5.名案か明暗。
「ねぇ、あんた最近肌艶いいじゃん? 化粧品替えた?」
「や、替えてないけど」
平日の昼休み、オフィスビル内のテナントカフェで食後の紅茶を受け取って席に着いたのを見計らったように突然同僚の真希が私の頬をつついてニヤニヤと笑った。
「彼氏でも出来た? 私生活が潤ってる証拠だろ。ん? 白状してご覧なさい」
「彼氏とかいないってば。食生活変えたからでしょ、多分」
まだほっぺを突っつく真希の手を払い、私は熱さに気をつけてチルドカップの紅茶を渋い顔でズズズと啜る。
実は最近、この同期の桜である友人の真希の詮索が煩い。
というのも、とうとう草薙君が私の事をすっぱり諦めたという話を何処からか聞き付けた彼女が、何事もなかったかのように平然としている私を怪しく思ったのが事の起こり。(草薙君というのは最初に私をフった同期の彼である)
まず、当事者の私が草薙君の気持ちをつい最近知ったのに、それは私以外の羞恥の事実になっているのにも驚きだが、実際は私が草薙君と付き合っていた訳じゃないのは友人である真希は知っているのに『異性として見てなくとも、大切な友人を一人失っておいて凹んでいないのは明らかにおかしい』という理由から、浮上させる出来事が私の身辺に起きていると睨む観察眼が怖い。且つその浮上原因を究明したいらしい。こういうよく言えばお節介過ぎる、悪く言えば野次馬根性な部分を覗けば真希もいい友人なんだけどなぁ。
一息ついて私はまたプラスチックのカップに口を付ける。口を自由にしているとたちまち真希の質問攻めに合うからその対策だ。
「食生活ってどんな心境の変化ぁ? そういや最近付き合いも悪いじゃない」
無駄か。口を塞ごうがお構いなしか。
「……ちょっと猫を飼い始めただけよ。ごめん、メールが入ったからケータイ出すね」
適当に真希をあしらってケータイを取り出す。メールが入ったのは本当だ。液晶には最近登録したばかりのミソギ君の名前が表示されている。
『生姜焼き』
中を開けば簡素な一言。どうやら彼は今夜は生姜焼きをご所望らしい。
やれやれと「承知しました」とだけ返信して、真希にトイレを理由に席を離れた。
しかし真希の推理は恐ろしい。OLやめて探偵かパパラッチを天職にしたらどうだろうか。
「――でも確かに化粧の乗りは良くなったよねぇ」
ゴチて化粧室の鏡の自分を覗くと、少し前より血色が増した私が映る。
これに貢献してくれたのは勿論メールの相手、ミソギ君だ。
ちょっとしたきっかけを元にミソギ君との同居生活も早二週間。意外に順調に続いてる現状に密かに驚いている。
初めは破天荒なミソギ君にすぐに付いていけなくなって早々にダメになるかと思っていたのに、案外上手く行くものだ。何より、人様のお子を預かるってんで以前よりきっちりと料理をする事で私のお肌に改善が見られるのは意外な付加価値だったりする。
かと言って正直に高校生の男の子と同居してますって言えないから真希からの詮索にも困っている訳だけど、別にミソギ君といる事で悪い事ってあまりないんだよね。
きっとミソギ君と出会わなかったら私はまだ草薙君との事は落ち込んでいただろう。それはもう自分の鈍さと無神経さへの自己嫌悪とか、色々な物に押し潰されて。とすれば真希の指摘はとても私のことをよく理解しているとなる。
草薙君に申し訳ないという気持は勿論ある。あの日から彼の方に元気がないみたいだから見掛ける度に凄く気まずくなるのだけど、私はミソギ君との生活の慌ただしさにかまけてなんとかなってる。
育ち盛りの男の子の分の朝と夜に、昼の弁当、それから増えた洗濯物。……ま、たまーに謎の血痕がシャツに付着してるのは見ないふりだ。
ミソギ君との生活が意外に充実感があるものだから、やっぱり私は彼に救われているのだろう。ミソギ君が異性を感じさせない変な子だから気楽というのもある。
それでも問題はあるんだけどね。ミソギ君が恋愛感情が欠落した私に恋をさせるという勝負に挑んでいる問題とか。
でもね、私の恋愛事情もアレだけど、ミソギ君の思考回路もどうかと思うのよね。喧嘩好きが過ぎて人に恋をさせるのも勝負の一つに捉えるって絶対変だ。
そもそもミソギ君は恋愛が何たるかを知ってるのだろうか。彼は私と同居すると言っても特に何か特別なアプローチをするでもなく普通に朝ご飯食べて、(多分)学校に行って、私より先に帰宅するかでなければちょっと寄り道して私より後に帰って来て夕食食べて余暇は本を読むとかいった実にまったりとした日常しかない。(外では殺伐している可能性がございますが)
私はその方が身の安全も感じてむしろそのままで構わないのだけど、何となくあの子の将来は不安になる。あまりにもマイペース過ぎるのだ。鮫島さんが藁にも縋る思いで環境の変化による刺激を期待して私に託すのも分かる気がした。
ミソギ君、喧嘩や勝負事以外に興味のあるものとかないのだろうか。
結局何も変化のない状態で私には何が出来るのだろう。預かった以上、ちょっとは彼の刺激になる事をした方がいいだろうか。
「……でも刺激ってもなぁ。それはおいおい考える事にしようか」
トイレで悩む問題でもないしね。
私は口紅を塗り直して化粧室を出る。待ちくたびれた真希は既にコーヒーを飲み干していて、お昼休憩も終わりの頃だったから二人で駆けるように店を出たら私は総務、真希は受付へと戻っていった。
どうやら今日は真希の追及を有耶無耶にして逃れられたみたいだ。
ほっとしたけどいずれは真希にも本当の事を話せたらいいなと思う。お節介だったり野次馬だったりするけど、私の状態に気付いてくれる辺り彼女なりに気遣っていてくれるから。
それにやっぱり真希は良い友達だから。
「意外に真希に会わせたら何か変化が起きるかも知れないなぁ」
業務中にも関わらず物思いに耽っていたらふと、閃きじみた考えが脳裏を過ぎった。
真希も真希で物怖じしない正確だ。良い意味での図々しさやふてぶてしさがあるからミソギ君のいい刺激にはなると思うんだよね。
――いっそ会わせてしまった方がいいんじゃないだろうか。今後の真希への言い訳をどうしようか頭を痛める必要がなくなるし。
真希、美少年とか顔の良い子好きだし。ミソギ君にも良い起爆剤料にもなるかもしれない。
「うん、いいかもしんない」
名案が浮かんだと言わんばかりに私は午後の仕事に鼻歌混じりで精を出す。早ければ週末にでも対面させようかなんて計画も立てる私は正直浮かれていた。
だからだろう。その日の帰りに寄ったスーパーで大根が珍しく安かったのと、鮮魚コーナーで値引きが始まっていたのでついうっかり夕飯をブリ大根にしてしまうのは。それで今夜は生姜焼きを待っていたミソギ君に睨まれ、お詫び代わり私の夜デザートのハーゲンが取られたのはまた別の話。