第十一話 建前
がしゃあん、と目の前にスクラップが投げ捨てられる。
フォークリフトを操作してコンテナを輸送していた私は、それを成した下手人の背中を見送りながら、レバーをニュートラルにいれてサイドブレーキを引いた。
工場での作業中。スクラップを入れるコンテナがいっぱいになったので集積場所にもっていき空のコンテナとの交換作業中。僅か5分ばかり、コンテナが存在しないのが余程に待てなかったらしい。
勿論、これがある種の恣意的行為であるのは私もよくわかっている。つまり、八つ当たりと見せしめだ。理由なんて二の次である。
何をどうやったって、あの男は私に嫌がらせをせずには居られないのだ。
降りて、投げ捨てられたスクラップをコンテナの中に押し入れる。まともな人間だったらあと10秒待って、置かれたコンテナにこれを入れるんだろうが、残念ながら長い事まともな人間と触れ合っていないので基準が分からない。
あくまで想像上の普通の人を考えながら、私は再びフォークリフトに乗るとベルトを閉めた。
そして帰り道、立ち寄ったスーパーの棚の前で、げんなりと一日を振り返る私の姿があった。
結局今日の仕事も理不尽かつ非効率なばかり。一度、彼らの行動がどれだけの不利益を出しているのか計算してみたいが、そんな事をしても気分が悪くなるだけなのは分かっている。
気持ちを切り替えて、買い物に集中する。
パンを切らしていたし、冷凍うどんのローテーションも飽きてきた所だ。今日はちょっと贅沢をしよう、と思って商品棚を見る。
だが。
「……高いな。また値上げしてる」
物価高が直撃している品ぞろえに肩を落とす。
チョコレートが高級品になってから随分と起つ。それ以降も物価の上昇は歯止めがきかず、それでいて給料は据え置きどころか下がる一方。業界全体であらゆる企業の経営が苦しいという話だが、まあそもそもこの物価ではな。これでも値上げは利益の確保というより、もうそうしないとやっていけないギリギリだというのもわかっている。
企業は努力している。だがどうにもならないのだ。
世の中から、私の同僚のような異常者が一掃されれば少しは変わるのだろうか? そんな夢想に浸ってしまうのは、いけない事だろうか。
溜息をつき、私は結局僅かな贅沢も諦め、いつも通りのローテーションで篭を満たし、レジに向かう。
文句を言っても始まらない。結局、そんな不幸だが安定している状況に甘んじている、望んでいるのは私自身の考えなのだ。
◆◆
目を覚ますと、私は豪奢なベッドに寝転がっていた。
意識ははっきりしている。夢の中で目覚めるのも変な気分だ、と思いつつ、窓から差し込んでくる陽射しに目を細める。
現実での焼き尽くすような日差しと違い、空にうっすらとかかった雲によって減衰された日差しはほんのりと温かく柔らかい。ぬるま湯のような曙光に、ゆっくりと身を起こす。
「ふわーあ……む」
とんとん、というノックの音。
相変わらず見計らったようなタイミングだ。実は監視されているのではないか、と部屋を見渡すが、知っての通り監視カメラのようなものは部屋には無い。
まあ相手は尋常の存在ではない。気にしてもしょうがない事だ。
「どうぞ」
「おはようございます、旦那様。お湯とタオルをお持ちしました」
入ってくるのは侍女服に袖を通した雫ちゃんだ。彼女は人形のようなすまし顔で台車を引いて、机の上に湯気をたてるタライとタオルを置いた。
……そういえばいつの間にか二つの鐘が消えている。もしかして早朝に、誰かが毎朝訪れているのだろうか。だとすると寝顔を見られているという事になる、ちょっと気恥しい。涎とか垂れてなかっただろうか。
「あ、ありがとう」
「それでは失礼します」
ぺこり、と挨拶をして退室していく雫ちゃんは、あくまでも業務的な態度を崩さない。彼女の姿を扉の向こうに見送って、私はベッドから降りると、タライのお湯にタオルを沈めて、軽く絞って顔を拭いた。
寝間着から着替えて、食堂に向かう。すでに侍女は三人とも待機していて、私が顔を出すなりすぐに朝食の皿が並べられた。
パンに果物のジュース、そしてサラダ。ドレッシングが少し大目にかけられたサラダはしゃっきりとして食感が良い。ロールパンをもそもそと食べながら、ジュースに口をつけると、なんだかよくわからないが爽やかな香りが好ましかった。現実では飲んだ事のない味だ。なんだが気分がすっきりする。
敢えていうなら量が物足りないな。ぺろりと平らげた感想だ。
一通りテーブルの上の皿を空にすると、いそいそと宮子ちゃんがそれを片付け、代わりに雫ちゃんが一杯の珈琲を運んでくる。
香りを楽しみ、口に含む。上品な苦みと旨味、良い豆を使っている。
「ご馳走様。美味しかったよ」
「料理長に伝えておきます」
淑やかに頭を下げる雫ちゃん。ふと、その様子を見ていて私の頭にある思い付きが過ぎった。
「ところで、二人は今日、どこで何をするんだい?」
「え……、と」
私の突然の質問に、雫ちゃんが困惑を露にする。人間らしい感情を見せる彼女がちらり、と目くばせすると、文字通り表情を見せずにメアリが私に告げてきた。
「お二人はまだ教育中ですので、午前中は宮子さんを、午後は雫さんをそれぞれ、私が教育します。担当ではない時間は、お二人には多少の雑事を熟してもらっていますわ」
「それは、中庭の水やり、とかかい?」
「あら、ご存知でしたか」
ちらり、とメアリが宮子ちゃに首を見せる仕草。視線を受けて、宮子ちゃんがちょっと罰が悪そうに首を竦めた。
顔がなくてもメアリの行動はよくわかる。普通に考えればわざとそうやっていると考えるべきである。そこには何か意味があるのだろうが、あまり深く考えてもドツボにはまりそうだ。
「そうですね、本日は雫さんには家庭菜園の手入れを、宮子さんには廊下の掃除をしてもらおうと思っています。……言っておきますが、旦那様? 手伝ったりはしないでくださいね?」
「流石にメアリに怒られる、ぐらいの事は分かるよ。手伝い、じゃなきゃいいんだろう?」
「そうですね。あくまで立場をお考えなされば、それで」
なるほど。そういう事なら、言質はとったという事で。
「わかった。侍女長の忠言を受けないように立ち回るよ」
気分よく頷き、ぽかんとしている侍女二人を置いて私は食堂を後にした。
まあ、ちょっとした楽しみが出来た、というところかな。ふふふ。




