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身代わりと騎士と

作者: 野山日夏

王子がゲイという設定がありますが、話に特に男同士の描写とかはないのでボーイズラブの指定はしていません。ラブの描写もまるでありません。

 大きな寝台。見ただけでもいくつもの宝石が埋め込まれた鏡。椅子の木材は磨きあげられ、滑らかな表面がさぁ座れとばかりにきらりと光を弾くのが目に映る。侍女はその誘惑に負けそうな己の心を意志の力で捩じ伏せた。そんなことをすれば比喩ではなく首が飛ぶし、恐ろしいことにそれだけでは済まないのを、侍女はきちんと理解しているのだ。

 他にも、ところどころ金であしらわれた意匠は見るだけでほぅと息をついてしまう見事なものばかりだが、もう侍女は少しも誘惑されはしなかった。

 そうしたきらびやかなその室内の内装は、当然ながら部屋の持ち主が高貴な身分であることを思わせた。さもありなん。この部屋の持ち主はこの国の王子――次代を担う男であるのだから。

 室内の中央、侍女が心奪われたものとは別の椅子に腰掛け、その王子はこちらを見ている。その視線の鋭さに、侍女は体を固くした。果たして自分は何か粗相をしただろうか。彼の暴虐さについては、侍女とて今までのことからよく思い知っている。王子に呼び出されるときはいつも、その侍女は耐え難い怯えを抱いている。侍女としての仕事の責任感がなければ、今すぐ王子の前から消え去りたいくらいだった。

 何しろこの王子、とんでもなく整った容姿の持ち主であるが、同時に非常に我が儘かつ残忍なことで有名なのである。王子に逆らったからといって首を跳ねられた者が果たして何人いたことか。女子供ですら関係なく他者をいたぶるこの男に、侍女はこの男付きの侍女でなくほっとしていた。

 だというのに果たして一体何故侍女は王子に呼び止められたのだろうか。正直容姿が見苦しいだとか、そんな理由でも首を跳ねるなどと言い出しそうな相手であるが故に、目を付けられないよう細心の注意を払っていたつもりなのだが。とりあえず、あと一時間侍女の命が続くかすら怪しい事態に、胸中にて侍女は神へと必死に祈りを捧げた。

「おい、お前はアレックスつきの侍女だったな」

 その王子――ニコライの言葉に、侍女ははい、と短く返した。内心、侍女はほ、と一息着いた。

 ニコライの発言は回りくどさなどない。いつだって直球だ。つまりこの導入からしてニコライの標的は侍女ではないらしい、とここにきて侍女は悟ったわけである。どうやら必死の祈りはきちんと神に聞き入れられたらしい。感謝の祈りを心の中で唱えつつ、ニコライに視線をやる。傲慢なその態度に透けて見えるのは、玩具を心待ちにする子供のような期待。

「アレックスをここに」

「はい。すぐに」

 侍女は心の底から安堵を漏らしながら、侍女の代わりに犠牲となった自身の主に僅かながら同情した。

 ニコライは気に入ったものを必ず手に入れ、手放さない。通常彼の気に入ったものは全てこの城へと運ばれ、ニコライが必要と思ったときにニコライ自身が迎えに行く。それが例え人間であってもだ。

 アレックスもまた、そうして連れてこられた人間の一人だった。同じ顔立ちの妹ではなく、妹と共に美貌の持ち主として有名だったアレックスをニコライは所望した。

 それ以前にもニコライは男ばかりを所望し女を欲したことがないものだから、国の誰もがニコライが男色家であることを知っていたのでまたか、と思ったくらいで誰もそのときにはろくに関心を持たなかった。侍女もそのときはまたも王子の犠牲となる見ず知らずの不運な若者に、少しばかりの同情をしたくらいだった。男ばかり集めた後宮に押し込められ、ニコライが渡るのをひたすら待つなど、少しばかり顔がよかっただけに不幸な。

 だが、その後誰もが予測しなかった展開へと至る。

『殿下の寵愛を狙ってる皆さん。僕は性癖は至ってノーマルなので。出来るだけ放っておいてください。変に目立って殿下に目を付けられたくもないですし』

 アレックスがニコライに囲われるや否や、そんな言葉と共に他のかき集められた男達との間に一線を引いた。その上、騎士になると言い出したのだ。

 騎士は後宮に入れないし、城内の騎士用宿舎で生活しなければならない。城からは出られないものの、後宮に姿がなければニコライがそのまま存在を忘れ去るかもしれない、と判断してアレックスは騎士を所望したのだ。そんな抵抗を一体誰が予測したか。確かにただ後宮に腐らせておくより役に立つのなら、そちらの方がよいので許可はすんなりとは言わないまでも下りた。

 元々優れた腕を持っていたようで、すぐに出世していくアレックス。結局王子が呼び寄せたものの一向に姿を見せない美貌の新入りの存在を思い出したときには、アレックスは上り詰め国王の近衛騎士にまでなっていた。つまりアレックスはニコライの所有物でありながら、王の所有物にもなったわけである。唯一ニコライより上の地位にある国王の近衛騎士では、流石のニコライも無体は働けない。体を奪うなど以っての外だ。そんな真似は如何に王子の権限が大きかろうが、周囲が働かせない。そんなことをすれば王の所有物に対する不敬となるのだ。

 かくしてアレックスの見事な回避策に、国中の誰もが感服したわけである。

 とはいえ、ニコライもただでは諦めない。近衛騎士とはいえ単なる騎士に侍女を宛てがい、侍女を通じてアレックスを呼び出すくらいのことはする。直接のホットラインを引いた訳だ。

 確かに、美貌の騎士だから単に鑑賞用としても十二分に役目を果たすのだろう。侍女とて、アレックスの顔を眺めるのはここ最近の密かな楽しみであるのだし、王子もせめてそれは、と思ったらしかった。

 まぁとにかく、と侍女は心を奮い立たせる。アレックスには悪いが、早くアレックスを呼んで来なければ今度こそ侍女の首が飛ぶ。今日は国王も城内に留まっているから、執務室にでもいることだろう。

 侍女はつらつらと考えながら、足を進めていった。



 果たしてアレックスは国王の執務室にいた。つい先程いつもの通りの呼出しをくらい、ニコライに会わねばならない。そう思うとアレックスの胸中は複雑だった。だが、アレックスが断りでもすれば、目前の女の首は文字通り飛ぶことだろう。

 王子から直々に宛てがわれた三人目の侍女だ。前の二人は何かしらの粗相をしたらしくアレックスの前から姿を消した。それがどういうことを意味するのか、残念ながらアレックスは深く理解していた。

 知っていて侍女をわざわざ死に追いやるほどアレックス――否、アレクサンドラは非情にはなれなかった。

 今ここにいるアレックスは、アレクセイ――ニコライが望んだ美貌の青年ではなく、その青年と瓜二つの面差しを持つ妹だった。そう、彼女は替え玉だった。肉体の性が異なるだけ、それ以外は親も容姿も酷似している模造品だ。証拠に今までアレクセイとアレクサンドラの交替に気がついたものはいない。

 だが、それでも肉体の性というどうしてもごまかせないものは確かにそこにあって。アレックスが替え玉だという真実に万が一ニコライが辿り着いてしまったらどうしたらいいのだろう。寝所に呼ばれるなどあってはならない。そんなことがあろうものなら、たちどころにアレクサンドラの性別など知られてしまうだろう。

 だから、何とかニコライの手から逃れなければならない。騎士になったのも、元々屋敷で兄と一緒に剣を嗜んでおり得意だったのもあるが、アレクサンドラが騎士になったのはそういう理由からだ。

 アレクサンドラは思考がその袋小路に至ったとき、いつもアレクサンドラを騙してこの場に追いやった兄を恨む。こんな狂っているとしか思えない方法を取るに至ったアレクセイの気持ちは分からないでもなかったが、犠牲に供されるアレクサンドラの気持ちの一つも考えてくれればよかったのに。

 本来ニコライに召されるはずだったアレクセイは、血の繋がった妹であるアレクサンドラを罠に嵌めた。きっとアレクサンドラよりもアレクサンドラの両親よりも早く、ニコライがアレクセイを望んだことを掴んでいたのだと思われた。

 その日、いつもの通り練習着を身につけての剣の稽古の後、アレクサンドラの服をアレクセイがさっさと着てしまったのだ。そのまま部屋を逃げ出したアレクセイに、追い掛けるにしろ汗で湿った服をいつまでも着ているわけにもいかずにアレクサンドラは残されていたアレクセイの服を着た。男物のそれを身に纏って出たところで、両親の許へとやってきたニコライによる使者に対面させられ、問答無用でこの場に押し込められたのだ。

 これがよく似た容姿の為せる技か、はたまたそんなことがあるはずのないという思い込みのせいかは分からないが、アレクサンドラ達の親は二人が入れ替わったことに気がつかなかった。そのままアレクセイの意図した通り、アレクサンドラはニコライの許へと送られ、アレクセイの方は――。

「お前も大変だなぁアレックス」

 同僚の言葉に、アレクサンドラは苦笑した。

 アレクサンドラが女だとは知らぬこの同僚は、アレクサンドラを美貌故に男に望まれた不幸な青年だと思い込んでいる。それでも王の近衛騎士まで上り詰め王子にどうこうされる心配がない相手だと分かっているからこそ、この同僚はここまで気兼ねなく話し掛けて来るのだろう。まさかアレクサンドラが王子に囲われていたならば、この同僚はこうまで軽々しくそれを口にはしないだろう。そのくらいの分別はある男だ。だからこそ、彼の軽口はアレクサンドラの心にまだ大丈夫だよ、と囁きかけてくれるかのようでほっとしてしまう。

 この同僚のそういうところには、つい難しくことを考えてしまいがちなアレクサンドラは救われていた。だから、アレクサンドラも同じだけの調子でにこやかに返す。

「本当大変だよ。しかも妹も行方不明だしね」

「あーお前と同じ顔って噂の妹さんか」

 会ってみたかったなぁ、などとけたけたと笑う同僚に、アレクサンドラは瞳を伏せた。

「僕が殿下に召し上げられたから、母上が娘だけはと思って僕の片割れを侍女と二人逃がしたんだってさ」

 アレクセイは、妹のアレクサンドラとして、アレクサンドラの侍女と共に逃がされた。本来ならばそれなりに身分の高い貴族の醜聞として取り上げられようが、逃げたのが女の方だったものだから王子も追いやしなかったし余り話題にもならなかった。

 アレクセイはアレクサンドラの侍女と想い合っていた。彼からすれば、もりかしたら本来の身分からは結ばれるはずのなかった相手との恋が実っていっそ万歳、といったところなのかもしれない。

「馬鹿だよねぇ、殿下は男にしか興味がないのにさ」

 茶化して口にするはずのその言葉は、妙に真剣な響きを孕んでしまい冷たく響いた。そのことにアレクサンドラはしまった、とそう思った。そんな声を出せば不審に思われてしまうだろう。案の定驚いた様子でアレクサンドラを見つめる二つの目に、アレクサンドラはうなだれる。兄に対して怒りを抱いてはいるが、被害者ぶりたい訳ではないのだ。

「あ、じゃあそろそろ行くから」

 時計に視線を投げ掛けながら強引に話題を戻して、アレクサンドラはニコライとの謁見に向かう。ぱたんと扉を背後で閉めたアレクサンドラは、だから同僚がどんな表情をしていたのか知ることはなかった。

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