10.ミソギとのだめと映画とデート。
最近、ミソギ君が怖い。
語弊がある言い方だけど物理的な意味ではない。何というか、なんとなくミソギ君が変わった気がするんだよね。
何がって言われても上手く説明出来ないけど、まず小説以外を読んでいるのはどう言う心境の変化? って思う。漫画。しかも少女漫画。それものだめ。のだめカンタービレ。
ミソギ君と少女漫画。
ミソギ君とのだめ。
あれ、私の本棚から取って来たのよね? でも、ミソギ君向けっぽいものはおいてあるんだけどなぁ。少年漫画とか。ミステリーとか格闘ものとか。聞く限りではとても親近感の湧く修羅の門とか。どちらかと言うと私の持つ漫画って少年漫画や青年漫画系ばかりだから、その中から僅かにある少数のジャンルを選ぶミソギ君の意図が分からず不気味だ。
面白いけどね、のだめ。恋愛漫画を読まない男性には敷居は低いけど、コメディもミソギ君にはあまりイメージとして合致しない。
――無表情でのだめを読まれたら、何を考えてるのか気にもなる。しかもその姿って何故だか意味なく怖い。
少し吹き出したり、口許緩めたらまだ可愛いのに、ミソギ君の顔筋はピクリとも動かないんだもの。
「ミソギ君……それ、面白い?」
ちょうど一冊を読み終えた頃合で恐る恐ると尋ねた。ミソギ君はローテーブルに置いてあった既に冷めたコーヒーを啜り、頷く。
「音楽を題材にして漫画で表現する着眼は面白いよね」
そこなんだ。ガクリと肩を落としつつも、まあミソギ君らしい感想よねとか思っちゃう辺り私も変に順応している。
「でも、急に漫画って、どうしちゃったの?」
ミソギ君、喧嘩の次に好きなのは活字とコーヒーの中毒なのに(厳密には漫画だって広義では活字だとしても)という意を含ませれば、ミソギ君は何とはなしに二冊目を手にして返答に迷う顔を見せた。
「……ちょっとは恋愛の何たるかが分かると思ったんだよ。女性向けのものの方が女性の求める心理を突いてそうだし」
「それで漫画から勉強?」
「何で学べばいいのか分からなかったから適当にスバルの棚から拝借したんだよ」
そうなんだ、と、私は返事をしたが、正直、私の本棚は恋愛の教科書になりそうなものはないのよとは言い辛かった。だって女の沽券に障りそうじゃない。
別に少女漫画だって嫌いじゃないんだけど、惚れた腫れた浮気だなんだってってのに一喜一憂する話よりは、拳と拳を交えて己を高め友情を深めって内容の方が好きってだけ。
というのも私は兄と弟に挟まれた真ん中長女で、従兄弟親戚も男が多い所為で幼少期は男物に囲まれて育ったのだ。ヒーロー番組とか見てたわよ。大体はシルバーとか後から遅れてくるヒーローが好きだったわよ。古いカレンダーを細く丸めて透明なビニールテープをぐるぐる巻いて加工強化した模造刀を作り、勇者ごっこなんかしてたわよ。現代的にアレンジをしたRPG風チャンバラとでも言いましょうか。おかげかドラクエの魔法とかだって未だに覚えている。
もしかしてそれが原因? 私が恋愛出来ないのって。
少し考えて過去の自分の振る舞いを振り返ってみたけど、結局は最終的に否定する。
男勝りな遊びの反動で恋愛不能体質になるなら、肉食女子がはびこる昨今、半数の人が同志になってしまう。
それでもって同じ遊びをしてたお兄ちゃんも弟も中高生頃からやけに色気づいて私より恋愛に煩いくらいだ。
そこに性差があったとしても育ち方に問題があるとは思えない。
同じ親に同じ育て方をされたきょうだいの中で私だけがどこかおかしいのかも知れない。
兄弟の彼女に「いつかWデートしましょう」って悪びれもなく言われた時の気まずさったらない。
今思い出しても苦い記憶に深い深い息を吐くと、漫画から視線を外したミソギ君と目が合った。
「溜息、鬱陶しい」
「鬱陶しいって、もうちょっっと言いようがあるでしょうに」
「それじゃあ、気が楽になるなら話したらいいんじゃない? 鬱陶しい理由を」
「聞くだけなら出来る」と言うミソギ君の言葉に私は不覚にもグッと来た。普段から優しい言葉をかける彼でもないから余計にだ。
けど、思えば彼も決して冷たい訳でもなかった。ミソギ君は最初から私の言葉を無視したりしてなかった。……聞いた上で要求が通るかは別として。
何気に居心地はいいんだよね、ミソギ君との生活。
家に誰かがいる安心感があるというのか、かと言ってベッタリとついて回るでもなく、たとえるなら気紛れで擦り寄る猫との生活だ。ミソギ君は私にとって、かなり大きい猫のような存在に近い。
ミソギ君に異性を強く感じないから、私は自然体でいられるのだ。
だからこそ何故急に今頃恋愛感を学ぶ気になったの? とは聞けなかった。
そもそもこの同居が私に恋愛をさせる前提から始まってるとは言え、今までそれらしい事は全くしなかったミソギ君だ。その今更を敢えて確認するのは嫌な予感がするのだ。
恋愛する気になったの? 態度にはそんな素振りがないから全く読めない。
恋愛抜きでも上手く出来てるじゃない。どうして今更恋愛をしなくちゃ行けないの?
恋をしたいと言った私の気持とは裏腹に、反対の感情が昴ぶる。
『お姉さん、彼氏作らないんですか?』
昔、弟の彼女が言った忌憚のない質問を思い出す。
――作らないんじゃない、恋愛が出来ないの。
そうとは言い切れなかった苦い言葉の代わりが「今は興味がない」だった。
恋はしたいよ。一生に一度くらい。
でもね、それと同じくらい踏み出すのも何故か怖いの。
自分でも意味が分からない気持にゴチャゴチャして、結局私は「大した事じゃないから」とミソギ君に返した。
どうしてこんなに不安になるのだろう。
自分でも意味が分からない戸惑いに、それでもミソギ君の手前、溜息だけは押し殺した。
* * *
「ミソギ少年がのだめを? それは怖いわね」
「茶化さないで。こっちは真剣に悩んでんだから」
昼休み、真希に最近のミソギ君の話をすれば真面目な顔で見当違いな所を頷かれた。やっぱり人選を誤ったかと思われたけど、ミソギ君関連で相談出来る人なんて選択肢がないのでやむを得ない。
「ちょっと前までは恋愛に関心の欠片すら見せなかったのに、どんな心境の変化かとか思うじゃない」
「そりゃあ、ミソギ少年の性格を考えれば気味が悪いだろうけど、それで何を悩む必要があるのかこっちは分かんないね」
あんた、恋愛をしたいんでしょ?
厳しい指摘に私はうっと言葉を詰まらせる。その様子に真希は少し責める態度を改めて頭を掻いた。
「確かに焦らないでいいとは私も言ったけどさ、それでも少年との同棲は恋愛を意識させる為に始めたんだから、あんたもちょっとは目を向けたらどうなのよ」
「向けるって、少女漫画に?」
「ミソギ少年にだ、馬鹿」
「未成年よ!?」
「だから何よ。恋愛に年の差はないって格言知らないの!?」
いや、格言ではないんだけど、倫理的に如何なものよと言いかけて結局私は口を噤む。よくよく考えたら同居の時点でどうなのよって気付いたからだ。
例えいくら清い間柄とは言えども、端から見たら信用ないものね。逆の立場なら私だって関係を疑うわ。あ、それならご近所さんにもそう思われててもおかしくないんだ。一応、年の近い甥だとは言ってみたけどその言い訳もかなり説得力は低いよね。穿って見ちゃうよね。
悶々と色々考えると頭が痛くなる。
当たり前だけど、私とミソギ君の今の生活がずっと続く訳ではない。いつかは何らかの形で終わりが来るのだろうけど、それがいつかは分からない。でもその終わりは何を持って終わりとなるのだろう。
ミソギ君が飽きたら?
私は彼が飽きるまで付き合っているのだろうか。私から切り出して追い出すのだろうか。――はたまた、まさかありえないけれど万が一にも恋愛という形に落ち着いてしまうのだろうか。
そんな未来を想像しようと試すけどまるで雲を掴むように形にならない。
恋愛する私の姿になんのビジョンも浮かばない。終いには考え過ぎたからか目眩までしだして、心なし気分も悪くなって来た。
「――でさぁ……って、あんた人の話聞いてんの?」
「ごめん、聞いてない」
常備薬の市販の鎮痛剤を飲みながら適当に謝ると、当然真希は不服そうに口を尖らせ、ふてくされ、頬杖ついて明後日の方向に視線を投げる。
「何さ、友達甲斐がない奴。人がせっかく良いものを譲ろうって話をフってんのに……」
「ごめん。考え事してたらちょっと集中が切れちゃったの。で、どんな良いもの?」
機嫌を取るように眼前に手を合わせて頭を下げる。上目遣いでちらりと見やれば真希の冷たい視線。
「現金過ぎる」
「そんな事ないよ! 真希にはホント感謝してるって、五回に一回くらい。こんな相談出来るのも真希だけだし、真希に足向けて寝れないって思ってるんだから。一週間に一回くらい」
「態度が安い!」
ペチン。
真希が立ち上がって上から私の額目掛けて投げつけたのは、とあるコンビニのロゴが入った細長い封筒だった。
「何、これ」
私に寄越したって事はこれが例の良いものかと中を見るのだが、ますますもって首を傾げた。というか、ぱっと見で小さく印字された文字の羅列を読み切れなかったのだ。
「これをくれるの?」
「べ、別に貰わなくてもいいんだからね!」
「いや、私にツンとデレられても……」
「まあまあ、つかこれ後輩君から貰ったんだけど私要らないからあんたにやろうとね」
「それ絶対真希を誘う口実じゃないの?」
「知らねぇよ。誘われてないもん」
「……そうですね。言われなきゃあくまでその好意は憶測ですね」
わりと日常的なふざけたやり取りを挟みつつ、再びそれに視線を落として今度は文字をしっかりと読んだ。
* * *
飲み物はやっぱりアイスよりホットがいいよね。冷えてトイレが近くなると困るから。
そんな事を考えながら私は黒山の群れに列をなして、遠目でメニューを眺めながら考える。
食べ物はどうしよう。ポップコーンかな。あ、プレッツェルも美味しそう。あの苺味のポップコーンってのにもちょっとくすぐられる。やっぱりポップコーンにしようか。
「ミソギ君は何が食べたい?」
「キャラメルポップコーン」
意外に甘党な彼の即答に私は吹き出して、キャラメルポップコーンねと復唱する。それなら私も好きだし、Lサイズを二人で分けたら丁度良い量だ。
「それにしても何でこんなに人が多いわけ」
うんざりと、分かりやすい渋面を浮かべ、ミソギ君が肩にぶつけて通り過ぎた背中を睨んでぼやく。それを横目に私は肩を竦めた。
「話題沸騰映画の封切り初日だからじゃない?」
そうじゃなくとも土曜の映画館は結構な混雑。日程をズラせば良かったかも知れないけど、平日は私は仕事があるしミソギ君も学生だ。かと言ってアフター5に未成年を連れ回すのも悪い気がするし。
……まさか真希のやつ、私の性格を読んだ上で仕掛けた訳じゃないよね。
もはや悪友と呼べる者の顔を浮かべながら、私は何とも苦い気持ちを飲み込んだ。
真希がくれた物は二人分の映画の前売り券で、それを私に寄越した彼女はこう言った。
『これで少年を誘いなさい』
それについて眉を潜めたのは彼女のお節介にではなく、かと言って本当は真希をデートに誘う口実でどこかのシャイで草食男子な彼の遠回しに渡されたチケットを受け取り「ありがとうございます、友達と観に行きたかったんですぅ」と、眼中にない男を一刀両断しながらも利益だけはちゃっかり着服する図太さにでもない。チケットが話題沸騰映画で謳い文句が「超純愛☆現代版シンデレラ。時空を超えたラブロマンス』なんてこってり凝り固まった定番過ぎるものだからだ。
コピーはともかく、私自身はこの映画のキャストが好きだし、サブリミナル的なテレビでの宣伝に煽られてテーマ云々ともかく気にはなっていたけど、いくらなんでもミソギ君がこのジャンルの映画を見たがるとは思わなかった。
むしろ絶対見る筈がないと。
「一応言うだけ言って誘ってみるけど、断られたら返すから」と宣言したけど、その必要もないのは今や明白。
まさか「行く」と文字通り二つ返事を貰えるとは思わなかっただけに、私は変に動揺している。反面、隣りのミソギ君はいつも通り涼しい顔の通常運転なので、意識する自分が馬鹿みたいに思えなくもないけど。
大体どうして異性と二人で映画なんて初めてではないのに、私はこんなに具合が悪いのだろう。
未成年のミソギ君とデートというものに罪悪感を覚えるからか。
嫌なら辞めるのも手だけど、誘ったのは私だからそうも行かず結局覚悟もないまま此処にいる。
ふたり初めてのデート。
字面は甘酸っぱいのに、何故か私は胃液が逆流しそうな酸っぱい気持ちでいっぱいだった。