第五十五話 懺悔
「きゃ……!?」
膝の上に乗せた彼女を抱きかかえたまま、倒れ込むようにベッドの上に。彼女の腰を片腕で押さえたまま、素早く体勢を入れ替えて、両膝で彼女の下半身を挟み込むようにしてマウントを取る。状況を理解した宮子ちゃんが逃げ出そうとするよりも早く、その細い両腕を掴んで、枕元で掲げるようにして抑え込んだ。
「ひ……あ……っ!」
「ほら。これで逃げられない」
男の体重と力で、体をベッドに押さえつけられた宮子ちゃん。目を白黒させて抵抗しているが、腰のあたりに私が座り込むように体重をかけているので、彼女とてどうしようもない。それに、彼女は確かに運動神経は良いが、体そのものは華奢な女性のそれだ。頭上でそろえて抑え込んだ両腕は、必死に力を入れているようだが私の片手で押さえられる程度。
彼女が大の男顔負けのハイキックとかできたのは、そのしなやかな体に勢いを乗せたから。身動きできない状態では素の筋肉しか使えず、それでは私の拘束も振りほどけない。
この状況でも形の崩れない宮子ちゃんの胸が、蝋燭の灯の中、協調されるように山の影を落としている。
「だ、旦那様、何を……つ」
「いや、何。私はちょっと、君達を甘やかしすぎたみたいだからさ。少し、教育がいるかなって」
怯えるように首を竦める宮子ちゃんの顎先に、空いた右手をそっと這わせる。顎の形を確かめるような、優しい手つきで、滑らかな肌を撫でさする。
「あ……っ」
それだけで、宮子ちゃんはこんな、男にベッドの上で組み伏せられるような体勢にもかかわらず、とろん、と目を潤ませた。黒いビー玉を湯で濡らしたような、情熱を秘めた眼差し。
勘違いではない。身体全体で触れ合っている彼女の体温が、確かにかぁっと高まったのを私は感じ取った。
数秒たって、はっとしたように宮子ちゃんが顔を逸らした。恥じ入るような彼女の顔を、しかし私は軽く顎を掴んで正面に向かせた。無理やりではあるけど、そんなに力は必要ない。
形だけの抵抗だ。
「ほら。これだけですっかりその気になってる」
「だ、だったら、それで……」
「駄目。宮子ちゃんの口から言うまで許さない。……言うんだ」
再度命じるも、彼女は躊躇い、口を引き結んだまま言葉を発しない。
このままでは先日手だ。あるいは、朝までこのまま逃げ切るつもりなのだろうか? それを私が許すと思っているのなら、仕方ない。
多少、荒療治になるし、決めつけみたいな形になるけど。
「残念だ。……君自信の口から言うなら、まだ穏便に済んだんだけど。ここからは、傷口の切開になる。……ねぇ、黒川宮子さん」
「!!」
それは、ここに来て彼女が見せた、明確な反発だった。
顔色を変えて私を押しのけて逃げようとする彼女だが、今更遅い。ここまでがっつり抑え込まれたら、男だって逃げられない。
脚をばたばたさせて抵抗する彼女を戒めるように、私はぐっとより深く体重をかけて、両腕を抑える左手の指に力を入れた。
「あ゙、う……っ。ど、どうして……」
「どうしてバレたのかって? むしろ私が鈍感に過ぎただけだとは思うけど。あの場では気が付かなかったけど、流石に、時間が経てば、ね。人間、人相は多少変えられるかもしれないけど、体格まではそう変わらないよ。毎晩ではないけど、肌と肌を触れ合わせてる相手が、わからない訳ないでしょ?」
動揺を隠せない宮子ちゃんの、すっかり露になった本音の顔。本気で焦って、どうしようどうしようと困惑する剥き出しの心に、メスを入れるように私は彼女の秘密を解体していく。
「私だって馬鹿じゃないよ。この世界での常識、非常識への反応が一緒だって事で、君が現実の人間でもある事は想像がついた。そして、現実で面識のない女の子が、私なんかに言い寄ってきた。気が付くよ、流石に。無防備すぎ」
「そ、それは……」
流石に指摘されて、自覚はあったのだろう。明らかに宮子ちゃんの目が泳いだ。
「君達の事情もある程度、わかっている。私はこの屋敷の主人として招かれたけど……そこに、主体性はない。逆だ。君達の望みを叶えるために、都合のいい存在として招かれたのが私。君達の望みはまだ分かってはいないけど、それが普通の事ではない、というのもわかってる。罰、贖罪……そういうのが、君達の望みだろう? 私みたいな、年上の、冴えないおじさんを主人として、文字通り身を捧げて奉仕する。そりゃあ、罰としてはこの上ないよ。私はそうやって、君達の都合のいい道具として使われている事も気が付かずに、おだてられて呑気に喜んでいた訳だ」
「そ……それ、は……っ」
ちょっと愚痴も入っている私の糾弾に、しかし宮子ちゃんは極端なほどに顔を真っ青にさせた。まるで思い人に憎悪を露にされたような、この世の終わりみたいな彼女の反応を見て、私もちょっと頭が冷える。
いかん。言うつもりのない事まで口にしてしまった。
「あ、いや。すまん。そこまで言うつもりはなかった……」
「……っ、う……っ」
気まずさを覚えて視線を逸らすが、聞こえてくるのは微かに嗚咽の混じった呻きを噛み殺す声。見れば、宮子ちゃんは顔を青くしたまま、唇をかみしめるようにして目を潤ませていた。
「い……いえ……旦那様の、言う通りです……。わ、私は確かに、旦那様を、いいように利用した……それに、間違いは、ないです……」
「宮子ちゃん」
「お話します。私が、どうして、この夢を望んだかを……」
宮子ちゃん。
黒川宮子。
別に特段恵まれた生まれ、という訳ではなかったけど、彼女は生まれながらに突出した美貌と、運動センスがあった。学力も高く、挫折しらずの彼女は、ハイスクールでも意識せず、所謂カースト上位層に存在していた。
いや、あるいは、所謂トップカーストだったのかもしれない。
ただ本人はその事を鼻にかける事もなく、そういったしがらみも面倒くさく思って、好きなように振舞っていた。自由気ままの狼のように。
そんなある日、彼女に告白してきた男子がいた。
彼が本当に宮子ちゃんの事を好きだったのか、何かのしがらみがあったのか、そういうのは分からない。
それを当然のように、宮子ちゃんは一蹴した。
単純に好みじゃなかった。ただそれだけの充分な理由で、彼女はこれまで通りあっさりと男子を振り、それをひけらかすことも隠す事もなかった。
だけど……。
「彼が学校を退学したのを、私はそれから一週間以上たって知りました」
理由は、所謂いじめだった。
きっかけは、宮子ちゃんの言動。トップカーストに存在する彼女が無碍にあしらった彼を、狭い学校内の階級社会は『虐めていい奴』を認定した。そうして始まったいじめに、彼は耐えられず退学し。間接的であれど、そのきっかけを作った宮子ちゃんは、それを手遅れになってから知った。
「知らなかった。そんなつもりはなかったなんて、言い訳にもならない。私は一人の人間の人生を破滅に放り込んで、それを知らず笑ってられる恥知らずだった」
いじめの主犯たちは、その後裁かれた。だが、最初のきっかけであった宮子ちゃんには簡単な事情聴取があっただけで、そのまま放置された。
彼女は訴えた。自分が最初の原因で、自分にも責任がある、と。
だけどそれを罪であるとみなす者は誰もいなかった。
当たり前だ。
彼女はただ、告白されて、それをただ振っただけ。応えるのも応えないのも、彼女の自由だ。それがきっかけになったとしても、そこに何の罪業も発生しないし、それが理由で少年がいじめられた事を知らなかったというのも、何ら問題のある事ではない。
全ては、愚かな外野が勝手にやった事だ。
それでも、その生来の正義感、倫理観故に宮子ちゃんはそれを受け入れられず、かといってそれ以上騒ぎ立てる事も。自らを罰する事も出来なかった。それをした所で、周囲に迷惑をかけるだけだ。例えばリストカットなどしてみろ、両親は彼女を酷く心配するだろうし、何よりも世間が彼女に罪を見出していない以上、償いどころか彼女もまた被害者とみなすだろう。それは望むところではない。
だから彼女は、己の罪を抱えたまま、決して裁かれる事のない罪人として生きてきた。同じことを繰り返さぬよう、地味な立ち振る舞いを装い、人との距離を只管取って、暗くつまらない人生を送る事が自分の償いだと考えた。
それでも、そんな人生、苦しいばかりだ。
そんなある日、一人の占い師が彼女を呼び止めたのだという。
「お嬢さん。何か、昏い顔をしてますね。どうです、占いでも一つ」




