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「今晩はいかがなさいますか?」と侍女は囁く  作者: SIS
第一部 欲望の館

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第十二話 談笑


 朝食の後は執務室で仕事だ。


 今の所は、相変わらず領内のトラブルの采配。


 実はあれから現実でも、軽く貴族の仕事がどういうものかネットで調べてみた。


 その結果というと、実際にこういったトラブルにおける裁判官としての仕事も、貴族の重要な仕事の一部であったようだ。


 だが勿論それには終わらない。実際に領内に出かけていき、状況を確認すると同時に顔を見せる事。商いの管理、他の貴族との折衝。場合によっては山賊のような不穏分子への武力的対応も、貴族の仕事である。


 会社運営と、多分このあたりは一緒なのだろう。ちゃんと仕事が行われているか目を光らせ、トラブルがあれば対応し、予算の振り分けを考える。


 そのうちで、私がまたトラブル対応しか任されていないのは、まだ新人領主である事を踏まえての事だろう。恐らく他の業務はメアリが対応してくれているはず。


 しかし、彼女はあくまで侍女長、対応できる仕事にも限界があるだろう。それに今は、新人メイドの教育もある。きっと大変だろう。


 早く彼女に認められて、他の仕事も任されるようになりたい。


 そう思って目の前の書類に集中するが、僅か数枚しかない書類は立ちどころの内に終わってしまった。


 時計を見ても、長針が一周もしていない。何度か書類を見返してみるも、これ以上出来る事はなさそうだ。追加の仕事をメアリが持ってくる様子も無かった。


 そうなると、今の所暇を持て余すほかはない。


「ふむ……」


 ペン回しの最高記録に挑戦して失敗した所で、私は席を立って窓から中庭を見下ろした。柔らかい陽射しの中、泉の水が煌めいているのが見える。


 ……そうだな。


 少し、歩いてみるか。


 私は書置きを残すと、執務室を後にした。




 絨毯が敷き詰められた廊下を歩く。


 向かうのは勿論、雫ちゃんが仕事をしているという家庭菜園だ。場所は知らないが、探せば何とかなるだろう。


 中庭に続く扉から外にでて、周囲を見渡す。


 昨日は気が付かなかったが、屋敷の外壁にそって散歩道のようなものがあるようだ。宮子ちゃんは昨日、花畑に水をやる、といっていたから、彼女が出てきたのと逆の方向に歩いてみる。


 壁のように植木が立ち並び、枝葉の間から微かな日光が差し込んでくる。子の向こうにどんな世界が広がっているのかを夢想しながら散歩道を歩くと、急に視界が開けた。


 中庭と同じように、植木がひろがって小さな広場が出来ている。そこに植えられた様々な葉野菜達。緑色の植え込みの向こうで、小さな侍女の背中が動いているのが見えた。


 雫ちゃんに違いない。


「やあ、仕事に精が出るね」


「!」


 少し距離をあけて声をかけると、びっくりしたように雫ちゃんが身を起こす。振り返った彼女の額には、少し汗がにじんでいた。両手には手袋。


「だ、旦那様。どのようなご用事で?」


「家庭菜園があるのは知らなくてね。館の主人として、何があるかは把握しておきたいと思って、それだけ」


 私にそう言われても、雫ちゃんは作業に戻る訳でもなく、どこか警戒するようにこちらを見つめたままだ。


「ああ、いいよ、手を止めなくとも。手伝いに来たわけでもないからね」


 私は敢えてそれに構う事無く、家庭菜園に植えてある野菜に目を向けた。


 そう、侍女長メアリはこういった。「立場を考えれば、それでよい」と。つまり今の私は侍女の仕事を見かねて手伝いに来たのではなく、館の主人として散策に来ただけである。これなら文句は多分あるまい。


 それにしてもどれも見た事のある野菜ばかりだ。レタスやキャベツ、ブロッコリー。夢の世界だからと、奇怪な植物が植えられているのを想像していたのでちょっと拍子抜けだ。でも考えてみれば、毎食提供される料理に使われている野菜のラインナップがそもそもそんなものだったな。


 畝を一つ一つ見て回る私。その中に、ちょっと面白い見た目の野菜を見つけて頬を緩ませた。


 主茎に密集するように太い筒状の実を実らせた、濃緑色の野菜。これは知っている。


「ズッキーニがあるのか。面白い見た目だよね」


「! ……旦那様は、こういうのはお詳しいのですか?」


「知っているのがあるだけだよ。詳しいとはとても言えないよ。しかし、意外と普通の畑だな。てっきりバロメッツでも植えてあるかとおもったが」


 他に何か面白いのがあるかな、と畑を見渡す。


「あ、行者ニンニクがある。へえ……。これは……花に見えるけど……ああ、イカリソウかな。となるとこっちのは、アーティチョークかな」


「!!」


 山菜の類もこっちに植えてある。桃色の綺麗な花を咲かせるイカリソウがあるのは、一説によれば滋養強壮の効果があるからか。他にもアーティチョークや、なぜかバンジーの花まで……そういえば、サラダに花弁が散らしてあったな。


 花畑になくこっちにあるというのは、多分農薬とかの影響を考えての事だろうか。


 家庭菜園といっても四分の一ぐらいは花畑みたいになっている。ある意味お洒落かもしれないな。料理長の要望だろうか、このラインナップは。


 そんな風に畑の散策を楽しんでいると、何か雫ちゃんがもの言いたげに私に視線を向けている事に私は気が付いた。


 さっきまでのどこかよそよそしい警戒心はどこへやら、じっとこちらを見つめている。両手を体の脇で握りしめてタイミングをうかがうような仕草……ああ、なんとなく、私にも覚えがある。


 微笑ましい気持ちになって、私は彼女に声をかけた。


「雫ちゃん、もしかしてこういうの、詳しい?」


「!! え、えと。はい。薬草の類は、少し……」


「それはいいな。私は一部をちょっと知ってるだけで、あまり詳しくはないんだ。よかったら、教えてくれるかい?」


 問いかけると、彼女はぱあ、と顔を明るくして私に歩み寄ってきた。


「は、はい! 私でよろしければ……」


「そうか。じゃあ、これは何かわかる?」


 私は、山菜の中から少し覚えが無いものを指し示した。身を乗り出すようにして、雫ちゃんが山菜を覗き込む。その拍子に、彼女の白いうなじがはっきりと見えて、私は少しどきりとした。


 平常心、平常心。


 せっかくなかよくなれそうなチャンスなのだから。


「は、はい、それはナンテンハギ、というものです。一言でいうと野生の枝豆でして、その中でも特に絶品な……」


「ふむふむ」


 どうやら私の邪心は悟られずにすんだらしい。


 打てば響くように、山菜の説明をしてくれる雫ちゃん。どうやらこういったもの……食べられる草とかハーブについて彼女は随分と詳しいと見える。


 楽しそうに話す彼女の涼やかな声に耳を傾けながら、私は充実した午前の余暇を過ごしたのだった。




 楽しい時間はあっという間に過ぎる。


 屋敷からのごおん、ごおん、という鐘の音に、私たち二人ははっと我に返った。


 11時の鐘。お昼まであと少し、という事だ。


 幻想の時間はおしまい。気が付けば肩を寄せ合うようにしていた私達は、慌てて適切な距離を取って、汚れても居ないのに服を払った。


「ご、ごめん。仕事の邪魔をしてしまったな」


「い、いえ……」


 お気になさらず、といいつつも、俯く雫ちゃんの顔色は青い。恐らく、メアリの叱責が待っているのは間違いない。


 ここは男の甲斐性の見せどころか。


「雫ちゃん。もしメアリに怒られたら、まず私の所に来るように伝えてくれ。これは、あくまで私が我が儘をいって雫ちゃんの仕事を邪魔した、そういう事になる。いいかい」


「で、でもそれだと旦那さまがメアリさんに怒られてしまうのでは……?」


「いいから、いいから。ね?」


 こちらを心配してくれる雫ちゃんに噛んで含めるように言うと、彼女は戸惑いながらも頷いてくれた。


 私もよし、と頷いて周囲を見渡す。


 幸い、メアリの姿は見当たらない。まだ宮子ちゃんの教育中なのだろう。バレず、雫ちゃんが怒られなければそれでいい。あと一時間あるから、まだ何とかなる……といいなあ。


「それじゃあ、私はこれで。雫ちゃんはお仕事頑張ってね、出来る範囲でいいからね」


「はい。わかりました、旦那様」


 小さく頭を下げる彼女に手を振って、私は中庭の出入口に戻った。




 なお。


「何やら、随分と楽しそうでしたね、旦那様」


「…………(冷や汗だらだら)」


 扉の向こう、館の中で待ち受けていた首無しメイドの姿を前に、私は雫ちゃんの手を煩わせずに済んだな、と前向きに考えることにした。





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