第二十話 自己主張
風呂場で佇む宮子ちゃんの艶姿。私は一瞬目を奪われ、慌てて顔を背けて湯舟に肩まで沈んだ。
目をぱちぱちさせて、湯で顔を洗う。だが閉じた瞼の裏に焼き付いた彼女の姿は、そうそう消えてはくれない。
裸でなかっただけマシとも言えるが、透けるような薄い肌着は果たして服と言えるのか。こう、ちょっとエッチなゲームとかで、巫女さんが朝の修行で冷たい水を浴びたりするときに来ている、乾いている時は白いのに水を浴びると透明かってぐらい透ける肌着。宮子ちゃんが身に着けているのはまさにそれだった。すでに風呂の湯気で湿っているそれは、肌に張り付きそのシルエットを浮かび上がらせている。
正直、まだバスタオルを巻き付けただけの方が健全である。どっちにしろ、うん、刺激的過ぎて目に毒だ。
裸を見ておいて何を今さら、と思われるかもしれない。
しかし、夜間、蝋燭の明かりだけを頼りに夜闇の中で見通すのと、日中さんさんと光が差し込む中、緊張に火照った瑞々しい肌色を目の当たりにするのは、やはり話が違う。
もちろんどっちも素敵な眺めであるのは違いないが。
いや、そうではなくて。
私は自分が混乱しているのを自覚しつつ、宮子ちゃんに問いただした。
「な、なにかなぁ!? せ、背なら自分で洗えるから、必要ないけどぉ」
我ながら声が裏返りすぎている。緊張しすぎ、情けない。
とはいえ、本当に背中を流す必要はない。常識として体は綺麗にあらってから湯舟につかった。今更、手伝いは必要ない。
しかし、宮子ちゃんは引くつもりはないようだった。
「い、いえ。やはり御一人で背中を洗うのは限界があります。ここは侍女として、旦那様の背中をぴっかぴかにさせていただきます」
「い、いや、別に。そこまでしてもらう必要は……」
「あ、あります! その、旦那様が汚れたのは、私のせいですし……」
わずかに語尾がしゅんと下がる。
それを聞いて、私は口元を引き結んだ。
ここで頑なに拒絶するのは簡単だ。これ以上私が嫌がれば、彼女も無理強いはすまい。だが、その場合、彼女はずっと引け目を感じる事になる。そういう場合、人間は得てして短絡的な行動に走りがちだ、まさに今のように。失点をどうにか加点で埋めようと、冷静さを失って無茶をやってしまうのだ。
そして大抵の場合、失点をさらなる失点で加算してしまう事になる。
私は鼻まで湯につかって、そうとバレないように溜息をつく。ぶくぶく、と湯に泡が浮いた。
「……わかった。じゃあせっかくだし、背中を流してもらおうかな」
「は、はい!」
跳ねるような、喜色の滲んだ返事。
やれやれ。こんな年上の男の裸を、そんなにありがたがる事はあるまいに。
私は湯舟の縁にひっかけていたタオルを手繰り寄せて腰に巻き、湯舟から上がった。ざざざ、と大量の湯が滴り落ちて足場を濡らし、それは宮子ちゃんの足元まで届いた。
風呂場に無造作に置かれている椅子の一つを手繰り寄せて腰を下ろす。
「それじゃ、お願いしようかな。あ、石鹸はあっちにあったよ」
「はい、少しお待ちを」
宮子ちゃんがぺたぺた、と桶とか石鹸を拾いにいく音。ざばあ、と湯を組むと音と共に戻ってきた彼女が、背後でわしゃわしゃと石鹸を泡立てる音がした。
あー。なんか、これはこれでいいな。
人に背中を流してもらうなんて何十年ぶりだ? 単純に懐かしすぎて、少し楽しみだ。
なんて呑気な事を私が考えられていたのも、いざそれが始まるまでの事だった。
「で、では、いきます」
掛け声とともに、ぺちょり、とやたらぬるりとした感触が背中に触れた。
「ひぃ!?」
「きゃっ、ど、どうしました?」
「ど、どうしたって……タオルあったでしょ?! 何で触れたの、今!?」
明らかに今のは布の感触ではなかった。もっと肌理が細かくて、ヌルヌルしていて……文字通り、サイズは掌ぐらいで……。
「そ、その。せっかくだから、素手で丁寧に洗おうかと」
「素手ぇ!?」
まってまってまって、つまり今、素手で石鹸泡立てて私の背中を撫でまわしてるのこれ?!
どういう発想!?
「そ、その、気持ちよく、ないですか?」
「え、いや、どっちかと聞かれたら気持ちいいけど……」
「よかった。じゃあ、頑張りますね」
そしてそのまま続行。な、なんか、石鹸で滑る手で背中を擦られるって、なんかゾクゾクする。しかしながら、綺麗にする、という言葉に嘘偽りはないようで、確かに背中を擦る指はなんていうか垢すりっぽい感じの動きをしていた。
とりあえずは、もう黙って任せてみる事にする。気持ちいいのは気持ちいいし。これは嘘じゃない。
「んしょ……んしょ……ど、どうでしょうか」
「悪くない……いや、結構気持ちいい。なんか、垢がすごい取れてる気がするけど、どう?」
「あ、えーと。はい、そこそこ……」
やっぱりか。ちょっと気恥しくなって私は顔を伏せた。今度からもっと丁寧に洗おう。
と、そこで宮子ちゃんの手が止まる。これで終わりかな。
手の感触が、背中から離れて消える。もうちょっとゆっくりやってもらえばよかたかな、なんて少し名残惜しく思っていると。
その手が、私の脇を抜けて前に回された。
「み、宮子ちゃん?」
「その。次は、前を洗いますね」
いやそれは駄目でしょ。冗談にも限度というものがある。
しかし伸びてくる指の動きは明らかに本気だ。私はなんとか彼女の腕の動きを阻害しながら、肩越しに振り返った。
「み、宮子ちゃん、変な冗談はやめ……」
そして、私は見た。
頬を赤らめるでも恥じ入るでもなく。
もう失敗は許されない、そんな罪人の青白い頬で、私の背中に張り付いている彼女の顔を。
余裕なんてどこにもない。それは、追いつめられた人の顔だった。
「…………っ」
想定外の様子に息を飲む。と同時に、私の中でずっと感じていた小さな違和感が、ここでかちりと嵌った気がした。
「宮子ちゃん」
彼女の両手を優しく、しかししっかりとつかんで動きを止め、私は出来るだけ穏やかに語り掛けた。
「こういう事をしなくても、別に私は君を切り捨てたりはしないよ」
「……っ!」
図星だったらしい。彼女が息を飲み、項垂れる気配。
心当たりはたくさんある。一番大きいのは、やはりあの事だろうか。
「雫ちゃんが二日連続で呼ばれて、もう自分は用済みなんじゃないか、そう思ったのかな」
「……は、はい。そうです」
「どうして……とは聞かないよ。多分、君達には君達の事情があるんだと思う。私の気持ちを汲み取って、とも、言わないでおこう」
そう、その事は分かっていた事だ。
彼女達には、何か望みがある。この屋敷に来たのも、私と一晩を過ごすのも、その為だ。
私は、彼女達は不本意なのを押さえて、私に抱かれていると考えていた。だから、出来るだけ彼女達には誠実に接したいと。
しかしそれはあくまで私の都合、私の感情だけの話だ。彼女達にはそれを踏まえた上でそうするだけの事情があって、そして私に距離を置かれるというのはその願いが遠ざかるという事だ。
雫ちゃんが二番目な事に嫉妬したのと同じ。宮子ちゃんは、雫ちゃんばかりが呼ばれる事に危機感を感じて、焦ってこんな事をしたのだ。色仕掛けでもなんでもいいから、私の関心を取り戻そうとした。
ああ。全く。……馬鹿だなあ。
人の気も、知らないで。
「こんな事は、しないでほしいかな」
「…………っ。す、すいま、すいません……」
「うん。だって、勿体ないからね」
強張る手に気合を入れて、私は出来るだけ優しく、宮子ちゃんの手を取った。つるつるすべすべの肌に、形を確かめるように指を這わせる。
「こんな昼間の明るい時間からそんな事をしていたら、夜に差し支えるし……」
「え……」
「これ、予約ね。今晩、私の部屋に来る事。いいね?」
口調は自然だっただろうか。いまいち自信がない。だけど相手にここまでされて、舌がもつれたり声が裏返ってしまうような男は、ちょっとカッコ悪いだろう。
彼女のそれが好意から来るものではないのは分かっている。
だけどこれだけ追いつめられて、我が身を顧みないほどの何かであるというなら、受け止めてやりたいと思う。
別に苦しい事や痛い事じゃないしね。むしろ気持ちいい事だ。
問題はあくまで私の気持ちで……それぐらいなら、まあ、押し込めて置ける範疇の話だ。
「は……はい……」
「うん。じゃあ、先に上がって、侍女の仕事に戻りなさい。残業で部屋に来れないとかになったら怒るよ」
「わ……わ、わかりました」
ちょっと戸惑ったようにしながらも、宮子ちゃんが背中から剥がれる気配。艶やかな人肌が離れていくのに一瞬もったいなかったかな、とか考えが過ぎってしまって、私は自分にげんなりとする。
「失礼します……」
ぺたぺた、と離れていく足音が、がらがらと扉をくぐる。それを確認し、今度こそ広い湯舟に一人になった事を確認した私は、ふぅ、と息を吐いた。
…………石鹸を流して、もう一度温まろう。
桶ですくった湯を、私は頭からひっかぶった。




