第九話 距離感
こうして、私は二人の侍女の初めてを奪った。
現実では考えられない事だ。
二人とも、お近づきになれただけで舞い上がってしまうような美人だ。現実であれば、彼女らにお酌をされるだけで舞い上がって、私はそれだけで終わっても満足だったろう。
そんな二人を、一晩好きにした。あまりにも都合のいい、恵まれた夢だ。そう、夢にもほどがある。
何か代償があるのではないか、逆に不安になってくる。シャワーを浴びてさっぱりしたハズの気持ちが、たちまち落ち込んでくるほどに。
そんな私を、メアリはあきれたようにため息交じりに咎めてくる。
「旦那様。領主という立場を考えれば、女の一人や二人、好きにできて当然なのです。もう少し、そのお立場を自覚してください、全く。実際に経験すれば、実感をもっていただけるかと思ったのですが」
「…………ん」
首無しメイドのお小言に、気まずげに頷く。
彼女はおとなしく怒られるな、とはいうが、ここで不遜な態度をとるのは私的には逆切れもいい所だ。それは、ダサい。とてつもなく、ダサい。
どれだけみっともないかを、私は実体験でよく知っていた。
私にも、譲れない一線というものはある。
「……まあ、まだ初回です。おいおい、旦那様もご実感いただけるでしょう」
「そう務めるよ」
どうやらお小言は終わりらしい。安堵に苦笑する私に、しかしメアリは釘をさすようにダメ押しをしてきた。
「あ、それと、今晩は夜伽はなしでお願いします。正確には、宮子さんを呼ばないように」
「えっ」
「旦那様の事だから、このまま二人を交互にローテーションするつもりでしょう。そんな安直な考えは許しません。旦那様にはちゃんと考えて、自分の欲望で彼女たちを抱いていただきます。業務的なローテーションでは意味がありません」
どうやら私の魂胆はすっかり見透かされていたらしい。
確かに私はそのつもりだった。なぜなら、それならば悩まなくていいし、自分自身に言い訳が効く。
早い話が、楽だった。
「そ、それだと、二人の間にこう、諍いが生じないか? なんで自分ばかりが呼ばれるのか、ずるい、みたいな」
「……はぁ。本当に旦那様はこう、意気地なしですね。旦那様は、侍女を支配する立場です。それが、侍女に配慮しました、みたいな口を効いてどうするのです。責任転嫁ですよ、それは」
衝撃のあまり、私は胸元を押さえてよろめいた。
それは。
そうだ。
私は、自分が苦しみたくないばかりに彼女たちに責任を押し付けている。
「う……っ」
「もう。いいですか、もうちょっと旦那様は気楽に、横暴にふるまうべきなのです。まあいいでしょう、そのうち、その甘美な味を旦那様もご理解していただけるはず。この話は、ここまでにしましょう」
メアリはお説教を打ち切り、存在しない首を巡らせて窓の方を見た、ように見えた。
つられて私も窓から外を見る。
今日も、外は良い天気だ。雲は出ているが、日の光を遮るほどではない。閉ざされた中庭に、太陽の柔らかな日差しが降り注いでいる。
「少し、中庭を散策してきてはいかがでしょうか。陽気にあてられて、旦那様の気分も軽くなる事でしょう」
「……そうするよ」
私は机の上の、朝から進まない数枚の書類に目を向けて、侍女長の提案に従う事にした。
中庭に続く扉の場所は知っている。屋敷の中央の階段の裏側に、凝った作りの扉があった。それを押し開くと、不意に目の前が開けるように日差しがさす。
その明るさに目が慣れると、広がっているのは穏やかな庭園だ。
外を見通せないように計算された植樹の壁、その中にたたずむ小さな泉と、それを取り囲む芝生の絨毯。
深呼吸をすると、胸いっぱいに森の奥のような静謐な香りが広がった。
まるで、森の奥の秘密の泉だ。
そういえば中庭に出るのは初めてだな。
芝を踏みしめると、ふんわりと柔らかい感触が足の裏に帰ってきた。遅れて踏んだらまずかったかも、という後悔が頭をよぎるが、まあ、今更仕方がない。
一応、今のこの館の主人は私らしいし。主人が、自分の庭の芝を踏んでも、問題はあるまい。
柔らかい芝を踏みしめて、泉に近づく。泉の中央には少女の石像がたたずんでいて、その手に持つ水がめから水を泉に注いでいた。よくあるオブジェクトではある。
水が泉に注がれる、ちろろろろ……という音に、私は耳を澄ませた。
「ああ、こういうのもいいな……うん……?」
森の香りと水音に癒されていた私は、ふと泉を取り囲む石の輪の一部が、濡れている事に気が付いた。
小動物が遊んだ……といった感じではない。
なんだろう、とみていると、背後でがさごそ、と草木をかき分ける音がした。
びっくりして振り返ると、そこには……。
「あ……」
「や、やあ」
そこには、水桶を手にした宮子ちゃんの姿があった。反射的に片手をあげて挨拶する私に、彼女は小さく首をすくめ、頭を下げた。
「こ、こんにちは、旦那様。御休憩ですか?」
「私はそんな所。宮子ちゃんは水汲みかい?」
「は、はい……。その、向こうに小さな花畑があって……侍女長が、水やりをするように、と」
私が話がしたいのをくみ取ってか、泉までやってくると、宮子ちゃんは水桶を傍らに置いた。使い古した、黒い木の水桶。
そんなに大きくはないが、これ一杯に水を汲んだら、女性には少し重いのではないだろうか。
「大丈夫かい? それはちょっと重たくない? 無理はしなくても……」
「い、いえ、これぐらいなら大丈夫です。その……一日、休ませてもらったので……」
ちょっと顔を赤くして顔をそらす宮子ちゃんの反応に、私は失言を理解した。しまった、そのつもりではなかったのだが。
しかし吐いた言葉は消せない。
これは失敗だ。
「そ、そうか……まあ、無理はしないでね」
「あの……」
「ん?」
あいまいな笑いで誤魔化していると、宮子ちゃんが顔をそらしたまま、見上げるように小さくこちらに視線を向けていた。
その視線に含まれる色気に、胸がどきりと高鳴る。
だが……。
「今晩も……呼ばれるん、ですよね……?」
「あ、いや。今日の夜は、君達を呼ぶなって侍女長に言われてしまってね……」
「え……」
男としては期待したいところだが、今日は侍女長に咎められてしまっている。その事を正直に言うと、しかし彼女の態度は一変した。
「彼女には彼女なりの考えがあるらしい……宮子ちゃん?」
「そうですか。……失礼します」
意外な事に、乗り気のような態度だった宮子ちゃん……が、今日はない、と聞いた途端に興味を失ったように、すん、としてしまう。
たちまちさっきまでの良い雰囲気が嘘のように、私の彼女の間に見えない壁が横たわる。
他人行儀に頭を下げる彼女の態度が、話はこれまで、と言外に語っていた。
「あ……その、水が重たいなら、私も……」
「いえ。旦那様を手伝わせると侍女長に怒られてしまいますので」
とりつく島もないとはこの事である。曖昧に手を差し伸べた状態で固まる私をよそに、宮子ちゃんは手早く水を汲み上げると、中庭を後にしてしまった。
泉には、彼女がこぼした水が、石の輪に黒い跡を残している。
「……なんだろうなあ」
彼女の考えている事がさっぱりわからない。私は肩を落として、仕事に戻る事にした。




