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ユートピア  作者: 吉田 要
第三部 帝国会戦:決戦篇
64/70

4-3 Farewell of Slavianka

第二門 脱出路付近

 砲弾の作りだしたクレーター。その影で細い氷の管で血管や神経を繋ぎ合わせ、断ち切られた四肢の動きを何とか取り戻したジェーン・ファミリアエ。

 近くに落下したシュクロアフスキーの下へ行こうと、取り戻したとはいえまだ這うことしかできない体をよじるようにして進むジェーンは傍に誰か倒れていることに気づいた。

「ヴィーラン?ヴィーランなのか?」

「・・・ジェーン、良かった・・・目を覚ましたのか・・・」

 潰れた左目と左肘の穴に包帯を押し当てたヴィーラン・アウェアーズが、弱々しい声でジェーンに答えた。

 ジェーンの目には映らないが、彼が重体だというのはよくわかった。

「君を後送出来たらよかったんだけど・・・この傷じゃそれもできなくて・・・すまない」

「いいんだ、ありがとうヴィーラン。私も・・クッ・・・!」

 傷は開いたままで、風が撫でるたびに痛む。ヴィーランの横でジェーンも動けなくなってしまった。

 ――撃退されたシュクロアフスキーを問い詰める・・・か・・・

 ――自分も彼と同じくらい重傷を負っているのに、何とも血迷っているな・・・

 自嘲気味にフフッと笑みを零す。

 利き腕が使えなくなった状況でも弾丸が尽きるまで戦っていたのだろう。ヴィーランの側には火薬の紙袋や装填棒などが散乱していた。

 雨のように泥と血が降り注ぎ、転がった死体には早くも鴉が集っている。青々と草木が茂っていた大地は一瞬にして月面のごとき荒野と化し、地獄のような風景を作りだしていた。

 ――・・・ここで死ぬのか

 ――家族を殺された真相を暴くこともできず、この冷たい大地に沈むのか

 ――それも・・・悪くないのかもしれないな・・・

 ――散っていったカーラや仲間と共にここで

 ――・・・フェリクスやスヴェン、ウィチタはどうしているだろう

 ――アンナは・・・私よりもずっと強いから生きているはずだ

 そんなことを思いながら、青く澄み渡った空に目をやっていると、両方を強くゆすぶられた。

「ジェーン!」

「―――――ッ!アンナ・・・?」

 ジェーンの声に、旗騎士アンナ・アーベンロートはその紫色の瞳に安堵の色を浮かべた。

「良かった、生きていて・・・本当に・・・」

「アンナ・・・どうしてここに?」

 ぎゅっと抱きしめながら、アンナは「ジェーンを探しに来た」と答えた。隣でいつの間にか目を閉じていたヴィーランの首に手を当てて、脈があることを確かめる。

「撤退の命令が出たわ。すぐに下がらないと・・・アウェアーズ騎士、目を覚まして!」

 ヴィーランを突くアンナに、ジェーンはかぶりを振った。

「撤退の前に、すぐ先にシュクロアフスキーが倒れているんだ!アイツを・・・何とかしないと・・・!」

「シュクロアフスキーが!?」

 アンナは迷ったようにジェーンを見つめたが、彼女の目を見て唇を噛んで頷いた。

「必ず戻る!だから待っていて!」

「ああ。私もすぐに行く!」

 アンナはもう一度ジェーンをひしと抱きしめると、クレーターから駆け上がって行った。



  ◇  ◇  ◇



「閣下ァ!」

 馬から飛び降りた騎士大将クラウディア・バッハシュタインが横たわったシュクロアフスキーに駆け寄る。彼を抱えていた帝国軍の兵士たちは、止血しようと真っ赤になった包帯を傷口に押し当てていた。

 クラウディアや彼女付の騎士少将エカチェリーナ・“カチューシャ”・スタロヴォイトヴァについて来ていた医官が、大きなカバンを抱えてシュクロアフスキーの容体を確かめる。

「・・・一時的に意識を失っておられますが、心拍は安定。ここで縫合します。スタロヴォイトヴァ少将、お手を御貸し下さい」

「勿論」

 医官出身のカチューシャは二つ返事で頷くと、他の兵士たちと共に彼の体を清潔な布の上へと移動させた。

 その様子をクラウディアが固唾を飲んで見守っていると、伝令が駆けつけてきた。

「伝令!ラインハルト上級大将閣下よりバッハシュタイン大将閣下宛です」

「読んでください」

「ハッ!・・・本軍はこれよりビュザス城門に向けて再攻勢を行う。貴官はC軍集団を指揮して直ちに第二門へ進軍されたし。以上であります!」

()()()!?この状況で!?」

 真偽を確かめるように伝令から通達をひったくって目を通すが、言われたことと寸分たがわず書かれていた。

 ――シュクロアフスキー閣下が破れ、士気が下がっているというのに前進だと?

 ――ラインハルト閣下は何を考えているんだ!?

 いてもたってもいられず、シルキーの丘に向かおうか悩んでいると、クラウディア付の一人の将校が「敵軍退却!」と叫んだ。

 慌ててそちらに目を向けると、周囲に散在していた赤白の軍服に身を包んだ教会軍が一目散に撤退していく。

 何か策があるのか、それとも単純に防衛線を後方に下げて強化するためかは分からない。だが、どちらにせよこれは好機であった。

 ――よし、今なら!

 「安全に退却できる」とそう思った時だった。

 周りの兵士たちに目をやってハッと気づいた。

 泥や血に汚れ、傷を負い、目から戦意は掻き消えていた。

 もっと簡単に済むはずだった。

 もっと早く終わるはずだった。

 もっと死傷者は少ないはずだった。

 彼らが今切に願っているのは、勝利ではなく、生きて帰ることだけ。

 この状況で撤退命令でも出せば、瞬時に統率を失い、彼らは戦うことを放棄してしまうだろう。

 だからここでラインハルトは攻撃命令を出したのだろうと、クラウディアは思い知った。

 ここで引いて瓦解するなら、誰かシュクロアフスキーの代わりとなるような人物が軍を率いて、と――――――


 「・・・別れの時を迎え (Наступает минута прощания)」

 「私の瞳を心配げに覗き込む貴方 (Ты глядишь мне тревожно в глаза)」

 「その愛しい吐息をこの胸に抱いた時 (И ловлю я родное дыхание)」

 「遠くで雷鳴が轟いた・・・ (А вдали уже дышит гроза)」


 クラウディアが歌い始めた時、世界が一瞬止まったかのようだった。

 決して怒鳴っているわけでは無い。

 この戦場に似合わぬ、劇場で奏でられるような、細く、透き通るような歌声。

 川のせせらぎのような、鳥のさえずりのようなその声は、不思議と砲音にも叫び声にも、悲鳴にも負けず、帝国軍全体に響いていた。

 誰もが知っている、少女と戦地へ征く兵士の別れの歌。

 そんな少女のようなクラウディアの声に、兵士たちはその手を、脚を、動きを止めた。


 「青い霧がわずかに震えて (Дрогнул воздух туманный и синий)」

 「不安が私の脳裏によぎる (И тревога коснулась висков)」

 「皇帝陛下は祖国の英雄を求め (И зовёт нас на подвиг царь)」

 「連隊の行進と共に風が征く (Веет ветром от шага полков)」


 いつしか出征の時に思いを馳せ、兵士たちは懐かしい人々を思い出した。

 妻、恋人、親、子供、兄弟、家族・・・

 遠い祖国で自分たちを見送った、あの人々。

 ある兵士は、恋人から受け取ったネックレスを傷だらけの手で握りしめ、ある兵士は老いた父の「帰って来いよ」という言葉を思い出した。

 記憶の彼方に思いを馳せて、いつの間に彼らも歌を口ずさんでいた。


 「祖国よ、さらば (Прощай, отчий край)」

 「どうか私たちを忘れないで (Ты нас вспоминай)」

 「さようなら、愛しき人よ (Прощай, милый взгляд)」

 「もう会えぬかもしれないから (Не все из нас придут назад)」


 ポツリポツリと呟くような声で歌い始めた兵士たち。

 今にも切れてしまいそうな糸のような声に、クラウディアは息を呑んだ。

 彼らを、この糸を、このまま断ち切らせてはいけないと。


 「祖国よ、さらば (Прощай, отчий край)」

 「どうか私たちを忘れないで (Ты нас вспоминай)」

 「さようなら、愛しき人よ (Прощай, милый взгляд)」

 「もう会えぬかもしれないから (Не все из нас придут назад)」


 徐々に熱を帯び始めるクラウディアの歌声に応えるように、兵士の声も大きくなっていった。

 その声に合わせるかのように部隊に付随する軍楽兵も、笛を、ラッパを、ドラムを奏でた。


 「聖人は帝国の勝利を祈っている (Ждут победы Империя святые)」

 「応えよう、正教徒の軍よ (Отзовись, православная рать)」

 「イリヤとドブリンヤは供にいる (Где Илья твой и где твой Добрыня?)」

 「母なる祖国が我らを呼ぶ (Сыновей кличет Родина-мать)」


 やがて大きな波に姿を変えた歌は半島中に轟き、怖気づいていた兵士だけにとどまらず、伏していた兵士たちも武器を手に立ち上がった。

 シュクロアフスキーが破れたことに動揺し、今にも崩れ落ちそうだった軍の姿は既になく、強靭で精鋭無比な帝国軍の雄が戻っていた。


 「軍旗を掲げて立ち上がり (Под хоругви мы встанем все смело)」

 「祈りと共に隊列を組もう (Крестным ходом с молитвой пойдём)」

 「帝国の正義の下に (За имперское правое дело)」

 「臣民の血を捧げる (Кровь мы Предметов честно прольём)」


「・・・奇跡の歌姫か・・・よもやよもや、だな」

 響く歌声にラインハルトが呟くと、レフも静かに頷いた。

 軍楽隊の歌姫として軍上層部の寵愛を受けて大将まで上り詰めたクラウディア。騎士術が使えるとはいえ、前線に出たわけでもない彼女は、今回が初の実戦だった。

 ただの小娘に権力を与えるなと批判も多かったが、そんなことを考えていた者も今の状況を見れば彼女のことを持ち上げるだろう。

「果たして、シュクロアフスキーの後継者が、軍の英雄が生まれたというわけだな」

「それを生み出したのは、ほかならぬ閣下の采配でございましょう」

「やめてくださいよ、マトヴィエンコさん。私はただの愚将です」

 恭しく頭を下げるレフに言いながらも、ラインハルトはニヤリと笑っていた。


 ビリビリと空気を震わせる声は、皇城の大広間まで伝わっていた。

 エルトリアの好機であったはずが、歌一つでそれが覆ったのだ。

 気球から各方面で帝国軍の猛攻が始まり、撤退中の教会軍が撃破されているという情報が次々に伝えられた。

「・・・クラウディア・バッハシュタインか。噂には聞いていたが、歌姫ごときが随分な大立ち回りをしてくれるではないか」

「アレクサンダー・ミローヴィチ、フリードリヒ・ラインハルト、屋敷忠継と帝国軍の実力者には警戒をしておりましたが、あの娘がこれほどまでの人物とは想定できず・・・全く不徳の致すところであります」

 ざわざわと騒めく面々を見ながら呟くフィオレンツォ七世にバッペンボルドー元帥も歯ぎしりした。

 そんな二人に情報部長が耳打ちした。

「現在撤退率40%。また、準備の方も50%との報告です」

「完了までは?」

「ハッ、準備完了まで残り30分程であります。戦況を鑑みましてそれ以降の撤退中の兵士の損害はやむ負えないかと」

 暗に「救えない」と言う情報部長にフィオレンツォ七世は少し苦い顔をしたが、それとも「よかろう」と首肯した。

「準備を急がせ、完了次第直ちに発動しろ」

「ハッ!」

 下がっていく情報部長を見送りながら、バッペンボルドーはその皺の寄った顔に焦りを浮かべ、深くため息をついた。

「・・・しかし、これほどまでとは・・・」


 「もしも祖国が戦争に (И если в поход)」

 「我々を求めるというのであれば (Страна позовёт)」

 「母なる大地を守るため (За край наш родной)」

 「聖戦へとこの身を差し出そう (Мы все пойдём в священный бой)」


 ザッザッと軍靴が大地を踏みしめ、隊列を組んだ兵士たちが一糸乱れず前々へと前進する。

その前ではその声と音に、倒れていたはずの帝国軍の兵士たちですら血に塗れた体を起こしていた。

 彼らの真っ赤な姿はまるで地面を照らしつける太陽の光のようであり、撤退中の教会軍は蜘蛛の子を散らすように戦闘を放棄して後退を続けた。


 「もしも祖国が戦争に (И если в поход)」

 「我々を求めるというのであれば (Страна позовёт)」

 「母なる大地を守るため (За край наш родной)」

 「聖戦へとこの身を差し出そう (Мы все пойдём в священный бой)」

 「さぁ、征こう! (в священный бой!)」



  ◇  ◇  ◇



地中海

 ビュザス半島は東をハリチ湾、西と南を地中海に覆われている。

 ハリチ湾の向こうには対岸が見えるが、小高い山々が連なっており帝都へ直接攻撃することはできない。またハリチ湾と地中海が交わる唯一の海峡には太い鉄の鎖が渡されており、海からの侵入も不可能である。

 エルトリアの海外進出を可能にした強大な海軍部隊は、フェザーン艦隊大将を指揮官に据え、東へと退いて行くノヴゴロドの海軍部隊を猛追していた。

 フリゲートや小さな帆船の自爆攻撃によって戦列艦4隻を失った艦隊は、死に物狂いで向かって来るノヴゴロドの自爆船を撃退しながら失ったものに見合う戦果を挙げようと必死だった。

 長年にわたって艦隊を支えた戦列艦ヴィットリアも爆風によるその損傷を応急処置し、フェザーン大将の指揮の下、追尾に加わった。

「この戦いしか考えていないのか、奴等は!終結後は船などいらぬと言わんばかりだ!」

「我々を降伏させれば、失ったもの以上の船が手に入ると考えているのでしょう」

 参謀の声にフェザーン大将は握りこぶしをテーブルに叩きつけた。

 弱小のノヴゴロド海軍にこれほどまでの遅れを取るのは大失態である。

 その被害もさることながら、フェザーン自身のプライドもこれを認められず、追撃に目が眩んだ結果としてさらに裏を取られることにつながった。


 その時は地響きと共に迎えた。

 地震かと見まがうほどの揺れが大広間を襲い、揺れる豪奢なシャンデリアを不安そうに幕僚たちが見上げた。

 しかしこの時、エヴァンジェリスタ二世もフィオレンツォ七世も、バッペンボルドー元帥もフッドウォーカー大将ですら、それを予想できなかった。

「ご、ご報告申し上げます!は・・・」

「どうした?早く申せ」

 気球から伝えられた札を手に固まる伝令。フィオレンツォ七世が促すと、彼が震える声で文言を読んだ。

「ハ、ハリチ湾に()()()()()()()()()()()!」

「――――――なっ!?」

 驚愕の表情を浮かべるフィオレンツォ七世に、バッペンボルドー元帥は自ら立ち上がってバルコニーへの階段を駆け上がった。土嚢が積まれたバルコニーからはハリチ湾が一望できるのだが、そこでバッペンボルドー元帥は目を剥いた。

「い、いったいどこから・・・」

 帝国軍で数隻しかいないはずの戦列艦が二隻、ハリチ湾を横断してこちらに向かってきていた。周りにはフリゲートなども並び、間違いなくこれが海軍の主力部隊であろう。

 「海峡の鎖が突破されたのか」とそちらに目を向けたが、波を断つ鎖は健在であり、その奥には教会軍の艦隊も見える。

 その時、さらにわが目を疑うことが起きた。

 ハリチ湾を挟んで対岸の小高い山。

 そこにまるで波を超えるかのように戦列艦が現れ、山頂から激しい振動と共に下ってハリチ湾へと侵入していった。

 白波をバサッと掻き分け、同じように次々と山の斜面を船が降りてくる。

「や・・・()()()したのか・・・!」

 いつの間に来ていたのか、その光景にフッドウォーカー大将やフィオレンツォ七世も息を呑んだ。

「湾への砲撃は!?迫っているとはいえ、こちらは城塞。近づかれる前に討ち取ってしまえば・・・」

「・・・稼働できる砲はすべて前線へ移動しました。上陸を阻止する部隊も残っておりません」

 帝都への道は一つ。ありとあらゆる戦力をそこに集中してしまったが、まさかこのような形で攻撃を仕掛けてくるとは、露程も思っていなかった。

 フェザーン大将の艦隊が湾へと入れば迎撃可能だが、海峡は鎖で封鎖され、また主力部隊も地中海を東へ進んでしまったため、完全な無防備状態である。

 そうこうしている間にも帝国軍の戦列艦三隻を始め、湾に侵入した艦船が次々と砲門を開いて回頭する。

 一列の戦列を組んだ彼らがその砲撃音を湾に轟かせた時、帝都の陥落が決定すると言っても過言ではない。あとは港につけられて海兵たちが街を城を占拠してしまうだろう。

 かといって衛兵隊を向かわせてもマスケットごときでは歯が立たない。

「おのれッ!」

 悔しさから血が滲むのも構わず握った拳を土嚢に叩きつけるバッペンボルドー元帥の前で、眩い光が瞬いた。

 轟音と共にオレンジ色の閃光が湾を覆い、吐き出された300を優に超える砲弾が街を灰燼に帰す・・・はずだった。

 砲弾は確かに爆ぜた。万物一切合切を纏めて破壊するような大火力で。

 だがその炎も、爆風も、何もかもが帝都の手前で全て受け止められた。

 まるでそこに壁があるかのように。


「さ、参謀長・・・これは・・・」

 その光景を目の当たりにして、戦列艦の艦橋から絶句する帝国海軍の上級大将。その隣で海軍参謀長にして騎士大将のヴィルヘルミーナ・クイヴァライネンは歯ぎしりして、港に立った一つの人影を睨みつけた。

「あの男か・・・!」


 硝煙が辺りを漂う中、背の高い男が何かを呟きながら、一歩、また一歩と桟橋を進んでいった。

「・・・劫火の砲撃、銀淨の盾。這う這う地を舐め、己が生に十字を切れ」

 街からドドドと地響きのような砲撃音が木霊し、彼の背後を砲弾が飛び越えて湾の艦隊へと降り注いだ。

「下がれや下がれ、下民ども。ここは陛下の聖都なり・・・と!」

 近衛騎士団旗騎士――エイト=ブラハム・“アポロ”・シエンツがニカッと笑みを浮かべた時、砲弾が炸裂して湾が赤く染まった。


 存在しないはずの砲による迎撃にバッペンボルドー元帥が眉を顰めていると、カラカラと笑い声が聞こえてきた。

「フハハハ。砲が無いって聞きましたんで、シエンツのガキに部隊を付随させておきましたよ」

「・・・ロワ伯爵!」

 近衛砲兵団ベルサリエリ団長――バルテルミ・ド・ロワが巨体を揺すって楽しそうに笑った。

「近衛砲兵は何も儀礼だけが任務じゃあない。精鋭で固められたれっきとした戦闘部隊だ」

 言っている傍から再び砲撃音が耳をつんざき、艦隊へと降り注ぐ。

 儀礼の時と変わらぬ、無駄のない所作で歯車のように動く近衛砲兵の砲撃は、教会軍の砲兵と比べても群を抜いて早く、そして正確だった。

「その通り。ここは皇帝陛下がおわします聖都。衛兵隊で手に負えぬならば、我ら近衛が対応に当たる。そこのところ、ゆめゆめお忘れなきように」

 ロワの横に立っていた近衛銃士団カラビニエリ団長――ベルトラン・デュ・ゲクランがその八の字眉毛を、さらに山なりにさせる。

 いつの間にか周りには精悍な顔つきの近衛銃士たちが控えており、その雰囲気に教会軍の伝令も思わずピストルに手をかけた。

 その様子を眺めながら、フィオレンツォ七世が白眉の下の眼を二人の団長に向ける。

「・・・なるほど。この場で我々を消してしまえば、軍の指揮も政治もすべてを牛耳れるというわけだな。全く、近衛というのは、どこまでも陛下の忠犬だな」

「今の言葉、聞かなかったことにしましょう。そしてここで仮にあなた方を消したところで、その責は陛下にあることになる。血に濡れた君臨者など、求める者はいますまい」

 暗に「今はその時ではない」と言いながら、ゲクランは言葉を続けた。

「たかだが海軍の艦隊が一つや二つ。近衛の力でいかようにでもあしらいましょう。教会軍の方々はどうぞ前線にご集中を」

 いくら砲兵団を出したからと言っても、人的には圧倒的不利に関わらずゲクランとロワは涼しい顔だった。近衛は絶対に負けぬという自信があるかのように。

「フッ、騎士団だけではないと言わんばかりだな」

 「ここは冷える」と呟きながら、フィオレンツォ七世は大広間へと階段を降りて行った。


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