第十五話 表か裏か
そして夜がやってきた。
正直、夕飯の味はあまり覚えていない。宮子ちゃんの言葉が結局気になって、仕事も食事もいまいち集中できなかったからだ。意図を探ろうと視線を向けても、宮子ちゃんはそしらぬ顔で目も合わせてくれなかった。
とりあえず、今日はもう追求しても答えてくれる事はないだろう。屋敷の主人として命令すればもしかするかもしれないが、そうすれば確実に彼女の信頼を失うという事は私にもわかる。
結局、もんもんとした時間を過ごし……気が付けば、別の悩ましい問題に直面しているという訳である。
ベッドに腰かけた私の前には、二つの鐘。
そう。今日からは、二人の内どちらかを呼ばなければならない。メアリにも夕食後、念を押されてしまった。
「むぅ……」
鐘を前に腕組して悩む。
正直言うと、あまりこれで深く悩みたくない。前回、雫ちゃんだったから今回は宮子ちゃんに……というのが一番楽だ。
メアリは良い顔をしないだろうが、ローテーション云々を別にしても、それが一番あと腐れがないと思う。機会は平等にした方がいいのではないか、というのはおかしな考えではないはずだ。ただ……。
「……ただ、それで二人との関係が良い方向にいくか、というのがわからないんだよなあ……」
女性にとって、初めてというのは大切なもののはず。それを契約上の雇用主に捧げた事を、あの二人は内心どう思っているのか。
例えば途方もない借金を背負わされて、嫌々ここで侍女で働いて体を開いているのだとしたら、例え表向き笑顔でも回数を重ねるごとに私への好感度は下がる一方だろう。
メアリが効いたら、「たかだか侍女一人の感情を気にしてどうするのですか」とグチグチ言われそうだ。雇用契約を結んだ以上、そこにある事は例え内心どう思っていてもこなすのが仕事だ。それがパワハラ、カスハラになってくるとまた話は違うのだが。
「……」
私はしばし悩んで、結局雫ちゃんの鐘に手を伸ばした。
……雫ちゃんとは午前中良い感じに話が出来て、その後も無言ながらも彼女からの視線は悪い物ではなかった気がする。だが宮子ちゃんはどうにも、気まずい感じの別れ方をしてしまったのが尾を引いている。彼女と顔を一対一で向き合わせると、どうしてもあの続きをしてしまいそうだ。それはなんていうか……ある種の脅迫ではないか、という考えが頭に過ぎってしまう。
からから、と鐘を鳴らす。
これでもう後戻りはできない。
私は深呼吸して、彼女の来訪を待った。そして……。
とんとん。
「旦那様、雫が参りました」
「あ、ああ。入って来てくれ」
許可を出すと、小さく扉を開いて、小柄な侍女が姿を表す。
蝋燭の明かりに横顔を照らされて、彼女はしずしずと扉を閉めて、部屋の中に歩み出てきた。
その表情は、正直よくわからない。暗がりの中、緊張しているようにも、いつもの澄ました顔であるようにも、どっちにも見える。
す、と頭を下げてカーテシーを行う雫ちゃん。
「お呼びいただき、ありがとうございます。旦那様」
「あ、ああ……よろしく頼むよ。まあ、座ってくれ」
ぽんぽん、とベッドの傍らを叩いて合図すると、彼女はすす、っと身を近づけてきた。そのまま、軽い体がぼすん、とベッドの淵に乗る。
その距離は、初日よりは近い。拳一つ分ほど離れて、少女の体が隣にある。間近で見る、彼女の横顔。少しうつむくようにして、床の在らぬところを見つめている。スカートの上でそろえられた両の拳が、きゅ、と握りしめられていた。
緊張気味の彼女の様子に、私も顔を上げて天井を見た。燭台で、蝋燭の炎がちらちらと燃えている。
「朝の事なんだけどさ」
「は……は、はい」
「その。野草とかハーブとか、好きなんだね。詳しくてびっくりしたよ」
思い返されるのは、家庭菜園での事。私からはあまり区別のつかない様々な野草に、彼女は随分と詳しかった。それを話す彼女は楽しそうで、話の内容もそうだが、その笑顔を見ているのは楽しかった。
が、少し言葉選びが不味かったのか。雫ちゃんはちょっと頬を赤くして、ますます俯いてしまった。心なしか、肩の距離が離れてしまう。
「そ、その……お恥ずかしい所をお見せしました……」
「ああ、いや。そうじゃなくてね。楽しそうに話す人は見てて気持ちがいいなあって。知らない知識を知るのも楽しいけど、やっぱり好きな人に楽しそうに教えてもらう方が、記憶に残るよね」
「……そんなに、楽しそうでした? 私」
ちらり、と彼女の視線が見つめてくる。私は力強く頷いた。
「とても。また、教えてくれると嬉しいな。しょっちゅうだとメアリに怒られるからね、時々」
「ふふ、そうですね。時々……」
くすりと口元を緩める雫ちゃん。普段、お人形のように整った顔をしているから、ほんの少しでも口角が上がると凄く華やいで見える。
そんな彼女が手の届く所にいる。いや、自分から私の懐に座り込みに来た。
かっ、と頭の奥に血が上った。
「旦那様? ……あっ」
互いの間に開いていた距離を埋め、そっと左手を彼女の腰に向けて伸ばす。
その瞬間、びくっ、と震えるように彼女の肩が跳ねた事で、思わず指が止まる。
……少なくとも、前回夜を共にした事は、彼女にとっては愉快なだけの記憶ではないだろう。少なからぬ痛みを伴い、それはまだ完全に癒えていないのかもしれない。
躊躇って、しかし結局、私は彼女の細い腰に腕を回した。
ぐい、と彼女の体を引き寄せる。少し強張った彼女の四肢、だけど抵抗はなかった。
とん、と胸元に彼女の頭を引き寄せる。髪の間から覗く白いうなじは、羞恥にか赤く染まっていた。
勢いのままに行動できたのはそこまでだった。少し気持ちを落ち着けるべく浅く深呼吸していると、ぼそり、と雫ちゃんが口を開いた。
「あの……」
「ん?」
「え、と。宮子さんは……こういう時、何て仰るのでしょう?」
質問の意図が分からず困惑する。結局、私は素直に記憶に印象深い言葉をそのまま伝える事にした。
「優しくしないでください、みたいな事を言われたね。……雫ちゃん?」
「じゃあ、私はこういうのは、いかがしょうか……」
腕の中で顔を上げた小柄な少女が、潤んだ瞳で私を見上げる。
「ちょっと痛いぐらいで、お願いします……きゃっ」
そこから先の事は、詳細には覚えていない。




