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「……-ナ嬢、アドリアーナ嬢?」
何度か呼び掛けられて、アドリアーナはようやくハッと顔を上げた。
時は、アンガスが求婚して数日後、昼下がり。場所は王立公園。
目の前に立って彼女をエスコートしているのは、そのアンガスだ。
「申し訳ありません、アンガス様。昨夜遅くまで領地からの書類を読みこんでいた為、ぼぅ、としてしまって……」
我ながら、言い訳じみた説明台詞だな、とアドリアーナは内心で自嘲する。
この数日で色々あって、昨夜はついつい夜中まで仕事に逃げて没頭してしまっていたのだ。翌日に求婚者との散歩を控えているのだから、早く就寝するべきだったと今は後悔している。
アドリアーナが頭垂れると、アンガスは快活に笑う。
「本当に仕事熱心なんですね。俺も見習わないと」
「そんな……ええと、アンガス様の事業は、どういったものなのでしょうか?まだ商会登録はなさっていないようで、目録の中に見つけられなかったのですが……」
ほっとして彼女が訊ねると、アンガスはよくぞ聞いてくれました!とばかりに商売の説明をしてくれた。
まだ規模も資本金も小さい為、商会登録はしていないことや、社員は皆学生時代からの友人でとても仲がいいことなど、とても楽しそうに話してくれる。
彼は昨年大学を卒業したばかりの19歳、まだ学生気分の抜けていないからか商売のビジョンとしてはやや甘い、と言わざるをえないが、学生時代にそれぞれのメンバーが培ったコネクションを利用する、というのは妥当だとアドリアーナは感じた。
コネクションを最大限に利用するのは貴族の基本。今後資産を増やすなり、事業を拡大するなり、進むべき方向は変わろうとも、まだ規模の小さい現状からそのことを念頭においておくのはとても大切なことだった。
「とてもいいアイデアですね」
あながちお世辞でもなくアドリアーナが言うと、アンガスは屈託なく頷く。
何を言っても額面通りに受け取らない捻くれ者の”オジサン”とは大違いだ。彼にエスコートされながらゆっくりと庭園を歩きつつ、アドリアーナはこっそりを背後を窺った。
今日も今日とて、侍女のベルタと護衛のエドガルドは少し離れて二人に随行している。
12歳年上の、大人の男。
彼からすれば、アドリアーナなど子供にしか見えていないだろうとは思っていたが、今年は社交界デビューもしたし、何より彼女は明らかにエドガルドを特別扱いしてきた。
感謝祭には家族や普段世話になっている使用人達にちょっとした贈り物をするものだが、彼には、よくよくリサーチして年頃の女性が愛の告白に使う品物を贈った。
新年に変わる瞬間にはさりげなく一番傍にいて、その年始めの抱擁と頬へのキスを互いに贈りあった。
涙ぐましくもいじらしい努力の甲斐もなく、エドガルドからの芳しい反応はなかったのでアドリアーナが子供だからあえて無視していたのかと思っていたら、全く想いが通じていなかったという体たらくだ。
過激なアドリアーナは顔から火が出るぐらい恥ずかしかった。むしろ上記の作戦の所為で屋敷中の者が彼女の気持ちには気付いているというのに、当の本人に気付かれていなかったとは!
いっそストレートに告白すべき、という考えも何度も脳裏を駆け巡ってが、彼女とエドガルドの今の関係は主従。
アドリアーナはストレートに想いを告げて、果たしてエドガルドがどのような気持ちであれ、素直に返事することが出来るだろうか?
それは、職務に対する拘束になってしまわないか、それがアドリアーナには不安でならなかった。
特にエドガルドは騎士を除籍した身なのだ。安定した伯爵家での職を取り上げるような真似はしたくなかった。
だから、彼女のアプローチを無視していることが、エドガルドの答えなのだと自分に言い聞かせてきた。
それならば、アドリアーナの恋心の方を封印すれば、という意見もあるかもしれない。
けれど、それを止めることが出来ないのが乙女心であり、恋情というものだ。
恋だろうか乙女だろうが、大前提としてアドリアーナは伯爵令嬢。
貴族の娘にとって益のある結婚は義務だ。
エドガルドならば立場的にも問題ないし、叶うことが出来ればどれほど素敵だろう、と思っていたが、脈がないならば、いい加減この辺りでこの恋心は殺さなくてはならない。
父も兄も優しいから、アドリアーナに結婚を急ぐことはない、と言ってくれているが、伯爵家の今後を考えるのならば跡継ぎが盤石の現在、アドリアーナはもっとシンプルに伯爵領の為になる相手を吟味していくべきだ。
その上でアドリアーナ自体は普通の令嬢である為、引く手あまたではないことを鑑みるとなるべく早く、そしてよりよい条件の相手を掴む必要があった。
それらを総合的に考えると、アンガス・カーベルはかなり条件のいい求婚者だ。
しかも、見目もよく性格の素直で爽やか。彼女との年齢の釣り合いもいい。
文句のつけどころがない。
この好機、逃しては伯爵領三年連続馬上試合での優勝旗が廃るというものである!
数々のライバルを蹴落としての三連覇、ここで将を射貫いてこその栄光といえよう!!
ちなみに伯爵領における馬上試合とは、選手同士が争うものではなく障害物を飛び越えながら的を射る、馬術と弓術の腕を競う競技である。
当然落馬の恐れもある為、試合規定で直接禁じられているわけではないが、女性が参加することは、これまでは一度もなかった。
三年前までは。
一方、少し離れてアドリアーナに付き従うベルタとエドガルドである。
ベルタはまるで仮面のように張り付けた笑顔のまま庭園の中を滑るように優雅に歩く。
「アドリアーナ様ったら、闘志を燃やしておられますね。アンガス様は恐らく、能力と家名に惹かれて求婚なさっておいでなのでしょうけれど、お嬢様自身に惚れこむのも時間の問題かしら」
「……ベルタってお嬢さんのことえらく気に入ってるよな」
先日彼女にコテンパンにされたばかりのエドガルドは、どこかげっそりと憔悴していた。ちらりと彼を見上げて、侍女は微笑む。ある意味無表情に近い、笑顔。
「ええ。お嬢様って、素敵じゃないですか」
「……」
「女だから、とか、貴族だから、とかじゃなく、自分の出来ることをどんどんこなしていく。感情を大切にしているけれど、必要な時はそれを切り離して考えられる。侍女として、そういう方に仕えることが出来るのは冥利に尽きます」
「……まぁ、分からないでもないかな」
仕え甲斐のある主ということだろう。
エドガルドが同意すると、ベルタはそこで肩を竦めて少しだけ本音を覗かせて笑った。
「それに……単純に、あの方を一緒にいると面白いものが見れるので……あの方自身とか」
それを聞いて、エドガルドは思わず一時屈託を忘れて吹き出してしまった。
「確かに!」
ちらりと見た先で、エドガルドが笑っているのを見てしまったアドリアーナは、心の動きが表情に出ないように苦労した。
怒りなのか、ショックなのか、悲しみなのか。何にせよ、今はアンガスに意識を向けるべきだ。今更かもしれないが、誠意のない態度では失礼だ。
公園内のカフェでお茶を飲み、アドリアーナはアンガスとたくさんお喋りをした。
内容は主に商売に関することで、彼はアイデアはたくさんあるものの経験が足らない所為か実現化させる為の手段に悩んでいた。
同じく若輩ながら、経営に関してはアドリアーナの方に一日の長がある。自分も最初の頃は家令におんぶに抱っこで、ひどい時は多忙な父に意見をもらうことも多かった。
そうして周囲のサポートを受けて今の彼女に成長したのだから、アンガスに先輩としてアドバイスが出来ることが誇らしく、純粋に嬉しかった。
「アドリアーナ様に相談出来てよかったです。年下の女性だなんて信じられないぐらい、博識ですね」
「いえ、私もまだまだです。アンガス様からも学ばせていただいてますわ」
アドリアーナが微笑むと、アンガスは恐縮したようにはにかんだ。
社交界デビューしたばかりのアドリアーナは、こういった事業に関する共通の話題で盛り上がれる相手がいない。
父や兄、家令はあくまで先輩であったし、同じ年頃の令嬢達とのお喋りも楽しいが、ここまで経営に関わる話が出来る相手はいなかった。
例外として、愚痴を溢したり、アイデアを出し合ったり出来たのはエドガルドとベルタだけだった。
エドガルドの方は、騎士職を辞した後シェラトン伯爵家に雇われるまで、彼の生家である男爵家の領地経営を手伝っていたらしい。
男爵家と伯爵家では規模は違ってくるが、共通の悩みなども多く、一緒に悩んでくれることが多かった。
結果だけ言えばさして戦力になったわけではないのだが、共に悩む相手がいるということは得難い幸運だ。因みにそういう意味では、どこで学んできたのか、ベルタの方が優秀だったほどだ。
しかし、エドガルドがアドリアーナの伴侶にならないのならば、これからは気安くそんな風に会話をすることは控えるべきなのだろうか。
アドリアーナは意識を変える為に、紅茶の水面に角砂糖をひとつ落とす。ほろほろと底に辿り着く前に崩れていく砂糖の行く末を、彼女は見送った。
アンガスに意識を向ける、と決めたのに、ふとしたことからすぐにエドガルドに考えが及んでしまう。
彼女はこれまで、様々な局面で意識を切り替えてきた。そうでなくては、時に冷徹な領主代行の役などこなせない。
父も兄も、彼女にそこまでしなくていい、と言ってくれたが実際多忙を極める二人に任せきりでは領政が遅れがちになることは目に見えていて、アドリアーナは力不足ながら必要な戦力だった筈だ。
領民にしわ寄せがいかないようにより良く治めることは、貴族に生まれた者の義務なのだから。
そこでふと、アンガスが話題を変えた。
「アドリアーナ様。来週のペルメル侯爵の夜会には参加されますか?」
ペルメル侯爵家は、アドリアーナの亡くなった母の実家だ。
国政とは関わりがなく、あまり派手なことを好まない穏やかな古い一族だが、今年は現侯爵の姪であるアドリアーナがデビューしたので、彼女が少しでも社交界に早く馴染めるように、とささやかな夜会を開いてくれるのだ。
「ええ、そのつもりです」
スプーンで水面をかき混ぜて彼女が頷くと、アンガスは緊張した様子でアドリアーナの手を取った。
スプーンを握ったままだったので、彼女は困って目を彷徨わせる。
「どうか……その夜会で、あなたをエスコートする栄誉を、俺に任せてもらえませんか」
夜会で、ダンスを踊るのではなく、最初から彼がエスコートをする。
それも、アドリアーナの身内とも呼ぶべき家の主催の夜会で。それではまるで、婚約者だと喧伝して回るようなものだ。
アドリアーナはちょっと困ったように、自由になる方の手でいかにも令嬢らしく自分の頬に触れて首を傾げてみせたが、内心はパニック状態だ。
フォルガム男爵令息、アンガス・カーベルを婚約者同然に扱うことに関する弊害。
父から求婚の許しは得ている、クリア。
家柄、クリア。
領主代行たるアドリアーナの夫になる資質、クリア。
アドリアーナ自身との相性、今のところ、クリア。
非の打ち所がない……!!
ここまで悩む時点で”クリア”ではないのだが、自身の想いに拘泥している17歳の少女だ。こと、恋に関しては老若男女、視野も狭まるというもの。
「……ええ。お友達として、エスコートしていただけますか?アンガス様」
悩んだ末に、彼女は友達として、と強調した。
最終的な言い訳は、それでもまだ婚約をしていないのだから、万が一アンガスとこの先婚約しなかったとしても婚約破棄などではなく、アドリアーナが彼にフラれた、とちょっぴり不名誉な噂が付きまとうだけだ、と断じた。令嬢の名誉の為には、婚約破棄と恋に破れた事では雲泥の差がある。
その場合、出来ればフッたことにしたいが、それは贅沢だろう。
物語冒頭で、あれほど行き遅れを恐れていた同じ人物とは思えない判断の鈍さである。
これほど条件が揃っているのならば、これまでのアドリアーナならばYESの即答一択だった筈なのに。
「はい!喜んで!」
ぱぁ、と絵に描いたような笑顔になったハンサムなアンガスに、どうして自分はこれほど迷っているのだろう、とアドリアーナは内心で臍を噛む思いだった。
何事も円滑に進める為に、この恋もなかったことに出来ると思っていたのに。