6.水と油。Misogi side
おかしいとは思ったんだ。
「土曜は大事な用があるから家にいてほしい」なんて、スバルが殊勝な態度で頼むから聞き入れたらこれだ。
誰、この人。
「もしかして君が例の猫?」
人の家に上がるなり僕を見つけて不遜な態度で見下ろすデカイ女。
何、この失礼なの。
咎める意味を込めてスバルを睨むと彼女は苦笑いで「会社の同期で友人」と失礼な女、森屋真希を紹介した。
小煩そう。
それが森屋真希の第一印象だ。化粧は目の回りが睫毛や隈取で黒々と重苦しく、爪は長く派手、きつい香水。髪はバネみたいに巻いて頭頂部に高く上げては整髪剤で固め、見た目にそぐわず触り心地の悪そうなその型は夜の飲み屋で見かけるタイプにとても多い。
見映えも好みではないけど何より僕より高い身長ってのが一番気に食わない。
スバルだって地味ではない方だけど森屋の方が断然自己主張が煩い。局地的に控え目な胸元はスバルとは正反対なのが笑えるけど。
それはともかく、総合的に述べるなら僕は森屋にあまりいい印象は持たなかった訳だ。
「成程。この子があんたが元気な要因か」
僕の嫌悪の顔色が読めなかったのか、森屋は構いなしに僕の顔をジロジロと不躾に見てくる。
「含みがあるように聞こえるけど、別に真希が考えるような事はないんだからね」
さすがにスバルがさり気なく引き剥がしてくれたけど、二人の会話の内容が掴めず僕は首を捻る。
僕を前にして僕に関わる内容そうなのに僕に分からないってのは面白くない。
「スバル、なんなのこの女」
「スバル、なんなのこの少年」
森屋は僕の口真似をするような言い振りをしてニヤリと笑う。
「……スバル、やっぱり僕出かけて来る」
「ダメダメ! 今日は二人を会わせたくての場なんだからミソギ君はいなくちゃダメだって!」
「それに、今出てったら喧嘩してくるでしょ」と、まるでテレビの母親みたいにたしなめると、スバルは僕をソファに座らせる。
「真希もあんまりからかわないでよね」
「だって可愛いんだもーん」
森屋の言種に噛み付きたくなるが、此所で反応するとこの女を調子付かせるみたいで我慢する。そうしたら森屋は拍子抜けと言った顔を見せる。見事に期待を裏切れたのが嬉しいが、隣りではスバルが彼女を小突いていた。
「でさ、マジで誰なのこの子」
「そうだよ。僕らを引き合わせる意味があるの?」
癪だけどこの点においては森屋と同様にスバルに尋ねる。スバルは笑って誤魔化せないと悟ったみたいで、浅はかな目論みをぽつぽつと白状し始めた。
* * *
「貴方馬鹿なの?」
森屋の手土産でお茶を飲みながらスバルの浅はかな名案を聞いて心からそう述べた。スバルは「だって……」と子供みたいに拗ねるけど僕の意見は変わらない。
大体どうして森屋に会ったくらいで僕の何が変化すると思ったのだろう。
確かに彼女はスバルとタイプが違う女性ではあるけど、一般的には美人の部類に入るように思えるけれど、それで僕が鮫島の望む変化を遂げると思っているなら勘違いも甚だしい。
はっきり言って第一印象から僕は彼女を良く思っていない。努力して彼女を褒めるとしたらお土産のケーキが美味しかった事ぐらいだ。
同様に呆れた森屋は苺を突き刺したフォークをスバルに向けて目を丸める。
「あんた、まさか私とこのミソギ少年をお見合いさせるつもりだったの?」
「違うよ! いくらなんでも高校生に社会人女性をそういう意味で紹介する訳ないじゃん」
僕が森屋と見合い……。
頭で言葉を浮かべただけでも身震いした。
勘弁して欲しい。勿論スバルはそれを即座に否定してくれたけど面白くないものは面白くないよね。
自分自身になにも不満も不安もない僕に余計なお節介心を焼くより前にする事は他にあるだろうに。
「貴方、そんな風に変な気を回すよりむしろ一生に一度は恋愛したいなら出来ない自分を気にするべきじゃない? それをどうにかしたくて僕に勝負ふっかけたんでしょ」
「しょ、勝負じゃないけど……」
「でも自分を変えたいのには違いない。間違ってる?」
「それは……そうだけど」
責めるつもりで棘を含めれば語尾を濁してスバルがしゅんとなるのが分かった。同じく森屋もそれに気付いたのだろう。彼女はスバルの背中をおもむろに、些か乱暴に叩く。
「少年の言う通りっ!」
「あがっ! ぬーやが!」
突然の衝撃に目を白黒させたスバルが咄嗟の無意識かお国言葉を零して森屋を見やる。するとすかさず森屋はスバルを抱擁して今度は叩いた背中を優しく撫で始めた。
「私、あんたが恋愛経験ないなんて初めて知ったよ。草薙に追い込まれて焦ったにしてもさ、少年の言う通りがあんたの意思ならまずは自分の心からほぐすべきだと思うよ?」
「ほぐす?」
反芻するスバルに森屋はそうと言って笑う。
「あんた、きっと身構え過ぎなのよ。恋なんてしようと思ってするもんでないけど、此処にいる朴念仁辺りで慣らすのは手頃でいいんじゃない? まずは互いに恋愛未経験同士でリハビリでもすりゃあいいじゃん。そしたらいずれは外の男も素敵だと自然に思える日が来るって」
「朴念仁……」
チラリとスバルがこちらを見て苦笑いする。
ところで森屋、朴念仁って誰の事?
スバルを慰めてるみたいだから口を挟まないけど、それを言い事に口の減らない彼女は更に僕を横目に悪し様に「まあコブがついてちゃ他の男の選択肢は暫くないだろうけどね」と加えた。スバルは複雑そうに笑う。
ねぇ、コブって誰の事だい森屋。
怒って口に出したいところだけど、森屋の腕の中でスバルが啜り泣き始めてしまうから僕は何も言わずに大人しく我慢した。
こういう光景を友情というなら、水を差すのが野暮な事くらいは僕でも分かるから。
それから満足行くまで泣いてスバルの気持が落ち着いた頃、森屋が「何だか飲みたくなって来た」と急にのたまい始めた。彼女が指す飲物がアルコールだとニュアンスで伝わったスバルは最初こそは一応の形として「昼間から?」と遠慮を見せたけど、かく言う彼女だってお酒好きなのを知っているから本気で断る筈なかった。けれど生憎冷蔵庫には買い置きを切らしていたのでスバルはビールとつまみなる物を買いに近所のスーパーへ行ってしまう。そして――
そして、部屋には僕と森屋の二人が残されたのだった。
最初から気遣うつもりは毛頭ないのだけど、彼女と二人というのはどうにも落ち着かない。かと言って沈黙を埋めるように何かを話す必要性もないと思い、僕は読み掛けの小説を開いて森屋を尻目にそれを読む。彼女もスバルの持つファッション誌を捲っていて僕など気にも止めない。
ただそれでもお互いにぎこちない時間だけが過ぎる。
五分が一時間にも感じ、スバルが早く帰って来ないかと願う。集中できないから小説の方も終盤なのに読み進まない。終いにはどうして僕が借りてきた猫のように取り繕わなきゃいけないんだと苛々しだすと、ふと吹き出す音が聞こえた。発したのはほかならない森屋だ。
「お母さんに置いてかれた子供みたい。そんなにスバルがいないと不安?」
「――馬鹿にしてるの?」
誰が子供なんだと森屋を睨めば彼女は怯まずに唇に描いた弧を崩さない。
「正直、あんた達の関係って変だって思うのよね。こんなのスバルが嫌だとごねれば普通解消でしょ? それを君が強引に押し切ってるのには何か理由があるのかなって思うのよ、お姉さんは」
「何かって?」
尋ねたら馬鹿を見る。
絶対ろくな答えなんてない。そんなの容易に想像が付くのに、それでも僕は尋ねてしまう。
「少年、スバルの事が好きなんでしょ」
ほら見た事か。
森屋は自信たっぷりに言い、僕は馬鹿馬鹿しいと鼻で笑って再び小説の方に視線を落とす。しかし余計に文字が頭に入らなくなったのはなんでだ。
僕がスバルを好き?
それは僕が彼女に恋してるという意味ならありえない。
僕は彼女を恋に落とすのが目的であって、僕が落ちる訳には行かないのだ。だって僕の方が落ちたらそれは負けを意味するでしょう?
スバルの事は気に入っている。でなきゃ一緒に暮らしたりしない。
だけどそれが恋である必要はない。
「ねぇ、スバルとの生活ってどんなもの? ご飯は? あの子最近持ち弁なんだけどあんたに作ってるんでしょ?」
煩い。さっきの質問にだって答えなかったのにまだ聞いてくるなんて想像以上に図太いね、森屋。
「あの子の料理美味しい?」
「……普通の家庭料理並の美味しさだよ。ちょっと離れてよ」
聞きながら森屋がだんだん詰め寄って来たので、僕は突き放す意味を込めて答える。
しかしそれがまずかった。
「何作るの? 最近、あの子肌艶いいんだけど、マジで食生活効果? 少年は何が好き? もしかして胃袋掴まれちゃった系? やっぱ男の中では料理出来る家庭的な女の理想って根強いのねぇ」
調子に乗った森屋の怒濤の口撃にさすがの僕もたじろぐ。機関銃みたいによく動く口。言ってる事の大半は右から左に抜けて頭に入らない。入れる必要もない。
「やっぱゴーヤーって体にいいの? てゆーかゴーヤーチャンプルーとか食べた?」
「煩いよ森屋真希」
殴って黙らせたらダメなんでしょ。仮にもスバルの友人に手は出せないし。
スバル……いい加減帰って来て。
止まらない森屋の質問に部屋を出たくなるけど厚かましい彼女の事だ。いない間に今度はそこにある僕の私物を漁るかも知れない。
――この女を残した事を恨むよ、スバル。
その後、この借りはどうやって返させようか。僕は意識を森屋から外す為にそればかりに集中していた。
何しろこの借りは大きい。スバルが苦労しなきゃ意味がない。一体何にしよう。国産和牛だけを使ったハンバーグ? 貧乏性な彼女には精神的に痛手だろう。だけど彼女の料理は大味で繊細さに欠けるから、逆に食材が勿体ないかも知れない。それでも味は不思議と美味しいから悪い案ではないけど。
それより僕の組み手に突き合わせるのはどうだろう。――却下だ。きっと弱過ぎて相手にならず僕の消化不良に終わる。何かいい手はないものだろうか。
僕はこの場を設けたスバルへの逆襲にとあれこれ案を考えた。隣りではまだ森屋が話していたけど、だんだんそれも気にならなくなる。
聞き流していたらその内に森屋も大人しくなり、飲み掛けのコーヒーをちびちび片付け出した。これでやっと静かになる。
少ししたらスバルも買い物から帰って来て森屋のターゲットが別に移ったので、その後の僕はただ彼女らのかしましい会話をBGMに一人本を読むだけ。
取り敢えずはスバルが買って来たビールはこっそり全て振って台無しにしておいた。
今日、僕に森屋を関わらせた罰としてね。
だけどおかげで一つ分かった事がある。同じ女性でも森屋より断然スバルのがマシって事。そう言った意味では、森屋の言う通りではないけれどスバルは特別なのだろう。
それが森屋との出会いで得た僕の収獲。結果だけならスバルの目論見通りだ。
けれど本当の収穫に、その時の僕は森屋の言葉で僕の中で生まれそうな何かにはまだ気付かないふりをしていたんだ――……。