第二十二話 朝の一時
カチャカチャ、という食器の触れ合う音。
耳障りなだけのはずのそれが、不思議と華麗な楽器の響きのように聞こえるのは、高級な食器だからなのだろうか。
骨の髄まで三流生活が沁み込んでる私はそんな事をふと考えてしまう。
朝の陽ざしの下、食べ終えた朝食の皿を侍女達が片付けていく。私自身は席に座ったまま、ぼんやりと彼女らの揺れる黒髪を眺めている。
宮子ちゃんは感情を顔に出さず、すまし顔で屈んで皿を盆に移している。その傍らで、食後の一杯を運んでくる雫ちゃんは、ちらり、とその顔を見て何やら満足そうに口元を緩めて、愛想よく私の前にカップを置いた。
「旦那様、どうなさいました?」
「ん……なんか、おかしな光景にも慣れてきたなって」
傍らに佇むメアリの言葉に曖昧に応えて、私はコーヒーカップに口をつけた。これは……キリマンジャロかな。まあ、私の知ってる銘柄なんて5種類前後しかないから、違っている可能性もあるけど。まあ、夢だ。気にすることはない。
「おかしな光景……ですか」
「うん。まあ私の現実だと絶対あり得ないし」
あんな可愛い娘二人に甲斐甲斐しく給仕してもらおうと思ったら、一体いくら積めばいいのやら。おまけにその二人とも、呼べば夜は私のベッドに入ってくる訳である。
前世でどれだけの得を積んだのか、というより、来世はどれだけの極悪人なんだ、私。
「勿論、慣れてきた、というだけで飽きたとか、つまらなくなったなんて事は全く全然ないんだけど」
「それは結構でございます。旦那様にも少しはその自覚が出てきたようですね」
顔の無い侍女長の口調が嬉しそうに弾む。
私を館の主人として、領主として教育する事に熱意を注ぐ彼女は、そんな私の言葉を実に前向きにとらえたようだ。
申し訳ないが、自覚と言われてもそんなのは全くない。
ただ、しかるべき振舞いとでもいうものが、見えてきた気がするだけだ。
「少しは、楽しみを見出されました、といったところでしょうか」
「ん。……それは、そうかな」
なんていうか、本当に目敏いというか、確信を突くような事をメアリが言う。
確かに。
正直二人を抱いていたのは、そうしなければこの夢から追い出される、という脅し文句に従った点が大きい。夢とはいえ、立場や権限を盾に、彼女達に無理を強いる、というシチュエーションは、小市民で小心者の私にはいささか、苦しい物があった。ましてや相手の心の底が知れないというのは、言ってみれば恐ろしいものもある。
その割にはノリノリだったと言われたら否定できないが、まあ、私も男なので……。
だが体を重ねる以上に、日常のやり取りで二人の人となりを知り、人間として交流を深める事で、少し考えは変わった。
彼女達には望みがある。その為に、この館に……私の寝室に来ている。私はそれに応える立場なのだ。
そう。メアリの言いつけが無ければ、私に二人を抱く理由は欲望の他にはない。だが彼女らには理由があって……おかしなことだが、館の主人とその侍女、という立場を別にすれば、今の関係の主導権は二人の側にあるのだ。
私は二人に求められて抱いている。だったら、その関係を欲望をもって楽しむのは、ある種の役得だと、そう考えてもいいのかもしれない。
今朝方、自分以外の体温を抱きしめながら、ベッドの中でそのように考えた。考えられるようになった、というか。
「ふふ、旦那様が主人として、経営者として一皮剥けたようで、メアリは嬉しく思います。今晩はお祝いにしましょうか」
「やめてくれよ、仰々しい」
「そんな事は。旦那様の成長は、館にとって、領地にとって、喜ばしい事です。大げさではありませんよ?」
なんだ、今日は妙に機嫌がいいな。私は首の無い侍女に目を向けた。放っておくと、本当にでっかいケーキとかを用意しそうである。
「適切な範囲で、楽しみを見出されるのは領主にとって必要な素養です。権力にものを言わせて欲望に耽溺される方もいますが、それはおおむね破滅への道。されど贅沢をしらず、慎ましやかに見すぼらしく振舞うのも、さりとて健全ではありません。適切な贅沢というのは、領主に必要なものであるのです」
「まあ、そりゃあ、そうだろうが……」
言いたい事は分かる。
とはいえこれは夢の話。現実では底辺市民である私がそんな贅沢を覚えても毒にしかならないだろうに。
まあ、いいか。しょせん夢なのだから、楽しんでしまえばいい。
「……前言撤回だ。でっかいケーキとは言わないが、そうだな。少し、ご馳走を夜に用意してくれ」
「はい、承りました、旦那様」
メアリは上機嫌で、大仰に頭を下げた。私も、演技っぽく大仰に頷いて見せる。
ふと気が付くと、そんな私達を宮子ちゃんと雫ちゃんがじっと見つめていた。それはほんの一瞬の事で、二人は直ぐに侍女としての仕事に戻る。
そんな二人を見つめながら、私はコーヒーカップを傾けた。
……彼女達の望みか。
それが分かる日は、来るのだろうか。
◆◆
さて。食事が終われば、お仕事の時間である。
今日も再び別館を訪れ、鷹狩の訓練をしようと思ったのだが……。
「申し訳ありません、旦那様……」
「ああ、いや……」
訪れた別館の鷹小屋。鬱蒼と闇に包まれていたその場所は、今や柔らかい陽射しが光の柱のように差し込んでいる。
うっすらと漂う埃が、その光に浮かび上がり。床に散らばる、藁草や何かの骨などが久方ぶりの日差しを浴びてカサカサと乾ききっていた。
まあ。なんだ。
私は天井に空いた穴に、途方に暮れたように頷いた。
「脱走か……」
「……はい。本当に申し訳ありません、私の管理不行き届きでございます……」
本当に心の底からしゅん、とした様子で肩を落とすメアリ。私は慌てて彼女をとりなした。
「い、いや。流石にこの壁をぶち抜いて脱走するのは想定外だよ。仕方ない、しかたない」
「ですが……」
「まあ、あの鷹は賢かったのは分かるけど、賢すぎた、という事だろうね。私にはもう少し、朴訥な鷹の方があっていたんだろう」
そもそも、メアリにあれだけ凄惨な仕置きを受けた後で脱走する元気があったのが驚きだ。死を前にした生命の最後の輝きだったのだろうか。
どっちにしろ多少怒られたぐらいで、アレが私に従うとは思っていなかったし。
なんていうか、昔から私、動物には嘗められるんだよね。性根の臆病さが伝わってしまうのかもしれない。
しかし、これはこれで困った事になったぞ。
「うーん。どうしたもんかな。メアリには悪いけど、鷹狩のお披露目は延期にしたほうがいいかな? とはいえ、そういう行事に欠席するのは印象よくないだろうしなあ……」
「その点なのですが、旦那様。このメアリから一つ、ご提案があります」
「提案?」
珍しい。大体常にこちらのほうで全て手配は済ませておりました、というのがほとんどのメアリが、私に何か判断を仰いでくるとは。
少しぐらいは主人として認めてもらえた、という事だろうか。
「何かな?」
「この屋敷の外の森には、多くの鷹が住んでいます。実は、ミネルヴァもそうして暮らしていたのを引き入れた一匹。どうでしょうか、この際ですから、旦那様自ら、森の鷹を見繕ってみては」
「ほほう……」
思わぬ提案に、私は考えを巡らせた。
……本来、鷹は森にはあんまり居ないのでは? という突っ込みはこの際スルーだ。あの見た目で生態まで同じ方が逆に違和感があるから、それはそれでいい。
それよりも、やはり館の外には森が広がっていたらしい。それも猛禽類(?)が住めるぐらいだから、相当に広いのだろう。
鷹探しも勿論気になるが、それ以上に単純に、森が気になる。なんだかんだで、これまで館から一歩も出た事がないのだ。これはいい機会かもしれない。
勿論不安はあるが、それ以上に私は好奇心を擽られた。
「いいね。それは是非とも」
「わかりました。直ちに、出発の準備を致しますわ」
メアリはそういって恭しく私に首を下げた。




