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 春の花もすっかり散ってしまった現在、季節は急速に初夏へと向かっていた。

 普段着のドレスの生地も夏用のものに代わり、レースや透ける生地のリボンなどの装飾が目に涼し気だ。

 玄関脇の応接室で、本格的に書類の決裁をしながらアドリアーナは絶望的な声で叫んだ。


「求婚者が来ない!!!」


「いやー来ませんよねぇ、そりゃ」

「まぁ、いいパンチ持ってるということでふざけた拳闘士がスカウトには来ましたけどね」

 壁際に立ったエドガルドが言うと、テーブルに紅茶のカップを置いたベルタが続けた。

「おかしいな……悪評がたたないようにあの場でハッタリを含めてよくよく私の正当性を演説しておいたのに、何故殴ったことだけは正確に世間に伝わっているわけ……?あれは名誉を守る為のパンチ……崇高な行いだったのに……!」

「いや、明らか自分がスッキリする為にやったでしょうに」

「おだまりエド!先にボコボコにした奴に発言権はないのよ!」

 キッ!とアドリアーナはエドガルドに怒鳴り、威勢よくお茶を飲み干す。


 アドリアーナはこう言っているが、彼女がアンガスを殴ったことを世間の皆が知っているということは、あの時ペルメル侯爵が言った通り、何故アンガスが殴られるに至ったか、のエピソードもセットで流布されていっている。

 ゴシップとしては、ただの暴力沙汰よりも下卑た企みの末のパンチの方がネタとしては面白いからだ。


 それによってダメージを受けたのは当然アンガスとその仲間達の事業。

 アドリアーナの婚約破棄の宣言の後、侯爵邸の使用人達の手によって屋敷から放逐された彼らの顛末である。

 元々学生の時のノリとコネだけで見切り発車した事業だったが、アドリアーナと結婚してシェラトン伯爵家のコネクションを存分に使うつもりで拡大させていた為、婚約破棄と今回の悪評の所為で見事に頓挫、暗礁に乗り上げ、今は借金が膨れ上がっている状況なのだと人伝に聞いた。

 アンガスの生家であるフォルガム男爵家は、全て三男のアンガス自身が勝手にやったこと、男爵家は一切関知していない、という声明を大々的に発表し火の粉がかかるのを避けた為、家に頼ることも出来ないらしい。他の同僚達の状況も似たり寄ったりで、早晩事業は破綻、商会登録もしていなかった小さな会社は潰れ、あとに残るのは借金と世間の冷たい目だけだろう。


 そんなわけで、アドリアーナの方の評判は言う程悪評、というものではないのだが、いかんせん求婚者が訪れないのは純然たる事実である。事実は常に、人を傷つけるものだ。


「いやいや、本当におかしいな……正義の令嬢として名を馳せてもおかしくないのに……!」

 アドリアーナはぶつぶつと言いつつ、決裁済の書類を文箱に分類していく。

「正義って……本当にお嬢さんってこう……一桁男子のような価値観持ってますよね」

「まあ体形も似てますしね」

 すとーん、とベルタが手で体形を表現すると、アドリアーナは驚いたように目を瞬いた。

「こんな立派な淑女を掴まえて、なんたる失礼……!!」

 ぶるぶると拳を震わせつつ、彼女は書類を抱きしめる。

「もういい!私は生涯領地の為にこの身を捧げる!元々跡継ぎの兄様も兄様のお子もいるし、私は別に結婚する必要ないもの!」


「それもそうですね。結婚だけが人生の幸福とは限りませんし」

「え」

 ベルタが言うと、アドリアーナは裏切られたような表情を浮かべる。そこは諦めるな、と叱咤して欲しかったところなのに。

「いや、ベルタ?結論を出すのはまだ早いんじゃない?ほら、私デビューしたばかりの令嬢だし?」

「最初の夜会ではダンスは実父のみ、二回目の侯爵家での夜会ではあのクソ野郎とのみ。なかなかの戦歴ですわ、お嬢様」

「ベルタ、なんか怒ってる???」

 彼女が恐れ慄くが、腹心の侍女は首を横に振る。

「いいえ……その、思っていたんですが……ああ、でもこんなこと、とても言えない……」

「いや、気になるから言いましょうよ」

 エドガルドが、女性陣の茶番を温い目で見ながらツッコむ。

 芝居がかった仕草で、何度か躊躇う様子を見せたベルタだったが、アドリアーナを真っ直ぐ見て、言いにくいとはどの口で、といった様子でハッキリと言った。


「お嬢様、男運ないんじゃないでしょうか……」


「!!!」

 ビシッ!とアドリアーナは雷でも落ちたかのように固まる。

「いやいやいやいや、まだ決めつけるには時期尚早……」

「声ちっさ!」

 ものすごくか細い声でそう言ったアドリアーナに、たまらずエドガルドは叫んだ。それを受けて、のろのろと彼女はソファの上で身を丸めていく。

「ダメですよ、お嬢様。伯爵令嬢なんですから、丸まっちゃ!」

「ううう。加害者が死体に鞭打ってくる……」

「起死回生の一手とか打ち出しましょう!ここで負けるお嬢様じゃない筈です!」

 加害者が何か言ってる。


 しばらく打ちのめされたかのごとくソファで固まっていたアドリアーナだったが、ベルタとエドガルドが見守る中、またのそのそと起き出してなんとか令嬢っぽくソファに座りなおした。

 その指先はまだ震えていたが、決意を固めるようにぎゅっ!と拳を握った。

「かくなる上は、エド!!」

「あれ?ものすごい既視感ですねぇ」

 キッ!と睨まれて、手招きされたので渋々エドガルドはアドリアーナの座るソファの傍らに膝をついた。

「はい」


「だいぶ話が変わってきたので、以前のあの話はナシ!!私の婿になりなさい!これ主人命令よ!!」

 潔いぐらい以前の屈託を無視してアドリアーナが宣言する。ベルタはあらあら、と素早く壁際に向かい、気配を消した。

 何せ、まるで勢いのみ、のような様子を装っているが、アドリアーナの顔は真っ赤、握った拳は震えているし、目も今にも泣きそうなぐらい潤んでいる。

 誰がどう見ても、本気の告白だった。


 跪いて、少しだけ高い位置にあるアドリアーナの顔を見上げていたエドガルドは、やがて彼女の小さな手を恭しく握って、へにゃりと笑った。

「こんなオジサンで良ければ、喜んで」

「だよね、ダメだよね……って…………」

 止めていた息を吐きだして、首を振ったアドリアーナは、エドガルドを見て目を見開く。

 それから、壁際のベルタを見て、彼女にサムズアップを受けてからまた目の前の彼に視線を戻した。

「よろこんで、て言った……?」

「言いました」

「……私と結婚するのよ……?」

「はい」

 エドガルドは、柔らかく笑う。それから握ったままの手の甲を指先で撫でた。

 アドリアーナの大きな目から、ぼろぼろと涙が零れる。後から後から頬を伝うのに、拭うこともせず彼女はエドガルドを見つめた。

「私……あんなこと言ったのに」

「俺の気持ちは関係ない、て言われたし、お嬢さんが決めたことなら従おうと思ってはいたんです。でも、また言ってくれたから」

 彼はそこで眉を下げる。

「俺はお嬢さんより随分年も上だし、男前でもないし、もう騎士でもないから俺自身に誇れるものは何もありません」

「そんなこと」

「でも」

 彼女の唇に人差し指をあてて、エドガルドは困ったように照れたように、笑った。


「あなたのことを愛しています。そしてあなたを裏切ることだけはしない、と確信を持って誓える。……だから、俺をお婿サンにしてください、お嬢さん」


 花びらが舞ったりしないし、全然ロマンチックな光景じゃない。だけど、結婚によって家の為にメリットを必要としないアドリアーナにとって、一番欲しかった言葉をくれた。

 ただ、彼女を愛している、と。


「するぅ……お婿さんにする、絶対、もう、絶対離してあげないから……!」

「はい」

 ソファから飛び降りたアドリアーナが、エドガルドに抱き着いてわんわん泣き出した。しっかりとその身を抱きしめて、エドガルドは安堵から深い溜息をついた。





 あの侯爵邸での夜会の夜。

 アドリアーナがアンガスと踊っている姿を見た時に、エドガルドは強烈に嫉妬したのだ。

 主の願い通りに、恋心になる前に彼女を慕う気持ちを消すことが出来ると思っていた。自分は彼女に相応しくない、とそれこそアンガスのように完璧な貴公子が相応しいと思って、身を引けると思っていたのに、全く無理だった。

 体は強引に動き出そうとするし、心は火を入れた炉のように熱くなった。

 それでも、その次に目にした光景はアンガスの求婚をアドリアーナが受け入れるシーンで、もう手遅れなのだと悟った。


 もしも、もう一度チャンスがあったとしたら、二度と間違えないのに。そう思って、あてもなく屋敷を歩いた末にアンガス達のあの場に辿り着いてしまったのだ。

 結果、アンガスをボコボコにしたのは大いに八つ当たりが占めていたと、エドガルドは自覚している。彼は悪い大人なので、自分の為に怒ってくれた、と思っているアドリアーナには言わないつもりだが。


 子供のように泣き続けるアドリアーナを宥めるエドガルド。

 修羅場のような、その実馬鹿々々しいぐらい暢気な光景を眺めて、ベルタは僅かに微笑んだ。


「最初から二人とも素直にそう言っておけば、こんな面倒なことにはならなかったのに」

 それにしても、もっと言い方というものがあるだろうに。

 この腹心の侍女、主家の令嬢に対して口も態度もなっていないことである。





 これがかの猛々しい乙女、シェラトン伯爵令嬢・アドリアーナ・オルグレンの騒がしい婚約騒動の全容である。

 紆余曲折の無駄な回り道の結果、令嬢はすぐ傍にいた男と結婚し、末永く幸せに暮らしましたとさ。






おしまい!です!

最後まで読んでいただいてありがとうございました!

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