想い出にさようならを
ふいに目の前の女……メアリーが咳き込み、私は現実に引き戻される。
「お前は……いや、君は……どうして、ここに?」
「どうしても何も。正直者は馬鹿を見るのさ」
「正直者というのなら、自分が何をしているのか分かっているだろう?」
「ああ、今更逃げも隠れもしないよ。アンタの部下がじきに証拠を見つけてくるだろうしね」
「なら、どうしてこんな事を!」
強く握りしめた両拳を近くのカウンターに叩きつける。
店員達がヒッ!と小さい悲鳴をあげたが、今の私はそれどころではなかった。
爆発する情動はもはや抑えきれなかった。
怒り、悲しみ、悔しさ……そんなありふれた言葉では足りない業火のような感情。
あっけらかんと悪事を白状する彼女の何にも悪びれもないその態度。
それはあの『メアリー』へのこれ以上ない侮辱。
私にはそうにしか聞こえなかった。
当の本人はしれっと涼しい顔。
おもむろにカウンターの引き出しを開け、小さな箱を取り出す。
中身は煙草のようだ。ちょうど最後の一本。
「そんな人間ではないはずだろう、君は!」
「……」
「君はそんなんじゃない!なあ、そうだろ!」
「さあ、どうだろうね」
彼女は最後まで首を縦に振らなかった。
カウンターを見つめたまま俯く私を尻目に、彼女は箱を潰しひょいとゴミ箱に投げ入れる。
『メアリー』はいなくなった。消えてしまった。
いや、消されてしまったのだ。目の前の女に。
「それで?殺すんだろ、アタシを」
手にした煙草に火をつけ、どかっと椅子に座り足を組む彼女。
その骨張った指には青い血管が浮いていた。
くゆる煙が私の周りをぐるりと囲み、つーんとした香りが広がる。
「分かっているならなぜ逃げない?」
「どうせ同じだからさ」
「……」
「とっととやればいいだろ?ほら、」
椅子から立ち上がり、彼女は両手を広げ私の前に。
胸元で大ぶりの黒い宝石が揺れてきらりと瞬く。
麻薬取引はこの国では死刑の対象だ。
逃げた先で捕縛されれば当然殺される。
どの地域でも衛兵が目を光らせている。監視が一番緩いのがこの街だった。
しかし、今から私達の調査で実態が明らかになればここもそのうち厳しい取り締まりが始まるだろう。
そんな中で隠れて生きる、というのは無理に等しい。
とはいえ、ここにこのままいたらいたで重罪人たる彼女は目の前の騎士に殺される。
どう足掻こうと彼女に待ち受けているのは死なのだ。
あの心の美しい女性はもうどこにもいない。
消えてしまった。
目の前の女が、奴が、消してしまった……いや、もはや殺人だ。
殺してしまった。『メアリー』は奴に殺されてしまった。
ならば、そんな奴に躊躇いなど不要。
だというのに……
頬に一筋何かが流れていく。
剣を構えた腕は震えてばかりでまるで力が入らない。
「おやおや、泣いているのかい?」とメアリー。
「黙れ!」
しばらくの無言。
ふいに口を開いた彼女はこう言った。
「ようやくこれで終わる……アンタのおかげで」
いきなり何を言い出すんだ。
ガサついた音の向こうにかすかにメアリーの声を混ぜて。
ガシャンと私の手から滑り落ちる剣。
こんなに重い物だったのだろうか。拾い上げるのも一苦労で。
「だ、黙れと言っているだろう!」
「……ふふっ。ありがとう、ジェームズ」
「……!」
目の前の女に彼女の姿が一瞬重なって見えたような気がした。
まっすぐな瞳でこちらを向いて、穏やかな笑顔のメアリーが。
ジェームズ、それは私の名。
ここでそれを言うなんて。なんて卑怯な。
やはり目の前の女はメアリーだった、なんて。
どうして信じられようか。
やめてくれ。
もう、やめてくれ……
彼女の屍を蹂躙するかのような……そんな態度は。
頼む、やめてくれ……私を、メアリーを壊さないでくれ……
奴が息を吸う音も、服の布がかすかに擦れる音も刺激となって。
一滴、また一滴と雫が続いていく。
部下達の足音や話し声が遠くから聞こえてきた。
薬物の袋を全て回収し終えたのだろう。
程よい雑音が静かなこの部屋まで響き渡り、私の沈む気持ちを誤魔化してくれるような気がした。
乱れた心をなんとか沈め、剣を構え直して前を向く。
捕まった彼女が死刑台に連れていかれ、事切れるまでやきもきしながら待つよりはマシ。そう自分に言い聞かせ。
私のこの手で。
私がここで、終止符を打つ。
「神と国王の名において!お前を断罪する!」
力いっぱい剣を振り上げそのまま勢いよく下に。
耳障りなガサガサの金切り声と共に血飛沫が辺りに飛び散った。