第三十三話 親書
「ペルセポネ、ですか」
昼食後の昼下がり。休憩に珈琲を運んできたメアリ相手に、私はしばし雑談に興じていた。
話題は、侍女二人にも話した白鷹の名前である。
「ああ。由来は知ってるかい?」
首がないけど頷くメアリに、私は少し探るつもりで尋ねかけてみた。
前の黒鷹にミネルヴァなんて名付けていたのだ、ペルセポネを知らないはずはないと思うのだが。
ちなみに、ミネルヴァはローマ神話に出てくる女神の名前で、ギリシャ神話のアテネと同一視される事が多い。使い魔として梟を連れていると言われ……まあ、ある意味、鷹につけるにはアンマッチな名前だ。
それに対してペルセポネは、ハデスの妻となった豊穣の女神だ。冬になると自然の恵みが失われるのは、彼女が夫であるハデスの元に戻るからだと言われている。
案の定、小さくメアリは頷いた。
「多少は。冥界の神の妻で、豊穣を齎す女神でしたか。……なるほど、旦那様の鷹としては相応しい名前ですね。きっと、よい巡りをもたらしてくれるでしょう」
「はははは、そうだね。ちょっと願掛けも入っているかも。それで、鷹狩の話なんだが……」
「勿論、予約を入れておりますわ。一時はどうなるかと思いましたが、流石旦那様です。私めが要らぬお節介を焼く必要はありませんでしたね」
手を合わせて上機嫌な様子のメアリに、私も嬉しい気分になる。
なんだかんだで、ちょっと楽しみではあったのだ、鷹狩。この世界の他の領主と顔を合わせる機会という事で、確認したい事がいくつもある。
……そう、この世界は夢だ。現実ではない。
だが唯の夢想だとは、そろそろ割り切れなくなってきている。いくらなんでも、一月近くずっと同じ夢の続きを見るなんて、常識的に考えてあり得ないだろう?
勿論、あまりにも都合の良い内容の夢に良からぬ想像もするが、現状この夢が私に何かしらの害をもたらす兆候は確認できない。寝ている間に生気を奪われて痩せこけているとかそういう事もなく、むしろストレスをこちらで発散できるせいか最近は顔色も良い。寝不足だったのも解消されてきている。
それならば、せっかくの不思議で楽しい体験だ、楽しむべきだろう。
どうせ、こんなあり得ない事、他の誰かに相談する事もできないのだ。話した所で頭がおかしくなったと思われるのが関の山、どの道、私自身の中で噛み砕くしかない話。一抹の不安と警戒を忘れなければ、きっとそれが一番正しい。
そうして腹をくくればこの世界に興味も沸いてくる。
現状、私がこの世界で出会った人間はメアリ、雫ちゃん、宮子ちゃんの三人だけだ。うち、宮子ちゃんと雫ちゃんは私と同じ普通の人間だが、メアリは首の無い不可思議な姿。森に居る動物も皆おかしな見た目で……実際の所、この世界の住人はどっちが普通なのか判断しかねているのだ。一応館に居るらしい医者や料理人とは、何故か接触する事が出来ないし。
だからずっと気になっているのだ。館の外の人間も、メアリと同じ異形なのか、それとも宮子ちゃんと雫ちゃんみたく、普通の人間の姿なのか。
さらに言えば、最初にメアリは外にもこの世界の来訪者が居るような事を言っていた。もしかすると他の領主というのは、私と同じ夢を訪れた同類かもしれない。それならば、色々話してみたい事もある。
とにかく。私は未だ、この夢の事を知らなさすぎる。
そんな私の内心を見透かすように、メアリが華やかな声で語り掛けてくる。
「ふふ。どうやら、旦那様もこの館の事を、領地の事を好きになってくださっているようですね。侍女長として嬉しい限りでございます」
「まあ、がっかりさせない程度には、頑張りたいと思っているよ」
以前はこの不思議な夢から追い出されたくないなあ、とメアリの機嫌を伺うような事もあったが、最近はこの侍女長に、裏も表もないのではないか、と思い始めてきている。
彼女はあくまで、侍女長、そして私を導く仕事に熱心なだけで、全ての段取りを組んだ者は別にいるのだろう。
その者の思惑はいまだにわからないが……。
とりあえずは、目の前のイベントを一つ一つ、こなしていくべきだろう。
「それで、鷹狩はどこで、いつ、行われるんだい?」
「開催日は今週の日曜日でございます。場所は、ここから馬車で二日ほど行った先の高原にございますわ。手紙によれば、今回は三名の領主が顔合わせになられるという事です」
言って、メアリは懐から三通の手紙を差し出してきた。何から何まで手際がよい、私の行動はよほど分かりやすいようだ。
手紙はいずれも、古めかしく格調高く、蝋によって封印されている。そこに刻まれている何がしらの模様は、それぞれの家の紋章だろうか。
机から取り出したナイフで便箋を開き、中身を検める。
いずれも、特に変わった事は書いてはいない。鷹狩の参加への意思表明と、短い挨拶程度のものだ。
「私も出すべきだろうね。道具はどこにあるのかな?」
「旦那様の右側、一番下の引き出しでございます」
言われて初めて、その引き出しの存在に気が付く。
こんなのあったかな……いや、夢らしいといえばらしい話か。ゲーム的に言えば、経験値を貯めイベントフラグを立てた事で、可視化できるようになったという事かな。
引き出しを引くと、粒状の赤い蝋が入った瓶やスプーンみたいな鍋、そしてスタンプが入っていた。金属製のスタンプを取り出してまじまじと観察すると、うちの紋章は翼を広げた鳥のようなものらしい。ただし、頭は骸骨、それも人間ではなく牛か何か別の動物のものだ。どっかで見た事あるようなデザインだな……。
「よし」
道具を確認して、まずはさらさらと手紙にペンを走らせる。三通、挨拶の文面を書き上げて便箋に閉じる。
そしてちょっとワクワクしながら、机の上の蝋燭に火をつけた。
ゆらゆら揺れる炎に、蝋ビーズを淹れた鍋を近づけるとじわじわと蝋が解けて形を失っていく。
それを便箋の上に丸く垂らしていく。思ったよりも蝋はさらさらとしていて、狙った所に落とすのはそう難しくは無かった。
最後に、スタンプをぎゅ、と押し付けてしばし待ってから、まっすぐ引き上げる。間に溶けかけの蝋が糸を引く、なんていう事もなく、封蝋が施された。
「おぉー」
ちょっと感動しながら便箋を取り上げ、翳して確認してみる。
デザインだったりなんだったりで見慣れてはいるが、本物をこうして見るのも押してみるのも初めてだ。なんだか感慨深い。
「じゃあ、よろしく頼むよ」
「承りました」
蝋が冷えて固まったのを手渡すと、メアリは恭しくそれを懐にしまい込んだ。
あとは日程か。カレンダーを確認すると、出発は明後日になるか。二日かかるという事はどこかの村か街で一晩過ごすのか、それとも野宿かな。
「移動の予定はこのようになります」
問いかけるでもなく、メアリが机の上に広げた地図を広げて指し示してくれる。
館をでて、まっすぐ東に。川を越えた先、デシメーターという村で一晩を明かす。その後はしばらく東にいったあと、南下。そこが鷹狩大会が開かれる高原になる。
デシメーター。そういえば書類仕事で何度か目にした名前だ。
「農地で何度か揉めていたよね。農業が盛んなの?」
「盛んといいますか、特産品の無い所は皆農業をしておりますので。ああでも、取れる作物の品質はよろしいかと。旦那様がいらっしゃるとなれば、腕によりをかけてくださると思いますわ」
「大丈夫かなあ、過去の書類の裁定で恨みを買ってたりしない?」
そう、そこがちょっと不安だ。プチ一揆みたいになったりしたらどうしよう。
そんな私の不安を、しかしメアリは小さく笑った。
「まさか、そんな事はありませんよ。結果はどうあれ、旦那様のご判断です。それに、見た限り旦那様がデシメーターという村を特別扱いした事はありません。公平な判断として、不満はあれど抑えるでしょう」
「そう?」
「といいますか、その程度の事で反乱を起こすような村は取り潰しにするのがよろしいかと。悪性腫瘍は切除するものです」
さらっと殺意に塗れた言葉が出てきて、私は背筋を伸ばした。
今のはメアリの本音なのか、私に配慮してなのかは分からないが、血生臭いのは勘弁してほしいな。
「わ、わかった……。それで、誰が付いてきてくれるんだい? まさか私一人で行かせるはずもないよな」
「勿論ですわ。本来なら、何十人という使用人を連れて行って、その家の力を示すものですが……旦那様はあまり華美な催しは好まれないお方ですからね。他の家にも遠慮して、少人数がよろしいかと。ご安心を、このメアリ、粉骨砕身、旦那様の身の安全を保障させていただきますわ」
一番聞きたかった言葉が聞けて、正直ほっとする。
やはり、未知の領域に向かうにあたって、彼女が傍に居ないとなるとなんだ、とても困る。いつまでも頼りにする訳にはいかないのは分かっているが、こればかりはね。
「それを聞けて助かったよ。となると、あとは宮子ちゃんと雫ちゃん、二人を連れていくかな」
「いえ。そこはお一人で十分かと。一人は、館の管理に残していくべきでしょう」
「え?」
駄目なの!?
「いや、でもせっかく遠出するんだし、二人にも気分転換してもらいたいし……」
「旦那様。従僕の労働環境をご配慮なさるのは大変結構ですが、手厚く扱うのと甘やかすのは違います。そこはきっちり線引きして頂かねば」
「う……」
それを言われるとちょっと痛い。
「帰りの日程ですが、同じ村に二度、連続して宿泊するのはあまりよろしくはないので、申し訳ありませんが野宿、という事になります。それも踏まえて、連れていく侍女をお決めください」
なるほど。
地図を確認するが、都合の良い位置関係の村は他にはないようだ。短期間に二度も同じ村を利用するのは、周辺に対して贔屓のようになる、という事だろうか、言いたい事は分からないでもない。
「わかった。ただ即決は勘弁してくれ、すこし考えたい」
「それは勿論。どうぞ、ごゆっくりお考え下さい」
その上で、しっかり結論は出してくださいね。
言葉にならないメアリの本音。言わずともそれがにじみ出ているのがありありと分かって、私は思わず苦笑を浮かべた。
相変わらず手厳しい。
「ああ。ちゃんと答えは出すよ」
「よろしくお願いいたします」
頭を下げるメアリに頷いて、私は机の上に視線を戻す。
まだ未解決の書類がいくつかある。考える時間を作るためにも、まずはこれを決裁してしまわないとな。
部屋を出ていくメアリの後ろ姿を見送り、私は仕事に意識を集中させた。
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