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FF《フォロワー・ファンタジー》  作者: 疎遠
1章 光を喪くした今日を Intertwined_truth
26/43

よォこそ

「……誰だお前」


 滑り落ちた第一声は、そえーん自身でも意外なほど落ち着いていた。

 何故かは分からない。

 状況に理解が追いついていないからかもしれないし、理解が感情を拒絶しているからかもしれない。

 唯一自覚できるのは、脳裏に火花が散っては消えていくような不快感。それだけを理由に、そえーんは窓際の男へ鋭い視線を向ける。

 声を荒らげているわけではない。

 理性を見失っているわけでもない。

 ただ、その視線が孕む怨恨にも似た色は、触れただけで爆ぜ飛びそうな焦熱を持っていた。


「クハッ……いいな、いい、いいじゃねえか」


 だが、それでも。それなのに。

 男は春風に吹かれたかのような清々しい表情で、荒れ狂う吹雪じみた酷薄の笑みを深めるだけだった。


「そういう『眼』は心底己好みで申し分ない。やっぱ面白えな、お前」


 そえーんはその言葉の意味を理解しようとは思わなかった。

 癇に障る。

 答えにならない答えをよこすその態度も、貼り付けたような顔貌の笑みも、笑みに釣られて揺れる赤髪も、何から何までささくれだった神経を逆撫でする。


「悪いけど今イラついてんだ。もう一度だけ聞くぞ、誰だテメェ」

「そう急くなよ。別に大した名でもない」


 愉快的に、挑発的に、嗜虐的に、暴虐的に笑って、

 それは、告げる。



「ゾロアスター『圏域』、主神の一柱。『悪逆』アンラ・マンユ————テメェらが殺したアールマティの身内ってやつさ」



 ザワリ、と。

 肌が、一瞬にして粟立った。


「……、大した名前じゃねえか」


 感情を押し隠そうとした声は異様な程に掠れていて、かえって動揺が浮き彫りになっていた。

 最初に浮かんだものは疑問、ついで否定。

 だがそれは、言下の時点で棄却される。

 根拠はいらない。

 目前の男にそんな小理屈は必要ない。アンラ・マンユがアールマティと同じ『規格外』であると断じるのには、脳裏に散る不快感————氷解した『殺意』という名の衝動一つで事足りる。

 知らず乾ききっていた唇を湿らせて、


「それで……そのアンラ・マンユさんが一体どんな用ですか、ってのは聞いてもいいのか?」


 体裁も尊厳もかなぐり捨てた。

 相手が『神』を名乗る以上、先ほどまでのように迂闊な態度を取り続けてはいられない。

 みっともなくて構わない。今天秤に乗っているのはそえーん自身を含む全員の命。態度一つでそれがこぼれ落ちる可能性がある以上、そえーんは喜んで日和見を自認する。

 故に、心は潰した。

 抑えろ。

 虚勢でいい、虚飾でいい。『殺意』を見せるな、この衝動を悟らせるな。

 悟られれば最後、命ごとその意志を毟り取られる。

 だから。

 なのに。


「アンリでいい。融通の効かない『正善』じゃねえんだ、堅っ苦しいのはナシにしようぜ」


 アンラ・マンユは笑みを深めた。

 まるで————まるで、無意味な虚勢を張り続けるそえーんを嘲るように、嗤って。



「用件は一つ。()()()()()()()()()()、そんだけだ」



「——ッッッ!!」


 その宣言が終わるより先に、そえーんは床を蹴っていた。

 アンラ・マンユがその名を口にした時点で可能性の列挙は終わっている。その中で最も有力であり、最も考えたくなかったカードを引いた。

 即ち、報復。

 相手の目的が最初から自分達の殺害にある以上、『殺意』を押し隠すことに意味はない。

 一瞬でも、半歩でも速く。アンラ・マンユが行動を起こす前に、先手を奪い取る。

 無理矢理で構わない。勝利しようなどとは元より考えてもいない。

 ただ生きてこの場を逃げ延びる。その隙間をこじ開けるために。

 一息で肉薄。アンラ・マンユは窓際、一押しで地上十メートルからの転落は不可避。


「————!!」


 五秒後の呼吸を得るために、一秒の呼吸を捨てる。

 右の五指で掌底を形づくり、


「……ふざけてんのか?」


 瞬間。

 小さな、

 失望のこもった溜息が鼓膜を刺した。

 同時、必中だったはずの掌底は空を切る。


「ぁ  、」


 疑問————挟む間も無く。

 

「  、ガッ!?」


 ズガッッッ!!!!と。

 網膜が、白光に砕けた。

 後頭部が割れたかのような激痛。そえーんの意志とは無関係に身体が跳ねる。


「やるんなら真面目にやれよ、『神』殺し」


 衝撃に機能を失った視界の向こうから、ナイフを思わせる尖鋭な声。

 窓枠を支えに天井へ体を逃し、落下と同時に掴み取ったそえーんの頭を床へと叩きつける。そんな離れ業を人外じみた速度で為した『神』は、その上でただの人間に侮蔑の眼差しを向ける。


「遅ェ、鈍ィ、軽ィ……足りねえよ。何もかもが足りてねェ。テメェら仮にもアールマティ(あの女)を殺したんだろうが。それがこの程度かよ、冗談だろ……今の己は『神威』の大半を失くしてるんだぜ?なァ、分かるか?分かるよな?己は今、何の異能(チカラ)も使ってねえって言ってるんだぞ?」


 ……冗談じゃ、なかった。

 ふざけてるのはどっちだ。後頭部から流れ出す生温かく粘ついた感触に顔を顰めながら、そえーんは思う。

 そえーんの頭を床へ押し付けるアンラ・マンユの手は、まるで錆びついた鉄扉かのような。振り解くどころか、めり込む指の一本を動かせることさえ不可能だと悟るほどの剛力。

 枯れ木のような体躯のどこにそんな力を持っているのか。否、枯れ木のような体躯では物理的に持ち得るはずのない力。

 それが、


(……笑えねえだろ……こんなのが、ただの身体能力だって言うのかよ……?)


 圧倒的優位に立つアンラ・マンユがこの場面でわざわざ嘘や虚勢を張る理由はない。発する言葉に偽りを混ぜる必要もない。

 だとすれば、彼の剛力や人外じみた速度の身のこなしは、すべて『魔法』————その大元となる『神』の力によるものではないと言うことになる。

 本当に、限度を超えた冗談のようで笑えもしない。

 強いとか弱いとか、勝ちだとか負けだとか、そんな次元の話ではない。

 格が違いすぎる。比較の土俵にすら立っていない。

 まるで、極限まで澄み切った湖を覗き込むような、極まりすぎたが故に底と言う概念そのものを失ったかのような、()()()()()()()()


「……な、んなん、だよ——お前」


 結局、口にできたのはそれだけだった。

 そえーんは顔面を覆う指の隙間から、人の形を持った暴虐を見据える。

 アールマティと同じ『規格外』、これはそんな生易しい分類で収まる器ではない。少なくとも彼女はこのような桁外れの身体能力を有してなどいなかった。少なくとも彼女はここまで途方もない()()を感じさせなどしなかった。


「テメェは————」

「本当に『神』か、なんて下らねえ質問は寄越すんじゃねえぞ。『神』にだって上下はある、ただの『神』風情と『主神』である己を同列に並べる時点で認識のスタートラインが間違ってんだよ」


 喰、と万力の指がさらに深くそえーんの頭蓋を締め付ける。

 涼やかに、冷ややかに。矮小な人間の命など一握で刈り穫れる、凪のような表情がそう告げていた。


「そもそも己はテメェらを、」

「『過法鉄槌・選妹治世』ッ!」


 轟!と嵐を思わせる突風が凪を裂いた。

『神』は『魔法』そのものを防ぐ術は持たない。極至近から放たれた斥力はアンラ・マンユを含む全方位を席巻する。

 紙袋が、食糧が、空気が宙を荒れ狂った。

 だが。


「な、んで————!?」


 その隙をついてそえーんの回収に走ろうとした辺獄の一歩は、踏み出されるより前に驚愕で殺される。


「……あァ、うん。原理だけが見えなかったが……なるほど、()()()()か」微風に晒されたような何気なさで斥力を流したアンラ・マンユは、何でもないことのように呟いた。「そう驚くなよ。単純にテメェの力じゃ足りなかったってだけの話だ」


 あの女とやり合った時にだって経験してんだろうが。つまらなさそうに頭を掻いて、そえーんを掴み取る片手だけで辺獄へと放る。

 咄嗟に受け止めた辺獄もろとも、そえーんが床上へと崩れ落ちた。

 真っ当な呼吸を取り戻した呼吸器が一斉に空気を求め、肺に入った埃で少し咽せる。


「ゴ——、ァ……テメ……ッ!」

「だから急くなってんだろうが。神託ってのは最後まで聞くのが常識だぜ?」


 なおも敵意を剥き出しにするそえーん達を嘲弄するように、アンラ・マンユは小指で耳を掻いた。

 畏怖と敵意、『殺意』に塗れた空気が澱のように敷き積もる室内。それをまるで散歩でもするかのような悠然さで横切る彼は、唯一備え付けられた小さな木造りの机に腰を下ろす。

 片膝を上げた『神』は、どこまでも傲岸に人間を睥睨して、


「己の用件はただ一つ。身内の不始末に落とし前をつけにきた————協力しようぜ、『異人』共」


 そう笑った。


 *    *    *    *    * 


「……そもそもテメェら鈍すぎんだよ」


 辺獄の『魔法』によって散らかった室内。机の上に転がった果実を手で弄びながら、アンラ・マンユは呆れ混じりの溜息をこぼした。


「己が名乗るまで『神』であることにも気づかない。『神』だと理解してなお即座に挑みかかってはこない程度に冷静な思考能力を維持している。アールマティで『(おれたち)』に向ける感情は経験してんだろ?だったらその時点で違和感くらいは覚えないモンかね、普通」


 手毬のようにポンポンと打ち上げていた果実を掴み取り、そえーんへ放る。


「……、知るかよ」咄嗟に受け取ったそえーんは不貞腐れたように鼻を鳴らした。「何の説明も無しにこの世界へ呼んだのは『(おまえら)』だろ。たった一度の経験で何を分かれって言うんだ」


 あからさまな敵意と『殺意』を隠しもせず吐き捨てるように言葉を重ねる。

 単純な身体能力どころか『魔法』すら涼しげに受け流すアンラ・マンユがそえーん達を殺すと決めればその時点で命運は尽きる。であれば警戒などしても意味がない。

 どう転んだところで死ぬ時は死ぬのなら、感情を隠す必要もない。


「そういう打算を働かせられる時点で『殺意』が薄すぎるっつってんだがな」


 アンラ・マンユはそえーんの思考を読み取ったかのように笑った。


「テメェらの『殺意(それ)』は『神威』に反応する銃だ」二本の指で拳銃を象作り、見せびらかすように軽く振る。「どの神話体系、どの『圏域』の『神』であっても唯一絶対に共通するのが『神威』。『神』を『神』たらしめる力の象徴————まァ、人間風に言うなら雰囲気(オーラ)ってとこか?」


 あくまでも挑発的な笑みは崩さず、左手の銃口を自らの頭へ。


「己達は自分の意志では『神威』を抑えることも、隠すこともできない。だから()()()()()()()。テメェら神殺しを撃ち出す『殺意』の引き鉄(トリガー)として、な」


 バァン、と間の抜けた擬音と共に、頭へ押し当てた手銃を弾く。

 その声音は、まるで愉快犯のような。殺戮と謀略が渦巻く世界を心の底から愉しむような喜びに満ち溢れていた。

 けれど、


「……待てよ」そえーんは投げ渡された果実を見やって、「それじゃあ足りない。それならお前とアールマティの間で『殺意』の差がつく理由にならない」


 握ったそれを放り返す。

 認めよう。アンラ・マンユの言葉は正しい。

 確かに彼とアールマティでは湧き上がる衝動に差異がある。アンラ・マンユに対して、あの時の身を焦がすほどの『殺意』は覚えていない。せいぜいが会話を続けられる程度の生理的嫌悪感、原因のわからない苛立ち止まりだ。

 アンラ・マンユは投げ返された果実を片手で受け取って、一口、大きく齧った。


「……それも言ったはずだぜ?己は今『神威』の大半を失っている。引き鉄(トリガー)を引く力が弱ければ弾が出ないのも道理だろうよ」

「『神威』ってのは隠すことも抑えることもできないんじゃなかったのか」

「ハンッ……思った以上に鈍い野郎だな。テメェら本当にあの女を殺した時と同じ人間か?」呆れを嘲りで覆った声で、「自分の意志ではっつったろうが。己の『神威』は()()()()()()()()()()()()()()()()()

「……?どういう……」

「————ゾロアスター神話ってのは、多神教だ」


 眉を顰めるそえーんの疑問は、静かなアンラ・マンユの言葉によって断ち切られた。


「『正善』スプンタ・マンユ、『悪逆』アンラ・マンユ。この二柱を中心とした、多くの神による闘争と対立の最原点。己達は一柱で『神』であると同時に、自己以外の同族が存在して初めて完全な『神』であるとも言える」


 こいつと一緒だよ、アンラ・マンユはそう言って、齧った果実をくるりと回した。

 痛々しく齧り取られた果実の表面をそえーん達へと向けて、


「欠けようが齧られようがこれが林檎であることに変わりはない。だが、」ジャクリ、とまた一口。「……さて、芯一本になったこいつは果たして林檎だと言えると思うか?」

「…………、」

「そういうこった。『神』であって『神』ではない————今の己はそういう立ち位置なんだよ。そして『神威』が『神』を『神』たらしめる物である以上、()()()()()()()()()。残り滓程度の不完全な『神威』しか持たない己には、テメェらの『殺意』もその本質を発揮しない」


 簡潔に言葉を綴じたアンラ・マンユが芯だけとなった林檎をぞんざいに放り捨てる。


「…………、」


 そえーんに返す声はない。

 アンラ・マンユの理屈は筋が通っている。矛盾もなく、欺瞞じみた違和感もない。多神教の『神』が一柱だけではなく、その神話体系に属するその他全ての『神』も含めて初めて『神』たりえる、それは真っ当な思考回路を持つ者なら誰でも頷ける道理だろう。

 そしてアンラ・マンユは今、完全な『神』としての形を失っている。

 だとすると、それはつまり……、


「……つまり、お前以外のゾロアスター『神』は死んだってことか?」


 押し黙っていたズリキチが躊躇いなく核心を抉った。

 そう。その理屈を正しいとするなら、


 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 それはこの理屈をなす上での最低条件。土台を作るために避けては通れない前提。

 だがそれは、

 アールマティと同等の力を持つ『神』を殺すなどということは、本当に可能なのか?


(……いや、違う。そうじゃない……)


 問題なのはそこでは無い。『神』を殺せるということ自体はそえーん達自身によって証明されている。

 問題はその数。神話体系一つをほぼ丸ごと殲滅するということは、『神』を複数相手取るということ。

 その上で全てを殺すなどという絶業————一体、誰ができると言う?


「……まさ、か」


 推察の足がかりとなる断片だけならいくらでもあった。

 そもそもの話、どうしてゾロアスター神話の『神』が殺されたのか。

 滅ぼされたという単純な事実としての結末ではなく、その原点。どうして他の何物でもなく、ゾロアスターの『神』を殺す理由があったのか。

 そして、力の大半を失ったとはいえ『神』としての超人的な身体能力を有しているアンラ・マンユがわざわざこの場所に現れた報復以外の理由。

 あまつさえ、同族の仇であるはずのそえーん達に「協力」などと言う言葉を使う、その相手は。


(……待て、やめろ。これは、)


 徐々に浮かび上がる外郭に、背骨が不自然な震えを発した。

 何か。

 これは、何か、途方もない地獄へ続く道筋を辿って、


「だからさァ、」


 止めろと絶叫するそえーんの本能。

 しかし、それが間に合うよりも前に、アンラ・マンユが口を開いた。


「これももう言ったはずだ」


 嗜虐的に。

 愉快的に。

 最初から仕掛けてあったトリックに周回遅れで気づいた間抜けを見るような目で。

 ようやく本題まで辿り着けたのかと嘲るような表情で。

『悪逆』は言祝いだ。



()()()()()()()()。ゾロアスターを潰したギリシア神話、滅ぼすために協力しようぜ————よォこそ、己達の闘争(せかい)へ!!」



 地獄への、転落を。

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