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2.恋は接近戦。

 


 夢の中での私は子供みたいに声を上げて泣いていた。

 それは想像以上に胸のスッとする光景だった。

 目覚めて私は見慣れた時計を目にする。ベッドサイドに置いてある、玉子型の目覚まし時計だ。時間はまだ朝の七時にもならない。カーテンから漏れる光加減からして夕方って事はないだろう。

 私、ちゃんと自分で家に帰ったんだぁとむくりと体を起こしてうなじをくすぐる襟足を撫で上げながら大きく伸びをした。

 服は昨日と変わらないままなのでよれてだらしなくはあるけど、あの気持的にぐだぐだな状態で家に帰れただけで褒めたものでしょ。

 それにしても、はて。

 自画自賛しながら何か大事な事を忘れてる気がするなぁと引っ掛かりを探りつつ、私は寝室のドアをガラリと引いて隣のダイニングに出る。


「おはよう、スバル。今日は洗濯日和になるって天気予報で言ってたよ」

「……ありえん」


 まず目に飛び込んだ人物を見て思わず訛り丸出しで言ってしまった。

 我が物顔でテレビを視聴しながら、ソファーを背もたれにラグの上で片足を立てて寛いでいる学生服の姿の男の子。


 ――夢だ。すぐさま頬を抓るけど残念な事に痛い。念を入れて繰り返したがやはり痛い。無駄に痛い。


 いやいやいや。それにしてもどうして! ありえない事この上ない!

 だってそうでしょう!?

 この子、昨日の怖い子じゃん! チンピラ引き摺る木刀少年!

 何で私の部屋にいる!?

 何で私の名前を知ってて、あまつ呼び捨てにしてくれちゃってんの!?

 それでもって何で忙しい朝のストック用の私のクリーム玄米ブランを食べてるのさっ!


「なに?」

 木刀少年が私の恨みがましい視線に気付いて尋ねてくれたので、私は指差して言う。

「それ、私の……」

「ああこれの事。冷蔵庫に缶ビールとキムチと栄養剤しかなかったからいただいたよ。なかなか美味しいよね」

「いや、だからって……」


 食べる事ないじゃない。せっかくドラッグストアで一個百円の安売りだった物をまとめ買いして大事に食べていたのに。しかも最後のストックのブルーベリー味。

 少年の胃袋に収まる最後の一口を見て、私は空腹のお腹を撫でた。

 お腹空いた。キムチは空きっ腹には嫌だな。

 ――って、そうじゃない。ブランよりも言うべき事があるでしょ私。


「そ、それよりも君、何で私の家にいんのよっ。不法侵入罪よ!」


 言ってやった。大人としてビシッと指差して注意してやった!

 昨今では子供を叱る事の出来ない大人が問題視されてるけどやりゃあ案外出来るものね。

 内心、テーブルに立て掛けている木刀を見つけてヒヤッとしたけど朝の時間帯って事もあり、いざとなれば大きく騒いで近所に助けを求めながら寝室に逃げ込んで鍵かけてケータイから通報すれば少年くらいどうにかなると思った分、強く出れた。この場合、他力本願推奨です。

 そんな私の強気な態度が利いたのか、少年はしゅんと肩を落とす。


「分かってくれた? それならほら、今なら何事もなく許すし、始発はとっくに出てるから君も家に……」

「――君じゃないよ、禊」

「はい?」


「帰んなさい」と言い掛けた私の言葉を遮り、唇をすぼめて少しいじけた少年が私を睨み付けた。


「ミソギだってば。昨晩名乗ったのに、結局、酔っ払い相手には無駄だったんだね」


「誰が家まで運んだと思ってんだか」と木刀少年改めミソギ君は私に向けて呆れた物言いをすると、腰を上げて冷蔵庫の中から牛乳を取り出した――が、賞味期限切れを確認するなり流し台に捨てやがった。切れたってまだ飲めるのに!

 更にミソギ君は私の勿体ない視線を流れるような仕草で無視して、これまた箱買いでストックしていたチオビタを一気に飲み干した。そして寝室の入口に立つ私の手前に配置してあるソファーに優雅に長い足を組んで腰掛けると、見上げるようにこちらに首を傾けて思わずドキッとする視線を投げ付ける。


「被害者面してるところ悪いけど、家まで招いたのはスバルの方だってまだ思い出せないの? 人にあんな啖呵切っておぶらせて足に使ったくせに無責任に放り出すんだ」

「え、えーと……」


 覚えてませんとは言ってはダメな空気かな、これ。

 正直、記憶にございませんな感じなのだけど思い出さなきゃいけない雰囲気に私は必死に記憶の糸を手繰る。

 これでもお酒は強い方だと自負してるんだけどな。二日酔いはないし、酔い潰れて大失態なんてのもない。酔えばテンションが上がって気が大きくなるのを省けば酒癖は良いし、優良な酔っ払いだと思っている。

 なんとか断片的な記憶を繋げばあの衝撃的場面に居合わせた後、確かになんだかんだの流れがあった気はする。

 なんとなく温かい背中を覚えてる……けど。


「送ってくれたのは有り難いけど、好きな時に帰ってくれても良かったのに……」


 むしろ帰っとけ。

 そんな気持を込めてミソギ君に言ってみるが彼はまた子猫のような目を丸め、口をへの字に曲げた。


「やっぱり忘れてる。昨晩、一緒に住んでいいってスバルが言ったのに」

「は?」

「反故するの?」

「ちょ、ちょっと待ってよ!」


 責めるミソギ君の目にたじろぎながらも私は冷静になろうと頭を抱えてその場に屈む。そして更に必死になってもっと深くの記憶を手繰り寄せ始めた。

 いくら酔っ払っても未成年を部屋に招いて手篭めにするなんて理性までは欠如はしていなかった筈だ。

 思い出せ! チンピラを引き摺り、木刀を掲げたあの衝撃的シーンのその後を――……。


「――何人?」


 まるで協力してくれるようにミソギ君が呟いた言葉に、私ははっと靄の中で触れた何かに手を伸ばす。

 そうだ。

 ミソギ君はあの時私にそう言ったんだ。



 * * *


『‘あぎじぇ’って何語? 中国? 貴方、外国人労働者なの? だとしたら遠い国までご苦労様。あ、僕の事は気にしないで、貴方に危害を加える気もないし』


 余程私が彼を訝る視線でも送っていたのだろう。素っ気なくそれだけを少し早口で捲し立てると、ミソギ君はまたチンピラを引き摺って闇の奥へと進んで行く。

 今思えば私はその時ただ狐か狸に化かされたように呆気に取られて見送れば良かったのだろう。

 ――が、気が大きくなり、しかも変に荒れていた酔っ払いの私は余程のフラー……大馬鹿者だったらしい。


『たーが中国人か! うちなーんちゅがパスポート持って内地に行く時代は三十年以上も前に終わってるばーよっ』


 思い出して今頃顔から火が吹き出しそうになった。

 だーる!

 そうだった! そうでした! 私はそこで大声で怒鳴りながら折れたヒールをミソギ君の後頭部目掛けて投げたんだ。


 あぎじゃびよい!


 ブラックジャックの自称ラマンのピノコ風で言うならあっちょんぶりけ!

 人の背後を狙うなんて外道の極みを私ってばなんてこと。

 しかしそんな悪の所業を意にも介さないミソギ君はその上の反応を見せた。振り向きもせずに私の投げたヒールを容易く避けたのだ。

 ヒールはミソギ君よりも数メートル先でカツンと一度跳ねてから転がり落ちた。それと同時にミソギ君はくるりと振り向いたんだ。

 闇の中でギラリと更に深い闇色の瞳を光らせて。


『なに。貴方、僕にケンカ売ってるの?』


 思い出すだけでも背筋も凍る程の低い声音だった。

 しかし念を押すようだけどその時の私は酔っ払い。理不尽も正当化にし体裁へったくれもなくどうでも良かった。

 気持のまま暴れたかったんだ。

 だから見知らぬ少年に喧嘩売り、随分お門違いな罵倒を浴びせ、醜態を晒したと思う。

 言った内容まではさすがに思い出せない。

 ただ、文句を垂れながら気付いたら私は泣いていて、出来ないと思っていた子供みたいな大声を上げて泣き喚いて、ぼろぼろに泣いて、化粧も崩れて鼻水も出してしまうぐらいに泣いて泣いて泣いて。

 泣いて泣き疲れて声も枯れ枯れになって、ようやく何かに縋るように吐き出したんだ。


『あんた、私に恋をさせられないの?』


 血迷う。

 こういう時に使うんだね。

 よりによって私は明らかに年下の男の子に向かって、自分に恋をさせろとせがんだのだ。

 しかもまるで喧嘩を売るような口調で。

 それをミソギ君は挑戦とでも受けたのだろうか。

 彼は不敵に笑って私に要求をしたのだ。



 * * *


「恋をしたいなら僕を住まわせて。僕、接近戦が好きなんだ」


 ミソギ君は昨晩の言葉をそのまま繰り返してほくそ笑む。


「――……」


 昨晩の記憶の蓋を開けた私はそりゃもう背中に冷や汗をだらだらにかいて、こちらを眺めるミソギ君を見た。

 昨晩は暗くてよく分からなかったけど、三白眼に近いつり上がったアーモンド型の猫目はキラキラと綺麗に輝く。どこか涼やかな印象は一重に近い奥二重の所為だろうか。

 さらさらで癖のない髪が長い睫毛にかかってて、すっとした鼻筋は神経質を思わせるように少し細い。

 何処か中性的な面立ちで、今時のアイドルみたいな雰囲気にならないのは見た目にそぐわない場面を見てしまったからだろうか。

 ゾッとする秀麗さは失礼だけど妖怪を連想させる。公家顔だから?

 でもこの綺麗な顔を見てドキドキする感情は絶対に甘いものではない。


「思い出せたよね?」


 見た目より意外に低い、けれど澄んで通るからそうは感じさせない声で尋ねる。

 思い出したって分かっていて聞いてるでしょ。

 声音で伝わる。

 分かっていて敢えて聞く彼のS性に、私は改めて虎を招いた事を後悔するんだ。


「……酔っ払いの戯言、じゃダメかな?」


 駄目元だと分かりながらも万が一の希望を込めて聞く。

 無論にっこりと笑みを崩さないミソギ君の顔は明確に答えを述べていた。


 

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