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 翌週は、仕立て屋が仮縫いしたドレスを持参して伯爵家を訪問した。

 アンガスがエスコートすることは急遽決まったことだが、元々アドリアーナは侯爵家の夜会に出ることになっていた為、ドレスの準備はしていたのだ。


「お嬢様、アンガス様から宝飾をお贈りしたいので、ドレスのお色を教えて欲しいと連絡がきたのですが……」

 仮縫いの確認を終え仕立て屋が片付けをしている中、そっと近づいてきたベルタがアドリアーナに小声で囁く。普段着の昼間のドレスを着なおしたばかりの彼女は疲れてソファに沈んでいたが、それを聞いて片眉を上げた。

「……婚約しているわけでもないのに、そこまでしていただくわけにはいかないわ。その旨でお返事しておいて」

「かしこまりました」

 ベルタが頷き、部屋を出て行く。

 代わりに主の着替えが終わったので、それまでは部屋の外で追いやられていたエドガルドが入室し、開け放たれた扉の横、壁際に控えて立った。

「……」

「…………」

 なんとなく睨み合うと、エドガルドの方から視線を外される。

 あの意気地なしめ!

 アドリアーナは内心で男を罵った。


 とはいえ、言葉にしていないのはアドリアーナも同じだ。彼のことばかりを責めるわけにもいかない。


 問題が山積みの時は、一つずつ片付ける。途方もない作業に思えても、一つずつ片付けていくうちに、終わりが見えるものだ。

 今までの仕事に比べれば、今目の前にあるアドリアーナが片付ける事柄はほんの少し。

 そしてその指針は既に胸にある。

 領民の為に、貴族に生まれた者として、最善を選ぶ。


 善は急げとばかりにその夜、晩餐を終えたアドリアーナは執務室に戻るとすぐさまエドガルドに向き直った。

 当然いつものように主に付き従ってきた彼と、ベルタの三人が広い部屋に雁首揃えている。

「エド!」

「はい!?」

 アドリアーナが威勢よく呼ぶと、この数日の屈託を忘れて条件反射でエドガルドは返事をする。

 それに満足そうに頷き、彼女は決意を固めた。


 この恋心を、殺す決意を。


 察しの良いベルタは壁際まで下がり、気配を消す。さすが腹心の侍女である。何故気配を消せるのかは知らないが。

 さながら決闘のようだな、と感じたが、さすがのベルタもここでは空気を読んで黙っていた。


 規格外であろうとなんであろうと、アドリアーナは伯爵令嬢。

 悲しいかな、彼女にとってどれほどプライベートな事柄であろうとも、婚約者でもない男と二人きりにさせるわけにはいかないのだ。

 その代わり、なるべく目立たないようにしよう、とベルタは壁際で気配を消すことに徹する。


「あの、お嬢さん」

 エドガルドが恐る恐る口火を切ったが、負けず嫌いのアドリアーナはカッ!と目を見開いて彼の口を封じる。

 今は、アドリアーナが設けた場だ。ここでの主導権は彼女が握っていたかった。

 そうでないと、エドガルドに何が優しい言葉でも掛けられてしまえば、せっかくの決意が脆くも崩れ去る予感がしているのだ。


「まず言っておくわね。きちんとケジメとつけておかないと、私が前に進めないから、これは私の自分勝手な告白なの。だから、あなたの気持ちとか……仕事とかには全然影響しないから、安心して」

 きっぱりと宣言したアドリアーナの清々しさに、エドガルドは眩しそうに目を細める。

「返事!」

「……分かりました」

 相変わらずのアドリアーナの物言いに、肩から力を抜いてエドガルドは苦笑を浮かべた。

 一方アドリアーナはまさにここが正念場!ぐらいの気持ちで、肩も顔もガチガチである。そんな彼女を見ていると、落ち着いてくるのが不思議だ。


 緊張して、頬を強張らせているアドリアーナを見て、改めてエドガルドは可愛い子だな、と思う。恋に限りなく近い感情だが、あえて今まで名前をつけずに来た。


 怪我が元で騎士の職を辞した時に、彼のアイデンティティは手酷く損なわれた。それまで、脇目も振らず騎士になること、なってからは更に腕を磨くことに邁進してきた為、振り返ってみればそれ以外には何も持っていなかったのだ。

 しばらくは生家で兄の手伝いなどもしてみたが、やはり身が入らず自分にイライラしていた頃にシェラトン伯爵にお転婆娘のお守りを頼めないか、と打診を受けたのだ。


 護衛ならば多少は役にたてるだろうか、と仕えた主は、とんでもないお転婆で、破天荒で、現実的で、そしてとても真面目だった。

 眩しいぐらい真っ直ぐに笑う、小さな、可愛い女の子だった。

 エドガルドは、それまで国や民を守る為に磨いてきた剣をこの女の子を守る為に捧げよう、と決めた。

 だから、恋情などという甘やかで柔らかな感情に押し込めたくなかったのだ。


 だが、その彼の曖昧な考えがここまで事態を放置し、年下の女の子をこれほどまでに強張らせてしまっていることを心底申し訳なく感じていた。

 この上は、エドガルドの気持ちがどうであろうと、何もかも全てアドリアーナの望みに従おう、と彼は決意を固める。


 互いに互いを気遣い合って、想いの重ならない二人である。傍から見ていて焦れったい気持ちになるベルタだったが、彼女はこの場合傍観者。

 介入するべきではない、とそのまま壁際に控えた。

 このまま、アドリアーナとエドガルドの想いがすれ違ったとしても、それは二人がそれぞれに選び取ってきた先の結果なのだ。



 アドリアーナの唇が、緊張に戦慄いて震える。

「こ、この前は……変な態度をとってしまってごめんなさい。思えば、私は何もあなたに伝えていないのに、一方的に不機嫌になるなんて、失礼だったわ」

「……いえ」

 エドガルドが首を横に振るのを見て、アドリアーナは拳を握る。


 新事業のプレゼンテーションの際に感じる緊張と同じだ。自分が組み立ててきた内容を、きちんと相手に伝えられるかどうか、という。

 そこにはわざと感情を介入させない、アドリアーナの意識のスイッチがあった。

「もう大方バレてしまっているだろうから、ハッキリ告げておくけれど、私はあなたが好きなの。恋愛として、結婚相手になって欲しい、という意味で」

「……ええ。それは、」

「でも、あなたにそのつもりがないことも、もう分かっているわ。この数日あなたはこの件に関して何も言わなかったし……これまでの私のアプローチにも気付いていなかったようだから」

 発言を遮られるような形になったが、後半は図星なのでエドガルドは反論出来ない。彼の反応を見ずに、アドリアーナは伝えたいことだけを述べる。


 耳目を塞ぎ、己の感情からも目を背けて。


「だから、私、アンガス様の求婚を受けようと思っているの」

「いや、それは……また話が別なんじゃないですか」

 エドガルドは顔を顰めて、ようやく反論した。

 彼への恋を確実に終わらせなくてはアドリアーナが前に進めない、というのは分かる。真面目で一本気な彼女が未練など引き摺ったままでいい筈がない。

 だがアンガスとの件は、ことが結婚だ。まだ出会って数週間ほどなのに、性急に決めていいことなどあろう筈がない。


「俺のこととは切り離して考えてください、お嬢さんらしくないですよ」

「いいの!こういうのは勢いも大事なの。このタイミングで、アンガス様ほどの好条件の方から求婚の申し出を戴いたことには、きっと意味があるんだわ」

 アドリアーナは少しムキになって言い募る。

 実際条件は申し分ないし、数回会っただけだが性格的な相性も悪くはないと思う。

 貴族の結婚は元々、結婚してからがスタートなのだから目に見えて悪手というわけではなかった。


 だが、これまでひらめきと勘を重要視して行動の指針の一端としてきたアドリアーナだが、アンガスの件だけはそれに従っているとは、どうしてもエドガルドには思えなかったのだ。


「お嬢さん……」

 エドガルドに、その低い声で呼ばれると、アドリアーナはつい嬉しくなってしまうのだ。心は甘くとろけ、彼にすぐ集中してしまいそうになる。


 振り切るように、キッ、とアドリアーナは顔を上げ、真っ直ぐに彼を睨みつけた。

「あなたへの想いを断ち切る為に、アンガス様からの求婚を受けようとしているとでもいうの?……思い上がらないで!私はシェラトン伯爵令嬢、アドリアーナ・オルグレンよ。己の使いどころは弁えているつもりだけど」


 全然弁えられてなんかいない。

 アドリアーナは内心で自分を叱りつける。図星を指されて、馬脚を現してしまった。

 今でもエドガルドのことが大好きなのだ。

 それをアンガスを理由に断ち切ろうとしている。


 でも、エドガルドの心がアドリアーナにない以上、これが誰にとっても最良の道なのだと、彼女は自分に言い聞かせた。

 嫌だ嫌だと泣く、ちっぽけで弱い、子供の自分の気持ちを無視して。


「……そういうことだから、あなたは何も気にしないで頂戴」

「…………」

 何か言いたそうなエドガルドに見つめられて、さすがにアドリアーナは視線を逸らす。

「仕事に関しては、このまま私の護衛を続けてくれてもいいし、気まずいようなら義姉様やお子の護衛としての配置換えも可能よ。待遇は変えないし、この件であなたの生活を脅かすことはないと約束するわ……何なら書面にしてもいいわよ」

 一気に彼女が言い切ると、エドガルドは力なく首を横に振った。

「…………それがあなたの決めた結論なら、俺に否やはありません。書面も、配置換えも結構です、オジサンは環境の変化に付いて行けないんでね……このままでいさせてください」

 へらり、と明らかに無理して笑うエドガルドを見て、アドリアーナは自分を嘲るように嗤った。


「わかったわ」


 こうして、アドリアーナの恋は死んだ。



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