第十話 懊悩
そして夜。
私は三人の侍女に傅かれ、一人大きなテーブルの上で夕飯に手を付けていた。
本日のメニューは、サラダにパン、そしてチキンのグリル。鳥の腿肉を照り焼きにしたものが、皿の上にどどん、と鎮座している。てっかてかの皮はぱりぱりで醤油で薫り高く甘じょっぱく味付けされていて、ジューシーかつちょっとクセのある肉によく合っていた。多分、鶏じゃないな、なんだろう。
まあ、夢の料理だ、よくわからない生き物でも構わない。いっそ、コカトリスの肉です、ぐらいはっちゃけていたほうが嬉しい。
ちゃぷ、と脂に塗れた口元をワインで濯ぐ。白ワインの爽やかな香りが、鶏肉の後味をすすいでくれる。一般的に肉には赤ワインが合うとされているが、私は赤ワインのあの渋いともいえる口当たりがちょっと苦手だ、高いのを飲んだ事がないだけ、だからかもしれないが。
そのあたりを口にした事はないのに白ワインが用意されているのを見るに、メアリからすると私はよほど分かりやすい人間なのかもしれない。まあ、自分でも単純な人間だという自覚はあるが。
ワイングラスをテーブルに戻し、ちらり、と背後に控える侍女達に目を向ける。
壁際に、すまし顔で並んでいる三人の侍女。首無しメアリに、宮子ちゃん、そして雫ちゃん。昼まではダウンしていた雫ちゃんも、流石に夜になれば回復したのか復帰している。その顔はすん、とすまし顔で、何を考えているのかもよくわからない。
昨晩の寝所での彼女は、分かりやすいほどに分かりやすかったというのに。それともあれは、演技だったのだろうか? どちらが本当の彼女なのか、それともどちらとも私に見せているだけのペルソナなのか?
「……ご馳走様でした」
ナプキンで口元をふいて食事の終了を告げる。無言で歩み出た侍女たちが、食器を回収していく。
「私は部屋に戻るよ」
「はい。後程、寝室にお酒をお持ちします」
「ありがとう」
短いやり取りを後に、食堂を後にする。ばたん、とドアを閉じると、明るい食堂との落差で廊下は酷く暗く感じた。
寝室に戻り、ベッドに腰かける。
傍らには小さな机、その上には二つの呼び鈴が置かれている。今晩は鳴らされる事のない小さな鐘。
それを見ると、否応にでも二人の事が頭に浮かぶ。
「……この夢は、なんなんだろうな」
今更の疑問に、私は考えを巡らせた。これは夢、私にとって都合のいい夢……そう考えてはいるが、流石にそろそろ、それだけではない事にも思い当たっている。
普通、人間は同じ夢を見続ける事は出来ない。恐らく、鍵は文字通り、枕元に潜めたあのアンティークの鍵。あれが、この夢を見る為の重要な要素だ。
恐らくは何かしらの怪奇現象に私は見舞われている。それこそお話で語られるような、蠱惑的な誘いの中に。例えば浦島太郎の竜宮城が日本人には馴染み深い。そしてその末路は決まって悲劇的、破滅的だ。この夢に囚われ続ける事が、何かしらの害を私に齎す事は想像に容易い。
だが。それでも私は夢を見続けている。
もしかしたら、何もないかもしれない。もしかしたら、本当に私に都合がいいだけの夢なのかもしれない。そう思うのは逃避だと分かっている。
それでも、やはり、この夢はあまりにも甘美だった。不慣れで恥ずかしさが先に立つけれど、見目麗しい侍女に傅かれるのは気分がいいし。それに領地経営だって、大変だが楽しい。
これまで理不尽に振り回される方だった私が、その理不尽を裁定する側になるというのは、実に心地よい。
紙の向こうに数多の領民の生活があるというのはいまだに実感が無いが、私の判断と決定が多くの人々を動かしているというのを少しでも感触として捕らえられるようになってくると、現実の仕事よりもよほどやりがいを感じる。
現実では決して得られない、充実というものがこの夢には満ちていた。
別に現実なんてどうでもいい、という訳ではないし、命と引き換えにこの楽しい時間が欲しい、という事は勿論ない。
ただ、浦島太郎は夢から覚め、現実に帰った事で破滅した。であるならば、楽しい夢を見続けているのも一つの手ではないだろうか。今の所、現実に戻れない、という事は無い訳だし。
「言い訳、だな」
結局、この夢を見続ける理由を探しているだけの自分を自覚し、私はため息をついた。
と、そこでタイミングを見計らったようにドアをノックする音。許可を出すと、メアリがお盆を手に寝室に入ってきた。
「失礼します。寝酒をお持ちしました」
「ありがとう、そこにおいてくれ」
テーブルの上に寝酒を置き、挨拶して出ていく彼女。小さなショットグラスには、底に僅かな量のウィスキーらしき琥珀色の液体が満たされている。下戸というか、酔いやすい私の事を考えての事だろう。気が利くというか、見透かされているというか。
ぐい、と煽ると喉がかっと焼け、続けてアルコールの齎すほのかな酩酊感が意識に霞みを投げかけてくる。
空になったグラスを机に置く際、置かれたままの小さな鐘が目に入った。
……彼女達は、どうして私の元に来るのだろう。
了承済み、とメアリはいった。事実、彼女達は私に抱かれる事を拒絶していない。むしろ積極的にすら見える。
しかしその一方で、昼間の宮子ちゃんの態度は、あからさまに事務的で、距離があった。別に体の関係をもったからと馴れ馴れしくしろ、という訳ではないが……。
やはり、夜の事は不本意なのだろうか? 本当は嫌だが、何か事情があってその関係に甘んじている……というには、ベッドの中での振舞は演技には見えなかった。それとも私が経験が無いが故に、そのように勘違いしているだけなのか。
わからない。
まったくわからない。
「……まあ、現実ではよくある事だ。笑顔を向けている相手に、心の中では罵倒しているのなんて」
呟いて気持ちを宥めようとするが、一瞬、そのように振舞っている宮子ちゃんと雫ちゃんを想像し、胸がきゅっと痛くなる。
「やめよやめよ……。せっかくの楽しい夢なのに……」
頭を振って、後ろ向きな想像を振り払う。
酒気が抜ける前に、寝てしまう事にしよう。ベッドにもそもそと潜り込み、目を閉じるが、瞼の裏に浮かぶのは二人の侍女の事ばかりだ。
「……とりあえず。昼でも出来るだけ、二人と接点を持つようにしよう……」
それはそれで、二人の仕事の邪魔になるかもしれないが。
ああ、あとメアリはどういうだろうか。主人らしくない、とお小言を頂くだろうか?
二人の邪魔にならず、かつ、メアリのお眼鏡に適うような振舞は……あるいは、二人の邪魔にならないようにする、という考えが、そもそもメアリの機嫌を損ねるのでは……。あとは……そうだな……。
なんだった、っけ……。
…………。
……。
ヴィーム、ヴィームというスマホのアラームで私は目を覚ました。
カーテンを閉ざした部屋の中、光る端末の画面が部屋を照らしている。
一瞬混乱するが、スマホの存在がすぐに意識を引き戻してくれた。
「朝か……」
夢の中でも寝て起きて、とやっているとやはり混乱する。私はふらふらとベッドから身を起こし、洗面所に顔を洗いに行った。




