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「今晩はいかがなさいますか?」と侍女は囁く  作者: SIS
第一部 欲望の館

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第二十一話 待ち遠しい夜


 風呂から上がり、私はぼんやりと廊下の窓から外を眺めていた。


 ここからだと、黒々とした植木ばかりが見える。


 思うのだが、もしかしてこの屋敷は森の中にあるのだろうか。2階から見ても、木しか見えないというのはよく考えればおかしい。家の周りにだけ、そんなでかい木を植えるというのはちょっとおかしな話だ。ならば、周りが全部そういう木である、と考えた方がすっきりする。


 森の奥に佇む怪しげな洋館。ちょっとしたホラーのような話である。


 問題は私がその館の主人である事か。


「……いや。考えてみれば、館から出ずに夜な夜な侍女と淫行にふけるってまんま怪しげな館の主人だな……」


 あんまりその手のドラマとか小説とか愛読してはいないが、今読んだら彼らの気持ちがよくわかるかもしれない。


 そんな事を考えていると、ふと廊下を歩いてくる人の気配を感じて私は振り返った。


「おや。メアリ、おかりな……」


 それが首無しメイドである事に気が付き、声をかけようとした私の口が固まる。


 一方、メアリは私の挨拶に、しずしずと頭を下げた。


「これは旦那様。お見苦しいところをお見せしました」


 そういって頭を下げる彼女はいつも通りだ。だが、その手や下半身は、重油をしみ込ませたような汚らしい黒い汚れでべっちゃりである。


 ぽたり、と指先から黒い粘液がしたたり、彼女はあら、と声を上げた。


「ああ、申し訳ありません。ちゃんと拭いてきたつもりなのですが、館を汚してしまいました……」


「あ、いや、それは」


 いつも通りのしれっとした彼女の言動だが、私の腰は完全に引けていた。


 どう見ても何か化け物の類を惨殺して帰ってきたアクションホラーゲームの主人公のような有様である。


 この場合、化け物が何かはもう言うまでもない。


「……ふ、風呂に入りにきたのかい?」


「はい、あ、ご心配なく、侍女用の風呂がちゃんとありますので……。汚してしまった絨毯もちゃんと綺麗にしておきますので、どうかお許しください」


「い、いや、いいよ。メアリの事は信用しているから……とにかく、早く綺麗にしておいで」


 私に促され、彼女は「それもそうですね。では、失礼いたします」とその場を後にする。


 その後ろ姿もべったり黒く汚れている。


 どれだけ激しい何かがあったのかを思わせる惨状に、私は一人震え上がる。


「……冥福を祈っておこう……」


 ミネルヴァ。決していい奴ではなかったが、これは流石にちょっと哀れに思った。


 というか鷹狩りどうすんだろ……。


 湯の火照りもすっかり湯冷めしてしまった私は、ぶるりと背中を震わせて執務室に戻る事にした。


「……今晩の料理、肉団子だったりしないよね……?」








◆◆




 そして、夜がやってくる。


 どうにもそわそわしながら夕食を平らげ(幸い肉団子ではなかった)、メアリや雫ちゃんにちょっと訝しまれながらも部屋に戻る。


 テーブルの上には、変わらず二つの鈴。だが、今日はこれを鳴らす必要はない。


 しばらく待っていると、時計の短針が8時を指すと同時に、部屋のドアをノックする音があった。


「旦那様。宮子です。お勤めに、まいりました」


 まってました、と言わんばかりに肩が跳ねる。私は動悸が伝わらないように、努めて穏やかに返事を返した。


「うん。入っておいで」


「はい……」


 静かにドアが開き、黒髪の侍女が部屋に入ってくる。


 ちょっとうつむきがちの侍女の顔が赤らんでいるのは、決して蝋燭のオレンジ色の光によるものだけではないだろう。かくいう私も、ああ、どうだろうな。


「おいで」


「っ、し、失礼します……」


 さそうと、ベッドの私の隣に腰を下ろす宮子ちゃん。まだちょっと距離があるそれを、腰に腕を回して抱き寄せる。ぎゅ、と彼女は肩を硬くするが、やはり抵抗はない。


 そう、彼女達は恐れや躊躇いはあるが、それでも私を拒絶はしない。


 そこに、何かの答えがある気がするが……それを考えるのは後だ。少なくとも今は、この暖かさが逃げない事だけが大事な事。


「捕まえた」


 耳元で呟くと、宮子ちゃんの耳がより赤くなった。


 それを見て、なんだか愉快な気持ちになる。


 不意に、心にいじわるな感情が沸き上がってきた。そうだ、昼にびっくりさせられたお礼を、ここでするのもいいかもしれない。


「夕飯の時も、その前も、ずっとそわそわしてたね。知ってるよ、メアリにちょっと怒られてたの。何したの?」


「そ、その。……廊下の壺を掃除している時に、落としかけて……」


 話を聞きながら、左手は彼女の腰に回したままに、右手で指を取る。風呂場でそうしたように、優しく艶やかな彼女の指の感触を楽しむ。男のがさがさした肌とは全然違う、それともこれも日ごろからのお手入れの成果なのかな。


「っ、だ、旦那様、お戯れは……っ」


「ん? 指を撫でているだけだけど? それで、壺を割っちゃったの?」


「い、いえ、落とす直前で侍女長が受け止めてくれて。そこから注意を受けました」


 ふぅん。なるほど。


 ちなみに宮子ちゃんが怒られていた、というのは雫ちゃんからの情報だ。告げ口、という程ではない。単純に、同僚の様子がおかしいから心配していた……という感じだね。昨晩の夜も、彼女は宮子ちゃんの事を案じていた。


 それがまさか、こうして寝室でいじるネタにされるとは思わなかっただろう。


「ふぅん。でも、その流れだとかなり怒られてそうだけど、注意で済んだんだ?」


「はい。その……最初は凄くお怒りだったんですけど、何か急に……。「気がそぞろなのを自覚しているなら、危ない仕事は控えるように」と」


「へえ……」


 成程。流石メアリというか。


 まあ元々、今日の鷹狩り練習に宮子ちゃんを連れてきたのはメアリの発案だったしな。彼女なりに色々バランスを取ろうとしているのだろう。


 その心遣いに今は便乗させてもらおう。


「ふぅん。じゃあメアリにはバレバレだったのかな? まあ、夕飯の時も一人だけそわそわしてたよね、宮子ちゃん。雫ちゃんも多分変に思ってたよ、しってる?」


「そ、それは……んぅ」


「きっと今日呼ばれなかった事で、雫ちゃんもああそういう事か、って理解しただろうね。そんなに待ち遠しかった?」


 するすると言葉が口から滑り出てくる。


 なんだろう、今の宮子ちゃんがあまりにも弱弱しいから、つい虐めたくなっちゃう。


 もちろん本気で困らせたい訳ではない。どこまでいったら嫌がらせになるか、そのラインを探りながら言葉を浴びせかける。


 それを受けて、はぁ、と宮子ちゃんが熱い息を吐いた。


「そ、そんな言い方……っ」


「でも事実だろう? 最初の夜の事を思い返していたのかな。それとも、今日は何されるのかとか考えていたとか? ……雫ちゃんとは、そういう話をするのかい?」


「……す、少し。すこしだけ……本当に少しだけ、話を……」


 頬を羞恥に染めて、小さく、良い訳のように囁く宮子ちゃん。


 我ながら嫌らしい感じの口角が上がるのが分かった。


「少し。なるほど、少しだけね」


「は、はい。そうです、少しだけ……ん」


「じゃあ。今晩の事を、明日はたっぷり、雫ちゃんに話してあげるように」


 今や、宮子ちゃんの体は焼けるように熱い。風呂場で背中にくっついていた時よりも、ずっと。薄い肌着よりも、分厚いシックなメイド服を着ているにも関わらず、茹った彼女の火照りが伝わってくる。


 羞恥と、それとは別の感情に顔を染めて、宮子ちゃんが困ったように少しだけ顔を逸らした。


「いい? これは命令だからね」


「そ、そんな……きょ、今日の旦那様、なんだかいじわる、です……」


「嫌かい?」


 彼女がどう答えるか、分かっていて問いかける私は確かにいじわるかもしれない。


 予定調和のやり取りを交えながら、そっと彼女をベッドの上に引き倒す。


 白いシーツに投げ出される、無防備な肢体。黒髪が波打つように広がって、蝋燭の明かりに艶やかに光った。


 とろんとした瞳が、私を見返している。


「……あ……っ」


 ぎし、とベッドを軋ませてその上に屈みこむと、俄かに彼女の瞳に理性が戻った。同時に、緊張とは別の意味で彼女の四肢が強張る気配。


 痛み。恐れ。最初にはつきもののそれが、彼女の中でフラッシュバックしたのかもしれない。


 私は少しだけ躊躇ってから、彼女の頬に優しく手を当てた。


「大丈夫。今日はちょっと意地悪かもしれないけど、怖くはしない。約束する」


「ん……」


 痛くはしない、ではなく、怖くはしない。


 彼女達の望みは奇っ怪だが、多分、そういう事なのだろう。


 それは正しかったようで、私の言葉で安心したように、再び彼女の瞳がとろりと濁る。


 ちゅ、とその額に口づけを落とし……あとはお互い、欲望に耽溺するままに私達は触れ合った。



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