第二十四話 ゆらゆら揺られて、森の散歩
「……わあお」
思わず目を見張る。宮子ちゃんは軽く跳躍して鞍に手をかけると、そのままぐいっと一息に上まで上がってしまった。軽い身のこなし、もしかして何かスポーツとかやってたのかな。やってるんだろうなあ、すらりと手足が長くていかにも運動神経抜群です、という感じだし。
ただ私の目はそんな彼女の、揺れる胸元に吸い寄せられていた。鞍上でバランスを取ろうと仰け反る彼女の胸が、いつになく強調されてばるんばるん揺れている。
……普段、メイド服に包まれているので意識しないけど、彼女、胸が大きいよね。同時に、それを好き放題に弄んだ感触がよみがえってきて、思わず胸が熱くなってくる。
「……旦那様?」
「い、いや、なんでもないよメアリ」
絶妙なタイミングでメアリに声をかけられて、私はドキリとしながらも平静を装った。前から思っていたが、この侍女長、私の心が読めているのではないか。
まあいい、それより今はこのムタとかいう生き物に騎乗するのが先決だ。
軽やかに鞍にまたがった宮子ちゃんが、下に向かって手を伸ばす。ややあって我に返った私は、おっかなびっくり、彼女の手を掴んで鞍によじ登った。
「む、むむむ」
「はい、いっせーので……せいっ!」
装備が重くててこずるが、なんとか鞍の上に座り込む。
結構高い。組体操の上に乗った時を思い出す。意外と怖いぞ。
しかし、私が落ち着くのを待ってはくれない。私達二人がちゃんと着席したと見て取ったのか、ムタがのそり、と身を起こして、ゆっくりと歩き始めた。
「あわわ」
咄嗟に鞍にしがみつく。
ムタは六本の脚をもぞもぞ交互に動かして、静かに歩いた。どことなく、芋虫が這う姿を連想させるそれは思った以上に揺れなくて、私はおっかなびっくり、屈んでいた身を起こす。
「それでは旦那様、いってらっしゃいませ」
メアリが深々と腰を折って頭を下げる。彼女に見送られて、ムタはのたりのたり、と木々の間を通る道らしき空間を歩き始めた。
「……」
振り返るも、宮子ちゃんがいるので、メアリの姿はよく見えない。私は後ろ髪を引かれながらも、視線を前に戻した。
確かに、この高さは不安だが、ムタはゆっくりゆっくり、手押し車のような速度で歩いていて、振り落とされそう、という不安はやがて薄らいだ。そうなると、景色に目を向ける余裕も出てくる。
そうしてあらためて意識を向けてみると、なかなかに良い眺めだと言えた。
日本の森といえば、木々の根元には鬱蒼と藪が生い茂り、枝や葉が体を切り裂き潜むマダニやヒルが噛みついてくる、上を見上げても生い茂る木々の枝葉で空も見えない、という不快感MAXな空間を連想するが、ここはそうではない。
立ち並ぶ木々はどれも太い幹をまっすぐ伸ばした見事な針葉樹で、それらの間には一定の間隔が空いている。地面はよく乾いていて、下草や藪が生い茂っている様子はなく、角度次第ではかなり遠くまでが明るく見通せた。空を見上げれば確かに枝葉はよく広がっているが、時折柔らかな日差しが差し込んでくる。空模様は相変わらずの晴れた曇り空だが、だからこそ太陽の光がチカチカ木漏れ日に瞬く事なく目に優しい。
そんな森の小道を、ゆっくり歩くムタに揺られながら散策する。まるでそのリズムに合わせたように、ふわふわと木の葉が風に舞って、ゆっくり、ゆっくり私達の隣を通り過ぎていく。
なんだろう。
まるで、時間の流れがゆっくりになってしまったみたいだ。
「思ったよりも、見晴らしがよい景色だね。宮子ちゃんはどう思う?」
「…………」
「宮子ちゃん?」
背後から反応がないので少し強めに呼びかけると、はっとしたように背後の侍女が肩を跳ねさせた。
「は、はい、なんでしょう旦那様?!」
「……もしかして、見入ってて聞こえてなかった?」
「その……えと。……はい」
縮こまるような声。多分、頬を真っ赤にしているのだろう。
私はなんだか微笑ましくなって、敢えてその失態には触れずに森の様子に目を向けた。
「あ、宮子ちゃん、あそこの枝を見て。何か小さな生き物が走っているよ。……リス、かな?」
「そうですね……なんでしょう?」
私が指さす先、大木の枝をかける小さな影があった。焦げ茶色のふっくらとした小さな生き物……大きな尻尾のようなものを抱えているのは、リスのように見える。
だがよく見る暇もなく、それは枝の裏に姿を隠してしまう。ゆっくりとムタがその枝を通り過ぎて、それきり小動物は姿を見せなかった。
「色々、動物がいそうだ。でもぼやぼやしていると、見落としてしまうかも。宮子ちゃんも手伝ってくれるかい?」
「はい、お任せください!」
ちょっと気負った感じの返事が返ってきて、私は苦笑い。どうにも、彼女は侍女の仕事となると力みがちだ。そのせいで空回りをする事もある、もう少しリラックスして取り組めればいいのだけど。
いや、無理を言っているかな。
こればかりは時間をかけるしかないだろう。人の心は、そう簡単に形を変えられない。
「…………」
だからこそ、気になる。どうして彼女達は、私に体を許しているのだろうか? 一体、それを通して、何を望んでいる……?
森の木々に目を向けながらも、私の心は背後の彼女に向いていた。のったりとしたムタの歩みのリズムは、思索にふけるのにちょうどいい。
と。
「あ、あれ。あれ、鷹っぽくないですか!?」
「おぅ」
不意に宮子ちゃんがぎゅう、と体を寄せ付けてきた。彼女は前に身を乗り出しているだけなのかもしれないけど、鞍の上で密着しているから、彼女の豊かな胸が押し付けられている!
が、悲しいかな。今の私は防具に身を固めているので、その感触が全く伝わらない。その事を悲しく思いつつ、私は彼女の指さす方向に目を向けた。
「どれどれ?」
「あっちです、あっち。ほら、あそこの木の枝の上」
確かに、いた。彼女の指さす先、枝の上に黄色い影がある。確かに、鳥といえば鳥だが……。
鷹には見えない、かな。黄色い毛並みに、赤の色が混じっている。首に乗っているのは……あれ、オウムガイか? 渦を巻いた殻と、10どころじゃきかない触手の数。
もしかして、オウムかな、あれ。オウムガイなだけに。
私が見つめていると、オウムは「ピィッピィッ」と鳴き声を上げて飛び立って森の奥に消えていった。
「……多分、オウムだったね。あれは」
「そうですか……」
「まあ、よく見たら似たような鳥があちこちにいるみたいだね。焦らずによさげなのを探そうか」
一度見つけた事で目が慣れたというか、森を見渡すと木々の間にぽつぽつと鳥らしき影が見いだせる。
ムタの歩みに揺さぶられながら、私と宮子ちゃんは森に潜む鳥たちを見て回った。
「あれは……トンビかな。鷹ではなさそうだ」
梢の高い所で羽の手入れをしている茶色い鳥。やっぱり顔は蛸のようなそれだ。さらにその隣にもう一話、こちらは真っ黒な個体がいる。2匹合わせてカラストンビ……なんちゃって。おやじギャグかな?
口に出さなくて正解だった。背後の宮子ちゃんに聞かれなくて幸いだった。
「鴉と鳶……カラストンビ? ……ぶふっ」
「?!」
え、今なんと?
「な、なんですか、旦那様? わ、私は何も言ってませんよ?」
笑いをこらえるようなひきつった笑顔を浮かべる宮子ちゃん。なんか、今、彼女がおやじギャグを言ったような気がしたのだが……まあいいか。若い人でも駄洒落を言ったりするよね。うん、おかしな事じゃない。
私はちょっとひきつる頬をできるだけ抑え込みながら、周囲の探索に意識を戻した。
しかし、なかなかそれっぽいのはいない。
それもただ鷹、というだけでなく、ちゃんと仕事できそうな奴となると限られる。
頭の上を、ウミウシみたいな頭をした小鳥が羽ばたいてどこかへ飛んでいく。見た目が奇妙な鳥の数々が、木々の間を飛び交っている。
おだやかだ。とても、静かで、鳥の声が時々響くほかは獣の声もない。
まるで……。
「まるで、海の底みたいですね」
「ああ……」
背後の同道者が同じことを考えていたことに、ちょっと嬉しくなる。
と、のそのそ歩くムタの行き先、木々が途切れて陽射しが差し込んでいるのが見えた。
森の終わりだろうか?
久方の日差しは明るく、だけど柔らかく。私は少しだけ目を細めて、光が差し込むのを受け止めた。




