第十三話 石像
意外な事に、メアリからのお咎めは無かった。
「あまり羽目は外しになりませんように」と一言だけ告げて、彼女はその場を後にした。
残された私は冷や汗を拭いつつ、安堵しながらその背中を見送る。
「ふぅ……」
一応怒られないよう、私なりに考えての立ち回りだったが、それは正しかったようだ。
メアリが私に求めているのは、上に立つ者としての横暴。しかしそれは言い換えれば、責任全てを自分で背負う、という事でもある。
この屋敷においては私は侍女より上の存在である。その私が侍女に、「気を使った」という振舞をすれば、それは侍女に「気を遣わせた」という事になり、侍女の罪になってしまう。だからあくまで、「上の立場としての横暴で、仕事中の侍女を話に付き合わせた」という体裁を取れば、メアリも強くは言ってこない。
あくまで、現状では、だ。
私がこの建前に味を占めて同じ事を繰り返し続ければ、彼女も機嫌を損ねるだろう。あくまで、弁えた上でそういう振舞を楽しむのなら、それもまた上の振舞、という解釈をしてくれたのだと、肝に命じなければ。
まあ、彼女としては、侍女長である自分にも上として接するべき、という考えなのだろうが、それはそれ、これはこれ、だ。現状一方的にお世話になっている相手にそのように振舞うのはただの恩知らずの馬鹿である。
それが傍から見たらどれだけ見苦しいかはよく知っている。
「さて、と……」
もうそろそろ昼食の時間だ。一旦、執務室に戻る事にしよう。
そして昼食。
背後に三人の侍女を控えて一人孤独に食事をするのはこれまでと変わらないが、何ていうか、今日の私は気分が良かった。
それは午前中、雫ちゃんとお話が出来たのが大きい。彼女もまた、平時は私と距離のある態度であるのは変わらないが、あの時は確かに、一人の人間として近い距離で話が出来た気がする。
特に好きな事を知れたのは大きい。あれだけ熱心に説明して、大して興味はありません、なんてことはあるまい。しょっちゅうとなると迷惑だろうが、時たま、会話を試みるにはいい話のネタが見つかったと言える。
それを思えば、こうして今も彼女が顔色一つ変えずに背後で佇んでいるのもあまり気にはならない。少なくとも、嫌われている訳ではない、と少し安心できたのだから。
そんな気分もあって、今日の昼食はいつにもまして美味しく感じられる。
ちなみに本日のメニューは、アーティチョークとベーコンのパスタだ。醤油味でまとめられたパスタは舌に馴染む深みのある味わいで、ちょっとした苦みが強いアーティチョークが大人の味だ。ちなみにアーティチョークは舌の甘さを感じる味蕾の働きを抑える働きがあるとかで、食べた後に水を飲むとびっくりするぐらい甘い。さらに水を飲む前と飲んだ後で、醤油の甘味の感じ方も変わるので二度おいしい。
珍しい食材を使った料理に舌鼓を打ち、私は上機嫌で食事を終えた。
「ご馳走様。実に美味でした」
私の様子を見て、食器を回収するために雫ちゃんがテーブルにやってくる。そんな彼女に、私は小さく尋ねかけた。
「料理長に話をしてくれたのかい?」
「……はい。旦那様が、家庭菜園に興味をもたれた事を話すと、意気揚々と」
「そうか、気をきかせてくれてありがとう」
私の礼に、雫ちゃんは表情一つ変えずに頭を下げ、皿を手に後ろに戻っていく。
一見不愛想な態度。朝の私であれば勝手に勘繰りして気落ちしていただろうが、今の私ならばなんという事はない。
少なくとも、家庭菜園の場での楽しい会話は幻ではなく。それを踏まえて、彼女が私に気を利かせてくれた、その事実だけで満足である。
私は満足した気分で食道を後にし、午後からの仕事に思いをはせた。
が。
部屋に戻った私を待ち受けていたのは、何十枚と机に積まれた書類の束であった。
「ええ……?」
困惑しつつも目を通すが、間違いなく仕事の書類である、全部。それも、判断がちょっと難しい奴……どっちに転んでも恨みを買いそうなやつばかりだ。
「ええと……『強風で屋敷の煉瓦が飛んで行って、通行人に当たって大怪我をさせた。通行人は賠償を求めているが、屋敷は拒絶している』……ええ、これどうすりゃいいんだ……?」
一枚目から凄く判断に困る奴だ。
しかも似たようなのが何枚もある。
「どう判断しても恨みを買いそうだなあ……」
ちょっと考えただけで胃がキリキリしてくる。裁判官ってのも大変な仕事だなあと思いつつ、私はペンを片手に頭を捻る。
「ええと……これは、これ……んぅ……」
しかしながら、10枚ほどこなしたところですぐに限界が来てしまった。ズキズキする胸を押さえながら時計を見ると、思ったよりも時間が過ぎていない。見下ろせば机の上にはまだたくさんの書類が残っている。
疲労度的にはこれ以上は無理だ。だがまた明日、というにはまだまだ早い。となると。
「……ちょっと休憩いれるか」
メアリを呼ぼうと鐘に伸ばした手が、ふと止まる。
午前中の出来事が頭をよぎったのだ。この大量の仕事、もしかすると彼女の意図的なおしおきなのではないか、と。
「……呼んで嫌味言われたらいやだな」
我ながら小心者だが、嫌なものは嫌なので仕方ない。それに考えてみれば、喉もそんなに乾いていない。
気分転換は別に、お菓子や飲み物が無くても出来る。
私は鐘を鳴らさず椅子を立つと、少し廊下を散策する事にした。
今更だが、この屋敷は本当に広い。
私が把握しているのは歩いた事のある場所のみで、早い話が玄関から食堂、執務室、寝室、それらを結ぶ廊下と階段くらい。
部屋がどのぐらいあって何に使われているとか、どこに階段があってどうつながっているかはまだまだだ。
なのでうっかり迷子にならないよう、自分がどこから来たのかをちゃんと覚えながら歩く。
「ん……?」
そうしているうちに、私は見覚えのない場所へと入り込んでしまっていた。
恐らくは角側、これまで歩いてきた道が直角に曲がっているのとは別に、もう一つ分帰路がある。
その道は床には絨毯が引かれておらず、左右には大きな窓が並んで燦々と光が差し込んでいる。そしてその窓の間に、まるで通る人間を監視するように無数の石像が、壁と一体化するように並べられていた。窓からは、向かいに立つ建物にこの廊下が繋がっているのが見て取れる。
別館に繋がる渡り廊下といったところか。
そしてその廊下で、黒い長髪の侍女が一人、石像を布で磨いていた。
宮子ちゃんだ。
そうか、そういえば彼女は午後、フリーだったな。ここに居たのか。
さっそく私は声をかけてみる事にする。
「やあ、宮子ちゃん。精が出るね」
「! だ、旦那様ですか……はい。侍女長からここを清掃するようにと指示されまして」
「ふぅん?」
宮子ちゃんの近くまで歩いていき、間近で石像をまじまじと見る。
なんていうか……不気味な石像だ。こういう場合、裸婦像とかダビデ像とか、そういうのが飾ってあるのがセオリーだと思うのだが、ここにあるのは奇っ怪な不定形の何か……妖怪とかそういう怪異っぽいものばかりだ。複雑な造形は目や鼻や口がどれかは分からないものの、やたらと臨場感に溢れている。それが壁から今まさに抜け出したような様相で佇んでいるのだから、何も知らずに夜に目撃したら悲鳴の一つでも出ていたかもしれない。
ある意味、防犯にはちょうどいいのかもしれないな。
しかしその複雑な形状のせいで、いささか埃が溜まっているようだ。
それを宮子ちゃんは一人で掃除していたらしい。
「ふむ……?」




