1-8 過去へ伸びた影
「フゥ、やばいやばい。これ直撃したら、ボクらもただじゃすまなかったな」
小脇に血みどろのフェリクスを抱えたメインデルトは、額の汗を拭いながらぼやいた。
同じようにスヴェンを抱えたラフェンテも、「同感ですね」と頷く。
彼らの後ろでは、木造の家屋が四軒ほど全壊・炎上していた。
住民は避難させていたし、フェリクスとスヴェンに直撃する寸前で、何とか彼らを救い出せはしたが、それでも被害は甚大だ。
「さーて、議会になんて言い訳しようかねぇ・・・」
◇ ◇ ◇
後ろ向きに崩れるコッカと共に、剣を突き刺したままジェーンも、覆いかぶさるようにして倒れた。騎士術は解除され、辺りを包む炎も、コッカを覆った氷も消えて行った。
―落ち着け、呼吸を整えるんだ
―生き残るんだ・・・!!
薄くなっていく呼吸と、だんだんと間隔の広がっていく鼓動に、ジェーンは必至で抗った。
「ゴホッ・・・お前の妹・・・アビゲイル・ファミリアエと言ったか・・・」
「!?お前、まだ」
あれだけの傷を受けながら、途切れ途切れでも呟き始めたコッカに、ジェーンは驚きを隠せなかった。刺した剣に手を伸ばそうか逡巡するジェーンに、コッカは少し笑って言った。
「・・・私はもう死ぬ。だから・・・聞いていけ」
「・・・妹は今どこにいる!?お前たちは何をした!?」
「お前の妹は・・・わがノヴゴロド帝国の騎士として・・・鍛錬を積んでいる」
「どういうことだっ!?」
自身の体が張り裂けそうになるのも気にせず、ジェーンはコッカの胸ぐらをつかんだ。
「任務だった。・・・お前の家から、騎士術に関する書物を押収し・・・騎士としての適性が高い、妹を回収・・・目撃者の殺害と証拠の隠滅がな・・・」
「それで、私の、私の両親を!!」
「あぁ・・・だが、お前にも高い適性が認められた。だから・・・リチャード・ファミリアエの元へ・・・逃げたお前を追って、騎士が派遣された・・・馬鹿なことに失敗したがな」
「私も馬鹿だがな」と付け足すコッカに、ジェーンは目を見開いた。
「!?待て、あの時叔父さんを襲ったのはアンナ・アーベンロートだった!声を間違えるはずがない!!」
「・・・それが奴の騎士術だ。他人に成り代わる・・・私がお前たちを襲撃したとき、アーベンロートを足止めしたのも・・・奴だ」
―そんな
―じゃあ私はアンナのことを・・・!?
愕然とした様子のジェーンに、コッカは小さく「済まなかった」といった。
「謝って済むものではないのはわかっている・・・それに許してもらおうとも思っていない・・・だが、私はもう自身の生業に疲れ果てた・・・もう・・・」
スーっと瞼を閉じていくコッカを見つめるジェーンに、息を切らしたアンナが駆け寄ってきた。
「ジェーン!!」
「・・・アンナ!?」
アンナはジェーンを抱きしめると、大粒の涙を零した。
「良かった・・・生きていて本当に・・・!!!」
「アンナ・・・ごめんなさい。私、あなたのこと・・・」
アンナは横に首をブンブンと振ると、「私こそ、あなたたちを守れなかった」と言って唇を噛んだ。
アンナの変わらない暖かい匂いと声に包まれていると、突然首元に何かを刺された。
振り返ろうとしたが、一瞬でぼやけた視界が真っ黒に染まり、谷底へと落ちていくような感覚に突き落とされた。
「お前は!?何をした!!」
ジェーンを抱えて即座に剣に手をかけるアンナに、軽薄そうな身なりの金髪の男は「オイオイオイ」と大袈裟に驚いて見えた。
「知ってんでしょ。バルタサール・ドミンケス。アンタのお師匠様のお友達の!」
「何をしたかと聞いているんだ!!」
ぎろりと睨みつけるアンナに、ドミンケスはまたも大袈裟に驚きながら、いけしゃあしゃあと言った。
「その腹の皮がベロンベロンにはがれちまった子を助けようと思ってなぁ。いったん意識を暗闇へッ☆ってな。早く医者にでも診せてやんなよ」
「クッ!・・・何かあったらお前を殺す」
「礼なら受け取っておくぜ」
ぐっと親指を立てるドミンケスに背を向け、ジェーンを抱えたアンナはその場から去っていった。
それを見届けてから、ドミンケスはコッカのそばにしゃがむと、ジェーンと同じようにその首元へと注射針を刺した。
「もういっちょあがりぃっと」
そう漏らした彼の細い手首を、コッカの手がガシッと掴んだ。
「・・・何を・・・した?」
「オイオイオイ、まだ喋れんのかよ。ホントにバケモンだな」
「お前・・・騎士か?」
「ノンノン、俺はしがない小姓さ。アンタもおねんねしちゃいなって」
一瞬冷や汗をかいたドミンケスだったが、直ぐにコッカの手が自身から離れ、また意識を失ったことに、安心のため息を漏らした。
「人使いが荒いっての、メインデルトのオッサンは」
◇ ◇ ◇
六年前
何歩歩いたのだろうか?
喉の渇き、空腹、そしてズキズキと痛む胸。
それらを耐えて、一歩、また一歩と重い足を進ませる。
盲いた目でも、特に目立つ一色程度ならば見ることが出来る。
今は黒。夜を知らせる真っ黒な闇。
先ほどまでは橙。さらにその前は赤。
いったいどこまで来たのだろうか?
雪の上で目覚めたジェーンに聞こえたのは、妹の悲鳴と何かがぱちぱちと爆ぜる音。そして赤。
家を駆けまわったが、母も父も見つからない。
「助けて!」
どこかで妹が叫んだ。
今できるのは、声のした方向へ、ひたすら歩を進めること。
清涼感のある、スーッとした匂い。
どうやらどこかの家にいるようだ。
いつの間に運び込まれたのだろう。歩いていたところまでしか覚えていない。
身を起こそうとして、胸に一際鋭い痛みを感じた。
「おおっと。まだ体は起こしちゃいかん。横になっていなさい」
悶えたジェーンの背を、ゴツゴツとした武骨な手が撫でる。
この声には聞き覚えがあった。
「リチャード・・・叔父さん・・・?」
「ああ、そうだよ。全くこんな小さな娘にも傷を負わせるなんて、野盗どもめ・・・!!」
怒りも見せたが、「兎にも角にも、無事で何より」とリチャードはジェーンの頭をそっと撫で、「何か作ろう」と言うと台所へ向かって行った。
話さなければならないことがたくさんある。
伝えなければならないことがたくさんある。
しかしジェーンの意識は再び闇へと落ちて行った。
「なんだと!?」
リチャードの大声でジェーンは目を覚ました。
手を伸ばしてみたが、リチャードには触れられない。声から察するに、家の玄関で誰かと話しているようだ。
「でもなんだって、そんな・・・!弟には、ユージンには護衛がついていたんだろう!?」
「・・・」
「そんな・・・。てっきりあの娘は私の家に来る途中で、野盗に襲われたんだと・・・」
「・・・」
「アビゲイルが!?・・・クソッ!」
リチャードが呻きながら壁をドンッと叩いた。
「・・・」
「・・・そうだな。あの娘は私が預かろう」
「・・・」
「ああ、すまん。苦労をかけるな」
その後もしばらく話し込んでいたリチャードは、最後に一言二言相手と挨拶を交わしてドアを閉めた。
と言っても玄関から動く様子はなく、少しの間何の音もしなかった。
だがズドンッという床に座り込む音とともに、ウッウッと嗚咽する声が玄関から漏れ出てきた。
どのくらい経っただろうか。リチャードはズシズシと義足で床を踏みしめてジェーンの元へ近寄っていくと、その巨躯を折り曲げて彼女をギュッと抱きしめた。
「辛かったな。痛かったな。よく頑張ったな。・・・もう大丈夫だ」
リチャードの歳に似合わぬ筋肉質の体には、父と違って、戦いで刻まれた多くの傷跡がついていた。ジェーンには、それがどこか安心できた。
リチャードの住む、山小屋で保護されて数週間したある日。
あの日以来、ジェーンを少しでも元気づけようと明るく振る舞っていたリチャードが、いつになく真剣な顔で言った。
「ジェーン、剣と騎士術を使えるようにならんか?」
「騎士術を?」
「ああ。ジェーンが生きていると知ったら、いつまたノヴゴロドの騎士が襲ってくるかわからん。勿論その時は私が戦うが、それでも片足も無く、不自由なこの体では限界がある。だから、ジェーンにも手伝って欲しいんだ。幸い、昔から君たち姉妹には騎士術の才能があるからな」
小さい頃から、ジェーンは血を氷に、アビゲイルは血を風にすることが出来た。元来病弱だったジェーンに比べ、アビゲイルは特に騎士術に長けていたが、父も母も二人を騎士にするつもりはなく、自然と騎士術の使えなくなる10歳まで特に何もしなかった。
「でも、私もう氷は・・・」
「大丈夫。まだギリギリ使えるだろうし、慣れて行けば問題はない」
「それに目が見えないから剣だってわかんないよ」
「それも教えられる。私はな、こう見えてもそこそこの騎士だったんだ。だから条件はそろってる。あとはジェーンの気持ち次第だ」
もっとずっと小さい時に、父から一度、「騎士になりたいか?」と聞かれたことがあった。騎士になるには家族の元を離れる必要があり、また痛いのも人を苦しめるのも、ジェーンはいやだった。
でも今は違った。家族を失った。妹を攫われた。
力が欲しい。
すべてを取り戻せるような。
深く頷いたジェーンに、リチャードは少し嬉しそうだった。
「少し厳しくなるぞ」
「ハイっ!」
それからの日々は、今までと打って変わったものだった。
リチャードはジェーンにあらゆるものを叩き込んだ。
まずは基礎的な体力の構築。
山という過酷な環境を利用したトレーニングは、ジェーンにとって経験したことのないものだった。
息が切れても、唾液に血が混じっても、肺が痛くなっても、獣道を走り、屈んで斜面を滑り降り、跳ねて倒れた丸太を躱し、雪解けで凍てつく川を泳いで渡る。
次に剣の型の習得。
その最も基本的な形を始めに教えられたジェーンだが、普段目が見えない代わりに棒を握っているからか、意外にも剣は得意だった。これにはリチャードも驚いたようで、自身の編み出した技も諸所で教えてくれた。
だがそれでも、長い棒を振り続けるのは腕が棒になるようだった。初めて剣を握った時は、その重さにも戸惑った。
そして騎士術の鍛錬。
これが一番過酷だった。
初めに小さなコップを渡され、手を少し切ると、滲み出た血をそれに入れた。
「少し口に含むんだ。飲み込んじゃいかん」
こくんと頷いて自身の赤黒い血を、恐る恐る口に流し込む。
ややねっとりとした感触と、強い鉄分の匂いが鼻を抜け、思わず顔を顰める。
「口の中に集中するんだ。匂いでも味でも何でもいい。何か感じるまで血を転がし続けなさい」
頷いたものの、どう集中すればいいのか、全く分からない。
暫くしてリチャードは一旦吐き出すように言うと、再度コップに残っている血を同じように口に含ませた。
何か感じるとリチャードは言うが、切り株に腰かけて早一時間、催していた吐き気すら消えかけてきた。
その日の鍛錬は終わりとなったが、ジェーンにはこれで一度失った騎士術が復活するのか不安だった。
「復活するんじゃない。基本、失った騎士術というものは戻らない。だが、まだジェーンのように、使えなくなったのがごく最近ならば、まだ呼び起せるんだ」
そう言ってジェーンの頭を撫でるリチャードは、自信ありげだった。
しかし、始めてから一週間経っても、ジェーンは血から何も感じなかった。
山を走っているときは怒号を上げ、義足なのが信じられないほどの速さでジェーンを追いかけまわすリチャードだったが、騎士術の鍛錬の時は不安に苛まれるジェーンを励ました。
だがそれでも、ジェーンは何も感じなかった。
そんなある日、流れる川が凍るほどの気温が低い日があった。
山を走り終え、焚火に手を添えていると、枝か石で切ったのだろうか、二の腕から血が出ているのに気づいた。
ドクドクとあふれ出て、積もった雪を赤く染めているそれを、震える唇で舐め取る。
その時、山小屋にできた大きな氷柱がジェーンの真横に落ちた。雪の層を貫通して、岩にでもあたったのか、派手に砕け散るそれから、何故かジェーンはそれから目が離せなかった。
ふと味も匂いもしないことに気が付いた。風邪でもひいたのだろうかと思ったが、体は全く熱くない。
咳払いをしようとして、舌が動かないことに気づいた。
同時に口角がパキンッと音を立てる。
―口が閉じない!!
―口の中が冷たい!?
声にならない声を上げるジェーンに、薪を割っていたリチャードも異変に駆け寄ってきた。
「どうした!?・・・血を飲んだのか!?」
雪に血が垂れていることに気づいたリチャードに、目を白黒させたジェーンが首を縦に振る。
「・・・っチ。すまんが少し耐えてくれ、ジェーン!」
ジェーンの口の中を覗き込んだリチャードは、舌打ちするとそう言って、その皺の寄った太い指を彼女の口の中に挿した。
藻掻くジェーンの口蓋垂をグッと掴んだリチャードは、反射で吐く寸前に手を引き抜いた。
「全部吐くんだ!」
口に挿したのとは別の手で、屈むジェーンの背をさするリチャード。もう片方の手は“凍り始めていた”。
吐瀉物と一緒に吐き出された血は、異常に赤く、まるでジェーンの髪のようだった。
雪の上で血が一瞬で凍り始め、さらにどんどんとその範囲を広げていく。
「『羅水』」
氷の解けた手を少し噛んで血を出したリチャードが雪に指をさすと、辺りの雪もジェーンの血から広がる氷も、一瞬にして水へと姿を変えた。
ひざ下まで凍てつく冷たさの水が押し寄せる中、リチャードはジェーンが濡れないように彼女を抱え上げた。
「・・・い、今の私の血・・・」
「ああ。ジェーンの騎士術だ。よく頑張ったな」
リチャードはジェーンの頭をまた分厚い手のひらで撫でた。
ジェーンは鼻水を啜りながら、自身の騎士術が発動したことを喜び、そして何よりもリチャードが事もなげに氷を水に変えたことに驚いた。