第三十七話 一滴の誘惑
「それでは、ここでしばしお寛ぎください。夕餉の支度ができましたら、またお呼びします」
案内されたのは、館の奥の品のいい部屋。
黒光りする木材の調度品で揃えられた一室。高級宿の部屋のように見えるその部屋まで私達を誘った屋敷の主人は、軽く頭を下げて退室していった。
残された私達はというと、荷物を部屋の片隅に置いて、んー、と背伸びをする。
「や。一時はどうなる事かと思ったが、それなりに居心地がよさそうな部屋でよかった」
「? 何か不安な点がおありだったのですか? 確かに、旦那様を迎え入れるには聊か、貧層な館ではありますが……」
「ああ、いや。そういう話じゃないんだ、メアリは気にしないでくれ。私の勝手な気分の問題さ」
小首をかしげるメアリに、私は苦笑いして手をふってとりなす。彼女と私の間にある、常識のあまりにも分厚い壁はちょっと乗り越えられそうにない。
「そうですか? それならよろしいのですが……。それと申し訳ありません、旦那様。私はやる事がありますので、しばし部屋を失礼させていただきます。何かあれば、雫さんにお申し付けください」
「あ、ああ。わかった、よろしく頼む」
この旅は実質的に彼女が仕切っているようなものだから、色々やる事があるのだろう。ちょっとした飲み会の幹事だって予算の計算やら何やらあるのだから、このような旅ともなればなおさらだろう。
メアリを見送ると、部屋には私と雫ちゃんだけが取り残される。とりあえずソファに座って、私は彼女に話を振った。
「いやあ、びっくりしたね。野菜人間だなんて」
「は、はい……。あの白い肌は大根でしょうか?」
「わからない。蕪、という可能性もあるしね……」
互いに探るように語り合って、ぷっ、と噴き出す。しばし、潜めるような笑いが部屋に響く。
「ああ、よかった。雫ちゃんも同じ考えで。これでしれっと「何を言ってるんですか?」とか言われたらどうしようかと思った、まああった時の反応でそうじゃないのは分かってたけど、一応ね」
「私も、旦那様が思ったよりも取り乱さなかったので、ちょっと心配でした。やっぱ変ですよね、あれ」
「変も何もおかしなとこしかないだろアレ」
互いに立場を忘れて違和感を訴えあう。それで人心地ついて、私はふぅ、とソファに深く身を預けた。
「いやあ、びっくりした……。その反応だと、屋敷の使用人達はああじゃないんだ? 私は合った事ないけど、雫ちゃん達は侍女として顔合わせはしてるんだろう?」
「ええと……はい、でもいいえというか……」
「ううん?」
煮え切らない返事だな、と身を起こすと、雫ちゃんは気まずげに視線を横に逸らして言いづらそうな態度。
「料理人さんも、獣医さんも、庭師さんも、皆、フードやら何やらで顔を隠しているので……実際の所、人間かどうかもよくわからないと申しましょうか……」
「……そ、そうか」
なんだか急激に屋敷に戻るのが怖くなってきたぞう。慣れ親しんだ館の正体がパンデモニウムとか、そういう事ある?
とはいえ私が選んで雇った人員じゃないしな……。メアリはあの歩く大根人間を当然のような顔をしていたしそういう事かもしれない。もしかして顔合わせしなかったのもそれが理由……? 野菜人間を平然と合わせるメアリが面談を渋るって何者……?
い、いや、考えすぎかもしれない。メアリは私の認識と自分達の認識に大きな齟齬があるとは認識していない感じだったし……。
「ま、まあいいか。考えすぎても仕方ない。とりあえずは、呼ばれるまではゆっくりしてようか」
「そうですね。しかし、なんていうかひなびた旅館のような部屋ですね。旦那様は領主、つまりは貴族のような立場なのですから、もうちょっとこう、あったような気もしますが」
「まあ、見た感じ普通の村っぽいからね。それを考えるとまだ設備が整っている方って言えるんじゃない?」
それに、体験した事のないような豪華体験よりは、ある程度身に覚えがある寛ぎ空間の方が気が休まる。
みれば、机の上にお饅頭のような御菓子も置いてある。まるで、じゃなくてまんま旅館である。
となると露天風呂とか、温泉とかもあるのかな。ちょっとワクワクしてきたかもしれない。
「とりあえずウェルカムドリンクならぬ、おいでやす饅頭を頂こうか。どんな味だろう」
「そうですね。……あ、そうだ。ちょっといいでしょうか、旦那様」
「? 何かな」
何事かを思いついたらしい雫ちゃん。流れ的に想像はつくけど、もしかして。
「ふふふ、ベタですけど、こういう時はこれでしょう。はい、あーん」
「おぉ……」
饅頭の置かれた皿を手に取り、私の口元に持ってくる雫ちゃん。いいね、なんだこうとても偉くなった気がする奴だ。
現実でこんな体験をしようと思ったらいくら積めばいいんだろう? そんな事を考えながら、私はソファに座ったまま、差し出された饅頭に被りつく。
もぐもぐ。
うん。美味しい……というにはいささか微妙な味、ちょっとぱさぱさしてるけどまあこんなもんだろう。
何より雫ちゃん手ずから食べさせてもらえるというオプションがいいね。
「うん、美味しい」
「ふふふ、よかった」
私にしなだれかかるように身を寄せたまま、くすくす笑う雫ちゃん。
なんだかな、宮子ちゃんは陽の者、って感じで、凄く年頃の女の子っぽい恥じらいだとかデレかたをするけど、雫ちゃんはちょっと違うな。しっとりとしているというか、陰の者……という訳もでないんだけど、なんていうか大人の色気がある。かと思えば、童女のようにあどけない時もあって……魔性、とはこういう事をいうのかもしれない。意外と、宮子ちゃんより激しいのが好みみたいだし。
見た目は背が小さいのもあって妖精みたいなんだけどな。
そんな風に二人きりで楽しんでいた訳だけど、まあぶっちゃけ油断しきっていたといえるだろう。
故に、ガチャリ、とドアが開いた時に、私達は二人ともすぐに反応できず、体を重ね合ったままだった。
「すいません、言い忘れておりました。睦言に励むのは全く構わないのですが、村の者に適当に手出しするのは控えて……」
「あ」
「え」
何事か言いながら戻ってきたメアリと、私と雫ちゃんの視線が交差する。
束の間、客間に気まずい空気が流れ、そして。
「……要らぬ心配だったようですねどうぞごゆっくりお楽しみくださいそれと夕飯はそれなりに遅くなりそうなので先にお風呂などいかがと思われますわ」
「あ、いや、ちょ」
早口で一方的に捲し立てたと思うと、メアリはいそいそとその場を後にした。
思わず弁明の為に呼び止めようとするが、伸ばした手の先でぱたん、と扉は閉ざされてしまった。
「ああ……勘違いされてしまったかな……」
「……勘違い、なんですか?」
「え?」
ことん、と皿を後ろ手にテーブルに戻し、雫ちゃんが私の体の上にまたがってくる。軽い体が、とす、と体重を預けてきた。
「私は……すっかりそのつもりでいましたのに」
「し、雫ちゃ……」
「どうでしょう、旦那様。夕餉の前に軽い運動として、馬車の続きなどはいかが……?」
蠱惑的に誘いながら、雫ちゃんはエプロンドレスの襟元を緩める。大胆に開かれた首元から、華奢な鎖骨がちらりと見えて、ごくりと私は唾を飲む。
自制が効いたのはそこまで。
私は雫ちゃんの細い腰を強く抱き寄せ、その唇を奪った。
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