第五十二話 彼女の心変わり
さて。
そんな感じで現実でもちょっとした出会いがあったりした私なのだが。
やはり、夢の中の出来事の方が、ダイナミックで激動であるのは間違いない。
そしてそれは嬉しい事、楽しい事ばかりでもなくて。
困った事も、起きる。
「むぅ……」
その日も私は、書類を前に頭を悩ませていた。
机の上に並べられた、住人のトラブル相談。この間の小旅行で、この夢の世界に生きる人達の実情に触れてしまうと、ここに書かれている言葉の意味も変わってしまう。
それは確かに大いなる悩みではあるが、目下、私を悩ませているのはもっと別の、個人的な問題であった。
おかげで仕事も手につかない。
ペン先でこんこん、机を叩いていると、ドアをノックする音が聞こえた。
思わず佇まいを直す私。
「ど、どうぞ」
「……失礼します」
しずしずと台車を押して部屋に入ってきたのは宮子ちゃんである。彼女はちらりとも私に視線を向けず、すました顔で部屋に入ってくるとほとんど無言のまま、お茶の準備を始めた。
その手つきは、かつてと比べると大分危なげない。手際よく、とはいかないものの、前のように茶葉の量とか全然、という訳でもなく、きちんと砂時計で時間を計って蒸らしたり、大きな向上が見受けられる。
でも無言なのは、そう言った作業に集中しているから、という訳でもない。事実、彼女は私がじっともの言いたげに見つめているのに気が付いているはずなのに、返事の一つもしてくれない。
「旦那様、どうぞ」
「あ、ああ」
差し出されたカップを受け取り、口に運ぶ。
……絶品、という訳ではないが、まあ少なくとも自分で適当に淹れるよりは美味しい、といった感じ。彼女の努力の成果が感じられる。
「う、うん。なかなか上達したんじゃないかな。頑張ったね」
「ありがとうございます、旦那様」
「……う、うん……」
それきり、言葉が途絶えてしまう。カップを傾ける私の前で、机を挟んで宮子ちゃんは背をぴん、と伸ばしたまま待機している。
「………………」
「………………」
き、気まずい。
「そ、そうだ。お茶菓子はないのかい?」
「申し訳ありません、料理長は昨日、旦那様がペルセポネと結託して台所の御菓子を盗み出した事にいたくご立腹でして。今日の茶菓子は抜き、との事です」
「そ、そうか。そんな事もあったなあ、あははは……」
笑って誤魔化す。
いや、確かにそんな事はあったよ? 実情はちょっと違うんだけど。ペルセポネと庭で遊んでいる時に、特に何の意味もなく「少し小腹が空いたね」って言ったら、飛び立った白鷹がどこからかフィナンシェを持ってきてくれたんだよ。それを二人でわけてうまうまと食べたんだけど、それがまさか、料理長の台所からスティールしてきたもんだとは思わなかったので……。
ペルセポネも意外と悪戯好きな所があったんだなあ。
じゃなくて。
「あ、そ、その宮子ちゃん? 最近、侍女の御仕事はどうかな?」
「侍女長のご指導ご鞭撻により、順調に習得しております。まだ未熟な面も多くあり、ご迷惑をおかけしているのは申し訳なく思います」
「そ、そうか、頑張ってるんだね。ははは……」
世間話を振ってみても、返ってくるのは定型文じみた言葉だけ。
何これ、どうしたの?
なんか機嫌損ねるような事した??
それだったら分かりやすいんだけど……どうも、宮子ちゃんはそういう感じではないというか。むしろ逆に、申し訳なさそうな顔をしているというか……。
「……それでは、私はこれで。失礼します、旦那様。お仕事、頑張ってください」
「あ、うん……」
茶具を片付けて、部屋を出て行ってしまう宮子ちゃん。
残された私は当然、仕事になんか集中できる気がしなくて頭を抱えた。
これは……どうすりゃいいんだ……?
とりあえずは、困った時はメアリに聞いてみるに限る。
「え? 宮子さんの言動……ですか?」
「そうそう」
廊下で捕まえた首無しメイドに、私は率直に尋ねかけてみた。
「彼女の言動に、気やすすぎるとか、侍女としての立場をわきまえていない、みたいに注意したとか、ある?」
「ええと……。まあ、確かに、彼女の言動には慎みが足りない事がある、とは思っていますが、注意するほどでは……なにか?」
「あー、いや、その」
私はメアリと宮子ちゃん、どっちも悪者にならないよう、しばし言葉を選んだ。
「最近、ちょっと彼女の言動が硬い感じがしてね。そういう風に、メアリから指導があったのかと思って」
「いえ、そのような事は……。彼女も、屋敷に慣れてきたようですし、そういった指導は今の所しておりませんね」
「そっか。それならいいんだが」
となると、彼女のあの態度はメアリの指導が原因ではない? となると……彼女自身が自分の意思で、ああいった言動をしている? なんでだ?
嫌われるような事は……まあいくらでも心当たりはあるけど。とはいえ、嫌悪感とか拒絶がある訳ではないのだ。敢えて、空気を悪くしているというか……そう。距離感。距離感が遠いというのか?
「あの。旦那様? 何か、宮子さんが粗相を?」
「ああいえ、そういう深刻な話じゃないんだ。気にしないでくれたまえ」
「それならよろしいのですが……旦那様? わかっていらっしゃると思いますが、あくまで侍女は旦那様にお仕えする身。もし侍女の態度が望ましくないのであれば、それをあらためるよう命ずるのも、旦那様の権限であり義務です。お分かりですね?」
おっと、これ以上は藪蛇っぽいぞ。
権力者しぐさ、という者に一角の拘りがあるらしいメアリに、私はこれ以上事を大きくしないよう、曖昧に言葉を濁しながらその場を後にした。
しかし、うーん。
メアリでないとすると、あとは……。
いや、彼女は間違いなく、原因じゃないだろう。けど、相談するに越したことは、ないかな。
「宮子さんの言動が最近、変、ですか」
「そうそう」
屋敷の中庭。私が探している尋ね人は、思った通りにそこに居た。
雫ちゃん。
野草に詳しい彼女は、自由時間はこうやって、中庭で栽培している野草類を眺めている事が多い。
畑の傍らでしゃがみこんで草花を眺めていた彼女は、やってきた私の問いかけにドレスの裾を払いながら立ち上がった。
「なんか固いというか、距離があるというか……かといって本人も不満がある訳ではなさそうというか、むしろ無理してそう振舞ってるように見えて。なんか息苦しいんだよね。雫ちゃんは、どう思う?」
「確かに、最近……数日前から、宮子さんの仕事ぶりが静かになったとは思ってはいました。でも、旦那様と二人きりの時はいつも通りだろう、と……まさか、ずっとあの感じなんですか?」
「そのまさかさ」
私は皮肉っぽく、大仰に肩を竦めて見せる。
大根役者の演技に、雫ちゃんは付き合いよく小さく笑って、しかし真剣に思い悩むように小首を傾げた。
「そうですか……。それ、彼女、かなり無理しているとは思います……一応お聞きしますが、嫌われたかも、だなんて勘違い、してませんよね?」
「あー。可能性としては一番高いとは思ったんだけど、なんか違うっぽいのは分かっているよ。己惚れじゃなきゃいいんだけど」
好かれるような事をした覚えもないんだけどね。ただ、やんわりと好意のようなものは、感じられるようになったというか。
それは人としての好感というよりも、彼女達の“目的”を果たす上で、私が欠かせないからこそ、というのが大きいとは思っている。
ただまあ、それでも。
これだけ毎日顔を合わせていれば、人となりも見えてくる。そうすれば、感情は好きか、嫌いかに分かれていくのも自然な事で……その結果、嫌われてはいないっぽい、というのは、そういう事だろう。
はっきり言えない、断言するのが怖いのは情けないが。ああ、認めよう。
多分、私は宮子ちゃんや雫ちゃんに好かれている。
だからこそ、今のような対応をされているのが、納得いかないのだが。
「…………ま、まあ。嫌われてないのは、嬉しいよ」
「うふふ、それはそれは。ちゃんと気持ちが伝わっていて、嬉しい限りですわ。押して押して、押した甲斐があったというものです」
雫ちゃんが手を合わせて華のように笑い、私はちょっと気恥しくなって顔を逸らした。
ええい、思春期の子供じゃあるまいし。




