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「……いやー、良かったよねホント」
そえーんは骨付きの肉をムシャムシャやりながらしみじみとそう零した。
「異世界とか言うからさ、ゲテモン料理みたいなものしかないと思ってたんだけど」
蓋を開けてみればなんてことなかった。
簡素な木製のテーブルに所狭しと並ぶのは意外にも普通の肉や野菜。どこのなに産なのかは分からないが、少なくとも色がおかしかったり臭いが酷かったりはしない。ていうかぶっちゃけ味もそんなに変わらない。貪っている肉とかまんま鶏っぽいし。
「おい卿、そこの瓶とって。なんか胡椒みたいな粉のやつ」
「ほい」
「……あ、やべ。思ったより辛い」
ちょっと調子乗ってかけすぎた。味覚が敏感なので何気に辛いのが苦手だったりするそえーんは顔をしかめる。
「ていうか舌がお子様なだけじゃねえの?」と、対面で謎の葉物を口にするズリキチ。
「違いますぅー!味蕾がまだ若々しいんですぅー!」
まったく失礼なことである。そえーんはむすっとしながら振りかけた黒っぽい粉を払い落とす。
その隣では辺獄がホルモンに餌付けされていた。
「アーン?」
「……これは妹これは妹これは妹……」
彼にはその光景が一体どう見えているのか、自分に言い聞かせるように絶え間なく呟く辺獄は若干顔色が悪い。なんだっていいが、大口開けながら呟き続けられるとはなかなかに器用な男である。
「なんかここまで来ると酒も欲しいよな」そえーんは軽く振り向いて、「えあくん、この家って酒とか————」
「ウチの一ヶ月分の食糧が……明日からの食費が……」
「諦め諦め。頑張って」
「…………、」
無言で視線を戻す。
何も見なかった。なんか割とヤバげなこと言って崩れ落ちてるエアリアルとかその背中を優しく叩くラットとか、なんにも見てない。
「卿ちゃん酒買ってきてよ酒」
「ええけど、金はどうするん?」
「さっき人を見せもんにして荒稼ぎしてただろ。あの賭け金使えよ」
「おっけー任せとき」
店とか銘柄とか異世界だからよく分かんないし、とざっくり買えるものを買ってくる方向で話をつける。サルミアッキとかよく分からない物が好きな卿だが、酒の好みまでゲテモノだった覚えはない。任せておけばそれなりに手頃なものを買ってくるだろう。
そんなわけで軽く出ていく彼をそえーんは片手で送り、
「待ってください!お願いだから待って!!どうしてそうろくでもない展開になりそうな時だけすんなり話が進んじゃうんですか!?」
崩れ落ちていたエアリアルが扉の前に立ち塞がった。
そえーんと卿はそろって顔を見合わせる。
「ろくでもないだってさ」
「心外やな、猥らはただ皆で楽しく過ごそうとしてるだけなのにな」
「嘘でしょ、なんでそんな純新無垢な疑問顔ができるんですかアンタら……」
エアリアルが素でドン引きした顔をしてたけど、心当たりが無いものは無いのだから仕方がない。思い当たる節といえば、卿の『窓ガラスぶち抜き逸物伝説』くらいなものだが、その程度のことはガイジの巻き起こすトラブルに比べたら全然ろくでもなくないし。
「……ていうか、ぶっちゃけえあくん家だからまあ何してもいいよね」
「雑な上にめちゃくちゃ傍迷惑な結論に落ちましたね?」
だってえあくんだもの。
「あのですね、いいですか。忘れてるかもしれないからもう一度言いますけどね、ウチ借家なんですよ。借りてるんです。それを踏まえてよく考えた上で行動してくださいお願いですから」
「よーし卿ちゃん行ってこい」
「あいさー」
「どうして!?」
シークタイムゼロで送るそえーんと窓から身を躍り出す卿。
半ば絶望的な表情で呆然と立ち尽くすエアリアルの肩を軽く叩き、そえーんは言う。
「ツッコミ役はね、選択権を他人に譲っちゃダメなんだよ?」
「したり顔で何の講義を始めてるんです!?」
「はっはっはっ。はしゃぐなはしゃぐな」
「あしらいまで雑!いつものツッコミはどこへ!?」
どこへ、とか聞かれたってそえーんも別に好き好んでいつもブレーキ役を買ってでている訳では無い。ほっといたら周囲に多大な被害と面倒くさい後処理が山積するのが目に見えているから仕方なし止めているだけであって、その矛先が身内だけに収まるならわざわざ自分からそんな苦労を抱え込む必要なんかないのだ。
一言で言えば、エアリアルだからまあいいよね、とそういうことである。
「ていうかぶっちゃけ僕のストレスが限界。ここら辺で発散しとかないと後がもたない」
「ごちゃごちゃ言ってるけど結局それ自分が生贄にされてるだけですよね?」
険を含んだツッコミにあえて否定はしない。その無言をどう取ったか、エアリアルは諦めたように溜息を吐いた。
「とはいえ……」そえーんは軽く前髪を掻き上げて、「ストレス発散の前に決めとく事は決めておかないとな」
「……、ふぁんふぇふ?」
「辺獄くんは食うか喋るかどっちかにしろよ。そういう仕草は美少女特権だからお前がやっても果てしなく不快」
肉やら野菜やらを詰め込んだ口をむぐむぐと咀嚼して、水とともに流し込む辺獄。
「そえーんさんはあれですか?実は私のことが好きなんですか?」
「今の言葉をどう曲解したらそんなポジティブ思考になれるわけ?」
「いや、好きな子についつい強く当たっちゃうツンデレ男子的な」
多分どこにも需要ないですけど。そう首を傾げる彼をそえーんは鼻で笑う。
「安心しろよ、僕彼女いるし。一途だからお前に向ける愛情とか欠けらも無いよ。むしろ混じりっけなしの純粋な侮蔑しかない」
「惚気ついでみたいに罵倒するのやめてもらっていいですか?」
ついでとか、何を言っているんだこいつ。そえーんは心底呆れた溜息を吐く。
彼女のことについてなら一晩中語り明かせる自信はあるが、辺獄を罵倒したところでつまらなさすぎて三分ももたない。ついでにしては占める割合が少なすぎるだろう、思い上がらないで頂きたい。
「辺獄くんの占める割合とかあれ、クジラに引っ付いてるコバンザメのうんこくらいだから」
「なんか……そえーんさんって愛が重いですよね。率直に言ってちょっと気持ち悪い」
「うるせえ内臓兄」
「なんですって!?……兄とか、照れる」
……それでいいんだ?
見境があるんだかないんだかもうよく分からない辺獄をこれ以上掘り下げたところで話が一向に前へと進まないと踏んだそえーんは、さっさと本題へ移ることにする。
「実際、どうするよ。これから」
「これから?」
「目的も目標もない。元の世界に帰るアテも無ければ次にするべきことも分かってない。この現状でどう動くかって話だよ」
思えば有り得ない話ではあった。
客観的に見て、彼らは着の身着のままの状態で外国に突然飛ばされた状況に等しい。むしろよくもまあここまでそんな状態のままふらついてたものだ。
「とりあえずの懸案事項は三つ」そえーんは指を立てる。「一つ目。僕らはどうやって元の世界に帰るのか」
「ていうか、帰る気あったのか?」
「その足掛かりを探しにわざわざギルドくんだりまで足を運んだつもりだったんだけどな僕は。生憎ズリキチに全部台無しにされちまったけど」
「受付嬢のおっぱいが悪い。息子が苛立った」
「むしろ私はどっちかって言えば帰りたくないんですけど。卿さんの悪質な呪いさえ解けば、可愛い妹ができる訳ですし」
「……もうなんか、お前らなら言いそうだとは思ってたよ僕は」
怒ってない。怒ってないです。そえーんくんは我慢のできるいい子です。
気分を落ち着かせるために新たな骨付き肉を掴み取る。若干荒っぽくなった手つきが皿を鳴らした。
「どうあれ、実際問題こっちに関しては手掛かりゼロ。『異世界物』のお約束として簡単に見つかるようなもんでもないだろうし、向こうから答えが出てくるのを期待するしかない、か」
「……あの人、なんで骨付き肉片手にあんなキメキメの思案顔してるんです?」
「ほっとけ。厨二病が抜け切ってない哀れな大人なんだろ」
「真面目に考えてるそえーんさんが流石に可哀想だと思いますけど、それ」
「エアさん、さっきまでのそえーんさん思い出してみてください。同じこと言えます?」
「……、何言ってもいい気がしますね」
「でしょ?」
「…………、」
おこってない。おこってないです。そえーん、がまん、できる、いいこ。
乱暴に齧りとった肉片がブチブチいっていた。
「次に二つ目。どっちかと言えばこっちの方が切羽詰まってるけど————どう動くのが正解なのか、まるで見えない」
「……正解?」
「いいか?仮にだ。仮に、帰る方法とそれに繋がる道筋があったとして、僕らがここでダラダラ過ごしてるだけじゃ絶対見つからねえだろ。かと言って言葉も通じなければ文化も丸っきり違うこんな世界で闇雲に動き回ったって、待ってるのなんか良くて餓死。悪けりゃ普通に殺されかねない」
「……つまり、我達が生きて帰るには、帰る方法に直結するシナリオ進行をしなければならないってことです?」
「惜しい。けどラットくんの言うシナリオってのはあながち間違いでもないと思うよ。————要は、この世界に僕らを呼んだ『誰か』の思惑通りに進んでやればいい」
「『誰か』って、誰なんです?」
「知ってたら『誰か』なんて回りくどい言い方しねえよ、あくまで仮定の話だ。異世界転生なんて、意味も理由もない災害なんかより人為的な物の可能性の方がよっぽど高いだろ」
「……ちなみに聞きますけど、意味も理由もない災害だった場合は?」
「ゲームオーバーだ。諦めてここで生きてく道を探すしかねえ」
「災害でありますように災害でありますように災害でありますように……妹よこせ妹よこせ妹よこせ……」
「……おい、そこで新手の新興宗教の祝詞みたいなモン唱えてるヤツ。もし本当に災害だったらテメェだけじゃなくて僕らも道連れでゲームオーバーだって事は正しく認識してるのか?」
「妹妹妹……え?なんか問題あります、それ?」
「………………………、」
オコテナイ。オコテナイデス。ソエーン、ガマン、デキル、イイコ。
暴力的に咀嚼した口内がメシメシいっていた。
「……、それで最後、三つ目。まあ、これは正直どうだっていいっちゃいいんだけど……」
「どうだっていいことなら私はホルモンちゃんを人間に戻す方法を考えるので忙しいからパスで」
「そのクソガキ、どこに放り出すかだな」
「めちゃくちゃ重要!!なんでそんな大事なことをどうだっていいとか嘘つくんですか!?ていうか放り出すって何!?」
「意味まんま。子連れ異世界旅行記とかジャンル違いだし、ていうか最初っからどっかに預けるって話してただろ」
「聞いてませんけど。ホルモンちゃんは私の妹だから死ぬまで一緒にいるんですけど」
「内臓なのに?」
「何言ってるんです?そえーんさん頭おかしくなっちゃったんですか?ちゃんと見てくださいよほらこんなに可愛らしい————うぇ、グロ……」
「虚勢くらい最後まで張ったらどうだ」
「キチガイの愛なんてその程度だろ。所詮外見が全て、贋作の愛でしかない」
「じゃあズリキチさんはおっぱいが内臓になったらどうするんですか?」
「内臓のおっぱいでズればいいだけじゃん?何か迷うことでも?」
「ずりきっつぁん……それはもう違うものだと思うんです」
「おっぱいは全にして一、一にして全。全てはおっぱいより生まれ出で、おっぱいに帰結する。この世におっぱいと違うものなどない」
「なんで?なんで急に坐禅組み出したこの人?」
「我知ってる、修行僧って言うんですよこういうの。昔テレビで見ました」
「それは修行僧に失礼だと思うんですよね」
「…………………………………、」
また訳の分からない方向性に舵を切り出したバカ共とこれ以上話したところで進展は無さそうだと悟ったそえーんは、一連の流れを指折り振り返ってみる。
帰る方法。待機(約一名拒否)。
次の行動。妹よこせ。
ホルモンの扱い。おっぱい。
結論。進展ゼロ。
「…………………………………………………、へっ」
オコテナイ。オコテナイ。オコテナイオコテナイオコテナイオコテ————手に持った骨が、ボキリと折れた。
「もういい。もう知ーらね!!僕もうホントに知らねえからな!!もうどうにでもなれよていうか全員まとめてくたばっちまえよなんなんだよお前らもうさあ!あーやってらんねえ!酒!!誰か強いお酒ちょうだい!!卿ちゃんまだ!?」
「なんか盛り上がってるやん。ほい、買ってきたで」
「っしゃーーーーーーーーー!!!!!」
もうヤケ酒なのだった。
卿から奪い取ったなんだかよく分からない色をした液体に、瓶ごと口をつける。
弾ける炭酸の苦味と共に仄かな甘み。割と爽やかな喉越しが体の芯を瞬く間に火照らせて、
「……ラットさん、自分の記憶だとあれ相当……」
「……ですね。すごい度数高いですよ、あれ」
あぺぁ。
「うははははは!!なんか楽しくなってきた。辺獄くん野球拳しようぜ野球拳!はいさーいしょはぐー!」
「なんで男同士で野球拳しなきゃならないんです?需要とかどこにも、」
「じゃーんけーん————デッドボールのぱー」
「ぶべらっっっ!?」
「はい辺獄くんのまけー!オラズボン脱げ」
「いやぁぁああああ!?」
「じゃあ二回戦ね。じゃーんけーん、乱闘のぐー」
「ごぶぇっ」
「はいまたまけー!オラ次パンツ」
「やめてぇぇええええええ!!!!」
「三回戦。じゃーんけーん、勝利のぴーす」
「目がぁぁああっっっ!!!」
「辺獄くんよわすぎウケる。脱ぐもんないじゃん、女児パンツでも履いとけよ」
「ぎゃあぁぁああああああ!?!?!?!?!?」
履き替えたまま放置されていたホルモンのパンツ(おもらし染み付き。生乾き)を強制的に装着され、悲鳴を上げる辺獄。そえーんは酒瓶を片手に大爆笑するだけで全く止まる気配がない。
ブレーキ役が壊れると一番傍迷惑だという通説が如実に表される絵面であった。
「ええやん辺獄くん!似合ってるで、ポーズとってポーズ。セイ、ピース」
「撮るな!ていうか助けて!!うわ気持ち悪っ!じめって、なんかぐちゃって感触が!!めちゃくちゃ気持ち悪い!」
「おい暴れるなよ、飯が落ちる」
「なんでこの状況で普通に食事できるんですか!?なんなのこの人たち!!もういいもう怒った!『過法迭追————」
「ちょ、待って!やめてください!!ここ借家!魔法なんて使ったら絶対跡形もなくなって敷金礼金その他諸々が!!あああ!『其は悪行にて、焦身へと至る』!!!!」
「うははははは!!」
「そえーんさんやめて!なんの脈絡もなく我を胴上げしないで!!ていうか振り回さないで!!助けてエアさん!!」
「アイーン」
「こっちも壊れたー!!」
「あ、」
「え?ちょ、落ちっ!落ちる!!うわぁああああ!!!!」
ドゴシャア!!とバランスを崩したそえーんの両手から離れたラットが、まさに食事中のズリキチへホームイン。
「テメェそえーん!!」
「お?なんだやんのか歩く卑猥物!!公然わいせつで今度こそブタ箱送りにしてやるよ」
「上等だションベン野郎!!」
「だからここ借アイーーーーーーーン!!!」
ちゃぶ台返しよろしくラットごとテーブルをひっくり返したズリキチがいきり立った。それを迎え撃つそえーんとギルドに続く第二ラウンドが始まり、もはや状況は混沌を極める。
卿は少し離れた場所からそれを動画に収めつつ、
「うんうん。人間ってやっぱおもろいよね」
ニコニコと、そう呟くのだった。