大きな大横綱と小さな新横綱
曲がり角を曲がると、そこはもうかつてのハイデラバードの面影もなかった。巨大な残骸にまみれ、人の亡骸が当たり前のように転がっていた。そこにはもう敵の姿すらもなく静かに広がっていた。
「どうしよう...」
桂幕川の姉が言った。その時、僕は恩師の姿を見つけた。
「ちょっと停めてください。」
僕はそう言うと荷台から降りて駆け寄った。
「あぁ...小春か。」
親方は腹に大きな傷を負っていた。一刻も早く手当を受けるべきだろう。僕は親方を持ち上げようとした。しかし300kgを超えるその巨体は僕だけで運ぶにはあまりに重過ぎた。かと言って今はもう誰の手助けもない。
「....もう良いわよ。」
親方が言った。
「良くないです。」
僕は返した。当然だ。
「なんでここにもう人が居ないのか考えたことあるかしら?」
親方は言った。
「えーっと...どういうことですか?」
僕は困惑した。確かに人は居なかったがもう用はないからだと思っていた。親方は続けた。
「アタシね、ここの国の人たちが喋ってる言葉が分かるの。それでね、さっきここで戦ってた敵の言葉を聞いたのよ。核が落とされるって。」
僕は唖然とした。言葉が出なかった。
「だからあんた達は早く逃げなさい。より遠く、遠くへ。」
親方は続けた。でも認められなかった。まだこれからなのに...?
「あんまりですよ...まだ聞きたいこといっぱいあるのに...」
僕は言った。すると親方は優しい表情になって言った。
「そうねぇ...じゃあ最期にアタシの思う横綱の品格を教えて上げるわ。それはね、“相撲を楽しむ”ことよ。だってお客さんはあんたの相撲を楽しみに待ってる訳でしょ?それなのに相撲をとってるあんたが楽しくなさそうならお客さんにも失礼でしょ?相撲にも失礼だし。そんなので神様になれるかしら?だから相撲を一生懸命に楽しみなさい。これが“大きな大横綱から小さな新横綱に贈る言葉”よ。」
僕は拍子抜けした。勝つこととか、他人に優しくすることとかだと思ってたから予想外だった。だがしかし一番納得した。そしてそれと同時に目頭が熱くなった。ぽろぽろと溢れた。
「みっともないわねぇ。横綱でしょ?精悍なあんたに涙は似合わないわ。」
親方は言った。僕は頷いた。
「それじゃいってらっしゃい。アタシを超える大横綱になりなさい。」
親方は言った。僕は振り向かず車に乗り込んだ。車が動き出すと、後ろから
「俺を赦してくれ...」
という親方の声が聞こえた。僕は人目も憚らず泣いた。
郊外に向かう高速道路を走っていると、強烈な閃光が市街地に光ってるのが見えた。やがて閃光はきのこ雲に変わっていった。幸い既に十分に距離の離れていた僕たちに目立った害は無かったがそれが余計に不気味に感じた。あそこではもうみんな死んでいるんだ。何万、何十万の歴史が途絶えたんだ。勿論、親方も。千風も。桂大国さんも。どこまでもやるせなかった。
やがて僕は帰国した。部屋に戻ると藍良さんが何も言わずに抱きしめてくれた。本当は胸が張り裂けそうな程辛いはずなのに。僕のことを恨んでてもおかしく無いはずなのに。その後夏殿くんが存命の知らせを受けて少し安心したが林さんも木ノ華ちゃんもダメだったらしい。僕は未だ虚なまま気付けば桜の花は散っていた。
4月21日、早くも終戦を迎えた。しかしその短期間で犠牲者数は少なくとも50万人を超えていた。聞いた話によると、反乱軍は元々どこかの宗教の過激派だったそうだが、そこにありもしない陰謀論や地方と都市の対立などがSNSを通じて混ざり合い、隣国からの援助もあって複雑に巨大化してしまったらしい。崩壊寸前の建物に入っていった連中は略奪目的だったらしい。最早怒りも湧いてこなかった。
そして帝国政府とハイデラバード王国政府の戦後処理も耳を疑った。核汚染が深刻なハイデラバード都心を被害者の救助を一切無しに全て埋めてしまうことにしたのだ。まだ生きていた命もあるかもしれなかったのに。
〜張 凍氷 (元横綱 桂大錦 凍氷 帰化前:張 イーゴリ) 32歳 没〜
僕は横綱・桂大錦の協会葬に呼ばれた。その時、師匠が肩をぽんと置いて僕に話しかけてきた。
「お前は本当に大変な思いをしたな。でもこれだけは分かってほしい。お前は何も悪くないからな。俺はずっとお前の味方だからな。」
と言った。そういえば世間では僕のせいでみんな死んだのではないか?と考える陰謀もあるという話は聞いたことがある。しかしそんなこと気にもできなかった。
少しの沈黙の後、師匠はゆっくりと
「小春、お前のお父さんの話は聞いたか?」
と言った。まさかの人物の登場にびっくりした。僕は少し黙った後
「いや、聞いてないです。でもいいです。」
と言った。すると師匠は
「結局言えずじまいだったんだなあいつ...でもこれは言わないとダメだ。これはあいつの遺志でもある。」
と言った。僕は流石に聞きたくないとは言えず耳を傾けた。
「気を悪くしないで聞いて欲しい。実はお前のお父さんはな...大錦が殺した。」
僕は頭が真っ白になった。えっ....どういうこと?もう怒りも悲しみも湧かなかった。
「まあ落ち着けや。順を追って説明するから聞いとけ。」
師匠はそう言い語り始めた。
「大錦のお父さんはな、神戸の地震で亡くなったんだ。あいつが2歳の時。そこからしばらくして小学生の時、大錦のお母さんがある男と同棲し始めたらしいんだ...それがお前のお父さんの劉生。
劉生はDVをしてたらしかった。ある日、劉生はDVをしていたら勢い余って大錦のお母さんを殺してしまったらしいんだ。そしてそれを見た大錦も殺してしまおうとした。殺されたくなかった大錦は台所にあった包丁で劉生を逆に殺してしまったんだ。これが小6の夏のことだった。
当然大錦は少年院に入れられた。面会の時に劉生の弟...桂秋濱だ。秋濱は面会で大錦に大相撲入りを勧めた。大錦がお前に勧めたのと同じようにな。
そして出所後、この大相撲の世界に飛び込んだ。それからは順調に平和に...行くはずだった。それからお前も知ってるように大怪我で実家で休養中だった秋濱は津波に巻き込まれて死んだ。まだ25だった。当時大錦は幕下で十両昇進に挑戦する場所だった。実はそれまであんなオネェ口調では無かった。それどころかあんな陽気な性格でも無かった。身内じゃないとあまり知られてない話だけどな。でもあの日を境にあいつは変わった。あいつは自らを偽り“桂大錦”を演じ始めた。どれだけ無理をしてたのか、俺には計り知れない。」
僕は絶句した。複雑な気持ちなんて簡単な言葉で終わらせたくはなかった。しかし、想像を絶する覚悟があったことだけは分かった。誰にも徹底して最期まで弱みを見せない大横綱になることに...
「お前はこれでもあいつを恨めるか?」
師匠は言った。僕は首を振った。恨める訳ない、寧ろ自分の無力さにやるせなくなった。
「それとも、お前はお前を憎しんでいるのか?」
師匠は言った。僕は固まった。
「図星か。もう一度言うが、お前は何も悪くない。それにあいつ、これだけはお前に伝えてたはずだ。“相撲を楽しめ”と。これはあいつだけじゃなくて秋濱...お前の叔父さんの願いでもある。」
師匠は言った。どれだけ心に刻もうとしても波にさらわれていってしまった言葉だった。
「こんなこと言った後に言うことじゃないけれど...いつまでも後ろを向いてもしょうがないぞ。無理は絶対にしちゃダメだけど、土俵に立つ以上、これからも生きる以上楽しみなさい。」
師匠は言った。そうだ。これは恩返しでもある。
新横綱として初めて迎える5月、大阪場所。僕は楽しみ、神になる。




