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15.爆ぜる。

 

「うちの子を誑かすな」


 とでも言われるのだろうか。

 内心そう考えて、キツいお言葉も覚悟の上でカウンター席に肩を並べ、少し背の高い彼女に合わせて目線を上げる。決して誑かしてもなければ、冷静に考えれば親御さん了承の元で今までが成り立っていた筈だからその謂われもおかしいのだと気付いただろうけど、そんなに落ち着いていられない。

 一企業の代表だからか、主人然とした自信から来る気迫のようなものを前に圧倒され、ミソギ君そっくりの涼しげな瞳は何を考えているのか感情が読み取り辛いし探られてもいるようで緊張させられてしまう。

 草薙君から逃げる口実で選んだ面談だけど、これはこれで居心地悪いなぁと手持ち無沙汰に膝の上で指を組んだ。


「緊張しないでいい。今日は顔を見に来ただけだからね」

「はあ……」


 でもこうして預かっている子の母親と顔を合わせれば話すべき内容はもっとあるんじゃないのだろうか。

 特殊な経緯があったにせよ、息子を預かる赤の他人を前に話したい事はあるだろうに。その息子さん、未成年だし。


「釈然としない顔だね。息子の事を気にしない私は母親失格だって?」

「いえ、そんな風には……」

「まあ、母親らしい事なんてほぼ出産くらいなもんだからね。普通な親子関係じゃないから批判もまあ多いがね」


 あっけらかんと誰を責めるでもなく自嘲するでもなく淡々と雪さんは言う。


「大体うちの母親役は鮫島がやってくれてんだから、二人も母親はいらんだろう。私は母親に子守りを任せる昔気質の父親役でいいだろ。なあ?」

「同意を求められても……あの、失礼ですがお父様は……」

「私の旦那かい? ツレはいないんだよ。ミソギが生まれて物心つく前に病気でぽっくりな」

「すみません」


 いいよと大河さんは笑い、もうずっと昔だからと少しだけ声を落とした気がした。

 ミソギ君とよく似た横顔だけど違うなって思えるのは男女の差ではなく、きっと恋を知る顔だからなのかも知れない。

 恋のなんたるかを知りもしないのに言えた口じゃないけど、大河さんの表情が和らいだように見えるから。

 愛情に欠けて育った訳ではないようだと少し安心した……なんて余計なお世話だろう。


「それよかあんたの話だよ昴さん!」


 自身で脱線に気付いたか、仕切り直しのように指先でテーブルを叩く。爪がぶつかり、高い音が響いた。身なりは女性らしいのに短く整えられた爪は、それでも濃く陰った赤いマニキュアが塗られている。

 ――短いのは握り拳の邪魔にならない為だろう。よく見れば拳には殴りだこなるものもある。マニキュア意外はミソギ君とそっくりな手だ。

 殴りだこなんて空手の有段者でもなかなか出来ないと聞くのに、ミソギ君の親とは伊達じゃないなぁなんてしみじみとしてしまった。


「……鮫島から報告は受けてはいたが、確かにそこらの女より物好きだよね昴さんは」


 ぽつりと零した言葉に私は目を瞬かせた。


「物好き、ですか?」


 鮫島さん、どんな報告をしているのか今度窺いたいな。

 あんまりな評価が内心面白くないけど、此処で話題をぶった切っては昼休みの時間が足りないし当の大河さんも話を続ける。


「自覚ないかい。愚息をなんだかんだで受け入れるのも抗争に巻き込まれ乱闘に巻き込まれても続けるし、私の手、人を殴る手だと知っていて興味深く見てる所なんか変わった女さ、十分」


 しっかり視線を読まれてた。


「ぶっちゃけ、子供なんて放って置いても育つ。構い過ぎないのがうちの方針でね、私の関心は目下あんたに向けられてるんだよ。昴さん」

「それは、ええと……そんな大層なものじゃないですがね」


 物好きなんて言われたら確かに恋愛云々を最初に持ち込んだのは私だけど、同居はミソギ君が持ち出した話であって――ああでも、ごり押しでも受け入れたら結果的には物好きにも見えるのか。

 大河さんは獲物を見るような目で私を見つめるけど、それはどんな獲物として捕らえているのか深くは考えたくなかった。

 賑やかな食堂も、まるで人払いがされているかのようにカウンター席の周りに誰も寄り付かない。

 私が草薙君から無責任に逃げたツケが彼女との対話にあるようで、じわじわと具合が悪くなる。

 食堂の壁とカウンターテーブルの清潔な白に添えられたビビッドカラーの赤いチェアが鮮血のように見えた。

 ますます嫌な予感。こういう予感ほど的中率はいやに高い。


「うちのこ、しっかり恋愛対象になってる? なる訳ないって?」

「そんな事は……いえ、正直、仰る通りではありますけどね」


 一瞬、社交的に否定しかけたけど此処でのソレは余計に話がこじれるので正直に答える。人間、正直が大事です。


「うちの子、親馬鹿じゃないが私に似てるから顔はいいんだが、駄目か」

「顔じゃないですよ」


 仰る通りだけどそれを自分で言う辺り自信家な所は親子だな。


「ミソギ君の何が悪い訳ではありませんよ。単純に私と彼の立場がそう意識させない位置にあるんです」

「年齢かい?」

「まずはそうですね。弟よりも年下ですよ、彼。それも高校生なんて有り得ないでしょ」

「高校生なんかあと数年じゃないか。大人になれば年の差なんて小さいもんだし男の方が平均寿命は短いんだ。老後を考えるなら年下が断然いい。その点で私は残念だったがな。長い目で考えてみろ。自慢じゃないが嫁に入るにもいい家だ」

「……どうして私なんですか」

「あいつが懐いてるからだよ。他に理由がいる?」

「理由になりません。それなら恋人でなくとも家政婦でも友人でも構わないじゃないですか」


 想像しなかった訳じゃないけど、予想通りな内容に辟易としながらも蔑ろにし辛い相手にあしらい方も困る。こんな時に限って真希もなかなか現れない。大方受付で何か困ったのに引っ掛かっているのだろう。たまにそんなのがあっては昼休みがズレる時が前触れもなくあるんだ。だとしたら何で今日に限って、である。


「恋愛云々の話題、今日はタイミングが悪かったかね。さっきの彼、件のきっかけの相手なんだろ」

「……そこまで聞いてるんですね」

「経緯くらいは押さえてるさ。放任だけど放置はしてないから」


 ミソギ君経由で鮫島さんにも伝わっている話だから別に驚きはしない。ただ、どうにも自分自身がみっともなく感じる。

 要約してしまえば、フられて酔っ払って未成年に絡んで因縁をつけたんだから。


「お恥ずかしい話です」

「いやいや。生きてりゃ荒れる日くらいあるさ。ただね、昴さんは自分が‘男性恐怖症’だなんて疑った事はないの?」

「――は?」


 おかしな事を言う。

 有り得ないという顔を見せれば大河さんは、否定されてムキになるでも驚くでもなく、そりゃそうだと笑う。


「世の中半分は男だ、いちいち怯えてりゃさぞ生きにくいだろうよ」


 当然の事を言って一人だけ愉快に喉の奥で笑うと、大河さんは質の良さげな女性にしては厳ついフォルムの腕時計を確認して椅子を後ろに引いた。


「時間だね。無駄話ばかりさせてすまなかった。昼飯食べる時間くらいはあるだろ?」


 ちらりと送る視線が私の手元のランチボックスにあったので頷く。

 大河さんは完全に椅子から腰を浮かすと、細いヒールを高らかに打ち鳴らして「社長によろしく」と私の肩を叩きながら到底一介のOLが言伝て出来ない一言を残して颯爽と去って行った。

 振り返れば風のようにあっさりと通り抜けたような人だった。


「結局何が話したかったのかな」


 ミソギ君との見合いを進めるようであり、話にまとまりがあるようでないような後味の印象が残る。

 顔を見に来ただけって言ってたっけ。

 本当にただ顔を見に来た‘だけ’でついでだから近くで反応を窺った‘だけ’なのかも知れない。

 今日はじめて会ったよく知りもしない人なのにそんな想像に説得力がある気がした。「それだけ」の事でも普通を普通と考えずに実行しそうな匂いは感じる。ミソギ君のお母さんだし。

 対話なんてほんの十分程度。弁当を食べる時間くらい残ってはいたけど食欲なんて湧かなかった。

 実にならない話。もう過去に何度か鮫島さんに答えた言葉を繰り返させて何を確認したかったのか。

 何かが胸につっかえているようでどうにも後味がすっきりしない終わりは終業後もしこりを残したままだった。


 ――きっと彼女は私には見えない時限装置でも取り付けたのだろう。でなければこの状況は説明がつかない。


 何かの暗示がかけられ、

 何かをきっかけに発動し、

 何ともなかったものが突然変化してしまう。

 私の心とか感情とか。


 足元に散乱した泡と陶器の破片。


 尻餅をついた私と、その様子に呆けて見下ろしているミソギ君。


 私は今し方自分が発してしまった言葉に驚いている。


 ミソギ君は……ミソギ君も言われた言葉に絶句しているのかも知れない。


 だって考えもしなかった。


 私達は今まで普通に接して来たからこんな風になるなんて思いもしない。


 どうして急に。


 劇的な変化なんて覚えもないのだから、原因は大河さんしかないじゃない。


 昼間あの人が私に暗示のようなものをかけて、何かを引き金に爆発させたに違いない。


 なんて酷い。


 ああ――違う。そうじゃない。酷いのは私だ。


 私こそ酷い。


 そうだろう。今、目の前にいる年下の男の子は分かりにくいけれど傷ついた顔をしている。無論、傷つけたのはこの私だ。


 誤解だ。違うのだと言えたらどんなにいいだろう。なのに言葉が上手く出て来ない。


 慰めたいのに言葉が出ない。体が動かない。


 どうして私は心配してくれた彼の手を振り払ってしまったのだろう。


 なんて心ない言葉を吐き出したのか。


 何故今頃になってミソギ君の事が怖いと感じて震えてしまっているのだろう――……。


 

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