかしました?」
いくら慣れて来たとは言えこの表情はちょっと怖くて、私は引け腰に聞くと鮫島さんは今度は嬉しそうに口許を押さえた。
「するってぇと、天願さんは若を叱ったりして……?」
「え、まあ、銃刀法違反から好き嫌いとかそう言った点で結構……」
これでも最初は余所様の子という意識があって遠慮したのだけど、さすがに一つ屋根の下に住む以上は目を瞑れない箇所が出て来るから、とか今度は私が言い訳みたくゴニョゴニョと白状すれば鮫島さんは突然腹を抱えて笑い出した。
これには周りのお客だけじゃなく、私もどん引きだ。だって鮫島さんの笑い声、まさに悪役みたいな具合に重低音過ぎなんだもん。
「さ、鮫島さん、どうかしましたか?」
声を上げて笑ったかと思うと今度は顔を沈めて目頭を拭うから私はあたふたと鮫島さんと周りを見る。まるで私が大の大人の男の人を泣かしたみたいで居心地が悪い。
「鮫島さん、大丈夫ですか?」
もう一度呼ぶと彼は清々しい程の顔を上げて、満面の笑みを見せた。
「身内以外にテメェの大事なモンを大事にされると嬉しいものですな」
それは怖面すら払拭する優しいもので、思わずそのギャップにドキッとした。恋愛感情とは違う、念の為。
大事なモンってミソギ君の事かな。
鮫島さんは嬉しそうに笑う。私、そんな大層な事してないのにな。勿論、喜ぶ鮫島さんに水は差せないので黙るけど。
「これからも若をよろしく頼んまさぁ」
そう言ってその後も終始ご機嫌な鮫島さんはわざわざ買い物にまで付き合ってくれ、ミソギ君のご所望のステーキ肉(しかも国産和牛サーロイン)までおごってくれた。
ミソギ君、喜ぶだろうな。
そう思って私は普段の夕食の時間に合わせて支度をしたのだけど――この日、ミソギ君が帰宅する事はなかった。