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「今晩はいかがなさいますか?」と侍女は囁く  作者: SIS
第一部 欲望の館

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第五話 効率性





 奇妙な夢を見るようになって数日。


 ここしばらくは、夜はよく眠れている。不思議な事に、あのアンティークの鍵を枕元に置くとすっと眠りに入れるのだ。


 それは同時に、あの奇妙な館の夢を見るという事でもある。不思議な夢だが、しかし、あくまでただの夢。


 私の現実での生活に、何か変化があるという事もなかった。


 朝。いつものように、渋滞する道路をのんびりと車で往来する。


 この渋滞は、近くにある大企業の工場へ出社する人の車だ。それに紛れている私は、残念ながら、しがない中小企業に勤務する身。


 田舎は土地が安い。だから工場を持ちたがるのは、大中小問わずという事だ。


 そして、上が経営音痴なのも、やっぱり大中小問わないらしい。


 最近の会社の業績は良くないらしい。まあ二代目社長の思い付きで、素人から見ても絶対に採算が取れないような業務に数千万円ぽんぽんぶち込んでるのだ、経営が悪化しないほうがおかしな話。


 初代が起こし、二代が伸ばし、三代で潰れる、なんていうが、うちは二代で潰れてしまいそうである。


 それでも結局、給料もよくない会社に勤めているのは、他に行く場所がないからである。私のような平凡な人間に、世の中は冷徹だ。


 パソコンに向かって仕事をする。


 私の仕事は、CADの編集……のみならず、製造機械のオペレーター、メンテナンス、と多岐にわたる。


 そしてうちのような下請けに納期は長く与えられない。大体が突貫の仕事だ。


 計画的に処理しないと間に合わない。


「ふぅ……」


 何とか効率を考えた段取りを組み終わり、私は背を伸ばした。あとは、材料をセットして機械を回していくだけだ。


 そう思って席を立った私は、いつの間にか伝票いれに紙が増えているのに気が付いた。


 比喩抜きで何百、何千と伝えているのだが、事務所の人間は一向に声かけというものを覚えない。


 嫌な予感がしながら伝票に目を通すと、案の定。


 本日最後にやるつもりだった材料で、数時間後に出荷する品物がある。


 私は急いで予定を組みなおした。




 作業量の割に重たい頭を抱えながら帰路につく。


 結局、あのあと三回、作業手順を見直した。おかげで残業せずに全ての仕事を効率よく終わらせる事が出来たが、少し手違いがあれば何時間も残業していただろう。


 そんな私に対し、事務所連中の評価は高くはない。


 残業しない=頑張っていない、というのが彼らの価値観だ。逆に言えば、残業したら頑張っているという事らしい。故に、彼らは今日も残業に勤しんでいる。結果、対応する人間も居ないのに伝票が配られ、現場の人間は納期が一日短くなった状態で仕事をする訳だ。


 好き好んで苦労を選ぶ私が言えた義理ではないが、彼らは多分、正常な考えというのがわからないのだろう。


 そんなだから、仕事の打ち合わせの一つもできやしない。一方的に現場が苦労するだけである。


「はあ……」


 言葉にならない愚痴をつぶやいて、少しだけアクセルを踏んで車を進める。道路は帰宅ラッシュで見渡す限り渋滞だ。今日は何時ごろに家につくだろうか。




 定時は五時半、そこから7時過ぎに家に帰り。


 食事と洗濯と風呂を済ませて、少しばかりの気晴らしを熟し。


 10時すぎには布団にはいる。


 枕元に、鍵も忘れない。


 目を閉じて息を潜めると、すぅ、と意識が霞んでいく。柔らかな灰色の霞に、意識が拡散していく……。




 そうして、再びあの館に戻ってくる。


 戻ってくる、という言葉が出てくるぐらいには、私はこの夢に親しみを覚えるようになっていた。


「ん……む……」


 私は椅子に深く身を預けた状態で意識を取り戻した。しばし周囲を見渡して、ここが自室ではなく夢の執務室である事を確認する。


 時計に目を向けると、午後二時過ぎ。机の上には、嘆願書が二枚、広げられている。


「そうか。すこし眠くなって、休憩して……」


 夢の中でまた眠るというのも変な話だが、そこから現実で目覚めるというのはさらに変な話だ。気を付けないと、現実と夢が分からなくなりそうだ。現実で一日過ぎる間に、こちらで何をしているかが曖昧になっている。


 机の上の書類に目を通して、ようやく記憶の連続性が確立される。


「ああ、そうそう。これに目を通していたな。ふぁ……」


 現実では眠ったばかりだが、こちらではうたた寝から目を覚ましたところか。まだ色濃く残る眠気に苦慮した私は、ちりんちりん、とベルを鳴らした。


「旦那様、お呼びでしょうか」


 そうすればたちまちメアリが姿を表す。その手には湯気を立てるコーヒーが、数枚のビスケット共に用意されており、私は思わず苦笑した。


「そんなにわかりやすいかな、私。分かりやすいか……」


「お昼すぎは誰しも眠くなるものですので」


 ことり、と机の上に置かれるコーヒーカップ。漂う香りを、私は胸いっぱいに吸い込んだ。


 なかなか良い香りだ。


「うん、いいね。豆もそうだが、淹れ方もいい。これはメアリが?」


「厨房の料理人が。さしものメアリも、彼には勝てません」


 言われて、はたと思い出す。


 料理人。そうか、この館にはメアリの他の使用人も居る訳か。考えてみれば当たり前か。彼女一人で料理まで作ってるはずもないか。


「料理人か。そういえば顔をまだ合わせていなかったな。今からでも顔を出した方がいいかな」


「その。彼は、非常に恥ずかしがり屋ですので……。顔を出しても、隠れてしまうと思われます。大丈夫、職務には忠実です」


「そうか。そういうなら、やめておくか」


 文字通り顔の無いメアリを見つめながら、私はとりあえず納得した。


 それ以上は追求せず、カップを傾ける。


「うん、美味しい。やはり本当に美味しいコーヒーはブラックに限る」


「ご満足いただけたようで何よりです」


 言って、メアリは何やら数枚の書類を私の目の前に掲げた。


「追加のお仕事です。一服したら、頑張ってくださいね」


「……はい」


 夢の仕事もなかなか楽ではなさそうだ。


 ただ、やりがいはある。


 私は空になったカップをメアリに返し、新しい書類に目を通した。


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