第三十一話 日常は変わらず、されど
翌朝の朝食は、何とも言えない奇妙な緊張感のように満たされていた。
席に着き、視線を向けると一目瞭然。
いつも通りの澄ました顔をしているのは雫ちゃんぐらいのもので、宮子ちゃんもメアリも、どことなくぎこちない態度で朝食の準備を進めている。
理由は言うまでもない。
昨晩は私は雫ちゃんと共に一夜を過ごした後寝室に戻った。
寝室では相も変わらず宮子ちゃんが幸せそうに寝コケていたのでほっぺを突いて遊んでいると、そこにやってきたのがメアリである。
流石というか、彼女は一目見て状況を理解し、同時に己の失態を理解した。
コメツキバッタのように頭を下げてくる彼女をなんとかとりなして、ふわふわと起きてきた宮子ちゃんを任せると朝風呂に入り、さっぱりしてから朝食……というのが、これまでの経緯である。
ちなみに、部屋の片隅には白鷹が昨晩と同じように控えている。人間の都合など知る由もない彼は、くしくし、と羽を手入れしながら、「なんだこいつら?」とでも言いたげな訝し気な視線で侍女達を見ていた。
いやあ、なんだろうね?
「旦那様、本日の朝食でございます」
「ありがとう、雫ちゃん。おっ、これは、私の好きな奴かな」
いそいそと台車を運んできた雫ちゃんが、私の前に皿を並べてくれる。
本日のメニューはオリーブオイルのかかったサラダと、トースト、そしてホットミルク。トーストには円形の薄く切ったチーズをこんがりとろーり焼いたものが乗せられている。これには見覚えがある、カチョカバロという奴である。吊るして熟成させたチーズでコクがあり、焼いて食べるとカリカリ、とろーりの両方の食感を楽しめる絶品である。これをパンに乗せて食べるのは現実でも大好きだ。
「いただきまーす」
好物という事もあって、ぺろりと皿を平らげる私。そんな私の横で、メアリがどこか居心地悪そうに、白鷹に肉片を用意しているのがちらりと見えた。
あっちも朝ごはんか。
『ケッケェ』
小さく鳴いて、メアリの手からご飯を受け取る白鷹。触手を絡ませてもごもごとするが……不意に不自然に動きが止まり、ぽろり、と餌を落としてしまう。
思わず私も食べ進める手が止まる。
おろおろするメアリの前で、白鷹は固まったまま動かない。見れば、巻かれた包帯に、じわり、と小さく血が滲んでいるのが見えた。
ああー。動いたから傷口が開いたかな。
私は指のチーズ汚れを卓上のフィンガーボウルで洗うと席を立った。
「ほれ。落ち着いて食べろよ」
『ケッ、グルッ』
左手を受け皿のように添えつつ、右手で白鷹の口元に肉片を持っていく。触手が餌を掴んでもしばらく手放さず、ぎこちなく鷹が肉をついばんでいくのに付き合ってやる。
「よしよし、よく食べたな。偉いぞ」
『……ゲッ』
小さく鳴いた鷹が、もじもじと枝の上で身動ぎする。私はそれに小さく笑い、席に戻った。素早く寄ってきた雫ちゃんが、私の両手をぬれタオルで拭いてくれる。あ、気が利くね。
宮子ちゃんとメアリは……うーん、なんかあわあわしている。
うーん。思ったよりも、自分のやらかしにショックを受けてるのか、二人とも。特にメアリなんて、私に手を煩わせるような事は基本的に無い訳だしなあ。
ちょっとフォローしておくか。
「あー、うん。二人とも……宮子ちゃんも、メアリもちょっと聞いて欲しい」
「は、はい」
「これは別に私の器が大きいアピールではないんだが、基本的に私はミスをあんまり叱らない方針でやろうと思っている。なんでだと思う?」
唐突な私の言葉に、メアリと宮子ちゃんが顔を見合わせる。いや、メアリには顔はないんだけどね。
「……あまり叱ると、ミスを隠すようになる、からでしょうか」
「そうそれ。流石にメアリは分かってるね。そもそもさ、一度のミスが取り返しのつかない事になるなんて、無い訳じゃないけどいつもそうじゃないだろう? 日々のちょっとした事に完璧を求めるようなのはしんどいし、それがかえってミスを増やす事になる。大切なのはミスをしない事じゃなくて、ミスの再発防止とリカバリーが出来る、見通しのよい職場環境だと、私は思うんだよね」
「……お言葉ですが、旦那様。それは聊か、恩情というよりも甘い考えなのでは? 侍女は所詮、侍女でございますわ」
気持ちよく語っていると、雫ちゃんが澄ました顔で苦言を呈してくる。
うーん、仰ることは御尤も。やっぱり雫ちゃん、経営術とか心得ている?
「まあ、それはそう。だからまあ、ここで問題なのは、一応館の主である私がどうすれば気持ちよく過ごせるか、って点で考えて欲しいな。私からすればメアリも宮子ちゃんも頼りにしてるんだから、そんな畏まってどうか罰してください~、みたいな顔をされるとやり辛い。わかる?」
「そ、それは……」
「申し訳ありません……」
二人そろって頭を下げられる。まあそういうんじゃないんだけど、まあ、一応こちらの気持ちは伝わったと考えよう。
「そういう事だから、はい。気まずいのは分かるけど明るくいこう、明るく。何も無罪放免って訳じゃないから、後でちゃんと釈明は聞かせてもらうからね、特にメアリ」
「は、はい。それはもう」
「よし、じゃあこの話はお終い! 朝食も終わり! さ、今日も一日頑張りましょう!!」
ぱんぱん、と手を叩いて、会話を切り上げる。
傍らの白鷹は人間達の様子を興味なさそうに見つめた後、もしゃもしゃ、と餌を引き千切る作業に戻った。
そして、現実に目覚める。
「……うーん」
枕元でヴィーム、ヴィームと音を立てるスマートフォンの電源を切る。
もぞもぞと布団から這い出すとひんやりとした朝の空気が私の背を震わせた。
「うー、寒、寒」
その寒さで一発で目が覚める……という事もなく。ぼんやりした意識のまま、私は布団の中への猛烈な誘惑に耐えつつ、ベッドからずり落ちるように這い出す。
「と、おっと」
そこでふと思い出し、枕の下に手をつっこむ。ごそごそと探す指先に、ほんのり温い金属の感触。
黒光りするアンティーク調の金属鍵。冷たい朝の空気に染まらず、人肌にぬくもったそれを私は机の上に置いた。
「良い夢をありがとう。今晩もよろしく頼むね」
小さく鍵に礼を言い、私は洗面所へ顔を洗いに向かった。
そして、会社に出勤。
本日の仕事も、さして面白みも変わり映えもしない。
いつもと同じ内容。
ただ、主観で言えばその間に領主のお仕事である嘆願書対応が挟まっているせいか、久方ぶりの仕事……なんだか、気持ちがすっきりとリフレッシュできている気がする。
逆に言うと前日どうしたかちょっと忘れがちなのだが、この仕事場においては朝来た時点で前回帰宅前に立てておいた予定が全リセットされるのがデフォルトなのでそう困るものでもない。案の定、他の伝票に割り込む形で短納期の仕事が追加されているので、それを踏まえて段取りを組む。
「あっ。これ間違えてたか……」
そして時間が経つと、思い込みも消えている。改めて設計図をチェックしていると、正しいと思っていた部分に妙な間違いを見つけたので修正する。自分で作ったものを自分でチェックすると思い込みがあるから変な見落としがあるものだ。
そして私がミスすると後工程全部素通りして面倒くさい事になるのは言うまでもない。倫理の機能していない現場はこれだからやだね。
カタカタカタ、と図面を弄っていると不意に傍らでドガバァン! という耳をつんざく金属音がして私は顔をしかめた。
うわあ、きやがったよ。
相も変わらず、何言ってるのか分からない大声で怒鳴り散らすナマモノ。適当に聞き流しながら検分すると、まあ、あほらしい。取り付ける向きを間違えてる事にすら気が付かずに設計が違うって言ってんのか、これ。
呆れつつ指摘すると、一旦は押し黙るナマモノ。そしたら今度は、自己弁護の為に言い訳やら責任転嫁やらを捲し立てながら戻っていった。
溜息をついて仕事に戻る。
キーボードを叩きながら、私の脳裏に浮かぶのは館の事、領主の仕事の事だった。
あっちの仕事だって、曖昧で、これという答えもない。成果が目に見える訳でもなく、評価がはっきり表れる訳でもない。
ただ、あちらでの仕事には、尊厳と敬意がある。私の判断と決断が、そのまま、仕事の結果となる。その明朗さは現実には無いものだ。
変なプレッシャーやストレスもない。その中で業務に励む中で、なんていうか、こう、頭の中に処理回路のようなものが、一本筋通った気がする。
その事が、現実の仕事にも生かされているのだろうか? いつもであればああやって横暴に振舞われた後は、屈辱と憤りに歯噛みするばかりで、しばらくは仕事にならない事が多かった。なのに今は、すんなりと棚上げして、仕事の続きに取り掛かれている。
あるいは、そうだな。これまでは家と職場を往復するだけの生活で、行ってみれば人生の大半が職場に占められていた。その職場で理不尽な目にあっているせいで、人生の大半が理不尽で救いようのないものに感じていた面はあった。それが、館で過ごす時間が増えたせいで、そうではなくなったというか、視野が広がったというか。
「…………ふっ」
そんな事を考えている自分が可笑しくて口元が緩む。
夢は夢、妄想は妄想だ。
現実に何かを持ち帰れる訳でもないし、心の持ちようで他者の暴力が緩むものでもない。
例えば夢の世界で天下を取った所で現実には何もない。私の体験などありふれた事だ、胡蝶の夢なんて言葉がある程度に。
ただ……まあ、それで少しは現実が楽になるなら、そこに意味はあるのだろう。
私は少し頬杖をつき、そこからは精いっぱい仕事に集中した。
残り3時間。残業しなくて済むようにきっちり終わらせるとしよう。




