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君がき声る教室  作者: 生太
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4月1日

4月1日 12時30分


眠りすぎて、却って体がだるかった。

思うように開かない目を擦りながら自室を出て、1階の洗面所へ向かった。


顔を洗ってリビングへ向かうと、母はもうとっくに出かけていたが、リビングのテーブルの上に母がおにぎりと卵焼きを用意してくれていた。


おにぎりの乗った皿を持って自室へと戻った。


部屋に入ると、勉強机にお皿を置き、ベタベタとシールが貼り付けられた1番下の大きな引き出しから、中学校の卒業アルバムを取り出した。


A組もB組も飛ばして、C組のページを開いた。


出席番号1番の彼女は見つけやすかった。

見開きの右上に、薄い笑みを浮かべた彼女がいた。


記憶の中の彼女からは想像もできないほどに、ぎこちない笑顔だった。


もう一度、あの笑顔を見る方法はないかと、しばらく考えた。

何も思い浮かばなかったわけではないが、結局、行動に移す勇気はなかった。


こうしてボーッとしていると、結局考えるのは過去のことばかりで、ただ今を過ごすだけの自分の存在が嫌になった。


涙でも流せば少しは楽になれるのか、それとも、その涙まで嫌いになってしまうのか。


そんなのどちらでも同じで、全くもって無駄な時間だった。


母が朝ごはんのつもりで置いていった卵焼きとおにぎりに、お昼ご飯にしても少し遅い時間になって、ようやく手を伸ばした。


おにぎりを一口齧った時、箸を持ってくるのを忘れたことに気づいた。

仕方なく、卵焼きも手で食べることにした。


冷めていても、箸で食べても、相変わらず美味しい。


冷えたおにぎりを齧っていると、ふと昨日の彼女の言葉を思い出した。


たしか彼女は今日から授業だと言っていた。

彼女の言う授業とどういうものなのだろう。


それが所謂授業なら、僕にはできないだろう。


ただ、できるだけの準備はしようと、本棚や机の引き出し、さらには押し入れまで漁り、中学生の頃使っていた教科書を探した。


空き巣のように、後のことなど何も考えず部屋を汚し、やっとの思いで英語の教科書を見つけ出したが、その教科書には2-Bと書かれていた。


大きなため息を吐き出し、それを床に投げ捨てた。


背中から床に倒れ込み、手足を大きく広げて伸びをした。


そもそも、見つけた教科書に3-Cと書かれていたところで、それは今夜の授業に必要な物では決してなかった。


もう一度大きなため息を吐き、しばらく目を閉じた。


彼女は自分なんかよりずっと勉強ができる人だった。

運動はどうだったろう、友達は多かったか。

不思議と、学校での彼女のことはあまり思い出せなかった。

いや、知らなかったのかもしれない。


僕はいったいいくつ彼女の顔を知っていたのだろう。

卒業アルバムの中のあのぎこちない笑顔を、あの頃の僕は知っていたのだろうか。


数分後、僕は夢の中にいた。

こんなに彼女のことばかり考えているんだから、夢の中ぐらい期待してもいいと思ったが、そう都合良くはなかった。

頭の中には、ただぼんやりと白い空間が残るだけだった。


時計を見るとまだ16時を過ぎたところだった。

約束の時間まではまだずいぶんとある。


今日は時間の流れが緩やかだ。

こうしてただ時計を見つめていると尚のことそう感じる。

逸る気持ちとは裏腹に、3本の針はただ彼らの流れを伝え続けている。

そもそもこの時計は本当に正しいのか、そう思いスマホを覗いたが誤差は僅か数分だった。


今時分彼女は何をしているのだろう。

そう考え、いてもたってもいられなくなった僕があの教室に飛び込んだとして、彼女はそこに存在するのだろうか。


たとえそうでなくとも、もともと姿は見えないのだから、声すら聞こえなくたって、少しでも彼女を感じられる場所にいたいと思った。


上体を起こして、勉強机の上で開きっぱなしにしていた卒業アルバムの表紙を掴み、引き摺るようにして取った。


腕に噛み付くように、アルバムが落ちてくる。

予想はできたことだが、思わず体がビクッと反応し目はグッと閉じた。


何事もなかったようにアルバムを持ち直す。

閉じかけたページをもう一度しっかりと開き視線をやはり右上に送る。


物差しで引いたようにスッと通った鼻筋にくっきり二重の切長の目。

そして唇はやや薄く決して主張は強くはないが、整った形をはっきりと示している。


正直に美しく、中学生にして完成されたようなその顔からは、10年後の姿を想像するのは難しかった。


漫然と続ける妄想の中ですら、彼女は不思議な力で僕の意識をその場に留まらせる。


時間はある、でもこのままじゃ足りなくなってしまう。

目を逸らし、虫を挟み殺すようにアルバムを閉じた。


スマホを見る。

時間は16時40分


立ち上がって部屋を出た。

軽快な足音を響かせ1階へ降りる。


浴室へ向かうと、蛇口を回し水を出した。

水がお湯へと変わると、湯船の栓を閉め、しばらくお湯が溜まっていくのを眺めた。


動きのない時間に耐えられず、浴室から出てもソワソワと1階を歩き回った。


湯船の半分くらいまでお湯が溜まると、服を脱ぎ浴室に入り蛇口を閉めた。


人の頭を洗うように丁寧にシャンプーをした。

泡をしっかりと流した後、水を切り、いつもより少し多めのリンスを、しっかりと髪に馴染ませた。


リンスが髪に浸透していく間に、歯磨きをする。

少しでも時間を稼ぐため、1本1本を丁寧に磨いた。


どれだけ時間が経っただろう、腕が疲れるほど歯を磨いたのは初めてだった。


リンスを流すと、ボディタオルに石鹸を擦り付け泡立てていく。

ボディタオルが綿飴のようになった。


少し痛いぐらいの力で擦り、身体中が泡で包まれるようになったところで、お湯を出してゆっくりと身体を撫でるようにしながら泡を流した。


湯船に浸かるとやはりお湯が少なく、膝を曲げてなんとか体を沈めた。


肩までを温かく包まれた時、ようやく少し落ち着くことができた。


全身にじんわりと汗をかいてきたところで、ザバッと湯船から上がり、もう一度シャワーで体を流して浴室を出た。


バスタオルで全身を拭いて、髪はドライヤーも使って乾かした。


それから家を出るまで何をしていただろう。

家中を歩き回った気がする。

用もないのに階段を登ったり降りたり、用もないのに冷蔵庫を開けたり、着ていく服が決まった後もタンスの中の服を手に取ってはまた戻したりした。


時間よりずいぶん早くに準備は済ませていた。

それなのに結局出発前になるとあれやこれやが気になり始めた。


散々悩んだ服装から髪型話のテーマなど。

何度も鏡の前に立ち、何度も頭の中でシミュレーションをした。


気づけば予定してた出発時間はもう30分もまえだった。

とはいえまだ決して急ぐ必要はない。

それに学校まではゆっくり歩いても15分ほどだ。


それでもそんな風にはとても思えなかった。

僕は鏡に向かいかけた足を玄関に向かわせて靴を履かせた。


一度スマホを開き充電を確認して、それからドタバタと外へ出た。


フンフンと鼻で息をしながらズイズイ歩き、結局教室に到着したのは約束の時間の10分前だった。


少し乱れた息を整えドアを開けた。

柔らかい月明かりがフワフワと舞う埃を照らしている。


教卓に就くとふと考えた「挨拶はどうしよう。時間的にはこんばんはだけど、こういう場合はおはようでもいい気がする」


間もなく後ろの扉が開き、僕の小さな悩みは、彼女が発したたった4文字に吹き飛ばされた。


僕が同じように挨拶を返すと、彼女は昨日と同じ教卓のすぐ前の席に座り言った。


「ずっと迷ってたんだー」


















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