第三十八話 歓迎の料理
立ち上がる白い湯気、空はすっかり日が落ちて満天の星空。
軽く星を眺めてみても、見覚えのある星座はない。ぐるぐるとした星空の下で、私は露天風呂を堪能していた。
手にした桶で湯をくみ上げ、ざばりと体の泡を洗い落とす。桶を床に置けば、かぽーん、という間の抜けた音が遠くまで響いた。
茶色く濁った湯舟に体を浸すと、足先から温まるような感じに思わず声が出る。
「ほほほ……」
湯を堪能しながら、湯舟の縁に身を預けて、再度空を見上げた。奇妙にかけた月が、閉じた瞼のように輝いている。
「極楽、極楽……」
ざばざばと湯をかき分け、私は一人呟いた。ちなみにちょっと茶色い湯、といったが、当然土や泥が混じっているのではないらしい。まあ、天然の温泉にはよくある事だ、むしろ透明より何か色がついていた方が健康に良さそうな気もする。
聞いた話では、この温泉、ただ風呂にするのではなくここの名産品である作物を育てる際にも用いているらしい。温泉のミネラルで野菜がよく育つとかそういうアレだろうか。
ちなみに、風呂場に他の人間の姿はない。当初は雫ちゃんがお世話します、と言い張ったのだが、明らかに足腰たたない感じだったので休ませた。
いやまあ、悪いのは私なんだけど。
ついでに言うと、二人で混浴なんかしたら自制できる自信がない。旅の恥はかき捨て、とはまた違うけど、いつもと違う環境で気分が大きくなっているのはあるかもしれない。
「…………」
いや。
本当にそれだけなのだろうか。以前の私であったならば、例え気が大きくなっていても、ああも容易く他人に触れただろうか。
確かに、別に私は気配りの届く人間ではなくむしろ無神経で考えが足りない方で、それ故に知らず他人に迷惑をかけている事は間違いなくある。だがそれはそれとして、他人に対しああも欲望のままに振るう事を恐れない質ではなかったはずだ。
信頼している、のとは違う。そうだな、敢えて言うならば……自信がついた? 拒絶されない、という事に確信を持てた?
それは、雫ちゃんが積極的だから、だけではないだろう。私自身が領主として仕事に励むうちに、そのことに対する責任を持つ事ができるようになったというべきか。
現実の仕事は、やりがいはあるけど、どれだけ仕事したらどれだけの報酬が相応しいか、私の受けている待遇が釣り合っているものなのか、実際の所分からない。それを決めるのはあくまで他人や世の中であって、私の価値観や基準など誰も顧みてはくれない。
だが領主の仕事は違う。それは明確にこの世界の多くの人々の人生を左右し、そしてその報酬と権利を決められるのも私だけだ。その事が、自分自身を肯定する力に繋がっているのかもしれない。
ああ、そうだ。
私は確かにこの世界で領主として振舞う事に、やりがいと意義を見出している。
「……ふっ。何を考えているんだ、所詮夢の話だろう?」
風呂べりに背中を預けて、自分の妄想に失笑する。
ただ、悪い気分ではなかった。無責任なカウンセリングや言論者は「自分の価値を決めるのは自分自身だ」等と世迷い事をほざきもするが。
所詮夢、されど夢。私の見ている夢の中でぐらい、自分の価値観が絶対でもいいのかもしれない。
「ん……」
ぼんやりと、そのまま空を見上げる。ゆったりとした時間は、不意に、入口から聞こえる囁き声で中断された。
「……旦那様。失礼します、お食事の準備が出来たそうです」
「あ、そうか。わかった、すぐに上がるよ」
「はい、お待ちしております」
呼びに来たらしい雫ちゃんに応えて、湯舟から出る。湯をざばざばと滴らせて、私はぺたぺたと脱衣所に向かった。
そして、夕食。
内心、どんなものが出るのかな、と期待しつつ、用意された浴衣っぽい服に袖を通した私が案内されたのはどことなく民泊の雰囲気が強い部屋だった。
部屋の中央には囲炉裏らしきもの。パチパチと燃える灰の上で、天井からつるされた大鍋がぐつぐつと煮立っている。
その大鍋をとりかこむように、館の住人達が勢ぞろいしている。
一際豪華な着物を羽織った奥方らしき人、そのご子息か兄弟なのか一回り小さい根菜人間が二人に、使用人らしき方々が三人。館に到着した時に語らった、ご主人の姿はない。何か用事があるのだろうか。
そして一足先に合流していたメアリの姿もある。
私がメアリの隣に腰を下ろすと、それに続いて雫ちゃんも私の隣に座り込んだ。
「どうも、今日は我が家への宿泊、どうもありがとうございます。ささやかながら持て成しをご用意させていただきましたので、どうぞご堪能くださいませ。こちら、主人の料理でございます」
「ほほう。みぞれ鍋ですか。美味しそうですね」
鍋の中でぐつぐつ煮立っているのは、白雪のような大根おろしの山だ。その中に、山菜やキノコ、近場で取れたであろう野鳥の肉などが見え隠れしている。
いいね、見える風景やうちの館は洋風ファンタジーだったのでどういう料理がでてくるか不安だったが、こういう朴訥な郷土料理は大好きだ。
「それでは、ありがたくいただきます」
器を手にすると、雫ちゃんが気を利かせてよそってくれる。メアリはそれを見て動かない、館の外でも侍女は黙して食事せず、を貫くつもりのようである。
「旦那様、どうぞ」
「うむ」
まずは一口、出汁をすする。
美味しい。ちょっと濃いめの出汁に、優しく甘みのある大根おろしがよくマッチしている。大根おろしは生だと辛味があるけど、こうして火を通すと本当に優しい味になるんだよね。
それにしても本当に美味しい。これまで食べたみぞれ鍋の中で一番かもしれない。
「これは絶品ですね」
「ふふふ、ありがとうございます、領主様。主人もさぞ喜ばれるでしょう」
「ははは、そういって頂けるとありがたい。ところで、その主人はどちらに? もしかして奥で仕込みなどを?」
ちょうど話題になったので、気になった事を訪ねてみる。
先ほど、この鍋を用意したのがご主人だとおっしゃっていたので、恐らくは料理が得意な方でいらっしゃるのだろう。ただせっかくの機会だ、できれば鍋をご一緒にしたい、ただそう考えての発言だった。
深い意味など、考えていなかった。
「何をおっしゃいますか、主人ならほら、目の前に」
「…………え?」
私は反射的に視線を落とす。
目の前? 目の前には、囲炉裏の上でコトコトと煮込まれている、みぞれ鍋があるだけだが。
いや。
いや、いや、ちょっとまって。
何だか。
すごく嫌な予感がしてきた。
しかしそんな私には構ってくれず、奥方は両手を合わせて、にこやかに説明してくれた。
「“主人の”みぞれ鍋、絶品ですとほめてくださったじゃあないですか、ね?」
そこから。
何を食べてどんな味だったかは、覚えてない。




