第四十六話 奈落
落ちていった先は、どこかの地下洞窟のような場所だった。
幸い、上から降り積もった土砂がクッションになり、硬い地面に叩きつけられるのは避けられた。おかげで、高所から落ちてきた割にダメージは少ない。
とはいえ、無傷とは言い難い。
「いつつ……」
「旦那様、私を庇って……」
雫ちゃんを腕に抱きかかえたまま転がりおちたせいで、あちこち打ったのだろう、痛くてたまらない。それに、獣の爪を受け止めた背中が酷く痛む。どうなっているのか怖くて確認したくないが、場所が場所なので確認したくても出来ない。
「っつぅ……」
おろおろしている雫ちゃんを横に身を起こすと、はらり、と何かが体から落ちた。見れば、皮紐のようなもの。そういえば、鷹狩の装備は籠手と一緒に肩当みたいなのもあったな。見れば、分厚い革ひもが何かで断ち切られたようになっている。
どうやらこれが盾になって、獣の爪が直撃するのは避けられたようだ。
「雫ちゃん、私の背中、どうなってる?」
「え、えっと。シャツが大きく破れて、血が滲んでいます。ああ、どうしましょう、血がたくさん……!」
雫ちゃんは混乱のあまり、手を伸ばしてはひっこめたり、という謎の動作を繰り返しているが、私は逆に安心した。
熊張り手なんぞ食らったら、肉は弾け飛び骨は砕け、目も当てられないような惨状になるのがお約束だ。どうやら、鷹狩用の防具一式は私が思っていたよりもずっとずっと防御力が高かったらしい。
正直助かった、そう思いつつ、痛みをこらえて身を起こす。
「だ、旦那様!?」
「ここにずっといるのは危険だ、あの獣が降りてくるかもしれない。少し奥に移動しよう……。大丈夫、風が吹いてる。外と多分繋がっているんだ」
指先に感じる、ひんやりとした空気の流れ。見たところそれなりに天井が高い通路が遠くまで続いているらしい。
勿論、真っ暗な洞窟の中、むやみやたらに動き回るのは危険だが……どういう訳か、明るいとまではいかないがある程度見渡せる程度の暗さに留まっている。
近いのは、家の押し入れの中だろうか。目が慣れれば見渡せない事もない……もしかすると、意外と外と繋がってる場所が多く、その光の残滓のようなものが届いているのかも。
微かに水の匂いもする。まずはそちらを目指してみよう。
立ち上がって踏み出すと、ずきりと背中の傷が痛んだ。
「いっつ……」
「待ってください、まずは手当を……っ!」
痛みに膝をつく私の背中に回り込んで、雫ちゃんが息を呑む。
しかし、手当といっても、当然治療道具も何もない。今出来る事といったら、布を傷口に当てて止血するぐらいだが……。
「ちょ、ちょっと失礼しますね。服を脱がせます」
「あ、ああ」
彼女に手伝ってもらいながら、シャツを脱ぐ。防具の下につけていたシャツは、肩口から大きく引き裂かれて地で真っ赤だ。脱ごうとした拍子に、左袖だけが服からちぎれて腕に残る。ボタンを外すのも面倒くさいし、これはこれでもういいや。
しかし、このシャツは血塗れな上にズタボロでもう駄目だな。傷口を縛る布にもなりそうにない。
ハンカチの類はあるが、傷口を覆うのが精いっぱいだろう。どうしたもんかな……。
そう考えていると、背後でビリビリと布を破る音がした。
「雫ちゃん、何を」
「スカートを破いて包帯代わりにします!」
止める暇もなく、ロングスカートを破いた雫ちゃんが傷口にハンカチを宛てて、黒い布をぐるぐると私の肩に巻いていく。手慣れた……とまではいかないものの、淀みの無い手つきで、彼女は最後にきゅっ、と布の両端を結び合わせた。
「これでよし、どうですか?」
「あ、ああ……悪くはないと思う」
正直、手当の良し悪しなど私にはわからない。
一方、ちらりと見えた雫ちゃんは、ロングスカートがミニスカみたいな有様になっていた。下手をしなくても、前にかけたエプロンの方が丈が長い。細いがしなやかな彼女の太ももが露になっていて、私は反射的に目を逸らした。
何を考えているんだ、この緊急事態に。全く。
不埒な自分の考えに鞭を入れるように身を起こす。
「っつ!」
「わ、私が御支えします……っ」
雫ちゃんが私の脇に入って支えてくれる。正直けっこう頼りなくて怖いんだけど、助かるのは事実だ。有難く支えてもらう事としよう。
「ありがとう、助かる」
「いいえ、この程度の事しか……」
そこで言葉を切って、押し黙る雫ちゃん。あれ、もしかして何か気にしてる?
しばらく、無言の時間が続く。その間、ひたすら私達は洞窟の中を歩き続けた。凸凹している上に濡れていて滑りやすく、歩くのに随分気を遣う。結構歩いている気がするのだけど、振り返ればそんなに距離を稼げていない。遠くでぴちょん、ぴちょんと水の音がした。
よくないねー、こういうの。気がめいりそう。
それでも黙々と歩いていると、ようやく雫ちゃんが口を開いた。
「どうして、助けたんですか」
見つめてくる雫ちゃんの視線は、前髪に隠れてよく見えない。ただ、凍り付いたような平坦な口調の裏に、ぐつぐつと煮えたぎる熱情のようなものが秘められているのはよくわかった。
努めて冷静であろうとしている。それが、何に激情を向けているのかは分からない。
襲ってきた獣への恨みか、情けない私への憤りか。
あるいは、自分自身への。
考えてもよくわからない。どう答えるのが正解なのかもわからない。なので私は彼女の思惑を察する事を諦めて、正直に応える事にした。
「何故って。別に、理由いる?」
「それは……」
「あんな極限状況であーだこーだ考えてられるもんか。目の前に危ない目にあってる人がいたら、咄嗟に手が出ちゃうものなんじゃないの?」
漫画じゃないんだ、あんな一瞬で長々と長台詞で考察とか出来るもんか。
「ましてやそれが、憎からず思っているなら、なおさらの事さ」
「…………。……え? きゃわっ」
不意に雫ちゃんの足が止まり、思わず私はつんのめった。こけた私に引きずられるように、雫ちゃんも引き倒される。
二人そろって、湿った洞窟の床に倒れ込む。つめたっ、底に水が溜まってるっ。
「いた冷たいっ、ちょ、雫ちゃん、急に止まらないでよ」
「す、すいませんっ」
二人してずぶぬれである。じんわりしみ込んでくる水の冷たさ……これは服がかなり濡れちゃったな。
さらに足を止めると、洞窟が凄くひんやりしているのが改めて感じられる。
まずい、このままだと風邪をひきそう。
「ええと……あっ、あそこ。日が差し込んできてる、あそこでちょっと休憩がてら体を温めよう」
「あ、は、はい!」
周囲を見渡すと、少し先に太陽の光が柱のように差し込んでいるのが見えた。
恐らくは私達が落ちてきたのと似たような滑落なのだろう、明るい陽射しの下には落ち葉や土が積もっている。落ちてきた場所から見えなかっただけで、多分、この洞窟にはこういった天井穴がいくつもあるかもしれない。
いや、それって困った事じゃないか? 風の流れがあるから出口がある、と思ったが、それって全部この穴の事じゃない?
……まあいいか。もう考えてもしょうがない。
私と雫ちゃんは差し込む陽光の下に向かうと、乾いた鍾乳石の間に腰かけた。
おお、あったかい!




