第二十九話 紅茶の香りの酒
そして、再び夜がやってくる。
私は寝室で一人、小さなテーブルでアルコールを楽しんでいた。ちなみに恰好はいつもの寝間着じゃなくて、こう、ラフだけどそこそこしっかりしたシャツとロングパンツだ。今晩は、宮子ちゃんといっぱいやる約束だったからね、恰好もそれなりにしない。
待っている間、口を湿らす程度に小さなグラスに注がれた鮮やかなピンク色のカクテルを口に運ぶ。ただ甘いだけでなく、苦みや酸味が入り混じった複雑な味が舌の上に広がる。
なんかこう、これをもっとお洒落に表現できたらカッコいいのだろうが、現実でバーに行く事もない私にはお酒の味を的確に表現する事は困難だった。
現実のカクテルもこんな風に、独特の風味があるものなのだろうか? これをきっかけに顔を出してみるのもありだろうが……そもそも、どんな格好で行けばいいのだろう。一見さんでも入れるものなのだろうか?
そんな事を考えながらグラスに刺さっていたレモンを齧っていると、こんこん、とドアをノックする音がした。
「旦那様、宮子です」
「どうぞ、入っておいで」
静かに音もなくドアが開かれ、メイド姿の宮子ちゃんが顔を出す。彼女は後ろ手でドアを閉じると、少し取り繕った感じの笑顔で私の傍までやってきた。
「え、えへへ……今晩もよろしく、お願いします」
「うん。じゃあ、とりあえず一杯、どうぞ」
反対側の席を示すと、彼女は「失礼します」と一言かけて、椅子に小さく腰かけた。座る際に手早くスカートを整える仕草も忘れない。
こちらの時間経過で彼女達がやってきてそろそろ一週間は経過するのか。この短時間で随分らしい仕草が身についたような気がする。
恐らく厳しいであろうメアリの指導を想像して、私は思わず彼女に尋ねかけた。
「その。仕事や指導、やっぱり大変?」
「え?」
グラスを傾けて眺めていた宮子ちゃんは、突然の私の質問に呆気にとられた顔をする。
しまった、ちょっと唐突だったか。もう少し、自然に話が進むように話題選びをしないと。
しかし、ちょっと戸惑っただけで宮子ちゃん的にはさほど困惑する話ではなかったようで、彼女はグラスを置いて、んー、と首を捻った。
「まあ、確かに侍女長はちょっと怖いですけど、指導そのものは真っ当で丁寧ですし。そこまで過剰に厳しく言われる訳でもないですよ。教本もあるし。どうして突然そんな事を?」
「ああ、いや。今の座る際の仕草が、なんかすごくらしく見えたから……」
正直に答えると、宮子ちゃんは嬉しそうに微笑んだ。
「そうです? ふふふ、そんな風に言われると嬉しいです。本当を言うと、この恰好で働くの満更でもなくて。そのせいかな? 細かい所作について言われるけれど、あまり苦には感じませんね」
「なるほど。それなら、まあ、よかった」
会話の切れ目と思われる所で、グラスを傾けて口を湿らす。
それを見て、宮子ちゃんも自分のグラスに手を伸ばし、小さく傾けた。
「あ、面白い味。これは旦那様が?」
「いや。メアリに、寝室で少しお酒が欲しい、っていったらカクテルはどうでしょう? みたいに提案されてね。おまかせで用意してもらった」
「へえ……? 料理長が作ったんですかね? あの人、何でもできますね」
く、とグラスを傾けて、三分の一ほどを一息で飲み干す宮子ちゃん。
確か彼女は、まだビールぐらいしか飲んだ事がない、という話だった。その割にはいい飲み口、多分アルコール度数の低い軽いカクテルなのだろう。
「どんな味? 私のは甘いけどちょっとほろ苦い感じもあるね。グレープフルーツみたいな」
「ふふふ、色もピンクでそれっぽいですね。私のは……なんでしょう? 紅茶っぽいですね、味も香りも」
「カクテルティーみたいな感じか。口当たりもよさそうだね」
缶チューハイでもよくあるなそういうの。紅茶絶対主義者からすると噴飯ものなのだろうが、あまりそういうの気にしない身としては飲みやすくて割と嫌いじゃない。
まあ飲みやすい分、ガバガバ行けちゃうのでアルコール度数が低くても酔っぱらいやすいのだが、グラス一杯なら問題はあるまい。
メアリと料理長、どっちの選出かは知らないが、気分を盛り上げるにはちょうどいい選出かも。
向かい合う宮子ちゃんが、ことり、とグラスをテーブルに戻す。その頬は妙に上気していて、小さく吐く息がどこか、妙に色っぽかった。
「ふぅ……」
「? しかし、今日はなかなか大変だったね。館の外をまわれたのはよかったけど」
「ふふ、そうですねえ……。鷹が飛び掛かってきた時はびっくりしました」
そうそう。まさか声をかけただけで襲い掛かってくるなんて予想外だった。何が気に入らなかったんだろうか。
「あの時は宮子ちゃんのおかげで助かったよ。それにしてもあんな不安定な鞍の上でハイキックなんて、運動神経がいいんだね」
「えへへへ、そんな大した事じゃありませんよぉ。あのぐらい、ちょちょいのちょーい……ってやつですよ。うふふふ」
「……宮子ちゃん?」
なんだ?
ちょっと彼女の様子がおかしいぞ。
「んー、なんか暑くなってきましたー……んー」
「わ、ちょ」
エプロンを脱ぎ捨て、大胆に首元を開放する宮子ちゃん。恥じらいも何もなくぱたぱたと風を送り込んで、はあーと寛ぐその顔は妙に赤い。
え、何。何かの色仕掛け? でもそんな事今する意味ある?!
グラスを抱えて困惑している私をよそに、宮子ちゃんはカクテルの残りをきゅーっと飲み干すと、私を見てにへらと笑った。
「旦那さまあ、もう飲まないんですかぁ、それ? あ、そだ、気が進まないならあたしがもらいますねー」
「ちょ、わ、え?」
「そんじゃ、いただきまーす、ぐびっ」
ふらふらした足取りで私の横までやってくると、宮子ちゃんは有無を言わせずグラスを奪い取り、一息で残りを煽った。
いささか乱暴な手つきで机にグラスを戻した彼女が、何がおかしいのかけらけらと笑う。
「あはははは、旦那様のも美味しいですねえー! ん、でもグラスは一つなのに旦那様は二人いるー! あはは、おっかしー」
「え、ええ……」
珍妙な事を口にしながらけたけた笑う宮子ちゃん。これは、うん、どこからどう見ても……。
超・酔っぱらってる!
え、なんで、どうでして?! 確か彼女、私とそう変わらない程度のアルコール耐性だったはずだよね? 下戸ではないけどザルでもない、数杯飲んだらよっぱらうぐらいの……すくなくとも私がほろ酔い程度のカクテル一杯で、こんなベロンベロンになる筈がないんだけど。
あ、まじでなんで?
あとこれどうすればいいのさ。酔っぱらった女性の介護なんて経験どころか聞いた事すらないぞ。
「どうしたのよー、旦那さまー。これからえっちなことするんでしょー、ねー? べっどいこうよ、べっど」
「いや、ちょっとこれは流石に。宮子ちゃん、自分の状態、分かってる? べろべろに酔っぱらってるよ?」
「やっぱらってなんかいませーん! あんなグラス一杯でよっぱらうわけないじゃない、ばかにしてるぅー? してますよねー、あはははは!」
うわあ、酔っ払いは自分を客観視できないってマジの話なのかあ……。めんどくさ……。
「ああもう、いいからベッドに横になって、ほら」
「んー、旦那様つめたくてきもちぃー」
とにかく、このままにしておくと転倒して怪我をする恐れがある。とにかくベッドに連れて行こうとするも、彼女は私の胸元にしがみついて頬を摺り寄せてくるばかりで動かない。
「んー、でもまだあついー」
「ちょ、こら、服を脱がない! 大人しく運ばれて、ね!?」
「やだー、じぶんであるけるー」
とうとう服をはぎ取るように脱ぎ始めた宮子ちゃんを宥めつつ、横抱きにしてベッドに寝かせようとするが激しい抵抗にあう。元々の運動神経がいいせいか、ここまでべろべろになってふらついてるくせに、私に軸足を取らせてくれない。
ああもう、無駄に広いんだからこの寝室!
仕方がないので、肩を担ぐようにしてベッドの横まで連れていくが……。
「あ、ベッドだ。じゃ、はじめましょ、だんなさーま」
「え? ちょ、おうわ!?」
ベッドを認識した宮子ちゃんが私の手を取る。次の瞬間、くるりと私はシーツの上に転がされていた。
何が起きたのか理解できないでいると、ぎし、と私の体を跨ぐように半裸の宮子ちゃんがベッドにのしかかってくる。
慌てて身を興そうとするが、宮子ちゃんがちょん、と私の肩を押さえるだけで、どれだけ力を入れても起こせない。なんか、上手く力を逃されているというか……。
「う、うごけない!? 何で!?」
「そりゃー、私、あいきどーのゆーだんしゃだしぃ? そこらのおとこなんて、ちょちょいの、ちょいですよ、えへへー」
「合気道ぉ!?」
聞いてないんだけどそんなの!? ただのメイドさんじゃなかったのかい君ぃ!?
「てか、まだ服着たままじゃんか、もう。せわがやけるぅー」
「ぬわー!?」
そして容赦なくビリビリと私のシャツを破りにかかる宮子ちゃん。せ、積極的なのは嬉しいんだけど、なんか男女逆じゃないかな、この状況?!
「ふふふふ、なんだかたのしくなってきたぁ……。ほらほら、抵抗しないー。天井のしみを数えてたらおわるからー」
「いやああー、おかされるー!?」
「なあにいってるの、つっこむのはだんなさまのやくめでしょー、あははは!」
下品なジョーク(?)を言いながら、宮子ちゃんが顔を寄せてくる。酒臭いその吐息からは、彼女が完全によっぱらっているのがよくわかる。
一体なぜ、どうしてこんな事に。
困惑しつつも、とりあえずその接吻に応じようとしたその時。
突然、吊っていた糸が切れたような勢いで宮子ちゃんの頭が降ってきて、私の口元を激しく打ち据えた。唇におでこの感触を感じる間もなく、頭蓋骨で人中(鼻の下の急所)を殴打されて私は激痛に呻いた。
「いっつ!? み、宮子ちゃん?」
「…………」
鼻を擦りつつ声をかけるが、私の首元に顔を埋める宮子ちゃんは応えない。すこし躊躇いつつ、彼女の肩に手をかけて押しのける。すると……。
「すぅ……すぅ……すぅ……」
「…………寝落ちかぁ……」




