レッドライン
いつからかは覚えていないが、俺は特殊な夢を見ることができる。それが夢だと認識した上で現実と全く同じ世界を動けるのだ。その世界で何をしようが現実に影響はない。痛みも、死ぬこともない。夢の中の物を持ち帰ることはできないが、頭に叩き込んだ情報は持ち帰ることができる。使いようによってはいくらでも稼げる力。
***
「死なないとなると警備も大したことねえな…」
深夜、地方の企業内研究所の廊下で血塗れになった顔を拭いながら俺はひとりごちた。自分の血が四割、警備員や研究員と近所の交番から駆け付けた警察官の返り血が六割。侵入に生体認証が必要な可能性を考慮し一人生かして引きずってきたが、社員証があれば問題なかったようなので奪った拳銃で始末した。
(こんなしょうもないセキュリティのとこに殺人ウイルスが保管されてるとかこええな)
自分のことを棚に上げて思う。まあ、どれだけ警棒で殴られようが発砲されようが動き続ける相手を想定していないのだろうが。加えて、こんなちゃっちい研究所に人間を死に至らしめるウイルスを血液中に持つ鳥が囲われていることなど、一般人は勿論、企業関係者でも知らないものは多い。俺も企業の重役を捕まえて拷問(これも当然夢の中での話だ)し、聞き出すまで知らなかった。近日中に国立の研究施設に移送されるらしいが、それまでにここが強襲されるなど予想していなかったのだろう。
(この世界で実物を見たところで意味ねえし、移送される日時とルート、研究資料をできるだけ覚えて帰るか)
先ほど研究員に吐かせた棟の奥部屋を目指して進む。
数日前に標識調査のため捕獲した野生の鳥を検査したところ、新種ウイルスが発見されたらしい。鳥本体には無害なものの人間に感染すると数日で命を奪う脅威。その情報を欲しがる者はいくらでもいる。資料を見たところで俺はさっぱりだが、丸暗記して帰れば分かる者とっては貴重なデータだ。より手っ取り早いのは鳥本体の強奪。流石に現実だとショボい警備でも捕まらずに奪い取るのは厳しいが、移送中であれば十分可能だ。
伝手のあるテロ組織か他企業のどちらに売ろうかな、と皮算用しながら目的の部屋に入る。さっさと殺しはしたが警察に応援を呼ばれているかもしれない。死なないとはいえ蜂の巣にでもされれば体を動かせなくなる。眠りさえすればチャンスはいくらでもあるものの、日中になると人目が増えて成功率は下がるだろう。現実で早目に金が欲しかった俺は、邪魔が入る前に目ぼしい情報を記憶しようと本棚に詰め込まれたバインダーの一つに手を伸ばした。
「それはルール違反だよ」
「!?誰だ!?」
出し抜けに背後から声がした。この場に似つかわしくないあどけなさが残る声だが、何とも言えない威圧感がある。想定外の事態に慌てて振り返る。
(…女の子?)
果たしてそこに声の主はいた。俺より二十センチは低いであろう小柄で華奢な少女。歳は十代半ばくらいだろうか。肩近くまで伸びた真っ黒な髪は、天然なのかセットしているのかは知らないがゆるくパーマがかっている。同じく真っ黒な丸目はパッチリと開かれているが、その下には酷いクマがあり、幼さと老練さを合わせたような奇妙な雰囲気を生み出していた。小さな口が浮かべる薄い笑みがそれに拍車をかける。
そして、ますます場違いなのは服装だった。小さな花を散らした柄のグレーのパジャマ。まさに寝床に入るために着るような、少なくとも外着には絶対にふさわしくない。不意に声を掛けられて混乱しつつも、その服装から少女の正体に目星を付け多少の冷静さを取り戻す。
「…お嬢ちゃん、同類か?」
稀にこの世界で出会う同じ能力者。衣類はこちらで着替えない限り現実で着用しているものが反映されるから、今眠っているのであればパジャマ姿も納得である。しかし少女は惜しいという風に首を振った。
「少なくとも今は同類とはちょっと違うかな。ま、気にして欲しいのは正体より目的だからさ、難しく考えなくていいよ。君がしようとしているそれはルール違反。だから止めに来た」
「あ?…それってこのウイルスの情報を盗むことか?」
「そう、盗むというか見た時点でアウト。そんなの覚えて帰られちゃったら現実世界がえらいことになっちゃうからねえ」
「…何でお前に指図される必要がある?」
年齢も体格も上の俺を君と呼び、計画を止めに来たとのたまう少女。行動原理は大体予想がつく。こんなものが反社会的な組織の手に渡れば当然ろくなことにならない。回りまわって自分や身内にも被害が出るかもしれない、その前に止める…といったところだろう。だが、大切な人間などいない俺はどこで何人死のうが関係ないし、むしろ今まで俺を底辺扱いしてきた社会などぶっ壊れれば良いとすら思っている。取引で自分の安全は確保するつもりだ。現実世界がどうなろうと知ったことではない。この少女の要求に答える謂れはないのだ。
彼女が同類ではないと自称したのは、底知れない空気を醸し出して俺をビビらせ退かせるためと読める。互いに痛みは感じないとはいえ肉体的な力の差は歴然、正攻法で俺を止められるはずがない。
「うーん、社会的に影響が出かねないのはアウトなのさ。買わずに漫画の中身を読む、好きな子の上着を剥いで胸の大きさを知る、好きな子のパンツを下ろしてアレの大きさを知る、試験問題をカンニング…このくらいは不問でいいよ、全然可愛い可愛い。いや当事者の皆さんにとっちゃ大変な侵害だろうけどあくまで直接的な影響は個人に留まる。でもこれは駄目、発生する実被害の規模的に放置できない」
「…それはお前の思想だろう。どう思おうが自由だが従う理由はない」
いつ目覚めるやも知れないし、これ以上こんな子供に構っている暇はない。棚に向き直り、予定通り資料を開こうとした。が、少女がその手を掴み制止する。
「離せ。殺されないから高を括っているようだが、お前を拘束するくらい訳はない。いや手っ取り早く全身の骨を折って動けなくしてもいいんだぞ」
「それは無理だと思うな。従う理由はないと言ったけどこちらには権限がある。これは厚意からの忠告だよ、本当にここで引き返した方がいい。機密情報を目に入れた瞬間、君を帰すことができなくなる」
煩い手を振り払い、その勢いのまま鳩尾に蹴りを入れた。少女の軽い身体は吹っ飛び、後ろのデスクに激突して嫌な音が響く。
邪魔者がいなくなったのでようやくバインダーを開きページを捲り、理解できないなりに丸ごと内容を記憶していく。一番の収穫は、件の鳥の写真と移送車両、日時、ルートが書かれたページだった。
(よし上出来だ。後は目覚めてすぐ記憶が新しいうちに覚えた限り書き出して…)
「また説得失敗かあ。嫌だけど見ちゃったからには仕方ないねえ」
後ろから変わらぬトーンの声が聞こえた。振り返ると少女は何事もなかったかのように立ち上がり服をはたいている。痛みはないから当然とはいえ懲りない奴だ。
「ああ、もう俺は記憶した。お前が今からどう足掻いても無駄だ。残念だったな」
「そうだね、残念」
この期に及んで上から目線か、と呆れながらも目的を達成したおかげで心に余裕が生まれていた。起きるまでの時間、残りの資料も真面目に暗記しようと思っていたが、少女をねじ伏せて遊ぶのもいいかもしれない。前に会った男が同類を犯すのはまた違った快感があるかもしれないと話していたので、それを試してみようか。
すっかりその気になり少女に近づくと、彼女は笑みを消した無表情で俺を見て言った。
「本当に残念。記憶は消せないから、こうなった以上、命ごと消すしかない」
刹那、妙な感覚が走った。痛くはないが体内に何かが入ってくるような、気色悪い感覚。目線を落として確認すると、少女の右腕が俺の左胸に刺さっていた。自分の背中は見えないが貫通しているようだ。
(…夢だからといって身体能力は強化されないはず。こんな小娘が武器もなく素手で人体を…?人間業か?でも大丈夫、ここで何をされても死なないし、現実に影響はない…)
視界がぼやけ始める。これは目覚める時間が来たってことだ。いや、しかし…
(いつもと違うような…起きるときはもっと意識が上っていく感覚だったはず…)
今は逆に意識が沈んでいくような気がする。眠るときとも違う、もう二度と浮上しないほど深く。そんな思考さえ薄れてすぐに出来なくなる。
「ごめんね、仕事だからさ」
最期に少女の声が聞こえた。
***
朝、全国ニュースで一人暮らしの男が部屋で死亡しているのが発見されたと報道されていた。それ自体は事件性のない心不全でよくある孤独死なのだが、男の部屋から一般には公開されていない企業秘密の数々が書かれたノートが見つかったらしい。筆跡からして彼が書いたものに間違いないようだが、生前の行動から産業スパイだったとは思えず謎が謎を呼んでいる。きな臭い団体との繋がりの痕跡まであり、調査は長引きそうだ。
(波留あたりは大興奮で食いついてそうなニュースだな)
そう思いながら家を出る。あの女は不謹慎と物騒が大好きなサイコオカルトマニアだ。本人は非日常を愛してるだけ、とか言っていたが。見慣れた通学路を歩いていると、大親友の後ろ姿を発見したので声を掛ける。
「はよ、朝来ぃ!珍しく早いな~寝起き良かったのか?」
「折木、おはよ。いつも通りだよ。ただ、二度寝する気分にならなかっただけで」
「そか!けど良かった、今週これ以上遅刻したらやべーもんな!夢の中で二度寝いらね―くらい楽しんだのか?」
コイツは不思議な夢を見る力を持っている。本人はあまり気に入っていないようだが。
「いや、楽しくは…なかったかな。ちょっと気晴らしに散歩したら不審者に会ってさ。夢だろうと深夜徘徊なんてするもんじゃないね」
そう言って朝来は短いあくびをした。
「なんだよ、夢の中の俺も連れてけよな~。そしたらそんな奴ぶっ飛ばしたのによ」
「いや夢でぶっ飛ばしても意味ないし…夢とはいえ深夜に家に押しかけて連れ出すのは…」
「で、どんな不審者だったんだよ?露出狂か?現実で張り込んで捕まえてやろっかな~」
傍から聞けば意味不明だろうが、俺達にとっては他愛もない会話。そうしていつもの日常と平和を噛み締めながら、二人で学校に向かった。




