大相撲夏場所 〜舞い散れ 春の狼〜
千秋楽、僕は土俵の下で大関の取組をぼんやりと見守った。
今場所ももう終盤だ。あとは横綱・天馬との全勝対決を待つのみ...くらいにその時思っていた。雨竜ー伯勝山戦が始まってから僕は目覚めた。立ち合い雨竜は伯勝山を前に変化し送り出しで勝利した。11勝目だ。これを観た観客席からは怒号の嵐だった。
「汚ねえぞ!」
「モンゴルに帰れ!」
「大関だろ!」
それを見た僕は俄かに怖くなった。確かに雨竜は外国籍で叩かれ易くはあったが、それでも大関である。上には全勝の2人の横綱がいるにも関わらずである。もし、僕が汚い相撲でも取ってしまったら...もう小兵だからというだけでは許されはしない。観客は喜ばない。僕は不安を抱えながらも土俵に立った。やはり一層期待されている様に感じる。そして正面を見ると天馬は闘志を漲らせ、張った体でこちらを凝視していた。
あれこれ感じているうちに時間いっぱいとなった。僕はゆっくりと深呼吸をした。もう一度天馬の目を見た。今度は打って変わって落ち着いた表情に見えた。天馬は現在絶対的な覇者だった。己を信じ切っていた。そして互いに呼吸を合わせて立ち上がった。
僕は組まずに真っ先に喉輪を突いた。前みつを取りに行って両差しともなれば外側から極められてそのまま吊り出されてしまうからだ。何発も連続で手を回してから右上手を取って投げようとした。しかしすぐに天馬も上手を取り同時に投げた。僕の方が先に土についた様に思える。実際行司も天馬に上げた。しかし物言いがつき、幸運にも取り直しとなった。
僕は幸いにももう一度チャンスを得る事ができたが何かを忘れている様な気がしてならなかった。もっと単純な何か....僕はゆっくり息を吐いて顔を上げた。その時とても明るい無邪気な良い笑顔の子供を見つけた。その子は純粋に楽しみにしている様だった。その表情を見て僕の緊張も解けた。
何をそんなに恐れているんだ。何に僕は縛られているんだ。僕は取り憑かれていたものから解き放たれた様な感覚を覚えた。そして僕はもう一度天馬を見た。相変わらずの形相だ。しかし僕はもう戻ってきた。
「舞い散れ、春の狼」
僕達はもう一度立ち上がった。さっきの相撲を経験した天馬は突っ張ってきた。しかし天馬は意外にも突っ張りは不慣れなようだ。両脇ががら空きだ。そこで僕はもろ差した。これで毎度極められて負けていた。しかし敢えてこうしたいと思った。寧ろ毎度負けていたからこそこのやり方で勝てなきゃ楽しくない。ただしだからと言ってまるっきり今までの僕と同じというわけではない。間髪入れずに僕は吊り上げた。吊って仕舞えば極めようが何しようが関係ない。案の定その体制からでも極めようとしてきたが押し倒すような形で吊り出した。土俵際では足が着いていたようだったがもう往年の粘りは無くなっていた。そして土俵下に落ちた天馬を引っ張り上げるとかなり息が上がっていた。もう2連戦するスタミナも無いように見受けられた。しかし最後は楽しめたことが最大の勝因だろう。あそこで楽しさを忘れたままなら今の天馬でも勝てないままに違いない。こうして僕は初めて全勝優勝を果たした。
千秋楽パーティも嘘のように人でごった返していた。前回とすら比較にならない。しかしそれでも気づけば夏殿くんは隣に居た。
「よっ、おつかれさん。全勝おめでとう。」
夏殿くんは言った。
「今回は何もやってないよな?」
僕は初めて飲むワインに顔を顰めながら言った。
「えっと、あーうん...」
夏殿くんは気まずそうに目を逸らした。僕はため息を吐いた。
「でも桜狼、安心してくれ。これが本当に最後だ。安心してくれ。」
夏殿くんは続けた。
「....ほんまに?」
僕は疑いながら言った。
「あぁ。この物語を終わらせたからな。これから俺も進まんとな。」
夏殿くんは前を見据えて言った。
「ふーん、じゃあその“物語の終わり”とやらを聞かせてもらおうか。」
僕はニヤリとして言った。我ながらテンションがおかしい。下戸なのかもしれない。
「あぁ、じゃあ話していこうか。」
夏殿くんはそう言うと“物語の終わり”を語り出した。




