第五十三話 彼女達の救い
「をほん。とにかく、宮子ちゃんの変化の理由なんだが、心当たりは?」
「残念ながら、あるといえばある、無いと言えば無い。地面を掘れば何かが出てくる、その程度の話ですわ」
「そっかー……」
どうやら、雫ちゃんもこれ、という決定的な理由を知っている訳ではない。
彼女に聞けば全部解決、そう思っていた訳ではないが、空振りに終わったのはなかなか空虚感が大きい。
少なくとも雫ちゃんと宮子ちゃんは、近しいというか、同類と視ていたので。その彼女がわからない、となると、打つ手なしだ。
「そう落胆したものでもないと思いますわ、旦那様。そもそもこれは、そんな深刻な問題ではないと思われますの」
「? そうかい? 私にとっては由々しき問題だが」
「そう思って頂けている時点で、ある意味宮子さんの空回りですわ。そもそもですね、旦那様が何か、私達に配慮する必要などないのですよ」
そういって、そっと雫ちゃんは私の胸元に顔を寄せてくる。ふわり、と嗅覚をくすぐる香しい香り。シャンプーの匂いだろうか、香水だろうか。柔らかく甘いその匂いが、強く印象に残った。
「お望みとあれば、従えと。旦那様はそれで良いのです」
「そうかな……?」
「そうですとも」
頷いて、静かに雫ちゃんが私から距離を取る。それを名残惜しく思いつつも、私は真面目くさって小さく頷いた。
そんな私の本心を見透かしたように、彼女は目を細めて優し気な笑みを浮かべる。
「それで十分、私達は救われるのです」
雫ちゃんのアドバイスを受けて、私は執務室に戻ってきた。
日が陰り始めた空を窓から眺め、ぎしっ、と椅子に身を預ける。
「私達は救われる、か……」
ぼんやりと、彼女が口にした最後の言葉を反芻する。
……実を言うと。
いくら私が鈍感でも、ある事実にはそろそろ気が付き始めている。
そう。
恐らく……いや、この前置きはもう必要ない。
雫ちゃんは。宮子ちゃんは。
「……彼女達は、私と同じ現実の人間に違いない」
結論を、あらためて口にする。途端に、眩暈のような感覚を覚えて、私は額に手を当てた。
まず第一に、私、という存在がある。
現実から、この世界に夢を見る形で訪れている稀人。私自身がそうなのだから、他に似たような人間がいたっておかしくはない。第一、私は最初から、他の来賓がいる事を想定していたはずだ。
予想外だったのは、その来賓が主人や客としてではなく、侍女としてこの夢に訪れており、その立場に甘んじるどころか、それを望んでいる、という事だ。
そう、望み。
散々自問していた事だ。彼女達には望みがあり、その為に、ある意味で私は利用されている。
「決定的だったのは、鷹狩だよな」
あの短い旅の間で私が見たこの世界の有り様は、あまりにも常識からかけ離れた悪夢のような物だった。
住まう人々は一人として人間の形をしておらず、文化も何もかもが現実と違う。そして彼らは、それをいちいち驚いたりはしない、当然の事だからだ。
だからそれに驚くのは、私と同じ現実からの来訪者のみ。
宮子ちゃんは、私と同じく最初、鷹に驚き、ムタにも困惑した。
雫ちゃんは旅の持て成しに震え上がり恐怖し、私の元に同意と共感を求めた。
それがもう、答え以外の何物でもない。
最初気が付かなかったのは、この屋敷では現実と同じ食べ物が饗され、似たような文化が運営されていたからだ。
それも、理由については心当たりが付いている。恐らく私が食べている野菜などは、中庭で育てているものだ。雫ちゃんが言っていたではないか、中庭の野菜は料理長が育てていたものだと。
恐らく現実からの来訪者である私を歓待する為に、料理長があえて現実のそれを育てていたのだ。来賓の求めるものを提供するのが、プロの料理人というものであるし。
しかし、この世界では仕入れ用にも仕入先がない、自給自足する以外に方法は無い。
肉とか魚は……まあ、バラして食材になってしまえば、元の違いなどわからない。よくよく思い返せば、ちょっと怪しい事はあった気がする。
その料理長にも面談を許されていないのは、そういったこの世界のおかしさに私が直面しないよう、メアリが手配していたからだ。そしてそのメアリにも恐らく悪意はないというか、彼女自身、恐らく現実との差異を理解していない。恐らくはもっと上……メアリに、私を領主として歓待、教育するよう命じた何者かの指示だろう。
彼女はあくまで、良き侍女長でしかないという訳だ。
「ふぅー……結局、踊らされていたのは私一人か……」
なんというか。最初からそういう感じの疑いはあったが、何も知らず、おだてられるがままに踊っていたのは私一人だったという訳である。恐らく宮子ちゃんや雫ちゃんは、その辺りの事を理解していた節がある。
となると、しかし、わからないのが、彼女達の望みだ。
この館の生活で、彼女達は何を得た?
見知らぬ男にメイドとして付き従い、夢の中でまで働いて、挙句夜になればそんな男の相手をせねばならない。
普通に考えて罰ゲーム以外のなにものでもないはずだ。
そんなものが、望み?
「……少なくとも、雫ちゃんはそれが救いだといった。救いとはなんだ?」
少なくとも、彼女達がこの世界で得たものはプラスのものではない。それどころかマイナスだ。
それでもそこに、意味があるとしたら。
……人には人の、それぞれ自分だけの事情がある。
私は館の主人として、彼女達は侍女としてこの夢に招かれた。
この夢で私は多くの恵みを得て、苦しく辛いだけの現実に一角の救いを得たが、それはあくまで私だけの事情だ。
ならば、彼女達の事情は、望みは……。
「…………苦しみを得る事、か?」
贖罪。あるいは改悛。
敢えて侍女という卑しい身分に身を落とし、知らぬ男に体を差し出す。それは見ようによっては、刑罰、贖いと言えなくもない。
だが、何に。
少なくとも彼女達は、そのような罪を犯すような人間には見えない。大体、そのように自主的に贖いを求めるような人格の者は、そもそもそのような償いが必要な程の罪を犯さない。
「結局。直接、問いただすしかないのか」
想像には限界がある。
彼女達の間に敷かれた、暗黙の境界線。それを踏み越える必要が、覚悟が。私に、求められているのかもしれない。
気が付けば、外は日も落ち、夜が顔を出している。
そろそろ夕餉の時間だ。そして、その次は……。
逡巡する時間は、あまり多くはない。




