13.そして僕は貴方に思いを馳せる。Misogi side
「――そう、やっぱり妹尾会がけしかけた騒動だったんだね。――ん、分かった。後は任せる。残りは報告書で確認するから。――ああ、頼む」
鮫島の電話での報告を終え、僕は放ったままのコーヒーに口を付ける。冷めてて不味かった。
鮫島はどうでもいい事に話が長過ぎるんだよ。と、カップの口を指先ではじいてごちる。
結局あの輩が、妹尾会という暴力団が僕を手っ取り早く消そうと甘言で雇ったチーマーだとかどうでもいい事だ。おかげで妹尾会の尻尾捕まえて一網打尽に出来るとかもどうだっていい。今はそんな火種に興味がないのだから。
「不味くて飲めやしない」
仕方なくレンジで温め直そうと立ち上がり、ふと閉じられた部屋の方に目をやる。
扉一枚、薄い壁一枚隔てた先で彼女は寝息を立てているだろう。起きた気配は感じないから。
――レンジの音で起きないよね。
たまに独特な電子音は耳触りな時があるから、あれで不快な目覚めにならなければいいと願う。
次に目覚めた時はまたいつもの彼女でいられるようにと。
“あの時”の彼女は異常だったから。
逆に見事だったと褒めてやるべきだろうか。
僕だってあの人質状態からスバルが自力でどうにかするとは思わなかった。人質を取られてた状況は苦手だけど、全く乗り切る手立てがなかった訳でもないのでまさか彼女だけで解決するなんて予想外過ぎて正直驚いている。
手段自体は極めてシンプルではあったんだ。
踵の鋭角で力一杯相手の爪先を踏んづけ、怯んだ所で後頭部を振りかぶって顔面への頭突き。
一般的な護身としては教科書通りの反撃だ。ただ、知識としては頭にあっても、実際の窮地でその通りに行動に移すのは素人には困難のようで――鮫島曰わく、常人がそれを行う場合、冷静を保つか若しくは反復して体に覚えさせる必要と、相手を傷つける躊躇を取り払う必要があるらしい。
弱い人ってのはそれすら難しいのが僕には理解不能だ。
だからこそ鮫島はスバルが自力で男一人を倒した話に大層喜んだのだろう。
『そんな危機的状況で尚立ち向かう気丈さは大河に相応しい気質だ』とかなんとか言っちゃって。
あいつは何も知らない。見ていないから分からないんだ。
彼女は、スバルは気丈だった訳じゃない。むしろキレていたと言うべきだ。
爪先と顔面の強打。普通はそれで相手が怯んだ隙に逃げるのが常套だろう。けれどスバルはそれだけではすまなかった。持っていた鞄を遠心力に任せて相手の側頭部に打ち付け、男が地に足を折らせたところで更に上から蹴りつける。いや、踏みつけるが正しいのか。
何度も何度も虫を踏み潰すように何度も何度も何度も何度も。
その時の彼女は正常とは言い切れなかった。声にならない声で泣き喚き、気が触れたとしか言いようがないくらいに取り乱していた。発狂にも近い。
僕は豹変した彼女を前にただ呆然と立ち尽くして見ていた。
流石に目の前の現実は僕でもすぐには受け入れ難かったんだ。それでもハッとしたのはアスファルトに染み付いた男の血を見てから。このままではどちらも危ういと、慌てて彼女を羽交いして止めようとすれば今度は火の粉が此方に向かう。
振り回された鞄。それを食らう僕ではないけれど、混乱した彼女は尚も喚きながら腕を振り、僕から距離を置く。その時聞いた彼女の叫びは未だに耳にこびりついて離れない。
『汚い! 触らないで……!』
泣き喚きながら彼女はそう言った。ただそれだけを繰り返し繰り返し呪詛のように続けた。
あまりにも騒がしいので最後には彼女の不意をついて僕が眠らせたのだけど、あれは一体何だったのだろうか。
執拗なまでに接触を拒む彼女。
普段の彼女は多少手が触れたところで、ああまで怯えはしなかった。酔っていたとはいえ、おぶった時も彼女は平然としていたのに。何がどうなりああなった。
……全く気付いていない訳ではなかったんだ。
一件図太そうで、しっかりしているように見えてスバルは脆いと。とても脆いと。
恋愛の件にしてもそうだ。
「恋がしたい」と言いながらそのくせ恋愛感情そのものを遠ざけている。いやそんな生温くない、拒否している。拒絶している。
本人にその気はないにしろ、言ってる事は本心にしろ、彼女は何処かで恋そのものを弾いている。
実に矛盾している。
歪で辻褄合わずで脆いヒト。
とてもじゃないが虎がじゃれていい相手ではない。
多分、自覚にはないにしろ僕の気持ちにも彼女は気付いているのかも知れない。それが映画館での挙動不審さだとしてもアレはかなりムカついた。
それでも、やっぱり僕は彼女以外に目を向けられないんだ。
脆くて、どう扱えばいいか難儀な素材。
どうすればスバルは僕を見るのだろう。
どうしたら彼女は僕に目を向けてくれる?
彼女が何が好きで何に喜び何に驚き何に怒り何に涙し何に怯えるのか。
知りたい……。
でも、スバルの抱える秘密を闇を暴いた時、スバルはいつも通り笑ってくれるだろうか。
「……僕らしくもない」
それを考えると怖い、なんて。
思わず自嘲してしまった。
これがヒトを好きになるという事なのか。
こんな事に悩み頭を痛める僕になるなんて少し前の僕は想像できただろうか。
また自嘲。今度は温め直したコーヒーを飲む。
「不味い……」
温かいのに美味しくない。やっぱり自分で淹れたコーヒーだからだろうか。
スバルの淹れたコーヒーが飲みたい。
そう思いながら、僕は眠りに就いた。
カフェインなどに負ける僕ではないが、眠りは浅かった。隣の部屋のスバルの寝息に変化がないから気を配っていたからね。
せめて夢くらい彼女を安らげて欲しい。僕には優しい慰めの言葉なんか思いつきもしないんだから――……。
* * *
翌朝、いつも通り目覚めたスバルが問題の場面の記憶あやふやに、ただ興奮気味に昨日の騒動について屈託なく笑う姿にホッとしたのは言うまでもない。