4-6 坂道は登るより転がりたい
旗騎士たちは引金を引き絞らねばならない衝動にかられた。
彼らは栄光ある騎士団の中でも最強の騎士だ。その強さはアルプス山脈に穴をあけ、地中海を割るとすら噂される。
そんな彼らが、「死ぬぞ?」というたった三文字の言葉に骨の髄から恐怖がにじみ出て、ピストルを持つ手を震わせている。今ここで撃たなければ、次に死ぬのは自分だ。
一斉にピストルが放たれ、耳をつんざく乾いた発砲音が遠く広がる山々に木霊す。
メインデルトとエイト=ブラハムは思わず目を覆った。子供の目にもわかる。180度囲まれて銃弾をほぼ全身に浴びたのだ。マックスが生きているはずがない。
だが静寂に包まれた中で、やがて耐えられなくなって薄っすら指の間から目を向けると、マックスはピンピンしているようであった。そして代わりに、周りを囲んでいた旗騎士たちが地面に倒れ伏していた。
唯一、ピストルを撃たなかったペンドラゴンを除いて。
「・・・そんな・・・」
「うそ・・・だろ・・・」
好々爺然としていて、心の底から慕っていたマックス。メインデルトとエイト=ブラハムは初めて彼のことを恐ろしいと思った。
「ククク、楽しいのう、楽しいのう。戯れるというのは、こうも心を躍らせるものか」
そこにいるのはマックスであっても、マックスでは無かった。戦というものに心の奥底まで蝕まれ、その狂気に憑りつかれた死神だった。
一対一ではもはや無用となったピストルを捨て、ペンドラゴンはその長い剣を鞘から引き抜いて、メラニーに叫んだ。
「・・・逃げろ。その二人を連れて」
「せ、先生・・・?」
「早く!君も、その二人も、今ここで死ぬべき人間じゃない」
ペンドラゴンの言葉に、メラニーはなおも食い下がろうとしたが、やがて唇をグッと噛んで、メインデルトとエイト=ブラハムの手を掴んだ。
「逃げるよ」
「で、でも!マックスは・・・!」
「待てよ!状況が読み込めねぇぞ、と!」
困惑した表情で口々に叫ぶ二人だったが、メラニーは問答無用で引きずるようにして走り出した。
「彼は、あなた達がマックスと呼んでいるのは、ノヴゴロド帝国の元将軍――マクシミリアン・シュクロアフスキー!明確なる、我々エトルリア帝国の敵よ!」
「敵!?」
「だけどよ、あのオッサンはそんな・・・」
エイト=ブラハムの言葉は、最後まで紡がれることはなかった。何か砲弾が着弾したかのような衝撃が三人を吹き飛ばしたからだ。
「――――――ッ!!」
叩きつけられるように地面を転がり、何とか上半身を起こした。耳鳴りがキーンと頭を締め付け、体中に擦り傷やら切り傷を負っている。その痛みに耐えながら周りに目をやると、メインデルトやメラニーが同じように倒れたまま、呻いているのが見えた。
「お、オイ!大丈夫か!?」
二人の体を揺すると、ほとんど同時に目を開ける。自分と同じように傷を負っているが、重傷ではなさそうだ。
ホッと胸を撫で下ろしたのもつかの間、メインデルトが震える指でエイト=ブラハムの背後を指さした。
「エ、エイブ・・・家が―――――!!」
「なっ――――ッ!」
住んでいたはずの家が、跡形もなく消え去っていた。家だけではない。近くにあった倉庫も納屋も、オークの大木も、遊んでいたブランコも、全てが消え、ただ草一本生えていない荒野が果てしなく広がっている。
――父さん、母さん・・・!?
家にいたはずの家族は一体どこに?
呆然とした様子で立ち尽くすエイト=ブラハムとメインデルトに、頭を抱えたままメラニーが走り寄ってきた。
「これがあの男の力!これがあの男の本性!復讐なんか考えちゃダメ!絶望してもダメ!いまはただ・・・逃げるのッ!!」
反射的に二人はメラニーと共に走り出した。
彼女の言う通り何も考えず。
ただひたすら、懸命に―――――。
∴ ∵
「やるのう、中々!」
家を、納屋を、木々を、全て吹き飛ばして、更地となった大地。その地獄のような状況で、朗らかに笑うシュクロアフスキーを、相対していたペンドラゴンはキッと睨みつけた。仁王立ちしてはいるものの、左頬の皮が剥がれ落ち、口の筋肉が剥き出しになっているなど相応の重傷を負っている。
「・・・煽っているおつもりですか?」
「いやいや本心じゃよ。ヴァイオレットに随分と仕込まれたようじゃのう。今のを耐えるなんて、さっすがは団長サマじゃ」
素直に驚いたといった様子で、パチパチと手を叩くシュクロアフスキー。彼の傍らには、いつ手にしたのか地下に安置されていたあの剣が、地面に突き刺さっていた。
「じゃが、それもここまで。分かるのう、お前は死ぬ。ユシェル・ペンドラゴン」
「・・・えぇ。どうやら、あなたには騎士団の全力を持っても敵わぬようだ・・・」
剣に手をかけるシュクロアフスキーに、ペンドラゴンは抵抗できる力はもう残っていなかった。
騎士団の全力。副団長と三人の旗騎士をノヴゴロドとの前線に残し、団長であるペンドラゴン自ら残る七人の旗騎士を指揮してこの地へ来た。全ては、ノヴゴロド帝国の元将軍にして生ける伝説、シュクロアフスキーを捕縛ないし殺害するため。
だが、その考えはものの数分で崩れ去った。旗騎士たちは文字通り瞬殺され、シュクロアフスキーと肩を並べる騎士――ヴァイオレット・ブーリエンヌに鍛えられたペンドラゴンも、彼の攻撃に耐えただけで体が限界を迎えた。
持てる限りの力を出した。油断もしていなかった。万全の状態だったのに、その格の差が計算から抜け落ちていた。初めから、天と地ほどの差があったのだ。いくら羽虫が懸命のその羽を羽搏かせようとも、聳え立つ山脈の頂にはたどり着かぬように、ペンドラゴンたち歴戦の猛者が束になってかかろうとも、神のごとき力を持つシュクロアフスキーには赤子の手をひねるようにあしらわれる。
それでも、ただ無力に死を迎え入れるなど、ペンドラゴンはできなかった。例え羽虫であろうとも、一ミリでも高く、その頂へ――――――
筋が裂け、骨の露わになった腕で剣を構える彼に、シュクロアフスキーはフゥと息を吐いて、自身も剣を手に取った。
――今にも死に絶えそうな浅い息で、よくも剣を取る
――時代が違えば、お前は儂を討つことも出来たろうに・・・
ダダダとペンドラゴンが走り寄ってくる音に、カッと目を見開いて剣を振るう。
ブゥンと重い音を立てて剣が宙を舞い、鮮血がシュクロアフスキーの体を濡らす。背後では腰で体を真っ二つに叩き斬られたペンドラゴンが、口から血を噴き出しながら、その場に崩れ落ちた。
「すまんな、若いの」
∴ ∵
馬に飛び乗り、街を駆ける。
小さな集落だが、中心の通りには商店が並び立ち、人も多い。
その人々を突き飛ばすように走り抜ける一頭の馬に、彼らは罵声を浴びせかけた。
「どこ見てんだァ!」
「気をつけろよッ!」
口々に叫ぶ彼らを尻目に、手綱を握ったメラニーは真剣そのものだった。
「ね、ねぇ!街の人たちを逃がさないとっ!」
「そ、そうだ!世話になった人たちも多いんだ!」
「ダメっ!今は逃げることだけ考えて!」
あの現実とは思えない場から遠ざかったせいか、少しだけ余裕――というよりもむしろ理解できないので逆に落ち着いたメインデルトとエイト=ブラハムが言うと、メラニーはブンブンと首を横に振った。
「アイツは・・・きっとこの程度じゃ・・・!」
彼女がギリッと歯を噛み締めた時、突然衝撃波が背後から襲い掛かってきた。慌てて馬を大きな木の影に隠し、三人は何とか難を逃れたが、空から山が降ってきたのではないかというほどの揺れと衝撃に、家が、人が、牛が、全てが吹き飛んで行く。
木の根元で小さくなって互いにかばい合っていると、暫くしてようやくその風も衝撃波も収まり、エイト=ブラハムは顔を覗かせた。
「・・・――――――あっ・・・」
それ以外に言葉がうまく出てこなかった。目の前には、そこにあったはずの村は存在せず、ただお椀を逆さにしたような大きなクレーターだけが広がっている。
恐る恐る出てきたメインデルトも隣で言葉を失っているようだった。
――これを・・・マックスが・・・?
ただ呆然とする二人だったが、後ろで聞こえたミシミシという木の撓る音と、直後響いた何かが倒壊する音に、慌てて振り向いた。
「――――――っ!」
隠れていた大木が倒れ、馬はギリギリでそれを躱したようだったが、メラニーが下敷きになっていた。
慌てて彼女の下に駆け寄って何とか木を退けようとするが、鍛えたとはいえたかだか少年二人の力ではびくともしない。それに衝撃で内臓が押しつぶされたのか、メラニーはゴブッと血の塊を吐き出し始めた。赤なんてものではない。もうほとんど黒に近いゼリーのような血がジワジワと地面に広がる様に、エイト=ブラハムでも彼女がもう助からないことはすぐにわかった。
それでも何とかしようと必死に木に手をかけるが、やがてその皮で手の平の皮が裂け、いつの間にか自分も血をボタボタと垂らしていた。
「・・・私は・・・いいからっ!・・・はやく・・・逃げ・・・て」
「でも!」
言葉を振り絞るメラニーに、エイト=ブラハムは悲痛の面持ちで叫んだが、その手をメインデルトが掴んでかぶりを振った。
「彼女の言う通りだ。・・・今は、ここから逃げよう、エイブ」
「メイン・・・クソッ!」
やり場のないこの感情に身を任せ、木に拳を叩きつけたエイト=ブラハムの横で、メインデルトはメラニーの側にしゃがんだ。
「ありがとう。あなたが助けてくれなかったら、僕たちは今頃死んでた。・・・せめて名前を・・・」
「・・・メラニー・・・メラニー・クザン・ラフェンテ・・・。生きて義弟に・・・伝えて・・・「愛している」って・・・」
メラニーの手を握ってメインデルトが頷いた時、ザリッと土を踏む音が聞こえてきた。
「おー、まだここにおったか。ランスにアポロ」
「――――マックス・・・!」
ギリッと歯を噛み締めるメインデルトに、エイト=ブラハムはそっと馬を指さした。
「乗れ、メイン」
「・・・エイブ?」
「ハッ、死ぬわけじゃない。ただ、一撃防ぐ。そしたら俺を引っ掴んで、馬を走らせろ」
ニッと笑うと、メインデルトは彼の顔に「ああ」と力強く頷き返し、馬の背に飛び乗った。
「なんじゃあ?ランスを庇ってアポロが先に死ぬか?」
「ヘヘ、生憎とそんなイケメンな真似、出来ねぇよ、と」
鼻を擦りながらエイト=ブラハムはシュクロアフスキーと向き合って、「それに」と続けた。
「アンタにはこう教わったぜ。「泥臭くてもあきらめるな。地べた這いずり回ってでも生き残れ」ってなァ、先生」
「おー、お前にしちゃ覚えておるではないか。じゃがどうする?」
「お前にこれが防げるか?」。剣を大きく振りかぶって不敵な笑みを湛えるシュクロアフスキーに、エイト=ブラハムはブンと血を投げた。
「覚えてないのか?アンタは俺を守護神って名付けたんだぜ」
放たれた力の奔流が、濁流のように二人に押し寄せてくる。もう今にも呑み込まんとするそれに、メインデルトが金切声を上げた時、突然壁に当たったようにその力全てがそこで受け止められた。
「・・・――――――これは・・・!」
「できるだけ楽をしよう。それが俺のモットーだぜ、と」
今までシュクロアフスキーの鍛錬で見せたエイト=ブラハムの盾は、彼が殴れば割れるようなものだった。それでもシュクロアフスキーという伝説で無いと破れない時点で、彼の盾の硬さを表していたのだが、しかしそれが限界だと誰もが思っていた。
当のエイト=ブラハムを除いて。
戦いにおいては楽をしたいから騎士術を全面に押し出す。体力づくりも楽をしたいから駄々をこねる。
そして、騎士術の鍛錬も楽をしたいから全力を出さない。全力の自身の盾が、何者にも破れないことを知っていた。
まるで両帝国の間にそびえる長城のような盾の向こうにフッと笑って、エイト=ブラハムはメインデルトの待つ馬に飛び乗った。
「あばよ、先生」
□ □ □ □
現在 ビュザス湾
四方に張った盾を光線で幾重にも囲まれた状況で、海底に沈んだエイト=ブラハムは、やがて盾の内部が完全に海水で満ちていく中、きらきらと輝く海面を見上げた。口からポコポコと空気を漏らしながら、状況に見合わぬ笑顔を浮かべる。
――さて、もう楽はできねぇなあ・・・と
海水にどんどんと血が溶け出すのに目を落としてから、エイト=ブラハムはそっと傷口に手を置いた。
∴ ∵
――手ごわい相手だった
帝国海軍大将――ヴィルヘルミーナ・クイヴァライネンは、停泊した船のマストから海へ沈んだエイト=ブラハムを見下ろして、ホッと胸を撫で下ろした。途端に体が怠く、マストからずり落ちそうになってしまった。
ギリギリのところで耐えたが、自分のあまりにも満身創痍な体に思わず笑ってしまう。盾などと言うから防ぐ一方かと思っていれば、小さな盾による銃弾の雨あられである。脇腹に空いた穴からは、対岸の景色が見えた。
――・・・くっ・・・
――・・・ここまで・・・か
本当なら皇城まで進軍したいところだったが、ここでどうやら後送のようだ。何とか本船までは戻らねば・・・と、光線を出そうとしたところで、何か地響きのようなモノが聞こえてきた。
音だけではない。実際に揺れが身を襲い、ヴィルヘルミーナは慌ててマストにしがみついた。
「――――――なっ!」
視線の先で、描いてから何かがせり上がってくるのが見えた。ヴィルヘルミーナの光線を引きちぎりながら、海面へ海面へと浮かんで来る。
――バカな!?
――死んだはずじゃ・・・!
倒したはずの相手が、エイト=ブラハムが四方を囲った盾ごと海面を突き破って目の前まで上昇してきた。
――一体どうやって!?
――周りは光線で囲い、反発を許さないようにしたはずだぞ!?
――常識的に考えて不可能だ!
目を白黒させるヴィルヘルミーナに、盾を解いたエイト=ブラハムは彼にしては珍しく真剣な顔で、人差し指を向けた。
「常識ってのは、人によって違う。だろ?」
彼の指からスッと突き出た筒状の盾。それはヴィルヘルミーナの胸を、心臓を貫いていた。
ゴブッと血を吐き出して、それでも光線を出して抵抗しようとするが、その振られた腕は弱々しく、光線も現れることはなかった。
「・・・へ・・・陛下・・・」
∴ ∵
ゆっくりと海へ落ちて行くヴィルヘルミーナを見下ろしてから、エイト=ブラハムも船の甲板へと落下した。幸い帆の残骸がクッションの代わりとなって衝撃を吸収したが、血を使い過ぎたことや彼女の攻撃を受けたこともあり、息をするだけで精一杯だ。
「あーくそ・・・血が足りねぇな・・・」
四方を囲った盾よりも大きな盾を海底に敷いて、反発で浮き上がるという荒業をした代償だ。目を開けていることすら億劫になってくる中、へへと心の中で鼻を擦った。
「守護神は働いたんだから、後は何とかしてくれよ、と・・・」
――艦隊さんよ・・・
目の端で、ハリチ湾の鎖を切断した教会軍の艦隊が、ゆっくりと湾内に入ってくるのが見えた。山越えをして突入してきた帝国海軍も、皇室砲兵と教会軍の艦隊を同時には相手にできないだろう。
戦列艦の作る波で船が揺れる中、エイト=ブラハムは静かに瞳を閉じた。




