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FF《フォロワー・ファンタジー》  作者: 疎遠
序章 競合に満ちた明日へ Shoot_oneself
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 優しく、聴覚をそっと撫でるような小鳥のさえずり。暖かく、全身を包み込むような日の温もり。

 まだ微かな冷たさを残す、清涼としたそよ風が頬をさらっていく。爽やかな朝。


「————あ゛ー……、あたまいたい」


 そんな異世界三日目は、二日酔いの頭痛と共に明けた。

 そえーんは寝起きのぼんやりとした顔を顰めながらこめかみを抑える。脳の体積が倍になったように重たくて回らない。なのに刺すような痛みだけは嫌になるほど鮮明に主張してきていた。


()っ……、ああクソ。完全に飲みすぎた……」


 やけ酒は翌日に祟る。酒量を誤った自業自得といえば自業自得である。

 だが元はと言えば、やけ酒なんかさせるに至ったキチガイが全部悪いのだ。

 そえーんはそう責任転嫁しつつ、周囲を見回す。

 室内は酷い有様だった。

 なぎ倒されたテーブルと椅子。床には瓶と食器が散乱し、きちんと整頓されていたはずの棚の中身は乱雑に荒らされ見る影もない。比較的まともな状態を保っているのは部屋の奥、出入口から一番遠い片隅くらいのものだが、そこにはガイジ三人組が魚河岸に並べられる魚の如く山にして積まれている。恐らく山の最下層は辺獄なのだろう、卿とズリキチの体躯に押し潰された隙間から辛うじて飛び出した手を包み込むような形で眠るホルモンが律儀というか、健気だ。

 そして彼女の隣では、一体何があったのかラットと思しき毛むくじゃらがシンクに頭を突っ込んだ状態で干されていた。


「……ゴミ捨て場かなんかか、ここは」


 あまりにも酷すぎる。場末の荒れ果てた酒場ですらこの惨状よりはまだマシだろう。ここまで来ると、もはや笑いより先に恐怖が勝つ。

 一体全体、昨夜は何があったというのか。そえーんは自分の背筋がぶるりと震えるのを感じた。


「……ああ。起きたんですか」

「ッ!?」


 同時、掠れ切った声が響く。

 反射的に振り向いた先、ちょうど部屋の扉に背を預けるようにして座り込む影がいた。

 長い髪を後ろで一つに束ねた痩身。一目で分かるほど疲れきったその姿は、なんというか、色が抜け落ちたかのような。俗っぽい例え方をしてしまえば、燃え尽きた後の煤じみていた。

 そえーんは数秒かけてそこまでを読み取り、恐る恐る口を開く。


「……えあくん?」

「ええ、そうです」重い息遣いと共に、エアリアルが立ち上がる。「それで?今度はなんです?酒瓶片手にウチの食器でホームランダービー?それとも人間アーチェリーですか?」

「……、えっと」

「ああ、殴り合いの線もありますか。生憎ずりきっつぁんはご覧の通りダウンした後なので次の標的は自分ですかね。良いですよ。普段なら全力で遠慮する所ですけど、正直今は自分もそんな気分です」

「あの、ごめんえあくん。……もしかして怒ってる?」

「怒ってないように見えます?」

「ええと……、実は僕あんまり昨日の記憶なかったりするんだけど。もしかして結構やらかしてたり……?」

「今言ったことを一通り十回近くは」

「ごべんばばびっっっ!!」


 もう全力の土下座しか無かった。

 何してんだ昨日の僕ーッ!!と内心で叫ぶものの、やってしまった以上取り返しはつかない。てっきりこの惨状はガイジ三人によるものだと思い込んでいただけに、自分が首謀者の一人だったという事実は思いの外ショックだ。

 ていうかシンプルに怒ったエアリアル怖い。なんで怒ってるのに敬語が崩れないんだ、なんでそんな冷静に目が据わってるんだ、普段温厚な人間がキレると一番ヤバイって言うのは本当だったんだ。あっちで山積みにされてる三人もやりすぎてエアリアルにぶちのめされたに違いないのだった。

 そえーんはもうガタガタブルブル震えながら目線だけを遠慮がちに上げる。


「……殿?」

「は?」

「すんません!!」


 は?ってなんだ。絶対いつもそんなトーンで使わないじゃん。なんでそんな一文字で人を威圧できるのさ。


「いえその……あのですね?もしお気に障らないようでしたね、(それがし)が殿のお部屋とか掃除しちゃおっかな〜、みたいな。させて頂けたら嬉しいな〜、みたいな」

「……これ、一人で片付けられると思ってるんですか?」

「いやあこう見えて某お掃除とか大好きですんで!結構得意ですんで!仮に一人じゃ厳しくてもほら、あそこに転がってるキチガイ(生ゴミ)とか使えば!あら不思議!新居か?ってくらいピカピカに!ええもうハイ!!」

「やって貰えるなら是非そうして欲しいです。けど……」

「けど?」

「あの三人と一緒に何かして、これ以上騒ぎ起こさない自信はあるんです?」

「……、えぇと」

「いえ、別にやってもらえることは素直にありがたいですけどね?ただ、次、この家で何かしたら」

「…………、したら?」

本気で怒り(ブチコロシ)ますよ?」

「………………………、」


 ニッコリ笑顔だった。

 なんか変な副音声とか聞こえちゃっていた。

 そえーんは迷うことなく頭を床に擦り付ける事で辞退の意を表明する。

 だってこんなの無理だ。無理に決まってる。こんな怖いの相手に命懸けのお掃除ボランティアとか、終わる頃には絶対ストレスでハゲる。そもそも終わるまでに命がもつかどうかも怪しい。下手したら緊張感だけで死んでしまう。


「あの、殿?」

「……」無言で睨まれた。

「えっと……某にできることって、なんかありますかね?」

「今すぐこの家から出てってください。そっちの三人連れて。自分今から寝るんで、起きるまで絶対、一歩も、確実に、入って来ないでもらえればそれでいいです」

「御意にーっっっ!!」


 もう一秒だってこんな恐怖耐えられない。全力ダッシュで部屋の隅まで行き、三人纏めて引っ摑む。叩き起こす手間すら惜しい。そのまま引きずってダッシュダッシュ。


「じゃ!僕ら外出てますんでもうホント心ゆくまで休んじゃってください失礼します!!」


 ほとんど一息で言い残し扉から飛び出す。背後でゴヅンとかガツンとか、狭い間口に頭が引っかかっている音がしたが、構っている余裕なんか無いのだった。

 ほとんど力任せに三人を引っ張り出し、扉を閉める。

 直前、


「ああ、そうだそえーんさん」

「ひゃい!?」

「もう一度言っておきますけど、自分寝るんで。家の前とかで騒がれたら人って結構簡単に起きちゃいますよね」


 ね?とエアリアルはにこやかに首を傾げる。

 ワカルヨナ、という言外の圧力が死ぬほど怖かった。


 *    *    *    *    *


「そんなわけでお説教なんだけど」


 そえーんは仁王立ちでそう宣言する。

 彼の前には無様な姿で転がされた間抜け面が三つ並んでいた。


「……今まで色んな状況経験してきましたけどね、道路に放り出されて目が覚めるって言うのは初めてですよ」

「そえーんくんは所詮上辺だけの偽善者。本性では猥らのことなんて人とも思ってないんや、くわばらくわばら」

「道路……公衆の面前……女王様、朝勃ち処理……閃いた。新しいネタにできそう」


 驚いた。世間一般的に目覚めの開口一発目はある程度似通うものだと思っていたのだが、三者三様全部欠片も聞き覚えがない一見さんとは。

 ガイジって常識が通じる場面とかないのだろうか。


「それより、お前ら昨日何した。えあくんマジギレしてんだけど」

「ホンマに?うわ気になる、どんなんなんよ。ちょっと見せてや」

「やめて?ほんとにやめて!?ナチュラルに煽りに行こうとしないでくんない?下手したら全員纏めてあの世送りだから!!」

「そえーんさんがここまでビビるって……キレたエアさん、どんだけやばいんですか」

「お前あれだぞ、マジでシャレになってねえからな。僕もうおしっこチビりそうだったっていうか、なんなら若干チビったっていうか」

「汚ねぇなションベン小僧」

「……、キレませんキレませんよ僕は。ええもう、仏のような心で全てを許しますとも」


 だって騒いだらエアリアルが起きちゃうじゃん。いのちだいじに。

 というか、今のやり取りだけでもう分かった。

 これ、静かに大人しくとか絶対無理。

 普段ならそれでもなんとかガイジを鎮めて平穏な時間を模索するのもアリだろう。実際いつもそうしてる。

 けれど今は状況が違った。一回のミスで比喩表現ナシに首が飛びかねない中で、そんな勝ちの薄い目に一点賭けするのはもうギャンブルでもなんでもない。良く言って命知らず、言葉を選ばなければ自殺志願者だ。


「てなると……」


 そえーんは顎に手を当て、思案に沈む。

 まずはここから離れるのが最優先事項だろう。行先はどこだっていい、とにかく騒ぎが起きたとしても眠れる獅子を起こさない程度の距離を取るのが肝心だ。

 問題があるとすれば、それをバカ正直に説明してこの三人が素直に従うかだが、


(……無理!絶対有り得ない!!)


 性格から根性まで捻れに捻れまくった人間性皆無の選ばれし性悪がそんな提案に乗るわけが無い。特に卿。従うどころか面白半分であえて騒ぎ出すに決まっている。

 一つのミスも許されない断崖絶壁の中で、思考はさらに加速。命の危機を目の前にして、そえーんの脳細胞は過去に類を見ない速さで回転していく。


(……興味。そう、興味だ。要はこいつらの好奇心を別の場所に移せばいい。あくまで自然に、こいつらが自発的に別の場所へ向かうような誘導をかける)


 その結論に至るまで、一秒。

 会話の組み立てと、それに対する彼らの反応を極限まで精緻に想像する。さらに一秒。

 計二秒の濃密な沈黙を経て、そえーんは小さく生唾を呑む。


「……そう言えばさ、卿ってまだ昨日の賭け金は残ってるわけ?」

「んえ?残ってるで、いくらか分からんけど。なんか金貨みたいなのあるし、そこそこあるんやと思う」

「へえ……」


 第一関門は突破。内心で拳を握る。


「じゃあさ、買い物とか行こうぜ。せっかくの異世界なわけだし、厨二臭い武器とか持っててもいいじゃん?」

「いや、異世界って言ったらやっぱ媚薬だろ。媚薬催眠ズリも中々そそるものがある」

「ていうかそれ以前に猥は腹減った。朝ご飯まだ?」

「あ、それならパスタが」

「辺獄くん昨日からそればっかやな。懐から出すとかなにそれ、七輪なん?」

「なんで懐に入ってる物が全部七輪とイコールになるんですか」

「何言ってるんや、いつサンマに襲われるか分からんのやで?七輪は必需品やろ」

「待て待て待て待て!ここで口論始めるな!!」


 なんで買い物から七輪に発展するんだこいつら。武器って単語出しておけば男の子は大体引っ張れるものじゃないのか畜生。やっぱりキチガイの思考は読み切れない。


「……とにかくさ、どうせ暇なんだしいいじゃん。行こうぜ買い物!な!」

「えー……でも朝から出かけるのとかちょっとダルい……」

「朝の市場とかなら人いっぱいだし、新しい妹との出会いもわんちゃん」

「さあ行きましょう早く行きましょうすぐ行きましょう!」

「あ、市場なら昨日酒買いに行った時にそれっぽいの見たで」

「よっしゃあ!妹が私を待っている!!」


 意気揚々と歩き出す辺獄を先頭にして、ぞろぞろ市場へと向かう卿とズリキチ。会話が逸れた時はどうなる事かと思ったが、強引にでも結果が合っていればそれでよし。そえーんも安堵のため息を吐きながら団体に加わる。

 というか、辺獄は目的地がどこなのか分かっていないと思うのだがどうして自信満々に先陣を切れるのだろう。卿が楽しそうに笑ってたりしないので多分方向性は合っているのだろうが、どういう判断基準で道を選んでいるのか全くの謎である。


「辺獄くんさ、なんで市場の場所とか分かるの」

「え、妹の匂いを辿ってるだけですけど」

「…………、」

「ゲェジの思考回路とか、理解しようとするだけ無駄やで?」

「……ああ、うん」


 そだよね。お前の思考回路全然わかんねえもんな、僕。

 呆れたように肩をすくめる(ゲェジ)を見て妙な納得感を得る。視界の端ではズリキチが深く頷いていたが、お前は目の付け所が分かりやすいだけでその深度は普通に理解できないということを主張したい。


「なんでもいいけどさ、辺獄くん妹……いや妹だと思い込んでるだけの赤の他人だけど、とにかくそれが内臓に見えるようになってんだろ?なのにわざわざ探しに行って意味あるのかな」

「あれやろ、内臓を見てるうちにいつしか妹キチから内臓キチにみたいな。うわ、辺獄くん引くわ」

「元凶が何を言ってるんです?全然違いますけど。私は分かっちゃったんです。妹が内臓になってしまうなら、今のうちに内臓に見える子を全員集めれば呪いが解けた時には夢の妹ハーレムが実現するってことにね!!」

「世紀の大発見みたいな顔して何言ってんのこいつ」


 シンプルにドン引きするそえーん。

 いつにも増してキモい上に支離滅裂だった。流石にここまで壊れきっていたとは思わないのだが、昨日の酔いがまだ残っているのだろうか辺獄。


「そもそもお前らナチュラルに魔法とか使っちゃってるけど、なんなの?どういう原理?僕だけ使えそうな気配が全く感じられないんだよね。いじめか?」

「ズリにかける情熱が違うんだよ、お前とは」

「妹を護るためなら魔法の一つや二つ、できて当然なんですよね」

「猥は皆を幸せにしたかっただけよ。誰か一人だけ幸福になるのは皆の不幸なんやで」

「悪い。お前らにまともな説明とか期待した僕がバカだった」


 生産性皆無の会話にげんなりしたところで、やたら大きな通りへとぶちあたった。

 ここまで歩いてきた道とは幅が二回り以上違う。両側に立ち並ぶ建物も大きく、どう見たって個人の住居ではなかった。恐らく全部何かしらの店なのだろう。メインストリートには店が密集するあたり、こういうのは世界が違っても変わらないものなんだな、などと軽い感慨を覚えてみたり。


「あれ、昨日猥が買った酒の店」卿がその一角を指さす。

「へえ……なんつーか、あれだな。店主がもう完全に酒屋って感じ」

「せやろ?」


 見るからにゴツい赤ら顔のおっさんがなんか重そうな箱とか運んでいた。異世界のお酒屋さんってどんな感じ?と街頭アンケートを取ったら八割くらいはこんな感じのおっさんを思い浮かべそう。

 その隣は————薬屋、だろうか?なんか青々とした草を石臼でゴリゴリ潰してる爺。酒屋のおっさんとなにかしらにこやかに言葉を交わしている様子からして、共生関係が築かれているようだ。酔い醒ましとか、二日酔いに効く薬とか、そういうあれかもしれない。後で寄ってみよう、とそえーんは心のメモに書き留めておく。

 更にその逆隣では中年くらいと思しき女性がせっせと鍋を振っている。惣菜屋か何かか、酒の肴に合いそうな串物とかが並んでるのも見えた。どうも全体的にある程度の関連性を持って発展しているらしい。商売という点ではある意味当然の流れではあるのだろう。

 となると、


「なあ、あの見るからに怪しいあれさ。絶対媚薬とか売ってるだろ。もう完全にフィクションのやつまんまじゃん、鍋だぜ鍋、めちゃくちゃ胡散臭い婆さんがかき混ぜてんだぜ」

「……いやね、どうせあるんだろうなーとは思ってたよ?思ってたけどさ、わざわざ酒屋の向かいに店構えるのはどうなん。分かりやす過ぎて逆に萎えるって言うか、商売根性丸出しすぎるって言うか。もうちょっとデリカシーがあってもいいと思う」

「どうでもいいだろそんな事、俺ちょっと買ってくるわ!」

「あ、じゃあ私の分もお願いします。二つくらい」

「秒でアクセルふかすな性犯罪者予備軍!特に辺獄くん、お前の場合は使用用途が未成年淫行だろ。二重でアウトじゃねえか」

「合意の愛なら法律とか関係ないと思うんですよね」

「酔ってる?やっぱお前まだ酔ってるよな?媚薬盛ってる時点で合意じゃねえんだよ。先にそこの薬屋行って酔い醒まし買ってこい、そして落ち着いてもう一度よく考えろ。シラフのお前ならきっともう少しマシな判断ができると僕は信じてる」

「卿、金くれ」

「ほい」

「卿テメェ!なんであっさり渡した!!言え!!」

「だってそっちの方がおもろそう」

「……よし分かった。お前ちょっと歯ァ食いしばれ————待てテメェは無関係みたいなツラして離れてくなズリキチ!!」

「じゃあ私はあっちの方見てきます。まだ見ぬ妹が待っている!!」

「お前ほんとそればっかな!ていうか見てくるな!!戻れ!ステイ!!動物園かここは!?」


 割と必死の制止も虚しくどこぞへと走り出す辺獄。奇跡的に為されていた団体行動は脆くも崩れさる。その儚さにそえーんは頭を抱え


『Tips!パーティーメンバーから離れすぎると継続ダメージが与えられます!』


 鈍痛。


「な……!?」


 全身から得体の知れない警鐘が鳴り響く。

 だが、違う。

 その激しさは、この重みは————以前のそれとは比較にもならない。

 痛みで脚がふらつく、それを自覚した時には膝が崩れていた。


「……ん、だこれ……、っ」


 赤く染まる視界を上げる。卿も同じ苦痛を受けているらしい。苦しげに表情を歪めている姿が拾えた。


「ざけんな……、だからあれほど」


 離れるなと口酸っぱく言ってきたというのに。

 痛苦は止まない。それどころか、時間の経過と共にその強度を増していく。


(……鈍痛、とか……っ)


 ふざけるな。こんな痛みがその一言で片付けられるなど冗談ではない。

 神経が捻れる。視界が軋む。意識が、削れる。

 対処は、原因は。逃避。無意味。ルール。辺獄、ズリキチ、回収。何処、へ。

 思考は痛みによって散り散りに砕かれる。辛うじて繋ぎ止めた意思が拾えるのはその断片のみ。


(……マ、ズ……このままだと、マジで)


 意識が、遠のく。

 掠れた視界が暗く落ちる。

 寸前。


「痛い痛い痛い痛い!!なんでですかなんなんですかこれ!死ぬ死ぬ死ぬ!ホントに死ぬ!!」


 フ……、と。

 騒がしい辺獄の喚き声と共に、鈍痛の波が軽くなった。


「か、ハッ————ァ!」


 無意識に止まっていた呼吸が戻る。

 吸い込んだ酸素が随分久しぶりのような気がして、痙攣した肺から咳が漏れた。

 ゲホゲホと咳き込むこと数度。


「……、はぁ……」


 乱れた呼吸を整えながら立ち上がる。

 視界の赤色は無くなっていないが、痛みはかなり楽になった。先程までと比べればほとんど無いに等しい。短時間なら大した問題ではないと言っていいだろう。

 体の節々を回しつつ、そえーんはそう判断した。

 となればやることは一つ。


「ちょっと、辺獄くん」

「痛たたたたたたた!!これめっちゃ痛……、あれ?なんか楽になってる。なんです?」

「あのな?」


 小首を傾げて一呼吸。

 次いで右腕を高く掲げて、


「お前は!どうして!そう!人の!話を!聞いてないんだッッッ!!」

「えっ、ちょ!?うべっ!あべっ!?やめ、あだぁ!?やめて!一呼吸ごとに頭叩くのやめて!!バカになったらどうするんですか!」

「うるせえもう既にバカだろうがお前!!」

「直球で酷い!私の扱いの改善を求めます!」


 うるせーばか。

 好き勝手やった挙句、他人まで巻き込んだのだ。改善とかもう知ったこっちゃないのだった。


「それ言うならズリキチさんもじゃないですか。むしろ真っ先にどっか行ったのズリキチさんですよね!私より先に、」

「呼んだか?はいこれ、辺獄くん分の媚薬」

「あ、ありがとうございます————私より先にズリキチさんを制裁するべきでは!?」

「お前よく今の流れでそれ言い切れたな」


 どこからともなく合流してきたズリキチによって、鈍痛と視界を染める赤が完全に消える。


「つうかズリキチはなんでそんな平然と買い物してこれるわけ?痛みとか感じないタイプ?」

「いや普通になんか出たけど。媚薬催眠ズリの欲求に比べたら些事だろ」

「……お前見てるとあれだよね。人間の欲って凄まじいなってことを痛感するよね」


 もうなんか怒る気も失せたそえーんは大きな溜息を吐く。自分だけ殴られた辺獄が不満そうな顔をしていたが、それはあえて無視。

 そもそも、ズリキチを本気で殴ろうとするなら昨日並のガチバトルを覚悟しなければならない。連日でそんな展開は願い下げなのだった。


「とにかくさ、今のでいい加減分かっただろ。離れたらこうなんの、勝手な行動はやめろ。マジで」


 言葉少なに釘だけは刺しておく。

 なんだか一気に疲れた。落ち着ける場所で休みたい。ついでに腹も減った。この際あまり贅沢を言うつもりは無いので、一回どこかに座らせて欲しい。

 そんな思いで周囲に目を走らせるそえーん。

 と、


「……でも、どうして昨日はよくて今日はダメなんやろな?」


 卿が、不思議そうに首を傾げた。


「……昨日?」

「あ、それ私も思ってました。ギルドでそえーんさんとズリキチさんが喧嘩してた時もっと離れてましたよね、私達。でもあれって魔法で無効化されてただけなんじゃないんです?解けたら普通に元の位置に戻ってましたし」


 そのへんどうなんですか?とズリキチへ問いかける辺獄。だがズリキチはお決まりの無関心面で「知らん」と答えただけだった。


「魔法って言うくらいなんだからなんでもありなんだろ。詳しいことなんか俺にも分からん」


 あまりと言えばあまりに雑な答えだが、こればかりは仕方がないだろうとそえーんも思う。なにせ原理すら分かっていないのだ、それによって引き起こされる現象も正しく把握できないのは当然の帰結である。

 だが、それでも卿は首を横に振った。


「んや、そうじゃなくて」

「じゃあなんだよ。ラットくんとかえあくんの話か?それなら考えるだけ無駄だぞ。最初っから効果対象外らしいし」

「そえーんくん頭回ってないん?ラットくんとかエアくんは今も家の中(あっち)やろ」


 素で「バカなのかこいつ?」みたいな顔をされた。微妙に腹が立つが、確かにこれは卿が正しいのでそえーんも口を閉じざるを得ない。


「忘れたん?昨日、猥は()()()()()()()()()()()()?」

「————、ぁ」


 思わず出た声は、我ながら間が抜けていた。

 そう。それはおかしい。

 先ほど、ズリキチと辺獄が離散したのはたかだか数十秒。その程度の時間で人間の足が進める距離など知れている。たとえ全力で走ったとして二、三〇〇メートルがせいぜいだ。

 対して、エアリアルの借家からここまでは軽く一キロ近くの道のりがある。直線距離で見ても五〇〇メートルは下らないだろう。今この場でルール違反のペナルティが課せられるなら、昨日卿に酒を買いに行かせたあの時点でそれが出ていなければおかしい。

 明らかな、矛盾。


「……、どういう事だ」


 これまであえて深くは考えてこなかった『ルール』という意味不明なシステム。

 この世界から見れば、自分達は『異』世界人だ。異物、異常、異人。異なるものに対して特殊な対応が付随するのも自然だと疑いもなく受け入れていたが、その『ルール』に一貫性が見られない。それ以前に、同じ異世界人であるエアリアルやラットにはなんの制約もかかっていない説明もつかない。


(……おかしいのは僕達に原因があると思ってた。けど、それが違う?おかしいのはこの世界の方……?この『ルール』は一体どんな原理で……いや、そもそも。()()()()()()()()()()()?)


 一度疑念を抱けば、疑惑は堰を切って溢れ出す。

 誰が、何を目的として、どのような方法を以て、わざわざ自分達だけにそれを為したのか。

 あるいは————、


「……なあ、おい」


 そえーんはその疑惑を確信に変えるため口を開こうとして、


「————こんにちは、卑小の命」


 瞬間。




「我が『慈愛』を以て————さあ、救済を与えましょう」




 世界が、

 圧搾する。

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