第十八話 怪奇
翌日の朝食。
テーブルについた私に、二人の侍女が恭しく朝食を配膳してくる。台車から盆を取り、雫ちゃんが皿を並べる傍ら、宮子ちゃんが牛乳をカップに注いでくれる。侍女長のメアリは、その背後で存在しない目を光らせて二人の部下の仕事ぶりをチェックしている。
「お待たせしました、旦那様」
「ああ、ありがとう」
間近で囁く雫ちゃんに頷くと、彼女はぺこり、と頭を下げて下がっていく。その後ろ姿に、昨晩の艶姿の残滓は見受けられない。が、よく見ると微妙にふらついているのがわかる。二回戦は流石にやりすぎだったか。
一方の宮子ちゃんは、なんというか分かりやすい。しきりに私と雫ちゃんに視線を送り、意味ありげな雫ちゃんの動きにぐっ、と下唇を噛みしめているような様子。が、をふぉん、というメアリのわざとらしい咳の音にはっと我に返ると、彼女もいそいそと下がって背後に控えた。
配膳が終わったのをみて、メアリもまた、私の後ろに控える。こうなると、何か用事をいいつけない限り三人とも口を開かない。
「いただきます」
三人の侍女の視線を浴びながら、私は朝食に手を付ける。
今日のメニューはバターたっぷりのトーストにサラダ、小鉢のヨーグルトに、牛乳。実は冷たい牛乳はお腹を壊してしまうから苦手なのだが、カップを持つとそれはほんのり暖めてあるようだ。気が利く。
サラダは……レタスをはじめとした、ありきたりな食材ばかりだ。雫ちゃんとの話のネタには、ならないか。
無言のままに、朝食をぺろりと平らげる。シンプルでオーソドックスなメニューだが、明らかに普段食べているのとは味が一段も二段も違う。流石プロの仕事である。
「ごちそうさまでした」
手を合わせて食器を戻す。あとは部屋に戻るだけだが……。
「旦那様」
「うん?」
そこで、侍女長のメアリが私に語り掛けてくる。知らず、緊張に背筋が伸びる。彼女が、無駄な世間話をすることはないというのを、よく理解しているからだ。
「何かな」
「少し、お話があります。今後の領地経営のお仕事についての関係で……少し、お時間を頂ければと」
「分かった。ここで話す……のはよくないな。執務室で待ってるから、片付けが終わったら来てくれ」
私の返事に、メアリはしずしずと頭を下げた。
「鷹狩?」
「はい。鷹狩でございます」
オウム返しに問い返す私に、メアリは呆れもせずに頷き返した。
「少し先の話ですが、この屋敷からそう遠くない山で、地元の有力者で鷹狩が行われる予定でございます。旦那様も、館での暮らしに慣れてきていらっしゃったご様子。そろそろ、下々の者にご尊顔をお見せする頃合いかと思いまして」
「……事情は分かった。だが、私は鷹狩なんてしたことはないぞ」
鷹狩。聞いた事はある。日本伝統の優美な遊びだが、海外にも似たような文化、風習はあるらしい。
とはいっても詳しくはない。せいぜい、飼いならした鷹を放って獲物を捕まえてこさせる、あるいは鷹に獲物を探させて矢で射る、そのぐらいの認識だ。当然、そんな事できる自身はない。
「有力者が来るんだろ? 下手な様子を見せて笑いものにされるだけじゃないのか?」
「そこは問題ありません。この屋敷では、とても優秀な鷹を狩っております故。旦那様は立っているだけでも構いません。勿論、鷹狩にご関心をお持ちいただき、積極的に望んでくださるのなら嬉しく思います」
「ま、まあ、そういう事なら……。確かに興味はあるし……」
夢の世界とはいえ、鷹。鷹だ。鷹だぞ。
宙の王者。鳥の王。猛き鳥と書いて猛禽類。
興味は勿論ある。むしろバリバリだ。
だけど、疑問もある。
「いやだけど、この屋敷にそんなのいたっけ? それなりに歩き回ったけど、そんなの飼ってる小屋なり鳥かごなり、見た覚えがないけど」
「おや? てっきり旦那様はすでにご存知かとばかり」
私の言葉に、しかしメアリは分かりやすく首を傾げた。これは本気でびっくりしてる感じだ。どこかで私は知らず、鷹とニアミスしていたのか?
「別館ですよ。最近、宮子さんと一緒にそのあたりを散策なされていたと聞いたので、てっきり」
「……ああ! あそこか!!」
言われて手を叩いて納得する。
あの、異形の石像が立ち並ぶ不気味な渡り廊下。結局あの先がどこに続いているのかは確認しなかったのだが、どうやらあの先が別館で間違いなかったらしい。
「それじゃあさっそく行ってみよう。あ、でも今日の仕事があるな」
「ふふ。用事としてはこちらの方が重要度が高いので、先に様子を見に行ってみましょう。経験がないというなら、早く慣れていただきたいですし」
「よしきた」
私はうきうき気分で席を立った。メアリを連れたって別館に向かう。
幸い、道は覚えている。すぐに渡り廊下にたどり着き、その先の閉ざされた扉の前に立つ。
軽く引いてみるが、鍵がかかっているようだ。振り返ると、メアリがしずしずと歩み出ながら、後ろポケットから何か古めかしい鍵束を取り出した。
「鍵はこちらに」
金属の輪にいくつも大きなカギがぶら下がっている。そのうちの一つを鍵穴に差し込むと、がちゃん、と音がする。
と、それと同時に一見普通の扉にしか見えなかったそれが、寄木細工のように複雑に分解されて左右にずれていく。まるでゲームのような演出に目を丸くしているうちに、目の前には人一人が通れるほどの通路が開いていた。
「ほえー……手が込んでるなあ」
「鷹は貴重な財産ですので。泥棒が入らないようになっているのです。さ、こちらに」
先に進むメアリの跡を、ちょっと戸惑ってから私はついていく。
別館の中は薄暗い。窓から差し込む光を頼りにメアリの背中をついていくと、不意に彼女が立ち止まった。
「この先が鷹小屋でございます」
「え? 鷹小屋って……」
メアリの隣に並んで、周囲を見渡す。
別館はどうやらそう広くはなく、塔状の建物になっているらしい。その壁際にキャットウォークのように足場が何階も張り巡らされ、中央部分は吹き抜けになっている。
もしかして、館全体が小屋になっている? 鷹の為にずいぶん大仰な建物を作ったものだ。まあ、夢の屋敷だし、細かい所を気にしてはしょうがないのかもしれないが。
しかし、鳥小屋という割には獣臭がしない。生臭いには生臭いのだが、これはどっちかというと磯の匂いに近い気がする。
「……メアリ、もしかして海にでもつながっているのか、この小屋。磯臭いんだが」
「おかしな事を。鷹はそういう匂いでしょう?」
「んん……?」
なんだか話がかみ合わない。いや、私もまじまじと近くで鷹の匂いを嗅いだことはないが、動物園に行ったことはある。まああそこはどちらかというと陸生哺乳類でうんこ臭い空間だったが、だからといって鳥のエリアが特別匂いが違うという事はなかったはずだ。
いぶかしんでいると、ばさばさ、という羽音が鷹小屋に響く。
反射的に顔を上げると、天井の闇の向こうから、羽ばたく鳥のようなシルエットがこちらめがけて降下してきているの見えた。
「おわあ」
思った以上にデカい翼にびびって後ずさった私を差し置いて、メアリが右手をすっと掲げる。その腕先にばっさばっさと羽音を響かせて、黒いシルエットが舞い降りた。
「これが屋敷で買っている鷹、ミネルヴァです。ほら、ミネルヴァ、旦那様に挨拶なさい」
『グゴゴゲゲ』
メアリの挨拶に喉を鳴らすミネルヴァ。私はというと、頭の中に?マークが乱舞していたが。
まず、ミネルヴァというのはフクロウの名前である。鷹ではない。
そもそも、これは鷹なのだろうか。確かに大きな翼はもっている、そのシルエットだけなら確かに鳥っぽい。が、よく見れば体は全体的に湿り気を帯びており、尾羽と思われたものは魚のひれのような皮膜、タコの足のような触手。メアリの腕につかまっている足も、鳥の足のように見えるが鱗は魚のそれのようだ。尾羽はまんま魚の尾鰭。極めつけは頭で、早い話が蛸の頭がそのまま乗っている、という感じ。顔の前半分を覆うようにワキワキうごめく8本の足、まあその奥に烏トンビがあるから嘴がある、という意味では変わらないのかもしれないが。
見返すように四角い瞳がぎょろりと私を見る。それに気圧され、私はひきつった笑みを浮かべた。
「め、メアリ? 本当にこれが鷹なのかい? 私には何か違う生き物に見えるんだが……」
「おかしな事をおっしゃいますね、さっきから。これが鷹でなくて何を鷹と呼ぶのです?」
そういうメアリに、何かおかしな様子はない。彼女からすれば、これが鷹という生き物に違いないのだろう。
ならば、それでいいか、と私は一切の違和感と疑問を棚上げにする事にした。
もとよりここは夢の世界。現実と鷹が違う生き物でもむしろそちらの方がらしいというものだ。
「ごめんごめん、変な事を言った。それで、これからどうするんだい?」
「そうですね、旦那様は鷹狩の経験がおありにならないという事ですので、まずは慣れていただきましょう。簡単な訓練からどうでしょうか?」
腕に鷹を……ミネルヴァをとまらせたまま、メアリが私に振り返る。その腕で、ぐげごごご、とミネルヴァがやっぱり魚のようなうめき声をあげた。




