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FF《フォロワー・ファンタジー》  作者: 疎遠
序章 競合に満ちた明日へ Shoot_oneself
17/43

interlude-Ⅰ

 其処であって其処では無い場所。

 此処であって此処では無い場所。

 その風景を表す上で多くの言葉を尽くす必要はない。——否、言葉を尽くす程の物はどこにも無い。

 果ての見えない無限の地平。建造物は一つもなく、地形の起伏すら平滑に呑まれて消えた。

 ひたすらに広く。

 まるで、一枚の紙を敷いて延ばしたかのような極大の平坦。遠近感すら覚束なくなる其処に、所在を示す指標はない。確固たる名前もない。

 近くに在りて最も遠く在る場所、遠くに在りて最も近く在る場所。

 必然も偶然もなく、先も後もなく、理由も意味も無い。何一つも内包しない其処に在るのは、ただ『彼方の至近』という誰がつけたかも分からない呼び名だけ。


「————、」


 その広大な伽藍堂に、『それ』は居た。

 浅黒い肌の痩身。だがその肢体は健康的に引き締まった訳ではなく、むしろ不健康に痩せこけたという表現が似合う。一切の余分を削ぎ落とした末の機能美より、必要な余裕すら削り落としてしまったのでは無いかという不安を見る者に与えるような歪な痩せ方。

 簡単に手折れそうな体躯を薄汚れた腰布一つで覆う『それ』は、その陰惨な外見からすれば不相応な程悠然と椅子に腰掛けていた。


「————、く」


 揺れる。

 声が漏れる。

 耳へ掛けられてあった髪が一房落ちた。長く伸びるその中間だけを雑に編まれた赤髪が、振り子のように往復を繰り返す。

 揺れる。揺れる。揺れる。

 細かく上下する『それ』の肩に合わせて。頬杖を突いた腕を伝って軋む椅子の音に合わせて。

 拍速を刻むメトロノームのように。あるいは、楽団を調律する指揮者のように。

 揺れる。揺れる。揺れる。

 漏れ出る呻きじみた声の隣に並んで。音を拡散させ呑み込んでいく静寂に背を向けて。

 揺れる。揺れる。揺れる。

『それ』の、何かを堪えるような震えと共に、ゆっくりと振り幅を増して。

『それ』の、何かを耐えるような呻き声と共に、じわじわと速度を増して。

 揺れる。揺れる、揺れる揺れる揺れる————揺れて。


「く————ふ、は……はは、はははハハハハハハハハハハハハハハハハハハッッッ!!!!」


 哄笑。

 堪えかねた衝動が爆発した。


「こいつは傑作だ!!『人間』がアールマティを……『神』を降すか!はは、面白え!ふざけてやがる!まったく最高だ!!最ッ高にぶっ飛んでんなァ『異人』とやら!!」


 一度決壊した(せき)は、もはや何も留めない。

 湧き溢れ、流れ続ける声は正しく純粋な笑いだった。

 嘲笑でも、苦笑でも、含笑でも、失笑でもなく。

 ひたすらに、どこまでも純粋な狂笑であり哄笑。

 そこに激怒はない。歓喜も、悲哀も、自棄も嘲弄もない。

 圧倒的な享楽のみが『それ』の笑声の全てであり、その内面を占める全部だった。


「うん。うんうんうん、なるほど。世界に娯楽の概念が生まれるのもこれなら納得だ。く……ははっ、愉快で痛快で爽快でどうしようもない!こいつは麻薬だな!一度知ったら病みつきになる」


 尚も響き渡る『それ』の嬌声を止めるものは無い。遮る物も、苦言を呈する者も、『彼方の至近』は何一つ孕まない。

 だから、『それ』は止まらない。木霊すら産まない広大は何も返さない。

 ただ響く。

 静止を知らず、応えを求めず、理解は世界を置き去りにして。


「————随分と、楽しそうだね」


 カツリ、と。

『それ』以外の何物も何者も孕んでいなかったはずの世界に、足音が鳴った。


「珍しいじゃないか。君のそんな姿を見るのは何百年ぶり……いや、もしかすると初めて目にしたかもしれない」

「当たり前だ。こんな面白い見せモン、笑わずにいられるかよ!」唐突に介入した声に、しかし『それ』は微塵の驚きも見せず、「それともアレか?同胞を殺されたって時に笑っているのは気に食わねえか。————品行方正なだけで悦楽を知らない、『正善』としては」


 一転、純粋だった享楽の中に明確な嘲りの色を混ぜて、視線を投げる。

 白い、どこまでも白い姿だった。

 薄汚れた腰布一つの『それ』とは違い、その肢体は純白の法衣の様なもので覆われている。背から流れ落ちるように伸びる長い白髪には曇り一つなく、そこだけを切り取れば一見女性かと見紛うほどに美しい。

 だが、法衣の上からでもわかる筋肉質な体つきは紛れもなく男性のそれであり、優に二メートルには届くであろう背丈は椅子に腰掛ける『それ』からすれば高くそびえる壁のようにすら映る。

 男性的であり女性的。どちらにも見え、どちらにも見えない姿。

 不確定で不安定、どちらにも定まらない容姿でありながら、見上げる『それ』とはどこまでも対照的で正反対であるという印象だけは不思議と確信的に持てる姿だった。

『正善』と呼ばれた彼(あるいは彼女)は唯一『それ』と共通する浅黒い肌を苦笑に歪ませて、


「その呼び名はよしてくれ、私の立ち位置は定まっていないよ。君にしてもそうだ、私達の間に『正善』も『悪逆』もない。……今はまだ、ね」

「はっ、終着から(さかのぼ)った線上で『今』に固執するか。流石、目先の正しさに振り回されて()()()()()()()()()()()()ヤツは言うことが違う。痺れるね」

「それを言われると耳が痛い。けれどこれは性分という物でね、どうにもしようがないし、するつもりも無い。結果が不本意であったからと言って、それは裁決を否定する論拠にはならないさ。……こういう事を言うと、君の不興を買うかもしれないが」


 そう言って、困ったように眉尻を下げる『正善』に『それ』は含んだ笑みを浮かべた。


「そうでもねえさ。他の事は知らねえが、今回ばかりは話が違う。お前がアールマティ(あの女)の『救済』を善しとして見過ごしたおかげでここまで愉快なものが見られたんだ、(おれ)は今最高に上機嫌だよ」

「そうかい。だったら、その無闇に挑発的な物言いはやめてくれるともっと円滑に会話ができると思うんだけれどね」

「諦めろ、こいつは己の性分ってやつだ。それに、」底の読めない笑みを更に深めて、「安心しろよ。今お前とやり合うつもりは無い————()()()()()()()()()()()()()?」


 疑問の形を取ってはいるものの、その口ぶりは断言に近かった。否定も肯定も意味が無い……いいや、『それ』にとっては否定されようが肯定されようが心底どちらでもいいのだろう。

 闘争、戦争、殺し合い。そう言った物に対して悦楽を感じる『それ』からすれば、どちらに転んだところで好ましい展開しか残っていないのだから。

 ある意味で、その姿勢は曖昧に苦笑するだけの『正善』よりよほど()()()と言えた。

 ……もっとも、どちらに転んでも良いということはどちらの展開も忌避する理由を持たないわけで。つまりそれは、辛うじて会話が成り立っている今のこの状況も『それ』の気まぐれ一つで容易に覆される可能性があるということだ。

 結局のところ、『それ』がどれだけ断言を重ねようが、そんなものに初めからなんの意味も無い。

 誰よりもそれを理解している『正善』は、だからこそ曖昧な苦笑で聞き流すしか無かった。


「……ったく」なんの返答も得られそうに無いと悟った『それ』は、小さな舌打ちを零して、「とことん面白みのねえヤツ。少しはあの『異人』共を見習ったらどうだ」

「彼らには賞賛も礼賛も払っているとも。闘争を主軸に据える身からすれば、『神』である彼女を相手どった上で自らの我を押し通したという結果には畏敬的な好感すら覚えるほどにね」

「…………、へぇ」


 その言葉は、終始挑発的な笑みを崩さなかった『それ』が純粋に目を見張る程度には衝撃的だったらしい。

『それ』は、数秒の訝しげな沈黙を挟んで、


「なんかの冗談か?」

「あまり心無い事を言うのはやめてくれ。私にだって傷つく程度の自我はあるんだ。皮肉や挑発ではないと分かるだけ、余計に辛い」

「何が傷つくだ。テメェにそんなモンを語る資格があるか。傷心だの哀情だのは、それを感じる心を持ってる奴が(うそぶ)く物だ。己や、ましてお前なんぞが得意気にひけらかす物じゃねえだろうよ」

「酷いな。私には情緒を解する心も無いと?」

「……じゃあ試しに訊いてやるけどな」


 そこで一度言葉を切った『それ』は面倒くさそうに溜息を吐いて、


「お前。あの『異人』共を、これからどうするつもりだ?」


 尋ねる。

 心底うんざりしたような目で、『正善』を見上げる。

『正善』は、まっさらな顔をしていた。眉一つ動かさないその表情は、ともすれば間の抜けたとでも言えるような、鳩が豆鉄砲を喰らったような顔で。

 キョトン、とした顔のまま『正善』は口を開く。


()()()()()()()()()()()()?」


 逡巡も。

 葛藤も。

 ただの一度だって、無かった。

『正善』は『それ』の問いかけの意味を理解していなかった訳では無い。

 尋ねられた言葉を正しく認識して、そこに込められた意味を真っ当に理解して、それに対する答えがどのような過程を踏んでどういう結果に繋がるのかを正確に把握して。

 それでもなお、『正善』は一瞬の迷いすら持たなかった。

 あるのはただ、疑問。

 どうして今更、そんな()()()()()()()()()()()()()という、純粋な疑問。

 本当に、心の底から。

 当たり前の結論を当たり前に述べるように。

 子供でも分かる常識を、噛み砕いて説明するかのように。

『正善』は、言う。


「彼らはアールマティを下すことで我を通した。それは賞賛すべきことだ。人の身で『神』との闘争に勝利したという事実は紛れもなく偉業だろう」


 その声に憎悪はない。

 同胞たるアールマティを殺した相手に対して、その口ぶりには欠片一つほどの憎しみも怒りもない。

 あまつさえ、その功績を偉業と褒め讃えて。


「けれど、それと同時に彼らは示した。彼らが私達、『神』を弑せる存在であることを。『神』にとって、脅威になり得る可能性を持つと示してしまった」


 冷静に、冷徹に、冷酷に。

 鉄の塊のような揺るぎなさで。真性、機械のような隙間の無さで。

 ただ、あるがままに。あるがままの事実だけを敷き並べて行く。


「その上で、彼らは私達の『救済』を拒絶した。であれば、彼らと私たちの間に恭順も協調ももはや無い。その牙が私達に剥く道筋を内包する以上、不確定の芽は摘んでおくべきだ」


 敷き並べて、繋ぎ合わせる。

『正善』の声は、震えない。『正善』の顔は、歪まない。

 ただ自然に、『異人』を褒め讃えた時と変わらない口調のまま、


「だから、殺すさ。それが正しい裁定であるのだから」


 そう、言った。

『異人』を好ましいと語ったその口で。『異人』の功績を賛美したその声で。

 憎悪に駆られた復讐ではなく、激怒に猛った報復でもなく、まして同胞を殺された事への悲哀など微塵も持たず。

 ただ、必要だから殺す、と。

 どこまでも、遥か彼方さえ見透かせそうな、どこまでも透明な声でそう言った。

 感情の濁りなんて、たったの一ミリだって存在しなかった。


「……はっ、やっぱりお前はつまらねえ」


 その矛盾と歪みを、『それ』はその一言で総じた。

 選択は常に正しいか間違っているかの二択。いくら好ましい相手であろうと、必要であれば殺すことに迷いはない。

 きっと、『正善』は最後の瞬間まで柔和に微笑んだまま『異人』達を殺すのだろう。手加減も手心もなく、正しさを正しく為すために。

 その姿はまさしく正しさの奴隷に相応しい————いいや、『正善』の場合、正しさが奴隷と言うべきか。

 いずれにしても、『正善』もまた『それ』と対をなす『神』であることに違いはないのだ。

『それ』は軽い失望のこもった溜息と共に、椅子の背もたれへ身を投げ出した。


「まあテメェがどうしようと勝手だよ。別にここで異論を唱えるつもりもない。その行動が気に食わなかったら、手番の順序が入れ替わるだけの話だ」


 一房、右目の端を掠めるように流れる自らの赤髪を指で弄ぶ『それ』は、興味なさげに『正善』の結論を突き放して、


「け・れ・ど!その前に問題が一つ」ぐるん、と入れ替わるようにその表情が獰猛な喜色で染まる。「お前ももう気付いているんだろう?」

「……何が、かな」

「おいおい、ここまで来てしらばっくれんなよ。お前がわざわざここに来た本題に入ろうって言ってんだ、お互い無駄なことは省こうぜ」


 そう言って、『それ』は赤髪を弄んでいた指を向けた。

 下。

 腰掛けたまま投げ出す足元の、さらに下方。『彼方の至近』の外側を示すように。


アールマティ(あの女)が出張った時点で、膠着していた盤面は動いた。————『圏域』と『圏族』を土足で踏み荒らされたんだ。()()()()()()


 ニヤニヤと。

 嗜虐的に、愉快的に、『それ』は笑う。


「なんの協定も宣言も無しで一方的に奇襲を仕掛けたようなもんだ。こっちの思惑なんか今更関係ない。説得や交渉のテーブルはテメェらで叩き割った」

「…………、」

「だから、奴らは来るよ。すぐにでも」


 突きつけるように放った一言からは、温度が消えていた。

 顔には変わらず底知れない笑みを浮かべたまま、『それ』は凍った唇を動かし続ける。


「あっちは現時点で最大だ。いくらこっちが最古とは言え、全勢力でかかられたら己達以外の木っ端じゃ役に立たねえ。……いや、単純な戦力差だけで見れば己達が出たところで分は悪い」


 闘争を主軸とする彼らの中で、最もその色を強く持つ『それ』の推察に間違いはない。『それ』が不利と判断したのならば、今このまま全面的な開戦したとしても敗北するのは十中八九彼らの方だ。

 その上で、『それ』は問う。


「さて、それでお前はどうするつもりだ————主神の一柱、『正善』スプンタ・マンユ様?」

「……、決まっているさ」


 スプンタ・マンユは静かに答えた。

 その声に迷いはない。躊躇はない。スプンタ・マンユは正しさの裁決であり、『正善』たるその裁定は常に感情を排した必要性によってのみ下される。

 だから、


「侵害が不可避と言うなら、私は殺すよ。誰であろうと、何であろうと、例え『神』であろうと。————私の正しさは、何者にも否決されるものではない」


 その裁決は揺るがない。

 不利も有利も、勝利も敗北も、そんなものは裁決の基準たり得ない。

 ただ、正しさを正しく在らせるために、

 スプンタ・マンユは存在するのだから。


「……く、ははっ!」


 その答えに『それ』は笑う。

 分かっていた事だ。スプンタ・マンユが『それ』を理解しているように、『それ』もまた誰よりもスプンタ・マンユを理解している。

 だから、期待していた答えが期待していた通りに返って来たことに、『それ』は喜色を満面に広げて、


「はは、はははははッ!!いいね、いいとも、いいじゃねえか!!楽しくなってきた!」


 果ての無い『彼方の至近』の天へ吼えるように、笑う。

 笑って、笑って、笑って。

 そうして、『それ』は肘掛に手を突いた。


「いいぜ。その答えは己好みだ」


 突いた手に力を込める。

 起伏のない平面に足を着く。


「それじゃあ、出ようか————我らが無辜の民を護るために」


 そう言って、

『それ』は————『悪逆』アンラ・マンユは立ち上がった。

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