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 バシンッ!


 その場に響き渡った音は、アドリアーナがアンガスの頬を殴った音だった。

 パーではなくグーで殴るところがいかにも彼女らしい、とは傍で見ていたベルタの感想だ。


 弓術に優れたアドリアーナは、当然他の武術にも心得がある。特に令嬢として日々過ごす中では獲物を持っている状況の方が少ないだろう、と徒手空拳に力を入れていた。


「ぐあッ!?」

 下の角度から繰り出されたパンチは、背の高いアンガスの左頬を抉るようにしてクリーンにヒットした。

 因みにエドガルドは左利きの為、最初に彼が殴ったのはアンガスの右頬である。

 小柄ながら器用に体重を乗せて放たれたパンチは、ふいを突いたこともあり十分な威力を発揮し、アンガスの長身を吹っ飛ばす、まではいかなかったものの、よろめいて再び尻餅を付かせることには成功した。


 突然のアドリアーナの凶行に、周囲の貴族達も唖然と彼女を見つめる。

 流石に姪を猫可愛がりしているペルメル侯爵でも見過ごすわけにはいかず、大きな声が出た。

「アドリアーナ!?一体何をしているんだ!」

 まるで何事もなかったかのように振り向いたアドリアーナは、一層優雅に微笑んでカーテシーを決めた。

「伯父様、皆々様、私事でお騒がせして申し訳ありません。此度の騒動は、私の為に私の護衛が行ったこと。騒ぎの原因であるこのアンガス・カーベルを我が手で罰することにより、責任を取らせていただきます」


 ぎゅっと拳を握ってアドリアーナが雄々しく宣言すると、ペルメル侯爵は眩暈がした。

「何を言っているんだ、アドリアーナ。何があろうと、人を殴るだなんてとんでもないことだぞ……」

「いいえ、伯父様。私は、シェラトン伯爵の娘、アドリアーナ・オルグレン。その立場に誇りを持っております。己が侮辱されたまま、相手の頬の一つも張らずに泣き寝入りすることこそ、恥と心得ます」

 言い分だけは立派だが、周囲は驚いたままだ。

 彼らをゆっくり見回して、最後に座り込んだままのアンガスを見て、アドリアーナはにっこりと微笑んだ。

「とはいえ、か弱き乙女の拳など、殿方にはさしてダメージでもありますまい。屈さぬ抵抗の証として、行ったに過ぎませんわ」

 いや、だいぶダメージあったように見えましたが……?という周囲の心の声を無視して、アドリアーナはエドガルドを見た。

「エド」

「はい」

 ペルメル侯爵の傍に立っていたエドガルドは、アドリアーナの前に進み出た。

「私の分の抗議をしてくれてありがとう。でもこの通り、私には自分の拳があるので、余計なことをしたわね」

「…………それは、申し訳ありません」

 エドガルドが呆れ半分反省半分で頭を垂れると、鷹揚に彼女は頷いた。

 これで、エドガルドがアンガスを殴った分の責もアドリアーナのものとなった。自分の不始末は自分でするつもりだったエドガルドだが、この場で主人としてアドリアーナにこう言われてはなす術もない。

 若いながら、曲がりなりにも伯爵領を治めているアドリアーナは、多少強引ながら駆け引きに長けていた。


「さて、いい加減お立ちになってはいかが?」

 冷ややかにアドリアーナが言うと、アンガスはハッとした様子で立ち上がった。

 エドガルドが彼を殴っている時にもアドリアーナが放った声は届いていたので、あの場に彼女が最初からいたことはアンガスとて分かっていた。”あの話”を聞かれてしまったことも。

 しかし、それを証明する手立てはないし、アンガスの共同経営者の男達は彼の味方、口裏を即興で合わせることぐらいは出来る。

 それに何より、アドリアーナとエドガルドは愚かなことに揃ってアンガスに暴力を振るっている。

 侮辱がどうのと言っても証拠のない現状であり、この場にいる者達はどちらが悪いと聞けば、この暴力主従を挙げるだろう。


 内心でほくそ笑みながら、アンガスは表面上は悲し気に、そして怯えたように振る舞う。

「アドリアーナ様……何故突然俺のことを殴るだなんて、愚かなことをなさったのです?その護衛を庇う為だとしても、あんまりな暴挙としか……」

「黙れ、アンガス・カーベル。お前にお嬢さんの名を呼ぶ資格はない」

 先程までアドリアーナに叱られた犬のように萎れていたエドガルドが、ギロリとアンガスを睨みつけて、低い声で脅す。

「ヒッ……」

 これには本当に怯えて、アンガスは一歩下がった。

 有無を言わさない暴力を受けた後で、本能的に怯えてしまったのだ。


 それを見て、アドリアーナは一歩前に出る。

「お話を聞いておられなかったの?カーベル様。私の護衛は、私の代わりにあなたを殴ったのですわ。庇われたのは私の方。ですがあなたは、私と、私の家に、殴られても仕方のないことをなさっておいでですものね」

「……さっきの侮辱がどうの、というあれですか?俺はあなたのこともシェラトン伯爵家のことも尊敬こそすれ、侮辱などしていません」

「まぁ。では先程お仲間と楽し気に話ておられた内容は嘘だと仰るの?」

 アドリアーナが訊ねると、アンガスは来た!と思った。

「俺は嘘なんて言っていませんよ、仲間たちにあなたと婚約出来て嬉しい、幸せだ、という話をしていただけです。なぁ、皆?」

 アンガスが彼の後ろに立っていた同僚達に話を向けると、皆少し戸惑いつつ首肯する。

「ほら!俺はあの場で嘘の話なんてしていませんよ」

 周囲の人々にも聞かせるように大きな声で、アンガスは己に責がないことをアピールした。

 だが、アドリアーナにとって引き出したかったのは話の内容ではない。彼が、仲間と話していたことが嘘ではない、という言葉だ。

「そう……あの話は、嘘ではないのね」

 にっこりと微笑んだアドリアーナは、ずっと握ったままになっていた左拳を開いた。


 その白い掌には、ころん、と小さな半透明の水晶のようなものが置かれている。側面には金属のスイッチ。


「それは……」

 ”それ”が何なのか分かったペルメル侯爵が目を丸くし、エドガルドは声を失った。

 ベルタはこっそりガッツポーズだ。それでこそうちのお嬢様というものである。


「何です、その宝飾?は」

「あなたを破滅させるものですわ」

 アドリアーナの瞳が爛々と輝く。悲しみよりも今は怒りが勝っていた。

 侮辱されて、良い様に騙された自分と、その元凶たる目の前の男に。

 破滅するならばもろとも、徹底的にやってやる。


「これは、人の声を録音する魔法具です」

 周囲の人々に見えるように掲げ、アンガスが何かアクションを起こす前に、アドリアーナは素早く金属のスイッチを入れた。


 そして、流れ出す、聞くに堪えないアンガスと仲間たちの下卑た会話。


 ”せいぜいアドリアーナお嬢様と伯爵家には、俺の役にたってもらうさ。その為にあの冴えない子供を口説き落としたんだから”


 アンガスの嘲笑の響きの滲む声を最後に、エドガルドがもう一度彼を殴ろうと動いたが、アドリアーナが手で制した。

「……もうお前が殴る価値もない男よ」

 彼女のひんやりとした声に、アンガスは呆然と目を見開く。

「う……嘘だ!こんな魔法具見たことがない!捏造だ!!アドリアーナ様、あなたは俺を殴ったばかりか、俺の名誉まで傷つけようと言うのですか!?」

「エドガルドが先程言った筈だな。お前に、私の姪の名を呼ぶ資格はない」

 ペルメル侯爵がアドリアーナとエドガルドを抑え、自分が一番前に出る。

 見れば、周囲の貴族達の目も冷たく、そして嫌悪感と怒りを持ってアンガスとその仲間達に注がれていた。

「侯爵!いくら姪が可愛いと言っても、目の前で起こったことから目を背けないでください!彼女は俺を殴ったんですよ!?」

「確かにこれほどの無礼な真似をされては、相手を殴りもしないなんて誇り高い貴族であれば名折れだろうな」

 先程のアドリアーナの言葉を用いて、ペルメル侯爵は怒りを抑えつつ頷く。アンガスは自身の旗色が悪くなっていることは分かっていたが、ここで引き下がることは出来なかった。

「ですから、侯爵!あんな音声の何が証拠になると言うのです!?アドリアーナ様に魔力はない筈。あんな魔法具が使える筈がないじゃないですか!捏造です!俺を陥れようとしているんだ!!」

 彼が唾を飛ばしながら弁明すると、周囲の目は増々厳しくなった。


 アドリアーナは録音の魔法具を見て、それから伯父を見遣る。ペルメル侯爵は姪の視線に向かって頷いてみせた。

「この魔法具に関しては、私が本物だと証言しよう。元々王城の魔法使いから譲り受け、姪であるアドリアーナにプレゼントしたのが他ならぬ私自身だからだ」

 はっきりと言い放たれて、アンガスはぽかん、と口を開く。

「それとも、あなたは私のことも疑ってみせるかね?アンガス・カーベル卿」

 侯爵の言葉に、アンガスはへなへなを膝をついた。


「アドリアーナとエドガルドが君に暴力を振るったという話を、外で話したければするがいい。ここにいる誰もが、何故そんなことになったのか、という顛末をきちんとその都度話してくれるだろう!」

 つまり、アンガスとその仲間達がどれほど下卑た企みをしていたか、ということも逐一、全て詳らかになる、ということだ。

 呆然とする彼らを見遣って、ペルメル侯爵は姪の方を見遣る。

「アドリアーナ。他に言いたいことは?」

 言われて、彼女は溌剌とした表情で顔を上げた。

 侯爵に場を譲られて、アドリアーナはアンガスの前に立った。アンガスに激昂されては困るので、エドガルドが油断なく彼女の背後に付き従う。


 アドリアーナは、心の中でカウントする。必要なことはこの場で全て明らかにした。

 勿論、人を殴ったことはいけないことだが、貴族というのはプライドだけは人一倍高い生き物なので、それだけの理由があったのだと誰もが納得してくれただろう。

 今後暴力令嬢と評判が下がったとしても、領主代行として仕事していく分には問題ない

 結婚は、生涯出来ないかもしれないけれど。


 だとしても、後はこの言葉でもって、この場を幕引きとするべきだろう。


「アンガス・カーベル。私、アドリアーナ・オルグレンは、あなたとの婚約破棄をこの場で宣言します!」



次でラストです!

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