第二十八話 館の客人
「旦那様、お帰りなさいませ。それは……賢そうな鷹を連れて帰りましたね」
館で私の帰還を待ち受けていたメアリは、そういって嬉しそうに笑った。
「ただいま、メアリ。この子は……ちょっとそういうのと違うんだ。あとで話す」
「? 承りました。とりあえずは、ムタを繋ぎますね」
メアリがムタを鎖につなぐ傍らで、私も鞍から降りる。よいしょ、と先に地面に降り立った私は宮子ちゃんに手を差し伸べようとして、そこではっとして手を引っ込めた。
危ない、危ない。メアリに目をつけられる所だった。
私とアイコンタクトをかわして、宮子ちゃんもスカートを押さえてふわりと飛び降りる。彼女が危なげなく着地したのを見届けて、私は白鷹に声をかけた。
「こっちにおいで」
『ケェ』
少しだけ不安だったが、白鷹はおとなしく私に従ってくれた。少しぎこちない羽ばたきで浮き上がると、私の腕に掴まってくれる。……やっぱり、具合がよろしくなさそうだ。
出来るだけ揺らさないように注意しながら、私はメアリに声をかけた。
「メアリ。この鷹、怪我をしているんだ。手当はできないかい?」
「まあ、それは大変です。すぐに獣医をお呼びしますわ」
「いるんだ、やっぱ。獣医……」
顔を見た事のない料理長といい、あの屋敷には私の知らない人間がたくさんいるらしい。いつか顔を合わせてみたいものだが……。
「私がひとまず、鷹をお預かりします。旦那様はお着換えの後、湯汲などなさってはいかがでしょうか」
「ああ、そうする事にするよ」
私が鷹を乗せた右手を差し出すと、メアリも腕を掲げる。両者の間で視線を往復させた白鷹が、ひょい、と彼女の腕に飛び移った。メイド服の袖に爪を立てない器用な力加減。
やはり、かなり賢い。そこらの人間よりよっぽどお利口さんではないか?
メアリも同じような事を考えたのだろう。首の無い彼女が、確かに小さく笑ったのが、私には感じられた。
「ふふ。それでは、後はおまかせ頂きたく。……宮子さん、旦那様のお世話、よろしく頼みますよ」
「わかりました、侍女長」
すでにお淑やかな侍女モードで頭を下げる宮子ちゃんが、「旦那様、こちらへ」と屋敷に向かって私の先導をする。あのあけすけな態度は、屋敷の外限定という事だろう、ちょっと残念。
勿論、それが不満な訳ではない。どっちも魅力的な彼女の一面であって……ここは一粒で二度おいしい、と考えるべきだろう。
ゆらゆら揺れる宮子ちゃんのスカートの後ろについていきながら、私は次の機会の事を夢想した。
もし次の機会があるとしたら、また鷹狩の鷹を探しに行く時かな。館の裏庭では駄目なのだろうか? メアリが裏庭をあまり歩いている所は見た事が無い。ああ、それでも窓から見えるし、宮子ちゃんもガードを下げてはくれないかもしれないな。
そうだ。裏庭と言えば、雫ちゃんの事もある。
……彼女も、もしかして取り繕った顔をしているのだろうか? 想像してみるが、思いつかない。まあ宮子ちゃんの素も全然想定できなかったしな、私。
もしかするとあれで凄い毒舌家だったりする、とか。流石に無責任な妄想かもしれない。
ただ不思議と、よく知らない相手の内面に想像を馳せる事は、苦痛ではなかった。以前であれば、彼女達が内心、どのように自分の事を罵っているのだろうかと、嫌われているとしか考えられなかった。自分に対する悪口を想像して、気分が悪くなったりしていたかもしれない。いや、間違いなく、想像で勝手に一人で落ち込んでいただろう。
今は、そうは思わない。それは、きっとあの湖畔で宮子ちゃんの素顔を目の当たりにしたからだ。
彼女達は、何か望みがあってこの館に来て、私に仕えている。だが、それは本当に心の底から嫌々、という訳ではなくて、少なくとも普段とりつくろった素の自分を見せてくるぐらいには、そう、彼女達には嫌われていない。もしかすると、その望みを対価として叶える立場にある私に、好意とまではいかなくともよい感情を抱いてくれているのかもしれない、とは……。
これこそ勝手な妄想だ。人の気持ちなんてわからないし、全部が全部演技なのかもしれない。全て計算づくなのかもしれない。
それならそれで、気持ちよくだまされているなら、それでいいや、と私は思った。
と……。
「旦那様……旦那様? 浴場につきましたよ?」
「あ……おっと、済まない。ちょっとぼうっとしていたよ」
「あらあら。もしかして、随分お疲れでいらっしゃいます?」
小さく微笑みながらも、悪戯っぽく宮子ちゃんの目が輝く。
「それでしたら、不肖ながらこの宮子、手取り足取り、旦那様のお体を洗わせていただきましょうか? ほらほら、更衣室へどうぞ。御一人ではその防具、外せないでしょう?」
「え、ちょ……」
なんか押しが強いな。
宮子ちゃんにぐいぐい、押し込まれるように更衣室に入る。ところで、これを着付けしてくれたのはメアリだけど、宮子ちゃんは外し方しっているのかな?
まあ、なんとかなるか……。なんだかご機嫌な彼女の様子に水を差すのもなんなので、私はメアリを呼びつけず、宮子ちゃんのやりたいようにさせる事にした。
そして、夕食の時間。
本日の料理は、照り照りにローストされた鶏肉と、一緒に焼いた根野菜。そしてミネストローフのようなスープと、サラダ。そしてパンだ。
なかなか豪勢な料理である。
特にこの、赤茶色に光る、ぱりっぱりの皮のチキンなんか、現実ではそれこそクリスマスでもないと口に出来ない。最近は鮭を食べよう、という流行りもあるけど、やはりローストチキンも良いものだ。
まるで今日が何かの記念日みたいだな、と思ったが、そうか。朝、メアリがそんな感じの事をいっていたな。本気だったのか……。
それにしても、だ。今日は、顔ぶれが一つ多い。
私はテーブルから視線を移し、食堂の片隅に立てられたポールに目を向ける。
そのポールから伸びる枝に、白い鷹が悠々と留まっていた。
森で出会って連れ帰った白鷹。胸元には痛々しく血のにじむ包帯が巻かれているが、本人? 本鳥? は特に気にした様子もなく、背をぴんとのばして大人しくしている。
その視線が、私を捕らえた。首を傾げるようにして小さく鳴く白鷹に、私は友好的に微笑んで見せた。
『クェ』
「やあ。随分リラックスしてると見える。なかなか大人物だね、君」
『ケェ』
まるで返事をするように鳴き声を上げて、白鷹はくしくし、と羽繕いを始めた。よく見ると顔の触手が全部めくれかえって、中の嘴が露になっている。へえ、ああやって羽の手入れをするんだ。仕草的には現実の鳥と似たような感じなんだな。
私は隣に佇むメアリに視線を向ける。彼女には、森で起きた出来事はすでに伝えてある。私が野生の黒い鷹に襲われた話を聞いた時は驚いていたが、それだけに、怪我をしてまで追い払ってくれた白鷹に、彼女はなかなか良い印象を持ったようだ。まあ、ブツブツ逃げたミネルヴァの事も口にしていたが……触れないでおこう。怖いし。
「傷の手当、ありがとうメアリ」
「ありがとうございます。ですが、全て獣医の手によるものですので……。しかしながら、やはり軽い傷ではないようです。容態が急変しても対応できるよう、しばらくは我々侍女の目の届く所で預からせて頂こうと思います。旦那様を助けてくださった恩人を、無下にはできませぬので」
「成程。よろしく頼むね」
正直いうと、この鷹には鷹狩に付き合って欲しいのだが、とりあえずはまず怪我が治ってからの話だ。もし怪我が治って、はいさようなら、であればそれは仕方ない。
追う者は追わず。大切な事である。
「旦那様、ワインはいかがでしょう?」
「ああ、ありがとう」
すす、と横に出てきた雫ちゃんが、静かにワインをグラスに注いでくれる。その様子はなかなか様になっているという。もしかして普段からワインを飲み慣れているのだろうか?
そういえば彼女とお酒を共にした事はないな。今度、誘ってみよう。
そんな事を考えつつ、グラスの中で軽く揺らしたワインを口に運ぶ。赤ワインの豊潤な、庶民的に言うとちょっと渋い味が口に広がる。軽く口を湿らせたところで、チキンをナイフで切り分けて、一口。
うん、予想通り美味しい!
くどくはないが、たっぷり油の乗ったチキンは旨味たっぷり。それが、渋みの強い赤ワインとこれまたよく合う。別に肉料理イコール赤ワインではないらしいが、お勧めされる組み合わせなだけの事はある。
そのままぺろり、とディナーを平らげ、私は白鷹に軽く挨拶をしてから食堂を後にした。
……鳥の前で鳥を食べるというのは、考えてみると大分あれだったのでは? という事に気が付いたのは、それこそ寝室に戻ってからの事である。
ま、まあ、鷹も他の鳥を食べるし……いいよね?




