ベテランな同類
微かに懐かしい気配がしたので、最終ギリギリの電車に飛び乗り八王子で降りた。駅前でその人を見つけ、柄にもなく声を張る。
「鳴子さん!」
最後に会ったときより頭頂部が薄くなった白髪の老人は、振り返って僕を視認すると穏やかに笑った。
「ああ、君は…すまんね、名前は出てこないが覚えているよ」
「朝来です、朝来眠理。お久しぶりです、二年…いや三年ぶりでしょうか」
「もうそんなに経つか。大きくなったわけだ」
鳴子さんは僕が夢世界で初めて出会った同類だった。公園で一人遊んでいたところ、「こんなに小さな同類の子は見たことがないね」と声を掛けてくれた彼に、仲間を見つけた気になった三歳の僕はすぐに懐いた。幼い故にしっかり本名で挨拶してしまった僕に、彼は苦笑しながらも同様に名乗ってくれた。その後で信用できる相手以外に個人情報は明かさない方が良いと教えてくれたが。
「タイミングが合わなくてなかなかお会いする機会がなく…。あまり離れすぎると気配も感知できませんから」
「ああ、私も東京にはめっきり来ていなかったしね。今日は久々に散歩したくなって、思い切って来てみたが正解だったようだ」
僕と出会った時点で還暦を超えていた彼は、数年後の定年退職を機に親戚のいる山梨へ移住した。その後も時々どちらともなく引き寄せられて夢で会っていたのだが、ここ数年は随分と頻度が減っていた。
立ち話も何だから、ということで深夜営業のファミレスに入る。
メニューを見て「最近のファミレスはこんなのもあるんだねえ」と話す鳴子さんを眺めながら、昔、彼に色々な場所に連れて行ってもらったことを思い出す。今でこそ夢では結構やりたい放題だが、幼い頃はそうもいかなかった。お金も持ってなかったし、幼児が一人でウロついていたら現実と同様に迷子センターか交番か誘拐犯の車に連れて行かれる。結局やることと言えば、現実では怖くて滑れなかった滑り台にチャレンジするか、勿体なくて使えなかったクレヨンで絵を描く程度。そんな僕をたまにこっそり連れ出して、ファミレスでお子様ランチを奢ってくれたり、動物園や水族館なんかにも連れて行ってくれた。れっきとした未成年者誘拐だが、現実では何もしていないので無罪である。
当時健在だった祖父が聞いたら憤慨しそうだが、もう一人のお爺ちゃんのように慕っていた。だから、年月が経つにつれ会う間隔が開いていき、彼が引っ越してからはいつ途切れてもおかしくない関係になったのは寂しかった。僕も成長し他の同類の顔見知りもできたが、一番長い付き合いで話していて落ち着くのは彼だったのだ。三年前に会ってから音沙汰なく、二度と会えないかもしれないと思っていたところだったので、今夜気配を感じたときはテンションが上がった。
「前に会ったとき、眠りが浅くなって夢世界に来ることも減ったという話をしたと思う」
ドリンクバーの緑茶を飲みながら鳴子さんが話し始める。彼が東京にいた頃から、「歳を取ると眠る体力も無くなる」と言っていたのを思い出す。
「加えてたまにこの世界に来られても何だか体がダルくてね、現実よりはマシだが。同居してる親戚の目を盗んで遠出する気になれなかったんだよ」
「ここでは痛みはゼロですが、疲労や不調は若干感じますもんね。今頃、ご家族は大騒ぎで探しているかもしれませんね。こっちでの話ですが」
「家族なんて綺麗なもんじゃないさ、親戚は…。それに大騒ぎしているとしたら、入院患者がいつの間にかいなくなった病院の方だろう。面目ないとは思うが、現実では大人しく寝てるから勘弁してもらおう」
「ご入院を?」
「ああ、半月ほど前から。徘徊からの失踪を警戒して軟禁してきた親戚よりは病院の方が優しくてね。今日は比較的調子も良いし、長く眠っていられる気がして抜け出させてもらった。退院したらまた閉じ込められるから最後のチャンスだと思ってね。この世を好きに歩ける最後の」
「最後、ですか」
「持って三ヶ月らしい。医者の先生に直接言われたわけじゃないが、親戚が話しているのが聞こえたよ」
「…どこがお悪いんですか?」
「末期の肺がんでね。悪いというより衰えだ。年齢を考えればよくある死因さ」
「……」
「悪いことばかりじゃないさ。ほぼ寝たきりの状態になって、今までの人生で一番この体質に感謝している自分もいる」
「感謝…」
「ああ。隣のベッドに武田さんって患者がいてね。互いに調子が良いときは話し相手になっていたんだが、彼は元々食べ歩きが好きでねえ。食べるどころか起き上がることすらもう出来なくなったことをよく嘆いていたよ。先週、一足先に逝ってしまったが」
「……」
「そう考えると、私は恵まれているのかもしれないってね。夢さえ見られれば危篤だろうとある程度好きに動けるのだから。まあ、若い頃に現実で過ごせたはずの時間を夢に奪われたお釣りだと思っておくよ」
「あの」
困らせるだけかもしれないと思いつつ、我慢できずに僕は聞いた。
「良ければ今いる病院を教えていただけませんか?一回くらい、現実でお見舞いに」
「気持ちだけ受け取っておこう」
鳴子さんは優しげな、しかしきっぱりとした口調で拒否する。
「すまない、だが分かって欲しい。…私はこの夢の世界で君と会うときはね、年長者として、頼りになる存在でいられるよう接してきた。おこがましいが、君もそう思ってくれていたら嬉しい」
「はい、それは勿論」
「だから現実の私を見られたくないんだ。本当の私は、友人もいないし血縁者も保険金目当ての者ばかりで、心を許せる相手はいない。情けないことに最期まで孤独なんだよ。その上、身体もボロボロだ。現実だと今の十倍は体が重くてこんなに歩き回れないし、茶も飲めないし、声だって通らない。ずっと点滴に繋がれて、痰も自分で吐き出せず吸引してもらってる」
「……」
「そして何より嫌なのは、そんな状態でもまだ生きたいと思ってしまっていることだ。今は余命を受け入れて落ち着いているように見えるだろうが、それは身体の不調を忘れられるこの世界だからだ。起きたらきっと苦痛を感じながらもまた生にしがみついてしまう。長年…二十五からこの夢を見始めたから五十年か、睡眠中だろうとほとんどの時間に意識がある生活をしていたせいだろう。自我が消滅して永遠に無になるかもしれないということが人一倍恐ろしい。昔はあまりにも寝すぎる自分に嫌気が差して、しょっちゅう死にたいと喚いていたのに、目に見えて死が近づくと今度は怖いと騒ぎ出す。本当に浅い人間だ。肉体的にも精神的にもそんな姿を見られたくない。ここまで曝け出しておいて今更だが、せめて君の前では堂々とした大人でいたい」
「…考え無しに聞いてすみませんでした」
「いや、気持ちは嬉しいよ。打算無しで見舞いに来たいと言ってくれた人間なんて君くらいだ。昔はもっと同類の知り合いもいたが、最近はとんと会わなくてねえ。夢でも現実でも孤独だと思っていたから、今日、君と話せて本当に救われた」
「…また、退院される前に夢で会えますか?」
「どうだろうね。タイミングが合えば、いや…」
再び困らせてしまったかもしれない。彼からはっきりとした答えは聞けなかった。
目覚めるまで一人で久々の都内を散歩したいということだったので、僕は先に店を出ようと伝票を持って立ち上がる。が、鳴子さんに制止された。
「ここは私が払っておく。夢での支払いなど意味はないがね。もう少し年長者ごっこをさせてくれ」
「…分かりました。ご馳走になります、鳴子のお爺ちゃん」
かなり照れながらも僕が幼い頃にしていた呼び方で礼を言うと、彼は悪戯っぽく笑った。




